第九章
「隙ありいぃぃぃぃぃぃぃぃ────────ッ!」
自分に近づいた人影に向かって勢い良く木剣による一撃を容赦なく叩き込む江夢沁。しかし、一撃を見舞った相手は彼女が予想していた人物……施訂再ではなかった。
「ぐうっ!?……な、なんだと!おい、江の娘は病に臥せっているのではなかったのか!?」
「知らん!俺に聞くなッ、とにかく不測の事態だ。一旦撤退するぞ!」
江夢沁が木剣を叩き込んだ人影……覆面を被り、黒衣に身を包んだ二人組の男の一人が右腕で木剣を受け止めながら叫ぶ。両者共に屈強な体格ではあったが木剣を受け止めた黒衣の男のほうが背が高く、腕も太かった。そして彼女の攻撃に面食らいながらも身を翻して距離を取り、慌てて江夢沁の自室から飛び出していった。二人組の男たちが慌てて部屋の外へ飛び出して行く様子に彼女は唖然とした。
(え……?今のはいったい誰なの……?)
唖然とする江夢沁だったが、覆面男のうちの1人が落としていった奇妙な笛に気がつく。
(なにこれ?笛?)
江夢沁は好奇心に駆られて拾い上げると笛をじっと見つめる。その竹製の笛には何やら古めかしい文様が描かれていたが、それが何を意味するのか彼女にはよくわからなかった。
(うーん……全然わからないや……)
そんなことを考えていると再び誰かが廊下を走ってくる音が聞こえたので、江夢沁は慌てて身構える。張り詰めた空気の中で静かに呼吸を整えつつ相手の出方を伺う。
すると扉を軽く叩く音がした後、聞き慣れた少女の声が扉の向こうから聞こえてきた。
「お嬢様、突然大きな声が聞こえたので様子を見に参りました。大丈夫ですか?」
声の主は小蓮のものだった。彼女が心配してやってきたことを理解すると江夢沁は安堵のため息を漏らしたあとで答える。
「ええ、大丈夫よ。何でもないから入って」
その言葉を聞いてホッとした様子で小蓮が部屋に入ってくると彼女に問いかける。
「あの、先程の大声は一体どうされたのですか?」
「ちょっとね……ところで貴女、料理はどうしたのよ?」
江夢沁が少し不機嫌そうな口調で尋ねると、小蓮は申し訳なさそうに答えた。
「すみません、少し時間がかかりまして……。今お持ちします」
そう言って小蓮は盆を載せた台車を押しながらやって来た。盆の上の器の中には美味しそうな匂いを漂わせたスープや肉団子が入っていた。江夢沁はそれを見るなり唾を飲み込み、急かすように言った。
「早くちょうだい!」
それを聞いた小蓮はクスクス笑いながら湯気の立つ汁椀を江夢沁に渡し、彼女は熱々のスープを一口飲んで幸せそうな表情を浮かべると、続けて肉団子にかぶりついて口いっぱいに頬張ってから咀嚼する。その姿はまるで小動物のようで非常に愛らしいものがあったのだが、江夢沁はそんなことは気にせず一心不乱に食べ続けていた。やがて小皿に乗せられていた肉団子をすべて平らげると、今度は木椀に盛られた白飯を掻き込んでいく。小蓮はその様子を見て呆れつつも微笑ましい気持ちになっていた。
(ふふっ……お嬢様はやっぱり可愛いなあ……)
江夢沁の食べっぷりを見ながら小蓮は思わず表情をほころばせる。そんな彼女のことなど知らずに江夢沁は黙々と食事を続けている。そして最後に残った杏仁豆腐を一気に口の中へ流し込むと満足げに吐息を漏らしながら口の周りを舌で舐め取った。
「ごちそうさま」
そう言って箸を置いた江夢沁に小蓮は声をかけた。
「美味しかったですか?」
その問いに江夢沁は笑顔で答えた。
「うん、とっても!」
嬉しそうに頷く江夢沁に小蓮も満面の笑みを返した。そして彼女は盆を持って部屋を出て行こうとしたが、ふと思い出したように立ち止まって江夢沁に向かって言った。
「そうだわ、お嬢様……。もし、何かあった時のために心強い護衛の方を連れてきたのですが……ご紹介してもよろしいでしょうか?」
「護衛?そんな大げさな……って、貴女まさか、秦然忠を私の護衛にしようって言うんじゃないでしょうね!?あの男だけは絶対に嫌よッ!第一、あいつが護衛だなんて危なくってしょうがないじゃないのよ!!」
江夢沁は露骨に嫌悪感を示す。そして彼女は両腕を胸の前で交差させて拒絶の意思表示をする。小蓮は慌てて言った。
「いいえ、秦然忠様ではありません。もっと安全で信頼のおける方です。今宵の宴席に参加している中でも特に腕利きの武芸者の方です。旦那様もその実力を認めておりますからどうか安心して下さい」
それを聞いた江夢沁はホッとするような表情を浮かべた。そして少し考えてから言った。
「ならいいけど……じゃあ、その人を連れてきてくれる?見てみたいし」
江夢沁が了承すると小蓮は嬉しそうに頷いて言った。
「わかりました。それではお連れ致しますね」
そう言うと小蓮は一旦部屋から退出して行った。残された江夢沁は寝台の上で足をパタパタさせながら考える。
(ふう……他の胡散臭い怪しい連中よりはマシだと思うけど……。でも、どんな人だろう?)
