ご褒美婚21
シーン、と静まりかえる。
それはそれは冷ややかに。
「……おねだりですか。はしたない」
ロイがやっと反論した。
「我が姫はきっと三年着古した出で立ちで離縁となりましょう。語らずも、その姿により冷宮生活を知らしめることになりますが、契約違反ではないことを確認したく」
書面を指差しながらレオが言った。
一つ、冷宮暮らしの詳細を口外しない。
*署名以前の冷宮暮らしも口外しない。
「なっ!?」
勢い立ち上がりそうになるロイの肩を、ガニオの手が止める。
「陛下にお伝え致しましょう」
「ガニオ将軍!?」
ガニオの返答に、ロイが不満の声を上げた。
「お願い致します、ガニオ様。交渉で決まった通り、持参金なしで輿入れ致しました。金に物を言わせるような『はしたないこと』を、敗戦国の王女がしてはいけないと我が姫は自身を戒め、本当に身一つ鞄一つで……、真に何も……ほんっとうに、何も……持っていないのです」
レオが片手で目頭を押さえて、あえてーの、わざとらしーくの、それらしーく言った。
不憫な姫を思う忠誠の騎士を大袈裟に演じるがごとく。
「あの……ですので、先にレオが言った通り、署名できません」
そう言って、クラリスはレオと頷き合う。
「ペンもインクも待ち合わせていないので、物質的に署名できないのですわ」
と。
両掌を天に向け、肩を竦めたのであーる。
協議後の主城執務室。
「……また、奴ら(クラリスとレオ)にしてやられました」
ロイが悔しそうに言った。
「……」
協議の報告を聞いたアレクは、また頭を抱えそうになる。
「最低限の衣もお届けした方がよろしいでしょうな」
ガニオが苦笑まじりに言う。
「もちろん、生活必需品もです」
「あ、ああ……、これは完全にこっちの落ち度だ」
アレクがため息をもらす。
当初、冷宮での冷遇生活に耐えきれずさっさと帰国すると踏んでいたが、予定は狂いに狂っている。完全に相手のペースだ。
こちらが用意した札を、いとも簡単にひっくり返される。
落ち度だとは言ったものの、それこそがこちらの札であり、本来ならその札でブルグへお暇願えるはずが叶わず、落ち度札で落ちたのはこちら。
裏目に出るとはこのことか、とアレクは実感した。
「それが、冷遇というものです! あっちもわかっていましょう! 本来なら、あちらが頭を下げて乞うべきなのです。それを、あんっのような、こちらに恥をかかせるようにもっていきやがって!」
ロイが荒々しく叫んだ。
肩を竦めただけに終わらなかったのだ。
宮を探索して見つけた固まったインク壺と持ち手の折れたペン、黄ばんでボロッといきそうな紙を、年代物のテーブルに並べてみせたクラリスとレオであった。
追い打ちは、衝立で仕切られたクラリスのベッドを見せ、重厚なカーテンを寝具にして寝ておりますの、である。
「クソッ」
「ロイ、止めよ!」
いきり立つロイを、アレクが制した。
「……はい」
「とりあえず、冷静にだ」
三人はしばし呼吸を整える。
最初にガニオが口を開く。
「一筋縄ではいきませんな、これは。また一度、陛下もクラリス王女とお話をされた方がよろしいかと」
「確かに。面前にて署名しなければ、後々厄介になりそうだ」
それこそ、アレクの署名が本物かどうかの疑義を相手に持たせてしまう。
「こちらの不備は認めざるを得ないな」
「ですが、謝罪は不要かと思います。それこそ、敗戦国王女への戒め(冷遇)せずして、安穏と側室の地位はやれないからだと宣言ください!」
ロイが握り拳に力を込めて言った。
「そこは安心しろ。不備を認めるだけだ。謝罪はしない」
国の頂たる王は謝罪しないものだ。
かつ、ロイが口にしたように勝者の理屈も通るというもの。敵国で過ごすとはそういうものなのだ。
と、その時……
バタバタ
バタバタ
廊下が騒がしくなる。
アレクは既視感を覚えた。
コンコンコンコンッ!
「緊急です、失礼致します!!」
と、慌てたように近衛が入ってきた。
許可を得ずに入室するほどの出来事のようだ。
「アルト王子所在不明にございます!」
「何っ!? ゾレスの所に送り届けたのではないのか!?」
アレクは言いながら、外を見る。
もう日は暮れて、暗さが増してきている。
「主城では見つけ出せず、いつものお散歩かと思いゾレス様と王妃の宮も捜しましたが……」
近衛が首を振っている。
「ガニオ将軍、どこか心当たりはありませんか?」
近衛が訊いた。
ここ一週間、アルトはガニオを追っていたからだ。
「いや、私はわからぬが……、素振りの練習場あたりか?」
「そこもすでに確認しましたが、おりませんでした」
「ガニオ将軍を追って行ったかと思うのですが……どこかで迷子になられ……いえ、くまなく捜して見つからないのは」
近衛がアレクを窺う。
「拐われた、か?」
可能性を口にして、アレクの背筋が凍った。
「王城全域を捜索せよ! 緊急配備だ! 手がかりを見つけ出せ!」
このアルトの大冒険が、クラリスの運命を変えようとしていた。
『あそこが側室の宮』
ガニオの後を追ったアルトは、冷宮に入るガニオとロイを見ている。
ここに警護の者がいたなら、アルトはすぐに見つかっていたことだろう。
アルトは生け垣に隠れて膝を抱えた。
『痛い』
足の裏は擦り傷だらけ。
主城に靴は隠してきた。足音が響いたから。
ほろりと涙が流れた。
『寒い』
アルトは小さく丸まりながら、冷宮を見つめている。
その小さな影が暗闇に溶け、人知れず冷宮入りするのだった。




