童謡少女の最強魔法
さらに。
長い年月が過ぎた。
◇
神聖マルナ学園。
野外教導――巡教旅行。
王都を出発した一行が。
最初に訪れたのは。
王都近郊にある、小さな農村だった。
「今日はちょうど、村祭りの日です」
先頭を歩く神官の言葉に。
生徒たちの顔が少し明るくなる。
村の広場には。
色とりどりの布が飾られ。
笛や太鼓の音が響いていた。
子供たちが走り回り。
いくつもの露店が並んでいる。
「野外教導って、祭りも見るんだな」
ニールが言った。
「地域に残る信仰や風習を学ぶのも教導だろ」
オルフェが答える。
「なるほど」
「お前、絶対食べ物しか見てないだろ」
「失礼な」
そう言うニールの手には。
すでに一つ。
聖弧揚げが握られていた。
「何個目?」
「二個」
「始まったばっかだぞ」
「これも地域文化の研究」
「便利な言葉だな」
聖弧揚げは。
甘く煮た油揚げに酢飯を詰めた、この地方に古くから伝わる祭り料理だった。
形も。
味付けも。
村ごとに少しずつ違うらしい。
「これ、結構甘いな」
「この村は甘めなんだって」
「へえ」
「ちゃんと聞いてたのか」
「食べ物の話だけ」
「やっぱりな」
そんな話をしながら。
二人は村の外れへ向かう。
そこで。
ニールが足を止めた。
「……なあ」
「ん?」
「あれ、何?」
畑の中。
一本の棒に。
古びた服を着せ。
帽子を被せた人型の何かが立っていた。
「あれ?」
オルフェが見る。
「キャキャシーだろ」
「キャキャシー?」
「知らないの?」
「初めて聞いた」
「鳥除けだよ」
「……あれで?」
「昔から畑に立てるらしい」
ニールが。
じっと見る。
「なんでキャキャシーって名前なんだ?」
「知らん」
「意味は?」
「それも知らん」
「何も知らねえじゃん」
「名前だけ残ってんだよ」
近くで作業していた農夫が笑った。
「昔っからキャキャシーって呼ぶんだ」
「いつからです?」
「さあなあ」
農夫は。
畑の中に立つ人形を見る。
「爺さんの爺さんの頃には、もうそう呼んでたって聞いたぞ」
「へえ……」
ニールも。
もう一度。
キャキャシーを見る。
祭りの音が。
遠くで続いている。
名前の意味も。
始まりも。
もう誰も知らない。
それでも。
聖弧揚げも。
畑に立つキャキャシーも。
今なお。
この土地の暮らしの中に残っていた。
◇
翌日。
一行が訪れたのは。
旧レスト侯爵邸だった。
現在のレスト家は公爵家。
当主の暮らす屋敷も。
とうの昔に、別の場所へ移されている。
だが。
侯爵家だった時代の古い屋敷だけは。
今も取り壊されることなく。
史跡として保存されていた。
「こちらです」
案内役の神官が。
一つの扉の前で立ち止まる。
「この部屋は、通称――《聖なる寝室》と呼ばれています」
「……」
ニールが。
ゆっくりオルフェを見る。
「言うなよ」
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
神官が。
わずかに咳払いした。
「ここは、レスト家の令嬢リーゼリアが奇跡的な回復を遂げた場所として知られています」
扉が開かれる。
中は。
意外なほど普通の寝室だった。
大きな窓。
ベッド。
小さな机。
いくつかの家具は。
当時の記録をもとに復元されたものだ。
「リーゼリア令嬢は、通常の治癒魔導では回復が難しい状態にあったとされています」
「それが、この部屋で?」
「はい」
「何があったんです?」
一人の生徒が聞く。
神官は。
少し困ったように笑った。
「それが、正確には分かっていません」
「分かってないんだ」
「記録には、奇跡的に容体が回復したことだけが残されています」
そして。
少し声を落とす。
「非公式には、神獣が召喚されたという伝承も残っていますが」
