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互いにとっての


「じゃ、おつかれってことで」


 研究所の宿泊室で、ふたりは借りたグラスを合わせる。

 研究所側に許可を取り飲んでいる酒は、バドックでリーがアーキスに渡したものだった。


「飲む暇なかったもんね」


 バドックからの道中と紫二番では宿や食堂で飲み、アリュートではそんな状況ではなく。結局持ったままだった酒をようやく開けることができた。


 互いに一口飲んでから、ふっとアーキスが笑みを零す。


「まぁびっくりしたけど、いい機会だったかな」


 その口調も表情も、穏やかなものであるのだが。


 バドックでもさほど気にした様子は見せなかったが、本人の意図せぬこととはいえ自分の名がこうしたことに使われたことをどう受け止めているのだろうかと。いつも通りのアーキスを見やりながら、リーは内心心配する。


 自分はアーキスに恩がある。


 養成所時代、ほかの同期との間に入ってくれたおかげで孤立せずに済んだことや、高所克服を手伝ってもらっただけではない。


 自分はアーキスに請負人(コート)としての立ち方を教わったのだ。


 小さな村の出身で、周りは気心知れた者ばかり。自分の気持ちを言葉にせずとも、皆わかってくれていた。


 だから養成所に入ったばかりの自分は、今以上に己のことを伝えるということができなかった。気持ちを言葉にする大切さを知らなかった。

 周りとの軋轢にも、実力さえあれば文句はないだろうと思っていた。


 そんな自分に、アーキスが教えてくれたこと。


 請負人(コート)は魔物相手の職業ではある。だが、その依頼をするのは人なのだと。依頼主が何に困り何を望むのか、それを知らぬまま依頼を果たすことはできないのだと。


 強さだけではない。人と向き合うことが必要なのだと気付かされた。


 まだ十分でないことはわかっている。しかしそれでも、こうして今も請負人(コート)としてやれているのはその気付きがあったからだと思う。

 直接窘められたわけではなく。まっすぐに人と向き合うアーキスを見て、自分との違いに気付かされたのだ。


 そんな自分がどうにも情けなく、今もまだ面と向かって礼すら言えていない。


 本人に伝えられないまま抱くアーキスへの感謝と尊敬は今も変わることなく、そんな彼がこうして友人でいてくれることを嬉しく思っていた。


 しかしその一方で、あまり己の内を見せないアーキスが心配でもあった。


 実家と縁を切った顛末とそのあとのことは、少しは聞いている。しかしそれですら淡々と語るアーキスの中では、自分に話すまでもなく、もう終わったことだったのだろう。


 そのことも、弟子名を返還することも。いつも自分はアーキスの出した結論を聞くだけで、なんの役にも立てていないのだと。そんな風にも思えて。


 頼られないことが寂しく、何もできないことが情けなく、ひとりでやっていけるアーキスが羨ましく、それでもどこか心配で。

 ふたり向かい合って座りグラスを傾ける今でさえも、アーキスの眼差しはいつも通りで、手放すものへの未練も寂寥感も見えない。


 無理はしていないのか。

 それすらわからずに、リーはその柔らかな笑みを眺めていた。





 他愛もない話をしながら飲み進め、瓶に残る最後の酒を互いのグラスに注ぎきった。


 半分ほどしか入っていないグラスを揺らしながら、瞳をやや伏せ気味に手元を見るアーキス。

 珍しい様子に、やはり少し思うところがあるのかな、とリーが思った時だった。


「……ひとりで生きていけると思ったんだ」


 揺れる深い赤を眺めながら、ぽつりとアーキスが呟いた。

 口元に持っていきかけていたグラスを止めるリー。


 いつもより低くどこか後悔の滲むような声は、今までに聞いたことのないそれだった。


「俺は自由になったんだから、好きに生きていけると思ってたんだ」


 意味を取りきれず見返すリーを気にする様子もなく、ただ手だけを動かしながら続けるアーキス。

 ゆらりゆらりと揺れる水面に合わせ、映り込む光もくるりと回る。アーキスの視線はそれに注がれているが、おそらく見えているものはもっと別のものなのだろう。


 口を開きかけるが、何も言えず。

 じわりと広がる驚きの中、リーはかかる銀髪の向こうの瞳を見つめていた。


「だから請負人(コート)を選んだ。ひとりで好きに生きて、自由に歩いて。そのうちどこかで野垂れればいいって、そう思ってた」


 ――統括名がつくほどの技師名を持ちながら、なぜ請負人(コート)になったのか。


 バドックでのリーの問いに今になって答えたアーキスは、そこで初めて苦笑を見せてグラスを置いた。瞠目するリーを真っ直ぐ見つめる瞳に迷いはなく、浮かぶのはただ深い感謝の色。