そんなことを考えていると、部屋の外から小蓮の声が聞こえてきた。
「失礼しますお嬢様……護衛の方を連れて参りましたが、その……どうかお怒りになりませぬようお願い致します」
「小蓮、そんなかしこまらなくても大丈夫よ。私はこう見えても、江家の令嬢なんだからちょっとやそっとのことじゃ驚きませんっ」
江夢沁は自信たっぷりに胸を張るとドヤ顔で言った。
「いえ、決してそういう問題ではなくてですね……あの……入ってきて下さいませ……」
小蓮が言い淀んでいると、扉がゆっくりと開いて部屋の中へと入ってきたのは江夢沁も見知った……というよりも彼女の良く知る人物だった。
「ようっ、夢沁お嬢さん!元気そうで何よりだ」
爽やかな声と共に入ってきたのはなんと、彼女が何度叩きのめしても飽き足らないほど腹を立てていた
施訂再だった。
「……は?」
江夢沁は目の前の光景を見て固まった。
(え?今の聞き間違いよね?聞き間違いだといいな……だって訂再がこんなところにいるわけないじゃない!きっと他人の空似よ……うん、そうだ。絶対そうだ。じゃなかったら本当に洒落にならないもの……)
そう思い込もうとする彼女だったが、現実は残酷なものであった。なぜなら彼女の眼前には紛れもない
施訂再がいたのだから……。
「ど、どど、どうしてアンタがここにいるのよ!?答えなさい!!」
江夢沁は狼狽えながらも鋭い眼光を放ちつつ怒鳴り声をあげるが、当の施訂再は飄々とした態度を崩さずに答えた。
「う~ん……いや、俺としては夢沁お嬢さんの仮病のふりした狸寝入りさくせ……ゲフンゲフン、仮死欺剣の計を台無しにしたくはなかったんだが……どうも何か嫌な予感がするもんで、小蓮ちゃんに無理を言って今晩、護衛をさせてもらうことにしたんだ。よろしくな!」
彼の言葉に呆然とする江夢沁だったが、徐々に意識を取り戻すと怒りに震えながら拳を振り上げ叫んだ。
「小蓮んんんん─────ッ!何でよりによってこの馬鹿でうすらトンカチの唐変木野郎を私の護衛なんかにするのよぉ──────ッ!!?」
「ひぃっ!?ご、ごめんなさい!!で、でもぉ……私としてはお嬢様が心配ですから施訂再様を招き入れただけでしてぇ……。それに施訂再様は私にも丁寧に接してくださる紳士的な方ですし……それに……」
必死に弁解する小蓮であったが、江夢沁は納得できない様子でさらに言葉を続けた。
「そんなことはどうだっていいわ!大体ね!こういうときって普通はかっこいい美男子の公子が登場するはずでしょうが!!どうしてこいつみたいなロクデナシが出てくるわけぇッ!?」
「すっ、すみません……でも……施訂再様にはお嬢様を守るために協力していただいたほうが良いと思ったんですぅ……」
怯えた表情で謝罪する小蓮を見て我に返ったのか江夢沁は冷静さを取り戻していくと大きく息を吐き出した。そして溜息を吐きながら言った。
「……はあ、もういいわよ。貴女がそこまで言うなら今回は特別に許してあげる」
そう言って寝台に座ると施訂再の方を見据えて言った。
「いいこと、訂再!アンタは私の護衛なんだからしっかり働きなさい!もし私の身に何かあったら承知しないからね!」
「はいはい、わかってますって。任せてくれよな」
(まったく、本当に世話のかかるお嬢さんだぜ……)
苦笑しながら頭を掻く施訂再だったが、内心は焦燥感を募らせていた。それは龍登山荘に現れた怪盗・
方虚空の言葉が正しければ間違いなく刺客は今晩現れるはずだからだ。そして施訂再にはもう一つ懸念すべき事案があった。
(問題は刺客がどこの誰で、何人いて、どんな武器を持っているのかということだ……。そして一番の問題は夢沁お嬢さんの件だ……。方虚空の言うことが正しいのなら江家は危険な連中に狙われている可能性が高い……。それと龍登山荘にも何か秘密があるかもしれないしな……。とにかく今後は油断できない状況が続くってことか……)