一拍。
「こちらは、あくまで伝承ですので試験には出ません」
生徒たちから。
小さな笑いが起こった。
ニールが。
オルフェへ囁く。
「それで《聖なる寝室》?」
「そういうことだろ」
「名前だけ聞くと別の意味に――」
「やめろ」
肘で小突かれた。
「なお」
神官が続ける。
「この部屋を保存すべきだという声が非常に強かったため」
「結果として、旧侯爵邸そのものが史跡として残されることになりました」
「寝室一個のせいで屋敷丸ごとか」
「だから言い方」
「でもそういうことだろ?」
「まあ……そうだけど」
百年以上。
人が暮らすことはなくなっても。
屋敷は残った。
誰かが。
ここを残したいと。
願い続けたから。
◇
旅は。
さらに続いた。
「見えてきましたよ」
神官の声に。
生徒たちが顔を上げる。
丘の向こう。
陽光を受け。
大きな湖が青く輝いていた。
「こちらが、ローネ湖です」
「おお……」
ニールが思わず声を漏らす。
「でかいな」
「湖だからな」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあ何だよ」
「なんか……もっとこう」
ニールは言葉を探し。
「普通に綺麗」
「感想が雑」
風が。
湖面を渡ってくる。
「ローネ湖は、古くからこの地方の水源として、人々の暮らしを支えてきました」
神官が説明を続ける。
「そして」
一拍。
「《歌う使徒》にまつわる伝承が、数多く残されている場所でもあります」
「《歌う使徒》?」
ニールが首を傾げる。
「中央神殿に像があるだろ」
オルフェが言った。
「ああ。あの人か」
「そう」
神官が頷いた。
「《歌う使徒》と呼ばれた人物が、実在したこと自体は現在も有力とされています」
「本名や出自については、確かな記録がほとんど残っていません」
「何した人なんです?」
「それも」
神官が。
少しだけ笑う。
「伝承によって、ずいぶん違います」
「神獣を呼んだ」
「病を治した」
「歌によって人々を救った」
「中には、魔法を使ったとするものまであります」
「魔法?」
ニールが笑う。
「そこまでいくと、おとぎ話だな」
「だから伝承なんだろ」
オルフェも笑った。
湖は。
そんな会話など知らないように。
静かに。
輝いていた。
◇
巡教旅行も。
終盤。
その日。
一行は。
一つの古い建物の前に立っていた。
「こちらが、旧ルミナリア孤児院です」
先ほどまで騒いでいた生徒たちも。
少しだけ。
声を落とした。
現在。
孤児院としての機能は。
すでに別の施設へ移されている。
だが。
古い建物の一部だけは。
今も。
史跡として残されていた。
「この地は」
「後に《最後の聖人》と呼ばれることになる、聖人マルナ・アリシアが」
「長く院長を務めた場所です」
「マルナ学園の……」
誰かが呟いた。
「そうです」
神官が頷く。
「我々、神聖マルナ学園の名も」
「この聖人マルナ・アリシアに由来します」
生徒たちが。
古い建物を見上げる。
質素な壁。
小さな窓。
立派な彫刻も。
豪華な装飾も。
何もない。
「……思ったより普通だな」
ニールが呟く。
「孤児院だからな」
「でも、最後の聖人がここにいたんだろ?」
「そうだよ」
「もっとこう……」
「金ぴかの像でも欲しかった?」
「そこまでは言ってない」
「それと」
神官が続ける。
「先ほどお話しした《歌う使徒》ですが」
「ああ」
ニールが頷く。
「ローネ湖の」
「はい」
「王都中央神殿にある《歌う使徒像》は、皆さんもご存じですね」
「でっかいやつ」
「観光客が必ず見に行くやつな」
王都中央神殿。
その大広間に立つ《歌う使徒像》は。
今では。
王都でもっとも有名な像の一つだった。
