恩人
ユシェイグ中央部には五つの研究所があった。その内のひとつ、第三研究所は防具開発を主とする研究所である。リーとアーキスが使っている薄手の防刃服のほか、第二研究所で開発された合金で鎧なども作られていた。
「ふたりとも久し振りだな! 元気そうで何より」
呼び出しに応じて来てくれたべムスは、相変わらず人好きのする笑顔を向ける。
養成所時代に訓練の一環として、第一研究所内で飼われている魔物の世話をしたことがあった。その時の担当だったべムスは、今は第三研究所で防具開発に勤しんでいる。
「お久し振りです」
アーキスとともに会釈して、リーは昔と変わらぬべムスを見やった。
栗色の髪を無造作に結び、金褐色の瞳を細めるべムス。無精髭にヨレヨレの服はいつも通りだが、細身でも軟弱さはなく。顔もいいのだから、身なりを整えれば引く手数多ではないかと思う。
尤も、本人には全くその気はなさそうだが。
「にしても珍しいな。どうしたんだ?」
「ちょっと場所を貸してもらいたくて」
アーキスの言葉にべムスは首を傾げた。
「第五じゃなくて?」
「はい」
その会話に、リーはアーキスがどこで調剤しているのかを知る。
第五研究所は薬剤の開発を主とする施設。もちろん調合室もあるだろう。
「ま、詳しくはあとで聞くけど。とりあえずわかった」
「ありがとうございます」
そう頭を下げてから、アーキスはリーを見た。
「明日一日かかりそうなんだけど、待っててくれる?」
「了解」
「じゃあリー、暇なら手伝ってくれよ?」
間髪入れずに労働力を確保しにかかるべムスに笑いながら、もちろんと頷いた。
研究所内の宿泊室を貸してもらえることになったふたり。今日のうちに仕込みをしたいと願い出たアーキスは、ベムスに連れられて作業部屋へと向かっていた。
「相変わらず仲いいんだな」
「お陰様で」
からかうようなベムスの声に、アーキスも明るく返す。
「毎日充実してますよ」
「それならいいけどさ」
肩をすくめるベムス。
「請負人辞めたらいつでも来なよ? アーキスならどの研究所でも歓迎するよ」
「辞めませんって」
「そう言わずにさぁ」
会うたびに繰り返される会話は、かつての自分を気取られているからだとわかっていた。
なんの伝手もない第五研究所の調合室を借りるため、ベムスを頼った。調合師だと証明するために登録証を見せたことで、研究所の面々には『アクス・オルナート』だと知られた。
自分が『アクス・オルナート』であることになんの価値も感じていないことも、その理由も。ちゃんと話してはいないが、思うところがあったと気付かれていたようで。こうして今でも声をかけてくれる。
今は大丈夫だと遠回しに伝えはしたが、それでも変わらずに。自分にも行き場があるのだと示してくれていた。
「続けられなくなるまでは、あいつと歩きます」
いつも通りの言葉を返すと、場の空気を軽くするように、ははっと軽く笑われる。
「ほんっと大好きなんだな」
「恩人ですから」
これもまた、いつも通りの返答で。
変わらぬ様子にどこか安心したような顔を見せるベムスに、少しくすぐったいような思いを抱きながら。見守られていることと、それをありがたく受け入れられている己を、嬉しく思った。
翌朝、アーキスは早くから作業に行くと出ていった。今日一日ここで待機のリーは、ベムスに請われるままに手伝いをする。
剣を新しくした話をすると、調整代わりにと防具の耐久力の検査に駆り出された。
「これって改良版なんですか?」
延々と防刃服を斬りつけながら尋ねると、どこか嬉しそうにそうなんだと詰め寄られる。
「今までのより溶液を薄めてじっくり浸け置くことで、素材が反発するのか耐久性があがるんだ」
何を何で浸けているのかはリーも知らない。聞かない方がいいと言われたので、もちろん聞こうと思わない。
「もう引っ剥がされてるのに。面白いよな」
べムスが元いた第一研究所が何を扱うところなのか。
知ってはいるが、気付いていない振りをした。
持っていた着色剤で染め上げた金属板に刃を入れながら、アーキスは今までのことを思い起こす。
すべて置いてきたつもりでも、こうして残るものがあった。
自分の過去であり、それまで生きてきた証。
使うことがないので気にしていなかったのも本当だが、もしかすると、心のどこかでは手放したくないとためらっていたのかもしれない。
金属板を少しずつ削りながら刻むのは、彼の努力。
諦めないその姿は自分が持ち得ない強さで。あの時、自分は彼に憧れたのかもしれない。
今もまだ変わらぬ彼。
たとえ少しずつでも、自分は彼のような強さを持つことができているのだろうか。
―――ひと削りごとに想いを込めて。
出逢えた感謝を伝えられればと。
そう願いながら―――。
夜になり、借りている部屋にアーキスが戻ってきた。多少の疲れは見えるが、どこかすっきりとした表情をしている。
「終わったのか?」
「うん」
頷き、アーキスは右手を差し出した。
「もらってくれる?」
きょとんとしていると、手、と促される。言われるままに出した手に、アーキスは握っていたものを置いた。
所属証と同じ大きさの緑の金属板。透かし彫りで刻まれているのは、幾重にも重なる木の枝葉。
「…これ……」
手のそれを見て、アーキスを見て。どこか呆然と呟くリーに、アーキスは屈託なく微笑む。
「アクス・オルナートの最後の作品。リーにもらってほしいんだ」
「最後って…」
「調合師以外の弟子名、全部返還する。もう俺には必要ないものだから」
きっぱりと言い切るアーキスは、本当に晴々とした様子で。
もう決めてしまっていることはわかっていた。だからどうしてとは問わないが。
偽物の一件がきっかけというなら、あれから今までの間に決断したということになる。そしてその間ずっと、自分は隣にいたのに。
相談してほしかったわけでもなく。気付かなかったことを不甲斐なく思うのでもなく。
ただなんとなく寂しいような。そんな気持ちが胸を占める。
アーキスにとっての大きな転機。
立ち会えたのかもしれないが、できたことは何もなかった。
ぎゅっと、金属板を握りしめる。
「ありがとな」
まっすぐ見つめてそう言うと、アーキスがほっとしたような表情を見せた。
「俺こそ。ありがと」
破顔するその顔に、先程の濁りが抜けていくのを感じる。
わざわざ『最後の作品』を作り、手渡してくれたアーキス。
自覚はないが、もしかしたら自分も少しは力になれていたのかもしれない。
(…そう、だよな)
自分たちだって子どもではない。すべて話して聞いてもらわなくても、得られるものがあるのだから。
内心こっそり息をつき、リーもようやく笑みを見せる。
「…ま、いいんじゃねぇの? お前なら、取りたくなったらまたすぐ取れるだろ」
「そうだね、引退して暇になったらまた取るよ」
返された声は明るく。
含まれる感謝に気付き、リーは笑みに照れくささを滲ませた。
しゃらん、と澄んだ音がする。
所属証とは別に首から下げているもう一本のチェーンに通し、リーは改めてアーキスの作ったそれを見た。
指程度の長さしかないのに、枝には樹皮、葉には葉脈まで彫り込まれている。
なぜこの模様なのだろうかと暫く考えてから。辿り着いた答えに、リーは苦さ半分、喜び半分の笑みを浮かべる。
アーキスが自分にとって恩人である理由のひとつ。
アーキスもまた、大事な思い出としてくれていたようだ。
小さく息をついて。
リーは大事そうに服の内側へとしまった。