江夢沁の前では平静を装っていた施訂再だったが、内心では不安を抱えていた。だが彼の心配とは裏腹に、江夢沁はすでに刺客を撃退し、笛を拾い上げていたのである。もちろん彼女にその自覚はなかったのだが、江夢沁はすでに自分の身を守れるくらいの実力が備わっていた。
(夢沁お嬢さんのことだから刺客が来ることも察知しているとは思うけど、問題は俺がどう立ち回るかだよな……)
施訂再はしばらく考えた末、ひとまず様子を見ることに決めた。そして彼は江夢沁に声をかける。
「とりあえず……夢沁お嬢さんは今日のうちに何かしたいことあるかい?」
その問いかけに対し江夢沁は少し悩んだ末に答えた。
「そうね……。じゃあ、一緒にお月見をしましょう。ちょうど満月だし」
「おお、いいねぇ。それじゃあ早速始めようぜ!」
そう言うと二人は縁側に移動して並ぶと、夜空に浮かぶ金色の月を見上げた。
「綺麗だなぁ……」
江夢沁がポツリと呟いた。その横顔はとても美しく輝いて見えた。施訂再はその横顔を見てドキッとしたが、すぐに平常心を取り戻して言った。
「ああ、本当によく照ってるよ」
すると今度は江夢沁の方から声をかけてきた。
「そういえばさ、訂再……」
「ん?何?」
「アンタって普段、何して遊んでるの?」
江夢沁からの予想外の質問に施訂再は一瞬戸惑ったもののすぐに答える。
「そうだなぁ……。最近は釣りとか読書とかかな……」
「へえ……意外と地味なのね。もっと派手な遊び方をしてるものと思ってたけど」
「おいおい、俺はそこまでガサツじゃないぞ。それにこういう落ち着いた時間を過ごすのも悪くないと思うんだよ」
「ふーん……そういうもんなんだ……。でも、まあ、確かにこういう静かな時間もたまにはいいかもね」
江夢沁はそう言って微笑んだ。その笑顔があまりにも可愛かったため、思わず見惚れてしまった施訂再だったが、慌てて誤魔化すように話題を逸らした。
「そうだな。でも、こういう時こそ用心が肝心なんだ。もし万が一に備えてな」
それを聞いた江夢沁は怪訝そうな顔をして言った。
「大丈夫よ。そんなに警戒しなくても別に平気だわ。さっきだって変な二人組がやって来たけど追い払っ
てやったし……」
その言葉に施訂再は目を見開いて驚き、急に真剣な表情になって言った。
「夢沁お嬢さん、その話詳しく聞かせてくれ」
「え……?別に構わないけど……」
そう言うと江夢沁は自室に戻り、施訂再もその後をついていった。そして施訂再は椅子に腰掛けながら江夢沁に質問を投げかけた。
「さっきの話を詳しく教えてくれ。例えば、二人組の男たちはどこから来たとか、どんな感じの奴らだったかとか、二人ともどんな武器を持ってたかとかわかる?」
「えっと……2人とも黒っぽい服を着てたわね。片方の男はでっかい背丈でがっしりした体格だったけど、もう一人は細くて身軽そうだったわ。それで……暗くてよく見えなかったから、武器は何を使っているのかわからないけど、木剣で一撃をお見舞いしてやったらこの笛を落としていったの」
江夢沁はそう言いながら木剣を卓の上に置いた後、拾った笛を取り出して施訂再に見せた。施訂再は笛を受け取ると観察し始めた。
(これは……)
施訂再が笛を観察している間、江夢沁は先ほど撃退した二人組のことを思い出していた。
(うん。どんな奴が相手だろうと、やっぱり私の敵じゃないわね)
自分の実力に酔いしれているのか得意げな様子の江夢沁であったが、施訂再は真剣そのものといった神経を研ぎ澄ませた表情でその笛を見つめていた。
笛の大きさは袖の中に収まる程に小さく、竹でできており、複数の細い笛を束ねた形状をしている。伝統的な管楽器のようにも見えるが特に気になったのは全体に古めかしい文様が描かれていることだ。施訂再は指先で表面をなぞると、そこに刻まれた文様について江夢沁に質問してみた。
「この文様って一体何だろうな?夢沁お嬢さんは何かわかるかい?」
すると江夢沁は首を傾げながら答えた。
「さあ……?全然わからなくって……でも、ちょっと変わった形の笛よね」