「その建立に尽力したことで知られる大司祭」
一拍。
「リュウ・ルミナリアもまた、この孤児院の出身です」
「……え?」
ニールが。
もう一度。
建物を見る。
「あの大司祭も?」
「はい」
「ここ出身なの?」
「そう伝えられています」
「最後の聖人が院長で」
「うん」
「大司祭リュウもここ出身で」
「うん」
ニールが腕を組む。
「……ここ、歴史上の人物出しすぎじゃない?」
「それはちょっと思う」
オルフェも。
今度ばかりは素直に頷いた。
「ちなみに」
神官が続ける。
「《歌う使徒像》には、もう一つ有名な話があります」
「まだあるの?」
「像の台座です」
「台座?」
「はい」
神官が。
少し笑う。
「台座の片隅には、古いマニール文字で」
「たった一言だけ、言葉が刻まれています」
「何て?」
一拍。
「《おかえり》」
「……おかえり?」
ニールが首を傾げる。
「なんで?」
「大司祭リュウが、生涯この言葉を大切にしていたことは記録に残っています」
「ですが」
「なぜ、それほど大切にしていたのか」
「本人が理由を記した資料は残っていません」
「じゃあ、なんで像に?」
「現在の神殿では」
神官が。
ゆっくりと説明する。
「王都の民が、いつでもここへ帰ってこられるように」
「また」
「マニールに暮らす全ての民が、この王都を我が家のように感じられるように」
「そう願って刻ませた言葉ではないか」
「そのように解釈されています」
「へえ……」
ニールが。
もう一度。
古い孤児院を見る。
「いい言葉だな」
「うん」
オルフェも。
小さく頷いた。
その言葉を。
最初に誰が。
誰に向けて言ったのか。
今となっては。
誰も知らない。
◇
見学を終えた一行は。
孤児院から歩いて移動した。
ほんの。
僅かな距離。
「こちらが、旧ファルク邸です」
「……近っ!」
ニールが声を上げた。
「静かに」
「いやでも近くない!?」
つい先ほどまでいた孤児院が。
まだ見える。
「ファルクとは」
神官が説明する。
「第十四代国王エルン・キア・マニールが、即位以前に名乗っていた家名です」
一人の生徒が手を上げた。
「先生」
「はい」
「ファルク家は、王家の血筋だったのですか?」
生徒が。
目の前の屋敷を見る。
「王が暮らしていた家にしては、ずいぶん小さいような」
「いい質問です」
神官が頷く。
「ファルク家は、小さな男爵家でした」
「エルン王は若くして宮廷魔導士として名を馳せ」
「後にアイザック王の王女と婚姻」
「その後、第十四代国王として即位されています」
「へえ……」
ニールが旧ファルク邸を見る。
「男爵家から国王か」
「すげえ出世だな」
「言い方」
そして。
孤児院を見る。
旧ファルク邸を見る。
もう一度。
孤児院を見る。
「……待って」
「何」
「聖人マルナと」
「うん」
「大司祭リュウと」
「うん」
「未来のエルン王が」
「うん」
一拍。
「めっちゃ近所じゃね?」
「……」
オルフェも。
改めて距離を見る。
「確かに」
「年代も同じだよな?」
「同じ時代」
「絶対会ってるだろ」
「まあ、会ってても不思議じゃない」
ニールが腕を組む。
「それで」
「ん?」
「最後のパラディンも同じ時代だろ?」
「ライアス・エンフィレル?」
「そう」
「そうだけど」
「……どんな時代だったんだよ」
オルフェも。
少し考える。
「王都に巨大な悪魔が現れて」
「うん」
「最後のパラディンが一騎打ちした時代」
「おとぎ話が過ぎるな」
「だよな」
「絶対、後世で盛られてるって」
二人とも。
少し笑った。
歴史の教本に並ぶ名前。
聖人。
大司祭。
国王。
パラディン。
大魔導士。
彼らが。
本当に。
同じ空の下で生き。
歩けば会えるような距離にいた時代。
