友達
オリーブ公園の館内に入ると、ふわっと冷気が頬を撫でた。
夏の陽射しの残像を連れていた肌が、一瞬にして柔らかな涼しさに包まれる。
亜希が「涼し〜」と声を上げ、思わず身をすくめる。
亜希の笑顔はまるで冷気に驚く小鳥のようで、見ているだけで和んでくる。
エントランスロビーの中央には、オリーブの木を模したモニュメントが静かに佇んでいた。
白く塗られた幹が天井へと向かって伸び、枝の先に吊るされた無数のガラスの葉が、スポットライトを受けてキラキラと光を弾いている。
エアコンの風に、光だけが揺れていた。
それを囲むように円形のソファが設けられていて、私たちは並んでそこに腰を下ろした。
「ねえ、それってさ……」
座るや否や亜希がグッと体を近づけて、私の左手を、興味津々の瞳で覗き込みむ。
そこにあるのは、諒からもらった翡翠の指輪。まだ見慣れない感触と輝き。
「……うん、諒くんに、プロポーズされたの」
言った瞬間、亜希の目がまん丸に見開かれる。
「はあっ!? うそっ、マジ!? で、どんな? どこで? なんて言われたの?なんでそんな顔してるの!? もっとちゃんと嬉しそうにしてよ〜!」
はちきれそうな勢いでまくし立てる亜希。
思わず背中をポンッと叩かれて、私は少し肩をすくめる。
「う、うん……ごめん」
笑ったつもりだったけれど、たぶんうまく笑えていなかった。
「文菜……」
亜希がじっと私の顔を見つめる。私の奥の奥を、探るような目だった。
その時、エントランスの扉が開いて、友美と玲美が入ってきた。
「おまたせ」
「ごめんね、駐車場で迷っちゃって」
二人とも手を軽く振りながら歩いてくる。
玲美は少し遠慮がちだったけれど、視線はまっすぐに私たちへと向いていた。
四人でモニュメントを囲むように腰を下ろすと、自然と話題は近況や仕事、最近観た映画のことに流れていった。
「で? で? でー!」
亜希がいきなり手を打ってはじけた声を上げる。
「友美〜! 玲美~! 文菜、プロポーズされたんだってー!」
私の方を見ながら嬉しそうに言う。
私はちょっとだけ目を伏せた。
「えっ、本当に?」
友美が少し驚いたように目を見開いたあと、にこっと微笑んだ。
「おめでとう、文菜。……?」
その言葉のあとに続いた間。
友美の笑顔は優しかったけれど、その目にはかすかな戸惑いが浮かんでいた。
たぶん、気づいてる。私の中に、素直に“嬉しい”だけじゃない感情があることに。
「……ありがとう」
私は小さく返す。
「そっかよかったやん文菜」
玲美は私の肩を優しく揺する。
「うん、ありがとう」
「で、で、なんて言われたん??」
亜希は一言ずつ首を左右に傾けながら、顔をぐいっと近づけてくる。
「……普通だよ、たぶん。“結婚してください”って」
言いながら、ポッと体温が上がるよう。声が少しだけ震えていたかもしれない。
「いいなー」
思いがけず、友美が一番先に反応した。
そして、まとめ役の玲美が声をあげる。
「もうここにいても、あれやん、本当は香取君とめでたく恋人になった記念だったのに、婚約祝いに格上げ。文菜何がいい?ラウンジでスイーツもあるって」
「やった〜! やっぱり玲美、私の好みわかってる〜!」
「亜希やないやろ。今日は主役、文菜が決めてええよ。うちらのおごりやし」
「わたしも、スイーツがいいな」
「ほら、うちの言う通りやん」
「はいはい……」
私、玲美、友美の三人が揃って小さくため息をつくと、亜希は「イーッ」って顔をしてみせて、弾むように立ち上がった。
私も続いて立ち上がる。
その瞬間、足元の光が、モニュメントのガラスに反射してきらきらと跳ね返る。
全部は言えなくても、こうして傍にいてくれる友達がいることが、どれだけ心強いか。
ラウンジへ向かう間も、みんなからの質問攻めは止まらなかった。
それぞれの反応。
息を飲んだり、目を輝かせたり。
ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
席に着き、相変わらずのお喋りのひととき。