確かに江夢沁の言う通り珍しい形状をした笛だった。一般的な笛と比較すると随分と短く筒状の胴体部分には小さな穴がいくつか空いており、管の先端は丸く膨らんでいる。吹き口の部分には吸い口になるための窪みが掘られているが、吹き口の直径は三cm弱程度しかない。施訂再は笛を手に取りながら眺めていると何か思いついたのか江夢沁に声をかけた。
「そうだ、夢沁お嬢さん……お嬢さんを襲った連中を見つけ出す方法を思いついたんだが、俺の作戦に乗ってくれないか?」
突然の提案に江夢沁は困惑したが、興味本位で作戦を聞いてみることにした。
「へえ……アンタが私に頼みごとなんて珍しいじゃない。いいわ、それってどんな方法なの?」
それからしばらくして龍登山荘で行われていた宴会もお開きとなり、集まった荒河の武芸者たちもそれぞれ帰路についた。宴席では江才覚が自ら仕切って客人たちに料理を振る舞い、宴会は終始和やかな雰囲気のまま終わった。施訂再も江才覚や小蓮と共に片付けを行い、その後は解散したのである……ところで、施訂再が怪盗・方虚空を追いかける際に邪魔をした秦然忠は点穴法で身体を麻痺させられたまま放置されていたが、そのままにしておくわけにもいかないので江夢沁の部屋へ向かう前にもう一度穴道を衝いて点穴法を解除してやってから、解放することにした。
「施訂再!貴様ッ、よくも私に恥をかかせてくれたな!この屈辱はまた今度晴らしてやる、覚えておけ!!」
「あーはいはい、分かった分かった……。とにかく今日はもう遅いからさっさと帰ってくれないか」
そう言って秦然忠を当たり障りのない言葉で宥める施訂再だったが、内心では呆れ返っていた。
(こんなアホを放置してたら後々面倒なことになるのは目に見えているからな……)
施訂再が秦然忠を追い払った後、彼は江夢沁が拾った笛を使い、一計を講じることにした。というのも、彼女を襲撃した刺客がその笛を所持していたことを考えると笛は単なる笛ではない可能性が高いと考えたためである。そこで彼は江夢沁に頼んでその笛を持ってきてもらい、自身の部屋で笛を観察しながら考えを巡らせることにしたのだ……。そして時は過ぎ……。
時刻は既に夜遅くとなり、龍登山荘では江才覚や江夢沁、小蓮をはじめとした使用人たちも寝静まっており、辺りに人の気配は全く感じられなかった。そんな深夜……闇の中、人目のつかない場所を選んで黒装束に身を包んだ三人の男たちが潜んでいた。彼らは全員揃って覆面をしていた為、互いの顔は確認できなかったが、服装が同じ色合いの黒であることから仲間であることは容易に判断がついた。
三人組は物陰に身を隠しつつ密談を開始する。その内の一人は先ほど江夢沁の木剣の一撃により右腕を叩かれてしまった大男で、まだ痛みが残る右腕を擦りながら憎々し気な声で呟く。
「くそ、あの女狐め!あんな奴に邪魔されなければ今頃は楽勝だったものを……」
右腕を抑えた大男が忌々しげに吐き捨てるように呟くと、もう一人の背の高い男が宥めるように声をかける。
「落ち着け。確かに痛手ではあるが致命傷ではない……それに今は夜明けまでもう僅かだ。この機会を逃す手はないぞ」
背の高い男が諭すように語り掛けると大男は不満げに右腕を抑えながら言った。
「わかっている。だがな……あの女狐は油断できん。俺は先程、油断して痛手を受けた。次はもっと慎重に動くべきだ。そう思わんか?」
大男は大柄な体躯に似合わない冷静な分析力を発揮して残りの二人に語り掛ける。
すると今度は大男よりも背が低い痩せた体躯の男が口を開いた。
「師兄の心配もわかりますが、夜明けも迫っておりますし、手筈通りに素早く事を済ませましょう。そうでないと計画に支障が出てしまいます」
痩せた男が淡々と告げると、大男は首肯し同意した。
「そうだな……その方が賢明かもしれん……それでは早速、行動を開始するとしよう」
大男がそう言うと彼らは音も立てずに廊下を走り出し、江夢沁の部屋へ向けて移動していく……。
「むっ……あれは?」
その時であった。階段を登ろうとした直後、背の高い男は階段の吹き抜けにある物を見つけた。それは竹製の複数の細い笛を束ねた形状をした伝統的な管楽器のように見える小さな笛である。