百年以上後を生きる少年たちにとって。
それはもう。
半分。
物語の中の出来事だった。
◇
その日の夕刻。
一行は。
レスト公爵領最大の宿泊施設。
《ルミナリアホテル》へ到着した。
「……でっか」
馬車を降りたニールが。
建物を見上げる。
「今日それ何回目だよ」
「いや、これは本当にでかいだろ」
白い石造りの外壁。
大きな窓。
正面玄関には。
レスト公爵家の紋章。
何台もの馬車が行き交い。
旅行客。
商人。
巡礼者。
そして。
神聖マルナ学園の生徒たちが。
次々と中へ入っていく。
「大浴場あるらしいぞ」
「巡教旅行の感想がそれ?」
「今日かなり歩いたんだぞ」
「まあ、それは分かる」
二人も。
荷物を持って玄関をくぐった。
広いロビー。
高い天井。
その奥には。
大きく開かれた扉。
ロビーに併設された多目的ホールが見えている。
「神聖マルナ学園の皆様」
案内係が声を上げた。
「お荷物をお預けになりましたら、多目的ホールへお集まりください」
「歓迎の挨拶だっけ」
ニールが聞く。
「レスト公爵本人からな」
「……ちゃんと聞こう」
「最初からそうしろ」
二人は。
他の生徒たちと共に。
多目的ホールへ向かった。
◇
多目的ホールには。
神聖マルナ学園の生徒たちが、ずらりと並んでいた。
やがて。
ホール前方の扉が開く。
数名の従者を伴い。
一人の男が入ってきた。
「起立」
生徒たちが。
一斉に立つ。
現レスト公爵。
ランバード・レスト。
五十を少し越えたほどだろうか。
派手な装飾こそ身につけていないが。
立っているだけで。
それと分かる風格があった。
公爵が演台へ立つ。
「どうぞ、お掛けください」
生徒たちが着席する。
「神聖マルナ学園の皆様」
穏やかな声が。
ホールへ響いた。
「遠路、我がレスト領までお越しいただき、ありがとうございます」
「皆様が巡教旅行の最後に、この地を選んでくださったことを」
「レスト家当主として、嬉しく思います」
ニールも。
少しだけ。
姿勢を正した。
「この数日」
「皆様は、我が領とその周辺に残る数々の史跡をご覧になったと聞いております」
「古い村の祭り」
「旧侯爵邸」
「ローネ湖」
「そして」
「ルミナリア孤児院」
一拍。
「その多くは」
「百六十年以上前には、ただ人々が暮らす場所に過ぎませんでした」
公爵が微笑む。
「そこに住む者たちも」
「自分たちが、後世の教本に名を残すなど」
「きっと想像していなかったことでしょう」
ホールに。
小さな笑いが起こる。
「我がレスト家も」
「当時は侯爵家でした」
「その後、幾度もの時代を経て」
「王家より公爵位を賜り」
「今日に至ります」
ランバードは続ける。
「ですが」
「爵位が変わっても」
「この土地に対するレスト家の役目は」
「それほど変わっていないのかもしれません」
「守ること」
「残すこと」
「そして」
「次の世代へ渡すこと」
視線が。
若い生徒たちへ向けられる。
「皆様が今回の旅で」
「歴史上の名だけではなく」
「その人々が、本当にここで生きていたのだと」
「ほんの少しでも感じてくださったなら」
公爵は。
静かに頭を下げた。
「これ以上の喜びはありません」
拍手が。
ホールを満たした。
◇
「……いい話だった」
多目的ホールから出るなり。
ニールが言った。
「珍しくまともな感想」
「失礼だな」
「で?」
「夕飯何時?」
「台無しだよ」
夕食までには。
まだ少し時間があった。
二人は。
そのままロビーの一角へ移動する。
大きな窓。
柔らかな椅子。
行き交う旅人。
旅の終盤ということもあり。
ようやく気が抜けたのだろう。
ニールが。
深く背もたれへ身体を預けた。
「しかしさ」
「ん?」
「今日回ったところ」