「……変えてくれたのは、リーなんだ」


 染み渡るような、静かな声で。


 大切なものを手渡すかのように、アーキスが告げた。





 すぐに言葉が出ないまま、リーはアーキスを見ていた。


 自分の知らぬアーキスの葛藤。

 変えたのは自分だと言われても、何かができていたことにさえ気付かないままだった。


 手にしていたグラスをぐっと握る。何を告げればいいのかわからずに、残る酒をあおり、少々大きめの音とともにテーブルに置く。


 纏まらない胸の内。言いたいことはたくさんあるが、言葉にならない。


 置いたグラスを見たまま、何か言おうとしては口を噤み。それでも何も浮かばず顔を上げると、じっと自分を見つめるアーキスと目が合った。


 もう、六年も前のこと。

 変えてくれたと口にしたアーキス。

 つまり今はそう思っていないのなら。


「……馬鹿だな」


 自分を見るアーキスの瞳がどこまでも穏やかだったから、今はそれだけにしておく。


 ここで無理に言葉にしなくても、自分たちにはこの先がある。この思いがはっきり形になった時に、今日みたいに向き合いボヤいてやればいい。

 きっとアーキスは、そんなこともあったねと穏やかに笑って流すのだろう。


 それ以上何も言わないリーに、アーキスが表情を和らげる。


「……うん。俺もそう思うよ……」


 置いたグラスを手に取り、リーの空のグラスにかちりと当ててから。


「ありがと」


 消え入りそうな呟きは、すぐに酒とともに呑み込まれた。





 灯りを落とした部屋。ベッドに横になったまま、アーキスは暗闇に沈む天井を見上げていた。


 反対の壁際のベッドからは、小さく寝息が聞こえている。昼間はベムスを手伝って新作の防刃服を斬り続け、少しは新しい剣の間合いに慣れてきたと話していたリー。それなりに休んでいるとはいえ立て続けに色々とあったのだから、疲れてはいるだろう。


 馬鹿だな、と告げたリーは、悲しそうにも泣きそうにも呆れたようにも見えて。ずっと話せなかったことを謝るつもりだったのに、結局言い出せず。零れた言葉は礼だけで。


 かつての自分の浅はかな考えを聞いても、あの一言だけで済ませてくれたリー。


 気にしなくていいと言われていると取るのは、あまりに自分に都合がよすぎるだろうか。





 請負人(コート)になったのは一処にいたくなかったから。自分を縛るものはもう何もない。好きなところに行って、好きなように生きて、好きなように死ねばいい。そう思っていた。


 だから養成所でも、誰にも深入りする気はなかった。当たり障りのない円満で薄っぺらい関係でいいと思っていた。

 孤立しかけていたリーに声をかけたのも、その円満を守るため。変に波風を立ててほしくなかっただけだった。


 同期の誰よりも小柄なその少年は、本当に強い意思を持ってそこに立っていた。からかわれても曲げない頑なさは彼の強さで、流され続け苦しくなって逃げ出してきた自分にはとても眩しく見えた。


 その輝きに惹かれて一緒にいるうちに、本当はお人好しで優しいことにも、奥底に潜む劣等感に似たもどかしさにも気付いた。


 そして何より、楽しかった。


 同期との誤解が解けてからも、彼の周りでは次々に何かが起きて。馬鹿なことを思い悩んでいる暇などない生活は、本当に楽しかったのだ。


 まだ少しあどけなかった頃の姿を思い出し、笑う。


 巻き込まれただけだとリーは言うが、発端はそうでもいつの間にか中心にいたことに、彼は全く気付いていないのだ。





 どこから聞きつけてきたのか、養成所に入って暫くすると乳母から手紙が届くようになった。もちろん返事は出さなかった。それでも何度も、何度も。


 三通目からは弟たちからの手紙も同封されていた。上の弟は、下の弟は自分のためにあんなことを言ってしまったのだと謝っていた。下の弟は、何も考えていなかった自分が悪いのだと後悔を綴っていた。


 父親に知られないようにか、差出人は乳母、送り元は乳母の実家で。それからずっと、三人からの手紙は届き続けた。


 迷いながら初めて返事を書いたのは、一年を過ぎてから。


 戻る気はなかった。二度と会うつもりもなかった。そのうち野垂れるつもりの自分。もう忘れてくれればいいと思っていた。

 だからずっと返事を出さなかった。


 しかし。


 リーと一緒にいるうちに、そんなつもりもなくなって。

 そうして初めて、自分のしたことを振り返ることができた。


 父親には家を出たいと話したが、乳母にも、弟たちにも、自分はただ事後報告をしただけだった。


 話もせず逃げた自分に送られてくる手紙。

 返事ひとつ返さない薄情な自分に、それでも送り続けられる手紙。


 どんな気持ちで送り続けてくれたのだろうかと。そう思うとやりきれなかった。


 初めて出した手紙は、もう本当にひどいものだったと思う。


 勝手を詫び。不義理を詫び。

 忘れずにいてくれたことに、感謝を述べて。


 いつもは月に二回同じ頃に届く手紙が、その時だけは本当にすぐ返事が来た。

 喜びの滲む文面に、尚更申し訳なくなった。


 旅回るようになって頻度は減ったが、今でも組織預かりで手紙をくれる。


 会いには行かない。


 それでももう、会えないとは思わない。





 息をついて目を閉じる。


 リーには悪いが、場所を借りた礼として明日一日べムスを手伝って。

 それから本部に戻って何もなければ、技師連盟に弟子名返還の手続きをしに行こうと思う。


 本当なら調合師も返還した方が後腐れはないのだが、調薬できなくなるのは不便なのでこれだけは残すことにした。


 これからはアクス・オルナートではなく、ただの調合師アクス・レーヴェの名だけを携えて。


 請負人(コート)アーキスとして歩いていく。


 昔望んだ自由はないが、代わりに得られた忙しくて窮屈な楽しい日々と。

 ここで得られた大切な絆を手放したくはないから。


 今度こそ逃げずに、一歩ずつ――。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  大人な雰囲気の回でした。  アーキスはそのつもりがなくても、リーに背中で語り、リーもまた。なのでしょうね。  お互いに影響を与え合い、変わっていったふたり。  『仲間』なのだなぁと思いま…
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