「おおっ、俺の吠狼竹ではないか。どこかで落としたと思っていたがまさかこんなに早く見つかるとは……」
背の高い男がその笛を手にした瞬間、笛に巻きつけられていた釣り糸が引っ張られ、それと繋がっていた複数の鈴がけたたましく鳴り響いてしまう。
「な、何だ!?」
「敵襲か?」
背の高い男が突然の出来事に驚いている間に、残りの二人は瞬時に臨戦態勢を取り、いつでも飛びかかれるような体勢を取る。すると次の瞬間─────
「待っていたぞ!」
「よくも私を襲ってくれたわねッ!覚悟なさい!!」
突然声がしたかと思えば、二階の廊下から飛び降りてきた二つの人影が三人に向かって襲い掛かる。それは施訂再と江夢沁だったのだ。
「なにィィィィッ!?」
「なんだとォォォォッ!?」
不意打ちを喰らった刺客たちは反射的に武器を取り出して迎撃しようとするが、間に合わず施訂再と
江夢沁の飛び蹴りを喰らい、吹き飛ばされる。
「ぐあッ!!」
「うおっ!?」
「がはッ!!」
その衝撃によって三人の刺客は廊下の壁に叩きつけられ、そのまま床に倒れ込んでしまう。
そして施訂再と江夢沁の二人は一瞬の隙を逃さず、それぞれ別の方向へ着地して刺客たちを挟み撃ちにする形で回り込んだ。
「やはり忘れ物に反応したか。それも罠が仕掛けられているにも関わらず」
施訂再が勝ち誇ったように呟く。
「ふんっ……」
江夢沁は鼻を鳴らしながら拳を構えて敵を睨みつける。
刺客たちはなんとか立ち上がって体勢を立て直すと、臨戦態勢に入った二人を見て困惑した様子を見せた。
「貴様ら、なぜここに?」
「貴様らが相手であろうと我らの邪魔をするなら容赦はせぬぞ!」
痩せた男が冷静さを欠き、大声で叫ぶと大男のほうは憤慨して怒声を浴びせながら拳を構えて跳躍する。その巨躯に見合う膂力により突き出された掌は鋭い音を立てながら迫ってきたが、江夢沁は後方に飛び退いて回避する。一方で施訂再は大男の掌の動きに合わせて回転しながら蹴りを繰り出す。大男の攻撃を紙一重の差で躱し続け、彼は反撃の機会を探っていた。
(この風を斬るような 動き……剣狼回天門の掌法の一つ、『風斬掌』に似ている……この大男、剣狼回天門の門徒か?)
施訂再が相手の技を見て思考を巡らせている間にも大男は執拗に攻撃を続ける。だが、どれだけ素早く動こうとも相手の攻撃は正確無比であった。まるで相手の動きが見えているかのように的確に攻撃を当ててくるのだ。
「むうッ……こいつ、相当できるな……。それにしても、どうしてこんなに上手く攻撃を当てられるんだ……?」
施訂再は疑問を抱きながらも大男の猛攻を捌き続ける。そして、何とか突破口を開こうと思考を巡らせていると痩せた男と背の高い男も二人がかりで襲いかかって来る。
「くっ、厄介だな!」
大男だけでなく、さらに二人の刺客と同時に戦わなくてはならないことに焦りを感じる施訂再だったが、そんな彼に対し江夢沁が叫ぶ。
「ちょっと!私にも獲物を残しておくようにしなさいよねッ!」
「ええ!?こっちで手一杯だってのに勝手なこと言わないでくれ!」
「なら、私が加勢してあげるから感謝しなさいよ」
「はあ、やれやれ……」
江夢沁が加勢に来たことで、少しは楽になるかもしれないと期待したものの、結局、三対二で苦戦を強いられる施訂再であった。
「とにかく、まずはあの巨漢から仕留めさせてもらおうか……」
施訂再は大男に向かって駆け出すと同時に、左右の足で交互に踏み込む独特な歩法を行う。これは相手の視線を錯覚させる歩法で、相手の死角に入り込み奇襲をかける際に用いられるものである。その動きに驚いた大男は思わず身構えてしまう。その瞬間を待っていたかのように施訂再は一気に加速して接近し、右拳による殴打を繰り出した。大男は咄嵯に左手で受け止めようとしたが、強烈な衝撃を受け、体勢を崩してしまう。
「ぐおッ……」
大男は呻き声を上げながら後退するも、すぐに体勢を整えると両拳に闘気を集めて殴りかかる。
(この拳の威力……剛双拳か……!?)