「うん」
「やっぱ変じゃないか?」
「何が」
「歴史上の人物の距離」
「ああ」
オルフェも笑う。
「聖人マルナ」
「大司祭リュウ」
「エルン王」
「最後のパラディン、ライアス」
「それにロイド・ブレイズ」
ニールが。
指を折る。
「絶対みんな知り合いだったんじゃない?」
「それはどうだろ」
「だって同じ時代だぞ?」
「百六十年前の王都、狭すぎるだろ」
「それは違う」
二人とも笑う。
教本の中では。
別々の章に書かれている名前。
けれど。
同じ時代を生きたのなら。
案外。
自分たちのように。
同じ場所で話したことだってあったのかもしれない。
「そういや」
ニールが言う。
「ライアスって、資格にもなってるよな」
「ああ」
三神教の祈祷資格。
初級課程を修めた者が。
最初に目指す位。
《ライアス》。
「俺、次もう一回受ける」
「前回落ちたもんな」
「一点だよ!」
「落ちは落ち」
「じゃあお前何点だよ」
「合格点より二点上」
「ほぼ俺じゃん」
「合格者と不合格者には大きな壁がある」
「腹立つなぁ」
「その上が《マルナ》」
「そこはまだ遠い」
「で」
ニールが。
少し声を落とす。
「そのさらに上が」
「《シノ》」
「そう」
二人とも。
自然と少しだけ真面目な顔になる。
神殿が認定する。
最高位の祈祷資格。
《シノ》。
高位司祭であっても。
生涯届かない者の方が多い。
「でもさ」
ニールが首を傾げた。
「シノって、結局どういう意味なんだ?」
「知らない」
「お前も?」
「古い宗教語じゃないかって習った」
「何語?」
「知らん」
「またそれか」
「諸説あるんだよ」
オルフェが肩をすくめる。
「“至高”を意味する古語だとか」
「三神へもっとも近い祈りを意味するとか」
「最上位だから、後からそういう意味を当てたって説もある」
「じゃあ結局」
「分かってない」
「よくそんな名前、資格に使ってるな」
「伝統なんてそんなもんだろ」
「適当だなあ」
「お前に言われたくない」
その時。
ニールが。
何かを思い出したように鞄へ手を入れた。
「あ」
「今度は何」
「そういや」
ごそごそと探し。
一冊の本を取り出す。
「巡教の途中で、ヤバいの見つけた」
「何それ」
「古本」
「見れば分かる」
かなり年季の入った本だった。
表紙は擦れ。
頁の端も黄ばんでいる。
「著者見てみ」
「……」
オルフェが。
表紙に記された名前を見る。
「ロイド・ブレイズ?」
「な?」
「本物?」
「ちゃんと古書店の鑑定印ついてる」
「《ブレイズ式魔導読本》?」
「だったら、こんな値段で買えるわけないだろ」
「じゃあ何」
「それがさ」
ニールが。
ぱらぱらと頁をめくる。
「よく分かんない」
「……は?」
「魔導書でも研究書でもない」
「じゃあ何なんだよ」
「エッセイ?」
「ロイド・ブレイズが?」
「晩年に書いたらしい」
オルフェが。
少し興味を持ったように。
本を覗き込む。
「何について?」
「いろいろ」
「例えば?」
ニールが指を折る。
「童謡」
「うん」
「神獣」
「まあ、まだ分かる」
「魔王」
「……ん?」
「魔法使い」
「……」
「あと」
少し頁を戻す。
「歌う使徒」
オルフェが眉を寄せた。
「今日何回目だよ、歌う使徒」
「俺も思った」
中央神殿。
その大広間に立つ《歌う使徒像》。
実在したと考えられてはいる。
だが。
本名も。
出自も。
何を成した人物なのかも。
今では。
確かなことは、ほとんど残っていない。
「大司祭リュウが像を建てたんだろ」
「そうそう」
「なんでロイド・ブレイズの本にも出てくるんだ?」
「知らん」
「読んでないの?」
「途中」
「買った意味」
「これから読むんだよ」
オルフェが。
開かれた頁へ視線を落とす。