そして、パフェや紅茶がテーブルに運ばれる。
鮮やかなイチゴの赤が目にまぶしいほどだった。
亜希はパフェに顔を近づけ、スマホを構えている。
「文菜~、ほらこれ見て! 映えるでしょ? ねえ、こっちの角度とどっちがいいと思う?」
その様子に、思わず小さく笑みがこぼれた。
「えー、たしかに、そっちのが、いいかも」
言いながら、自分でも気づかないほど、ほんの少し気持ちがほぐれていた。
「でしょ〜? ふふ、私ってセンスあるかも〜」
亜希が鼻高々に笑い、玲美がちらりとその様子を見つめる。
けれど、玲美の視線はすぐにテーブルへ落ちた。
笑っているように見えたけれど、目の奥はどこか遠くを見ているようで──何かを探しているようにも思えた。
「玲美どうしたん?」
友美がケーキをひと口頬張りながら、さりげなく声を掛けた。
「ん? いや……。私も、さっきの友美と同じで、ちょっと羨ましくなっちゃっただけ」
玲美は眉を上げて肩をすくめ、ストローに口をつけた。
「まあ分かるけどさー。あんたたち、何だかんだ押しが弱いんよ」
亜希がフォークをくるくると回しながら、得意げに言い放つ。
友美と玲美が視線を交わして、同時にくすっと笑った。
その光景をぼんやりと眺めながら、私はグラスの中でストローをくるくると回していた。
氷がカランと音を立て、淡い光の揺れがテーブルに映る。
そのとき。
「ねえ、文菜」
友美がスプーンを置いて、私をじっと見つめた。
「……うん?」
「どうしたん? なんか、不安なことでもあるん?」
一瞬、喉の奥に何かが詰まったような感覚があった。
けれど、私はそれを押し込めるように、かすかに笑う。
「……ああ、うん……幸せすぎてね。いいのかなって……」
友美の目が少し和らいだ。
「そっか、ならいいけど。……ええんよ、文菜は幸せになって。なんかあったら、うちらがおるやん」
顔をほんの少し突き出すようにして、友美は言葉の最後に笑って見せた。
「……ありがとう、みんな」
みんなといると、やっぱり――自分の心までやわらかくなれる。
「ねえねえ、これも美味しそうだから、みんなで食べようよ~」
亜希がパッと声を弾ませ、空気を軽くすくいあげる。
そして、亜希が注文した小さなホールケーキが四等分され、みんなの前に並ぶ。
フォークが刺さるとき、甘い香りがふわりと立ちのぼった。
「そうそう、結婚式とかって決まったん?」
友美がにこっと笑う。
「え? 一応、私の誕生日って話になってるけど……」
「ひゃー、うらやま! いいなぁ〜」
亜希が両手を頬に当て、くねくねと体を揺らす。
「じゃあ、その日、ちゃんと空けとかなきゃね」
玲美が軽くフォークを掲げて、ウィンクする。
「きれいやろなぁ、ウェディングドレス着た文菜」
友美の一言に、みんなの視線がいっせいに私へ集まった。
その瞬間、ふと頭の中に、白いドレスを身にまとう自分の姿が浮かぶ。
気づけば私も、白いドレスを想像していた。
どうして今まで想像しなかったんだろう――そんな不思議な気持ちとともに、頬がほんのり熱を帯びた、口元が自然と緩む。
はっとして顔を上げると、みんながにこにこと笑いながら、私を見つめていた。
「な、なによ、みんなして……」
思わず口を尖らせると、亜希が「せーんのっ」と小さく音頭を取る。
「おめでとう!」
その声に続いて、クラッカーの音がパンッ、パンッと軽快に弾ける。
ヒラヒラと舞う紙吹雪が、私の肩にふんわりと落ちる。
思わず肩をすくめて笑いながら、私は――笑い合う友達の顔をひとりずつ、ゆっくりと見つめた。
この、何気ない瞬間が。
今の私には、何よりも愛おしくて、嬉しかった。
「ありがとう……」
心のいちばん深いところから零れたその言葉が、さっきまでの不安をそっと押し流していくのを感じた。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
感想やご意見ありましたら、お気軽にコメントしてください。
また、どこかいいなと感じて頂けたら評価をポチッと押して頂けると、励みになり幸いです。