施訂再は大男の拳を見ただけでその技の種類と技量を推測する。大男の技は見た目以上に重く鋭い一撃で、まともに受ければただでは済まないであろう破壊力を秘めているものだった。
(風斬掌に剛双拳……間違いない、こいつらは剣狼回天門の門徒だ。しかもかなり腕の立つ手練れだ……ならば、こっちも相応の対処をさせてもらう!)
そう判断した施訂再は再び独特な歩法を行い、大男の死角に回り込むとその肩に向けて肘打ちを放つ。しかし、大男は即座に反応し、右手で受け止めようと防御の構えを取るが、施訂再の動きの方がわずかに速かったためか、その腕に肘鉄が命中してしまう。
「ぐっ!」
苦悶の表情を浮かべる大男だが、それでもなお攻撃の手を緩めることはなかった。
今度は逆の腕に気を集めると、掌底打ちで迎え撃とうとする。
だが、施訂再も負けてはいられない。彼は肘打ちを繰り出した直後に右脚を軸にして回転しながら後方宙返りを行った。それにより、彼は大男の腕をかわすことができたのである。そして、落下する勢いを利用しながら空中で右脚を振り下ろし、踵落としを叩き込む。
「はああッ!!」
気合とともに放たれた一撃は大男の腕を打ち据え、その衝撃によって彼は地面に膝をつく。
「ぐううううううう……!!」
大男が歯を食いしばって耐えているところに施訂再は間髪入れずに左の回し蹴りを放つ。
しかし、大男はそれを何とか片腕で防ぐことに成功したものの、凄まじい威力を誇る一撃を食らってしまい大きく吹き飛ばされてしまう。だが、ここで終わるような相手ではなかった。大男は床を転がりながら受け身を取って立ち上がると、再び臨戦態勢に入る。その動きにはまだ闘志が宿っており、完全には諦めていない様子が窺えた。
「うおおおおおおおおッッ!!!」
咆哮を上げながら猛然と突進してきた大男に対して施訂再も負けじと構えを取り、迎撃の準備を行う。
(まずいな……このままではジリ貧になってしまう……何か策を考えないと……!)
施訂再が焦りを感じていると、江夢沁が痩せた男を蹴り飛ばしながら声をかけてきた。
「何やってるのよ、頼りないわねッ!」
「ちょ、ちょっと待て……!こっちはあの巨漢を相手にしてるんだから余裕がないんだ!」
「だったら、私が助太刀してあげるわ!感謝してよね!」
江夢沁はそう言うと、再び痩せた男に向かって走り出す。施訂再は彼女の行動に呆れつつも、敵の意識を引くことができれば状況が変わるかもしれないと期待して、大男に向き合うことにした。それからしばらくの間、両者は激しい攻防を繰り広げたが、一向に決着がつかないまま時間だけが過ぎていった。
「くっ……こいつはなかなか手強い……」
施訂再と江夢沁が苦戦を強いられていることを見て痩せた男と背の高い男が嘲笑う。
「ふん、大した腕だな!しかし、我々の相手ではない!」
「くっ……このっ……」
施訂再は悔しそうな表情で歯噛みするが、それでも彼の技量は並の使い手を遥かに凌駕していた。
だからこそ、ここまで苦戦を強いられているというのに彼は決して諦めずに戦い続けていた。
(くそッ……このままだと埒が明かないな……)
施訂再が焦っていると、突然、背後から江夢沁の声が響く。
「訂再!伏せて!!」
「えっ!?」
唐突な指示に戸惑ったものの、反射的にその場にしゃがみ込むと、次の瞬間、彼の頭上を何かが掠めるように通過していった。施訂再が恐る恐る視線を上げると、江夢沁はしゃがんだ彼の頭上を飛び越えて腰の帯に差していた長剣を抜いて背の高い男に斬りかかる。背の高い男も背負っている剣を鞘から引き抜いてそれを受け止めるが、江夢沁はすかさず蹴りを放ち、男を吹き飛ばす。
「ぐおおッ!?」
背の高い男は仰向けに倒れてしまい、その隙を狙って江夢沁が容赦なく追撃を行う。次の瞬間、背の高い男の覆面を斬り裂いた。
「あっ……!?」
「あなたは朱定越殿……!」
江夢沁と施訂再は同時に声を上げていた。刺客の正体が今日行われた宴会に参加していた剣狼回天門の門徒、朱定越だったことに対する驚きの感情からである。施訂再たちの動揺した様子を見て彼は悔しそうに歯噛みする。
「ぐっ……おのれ、顔を見られるとは……!」