「……『神獣は、人と茶を飲む』」
「な?」
「……『魔王は思いのほか礼儀を重んじる』」
「だろ?」
「……大丈夫だったのか、この人」
「俺も思った」
「これ、本当にあのロイド・ブレイズ?」
「伝説の宮廷魔導士長」
「晩年、誰も止められなくなったとか?」
「ありそう」
二人が笑う。
「しかも」
オルフェが。
一頁めくった。
「召喚士は実在した、だって」
「それな」
「召喚士なんて」
一拍。
「いるわけないだろ」
「まあな」
「魔導士なら分かるけどさ」
「召喚なんて、もう魔法使いの領域って話だろ?」
「王立魔導学園に行った友達が、選択科目にはあるって言ってたぞ」
「召喚術?」
「うん」
「かなりマイナーらしいけど」
「あくまで古代魔導の研究として」
「ほらな」
「実際に呼べるって話じゃないだろ」
「まあ」
「そもそも」
オルフェが肩をすくめる。
「魔法使い自体がおとぎ話なんだから」
「――私は、いたと思いますよ」
「……え?」
二人が。
同時に振り向いた。
いつの間にか。
すぐ近くに。
一人の少女が立っていた。
自分たちと。
そう年齢は変わらない。
十七歳ほど。
上質だが。
派手すぎない服。
整った長い髪。
どことなく品のある立ち姿。
少女は。
二人ではなく。
机の上の古びた本を見ていた。
「召喚士」
もう一度。
言う。
「本当に、いたと思います」
ニールが目を瞬く。
「おとぎ話並みの眉唾ものだよ?」
「はい」
「本当の召喚士なんて」
「今の魔導じゃ、理論上ほとんど不可能だろ?」
「はい」
「……なんで?」
少女は。
少し考えた。
そして。
「その方が」
楽しそうに笑う。
「素敵じゃないですか」
「……理由それ?」
「駄目ですか?」
「いや」
ニールが笑う。
「俺は好き」
「お前、さっきまで否定してたろ」
「今、考え変わった」
「軽っ」
少女も。
小さく笑った。
「それ」
机の本を指差す。
「ロイド・ブレイズの本ですよね?」
「知ってるんですか?」
「はい」
「有名なの?」
「有名かどうかは……」
少女が。
少しだけ首を傾げた。
「微妙ですね」
「やっぱヨタ本じゃん」
「ヨタ本って言わないでください」
「ごめんなさい」
「なんで即謝るんだよ」
「なんか怒られそうだったから」
少女が。
また笑う。
「私、この本好きなんです」
「読んだことあるんだ」
「はい。家に何冊かあります」
「何冊も?」
「古い版と、新しい版と」
「そんな集める本?」
「私は好きなので」
少女が。
本へ視線を落とす。
「特に」
「ん?」
「不死鳥アウリスのお話が好きです」
「神獣好き?」
「大好きです」
即答だった。
「じゃあ」
ニールが聞く。
「『世界を渡る鳥』も知ってる?」
少女の顔が。
ぱっと明るくなった。
「もちろん!」
今度は。
敬語すら少し消えた。
「私、今でも持ってます」
「子供向けの絵本だろ?」
「いいじゃないですか」
「悪いとは言ってない」
「最後の歌も好きなんです」
「《また明日》?」
「はい」
少女は。
少しだけ嬉しそうに。
頷いた。
「小さい頃から、ずっと」
その時。
ロビーの向こうから。
「――シノリア様!」
声が響いた。
「……あ」
少女の肩が。
僅かに跳ねる。
一人の侍女が。
こちらへ早足で向かってきた。
「こんなところにいらしたのですか!」
「ちょっと、お話を」
「公爵閣下がお探しです!」
「お父様が?」
ニールと。
オルフェが。
同時に止まる。
「……お父様?」
侍女が。
二人を見る。
そして。
机の上の本を見る。
「あら」
「また、その本のお話ですか?」
「だって好きなんだもの」
「ほどほどになさいませ」
ニールが。
恐る恐る聞いた。
「あの」
「はい?」
「もしかして」