「朱定越殿がここにいるってことは、そっちの巨漢は鉄当景殿で、こっちのあんたは鐘満殿に相違ないな?」
江夢沁の攻撃によって施訂再に正体を見破られた三人の刺客は二人を睨みつけながら低く唸るように呟いた。
「やはり気づいたか……!」
朱定越たち三人の刺客の正体を看破したことで施訂再は彼らが一体どのような目的で襲ってきたのか見当がついてきた。
「つまりあんたらは江湖龍昇剣の奥義書と龍臨剣を奪うために剣狼回天門から刺客として差し向けられたということか?」
施訂再の質問に朱定越たちは沈黙で応えた。それが肯定を意味していることは明白であった。
「やはりか……」
施訂再は彼らの目的に薄々感づいていたものの実際に聞くと改めて気分が悪くなる。彼らの師である
薛淵元と龍登山荘の主である江才覚は兄弟同然の親友同士だというのに……と、思わずため息をついてしまう。そんな施訂再をよそに江夢沁は叫ぶ。
「お父様を裏切った報い、存分に受ける覚悟はできていて?」
「ふん……どの口が言うか」
朱定越は小馬鹿にしたような口調で吐き捨てると、剣を抜き放って構えた。
「我々がお前たち親娘を裏切っただと?盗っ人猛々しいとは良く言ったものだ!元々、江湖龍昇剣の奥義書と龍臨剣は我ら剣狼回天門が所有していた秘蔵の宝だったというのに江才覚の高祖父、江千水が宋雲霞老師から奪い取り我が物としたのだ!!」
そう告げると江夢沁を睨みつけた後、さらに言葉を続ける。
「そもそも宋雲霞老師は江千水によって殺害され、奥義書と宝剣を奪われたのだ!故に我らがお前達
江家に恨みを持つのは当然の帰結なのだよ!」
「違うわ!そんなのでたらめよ……」
江夢沁は震える声で反論しようとするも、自分の三代前の祖先がどのような人物であったかなど知る由もないので、上手く言葉を紡ぐことができない。施訂再も宋雲霞とは面識もなく、彼の弟子でもない為、朱定越の発言が事実かどうかを判断することは不可能であった。故に彼の発言を否定することができない。
『風の噂に聞いた話では、江千水殿が退門したのは彼の師父の宋雲霞老師が持っていた江湖龍昇剣の奥義書を盗み出して我が物とするためだったというものです。そしてその後江千水殿は祖先によって設立された江家商会を継いだ後に商売で成功して莫大な富を得たうえで龍登山荘を建設し、江湖龍昇剣の奥義を一子相伝の剣法として継承していったのではないかと……私はそう推理しています』
方虚空の言葉を思い出しながら施訂再は思考を巡らせていた。もしあの怪盗の推理が正しいのならば江千水は師である宋雲霞から奥義書と宝剣を強奪して我が物としていたことになる。ならば、剣狼回天門が江家の秘蔵の宝を狙う動機になるわけか……と、考え込む。
「ちょっと待ってくれ、朱定越殿。あんたはさっき、『宋雲霞老師が江千水によって殺害され、奥義書と宝剣を奪われた』と言ったが確証はあるのか?証拠がないと話にならないぞ」
「くどいッ!証拠など必要ない!そもそも我々は江千水が老師を殺したと師父から聞いたのだ。何より、江家に代々伝わる江湖龍昇剣の奥義書が証拠だ!!」
「話しを聞いただけ……か…」
施訂再は朱定越の言葉を吟味しながら考える。そもそも彼の話には確たる根拠が存在していないように感じる。ただ、彼の言うことが真実であるならば江千水が奥義書と宝剣を奪ったという事実は変わりない。
「ふっ……どうやら図星のようだな。江千水が宋老師から奥義書を強奪した犯人だったということが」
「確かに、あんたの発言が事実だとして奥義書が江家に保管されているのは疑いようもないだろう。だからといって、奥義書や宝剣を盗んだ物証があるわけじゃない……」
施訂再の反論に朱定越は鼻で笑いながら答えた。
「馬鹿め。江千水は奥義書を盗んだあと江家商会で稼いだ金を使って龍登山荘を作り、江湖龍昇剣の奥義を自分のものとしたのだ!」
「それはあくまで憶測だろう?」
「憶測ではない!事実だッ!!」
朱定越が食い下がると江夢沁が口を開く。
「待って!そんなの……よくわからないわ!私のご先祖様がそんな酷いことをしただなんて信じられない……」