一拍。
「さっき演説してた、レスト公爵の……」
少女が。
ようやく気づいたように。
「あ」
小さく笑った。
「申し遅れました」
軽く。
頭を下げる。
「シノリア・レストです」
「……」
「よろしくお願いします」
「公爵令嬢!?」
「ニール、声!」
「いやだって!」
「先に言ってくださいよ!」
「聞かれませんでしたから」
「そういうもの!?」
シノリアが。
楽しそうに笑った。
「シノリア様」
「はい。今行きます」
侍女に促され。
歩き出しかける。
だが。
ふと。
足を止めた。
「そうだ」
二人を振り返る。
「さっき」
「?」
「《シノ》の名前の話をしていましたよね」
「聞いてたんですか?」
「少しだけ」
シノリアは。
どこか悪戯っぽく笑った。
「うちには」
「昔から、ちょっと変な話があるんです」
「変な話?」
「はい」
声を。
少しだけ落とす。
「《シノ》は」
一拍。
「昔の言葉なんかじゃないって」
「……え?」
「ずっと昔」
「この土地に」
「そういう名前の女の子がいたんじゃないかって」
ニールとオルフェが。
顔を見合わせる。
「女の子?」
「はい」
「誰?」
「それが分からないんです」
「じゃあ都市伝説じゃん」
「だから、変な話って言ったでしょう?」
シノリアが笑う。
「でも」
「レスト家では」
「昔から女の子の名前に《シノ》の音を残すことが多いんです」
「……だから」
ニールが。
少女を見る。
「シノリア?」
「たぶん」
「本人も知らないの?」
「詳しいことは」
シノリアが肩をすくめる。
「もう誰も」
「《歌う使徒》の名前だったんじゃないかって言う人もいます」
「え」
「でも」
「証拠はありません」
「それ、本当なら大発見じゃない?」
「なので」
シノリアは。
人差し指を唇の前へ立てた。
「レスト家の昔話です」
そして。
机の上の。
古びた本を見る。
「でも」
「もしかしたら」
少しだけ笑う。
「ロイド・ブレイズは、知っていたのかもしれませんね」
「この本に書いてある?」
「さあ?」
「そこ教えてくれないの?」
「最後まで読んでください」
「ええー」
「明日の朝」
シノリアが言った。
「皆さんの出発前に、私もお見送りに来る予定なんです」
「公爵令嬢が?」
「はい」
「なので」
本を指差す。
「そこまでに読めたら、感想を聞かせてください」
「朝まで!?」
「無理なら、好きなところまででも」
「それでも結構あるんだけど」
「頑張ってください」
「他人事だなぁ」
侍女が。
今度こそ少し強い声で呼ぶ。
「シノリア様!」
「はいはい」
シノリアが歩き出す。
数歩。
進んでから。
振り返った。
「それでは」
笑う。
「また明日」
二人も。
今度は普通に頷く。
「また明日」
「じゃあな」
シノリアは。
少し嬉しそうに笑って。
侍女と共に去っていった。
ニールが。
その背中を見送る。
「綺麗だけど……変わった公爵令嬢だな」
「お前が言うな」
「でも」
「ん?」
「シノ、ねえ」
机の上。
古い本を見る。
「最高位資格」
「歌う使徒」
「レスト家の昔話」
「で、この本」
「……」
「ちょっと読みたくなってきた」
「最初から読めよ」
「じゃあ夕飯のあと」
「絶対寝るだろ」
「読むって」
ニールが。
本を手に取る。
だが。
その時。
擦れた表紙の文字が。
改めて目に入った。
「そういや」
「何」
「これ」
「?」
「題名、ちゃんと見てなかった」
「買ったのに?」
「著者しか見てなかった」
「雑すぎるだろ」
二人の間へ。
本が置かれる。
長い年月を経た。
古びた表紙。
一人の大魔導士の名。
ロイド・ブレイズ著。
そして。
その下には。
静かに。
こう刻まれていた。
『童謡少女の最強魔法』