「当たり前だ!!あいつは金に目が眩んだ卑劣な盗人だ!我らはその仇を討つために奥義書と龍臨剣を奪還し、貴様たち賊共を誅伐しに来たのだ!!」
「そんな……」
江夢沁は衝撃を受けると共に信じられないという表情を浮かべた。施訂再は彼女の肩に手を置いて慰めつつ、朱定越に向き直る。
「朱定越殿……あんたが言っていることが本当であるという証拠が欲しいのだが」
「ほう?面白いことを言うではないか。ならば証拠を出せば信じるか?」
「もちろんだ。だが、まずは俺たちに聞かせてくれないか?その話の詳細を……」
施訂再は朱定越の顔を見つめながら問いかける。すると彼はニヤリと笑みを浮かべて懐から一通の封書を取り出した。封書には差出人の名前は書かれていないが封印には墨痕鮮やかに血判が押されている。明らかに只事ではない雰囲気を醸し出していた。
「これは宋雲霞老師が当時の剣狼回天門の重鎮、天狼八剣士たちに宛てた書簡で、江千水が奥義書を奪った翌日に送られてきたものだ。内容はこう書かれている……」
そう言って彼は封書を開いて読み上げた。
『我、江湖龍昇剣の奥義書と龍臨剣を江千水に委ねる……。剣狼回天門の未来を担う者たちへ告ぐ……力に驕れること、溺れることなかれ。荒河と静湖の秩序を乱し、混乱を招くような力は固く封じなければならぬ。我が死後、江湖龍昇剣の奥義書を欲するものが現れた場合、速やかにその者の首を刎ねよ』
二人は朱定越の話に耳を傾けた後、施訂再が最初に口を開いた。
「その手紙の内容では宋雲霞老師が江湖龍昇剣の奥義書と龍臨剣を封印するため、江千水殿に託したように読めるが?」
「それは違う……江千水は老師を殺して奥義書と龍臨剣を奪ったのだ!この文面は奴に脅されて書いたものだというのが我らの結論だ!」
「ふむ……」
施訂再は考え込む仕草を見せるが、その瞳には疑念の色が宿っていた。
(朱定越の言葉を全面的に信用するのは危険すぎる気がするな……)
施訂再はそう判断したものの、先祖が奥義書と宝剣を奪った罪人と罵られた江夢沁の動揺ぶりを見る限り、このままにしておくわけにもいかないと思い至る。そこで彼は朱定越に尋ねることにした。
「朱定越殿……宋雲霞老師が江千水殿に脅されて、奥義書を譲渡したことになっているようだが、何かその証拠はあるのか?」
「ふん……!証拠など必要あるまい?死人に口なしとは良く言ったものよ!」
朱定越はにやけた笑みを浮かべたままで、彼の背後に立っている巨漢……鉄当景が鼻を鳴らしながら話に割り込んできた。
「江千水の奴が宋雲霞老師から奥義書と宝剣を奪い取ったに違いないのだ。さもなければ、江千水が江湖龍昇剣の奥義書と龍臨剣を手に入れることなどあり得ぬであろう?」
(まずいな……状況証拠がわからない以上、迂闊に反論してもこちらが不利になるばかりだ……)
施訂再が眉間に皺を寄せながら思案していると、今度は痩せた男……鐘満が口を開いた。
「我らが師である薛淵元師父は『江湖龍昇剣の奥義書と龍臨剣を取り戻すまでは安息を得ることが叶わぬ』と申しており、事実、師父は今まで奥義書と宝剣を狙って様々な手を尽くしてきたのだ!」
「ほう、そうなのか?具体的にはどんな手段を使ったんだ?」
施訂再の質問に朱定越たち三人の刺客は互いに顔を見合わせた後、再び施訂再の方を振り向くと言った。
「詳細は教えられないがな。例えば今日、この屋敷に脅迫状を送ったのもその一環だ」
「なるほど……」
(やはり脅迫状を書いたのは薛老師ということか……。とはいえ、江千水殿が奥義書と龍臨剣を奪ったということを剣狼回天門の門弟たちが主張していることは確かみたいだな……)
施訂再が考え込んでいると、二階の書斎から初老の男性が提灯を持って歩いてくるのが見えた。江夢沁の父親にして龍登山荘の主である江才覚だ。
「お待ちください……剣狼回天門の門弟の方々、我が高祖父の江千水が奥義書と宝剣を奪ったというのは誤解にございます」
用語解説
※師兄・・・兄弟子に対する敬称。
※吠狼竹・・・剣狼回天門の本拠地である回天山の麓にある村の民芸品。
笛の音が狼の遠吠えに似ていることが名前の由来。




