表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カゲヌシ  作者: ぽんこつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/95

私の観察眼

挿絵(By みてみん)

洗濯物を抱えて自室に戻ると、午後の日差しがレースのカーテン越しに差し込んでいた。

ベッドの端に服を置き、いつものようにタンスとクローゼットを開けて、洗濯物をしまっていく。

動くたびに、背中に張りついたノースリーブの生地が、じんわりと肌にまとわりつくのが気になった。

その感触だけで、どこか午前中の空気がまだ自分に残っているように思えた。

「……着替えよ」

小さくつぶやいて、クローゼットの奥から、ラベンダー色のブラウスを引き出す。

薄手で柔らかい素材。半袖のゆったりしたシルエットが、空気ごと変えてくれそうな気がした。

肌に張りついたインナーを脱ぎ、そっと着替えると、風通しがよくなったせいか、気持ちまで少し軽くなった。

白いスカートとの組み合わせも悪くない。

鏡の前に立って、髪を軽く手ぐしで直し、メイクポーチからリップだけ塗り直す。

バッグを持ち替え、ドアの前でひとつ息を吸って、吐いた。

心の中で、午前の思い出にそっと蓋をするように。

一階に降りて、居間にいる母に声を掛ける。

「母さん行ってくる」

「ああ、気を付けて、行ってらっしゃい」

玄関の靴箱を開けて、サンダルに履き替える。

ベージュの細いストラップが足首にほどよく馴染んで、スカートの白ともよく合っていた。

スニーカーよりも少しだけ、今日の午後に似合う気がする。

家の扉を開けると、夏の午後の名残のような熱気が、ふわりと肌を包んだ。

雲が多くなってきたとはいえ陽射しは眩しく、空は抜けるように青い。

私は小さく息を吸い、眩しさに目を細めながら道路へ出る。

見慣れないセダンが停まっていた。その車のドアが音を立てて開き、諒が降りてくる。

──あれ? さっき送ってくれたはずなのに……?

車のナンバーは、わナンバー。レンタカーだった。

「文菜、やっぱり送ってくよ」

「え?」

「少しでも、その一緒にいたい気分で」

くすぐったそうに頭を掻いて笑うその仕草に、心の中で何かが揺れた。

けれど、私は小さく頷いた。

「うん、ありがと」

助手席に乗り込んで諒を見ると、人差し指で眼鏡を押し上げ、こちらを見て笑っていた。

その笑顔に、どこか馴染みのある懐かしさと、同時に、また心の中で何かが訴えかける。

「待ち合わせ、14時だろ?」

「うん。……車、借りたの?」

「ああ、デートするのに伯父の車じゃ味気なくて」

前を向いたまま、諒は苦笑した。その声音も表情も、穏やかで自然。

「そっか、うれしい」

「オリーブ公園だったよな?その近くでも散歩しよう」

「うん、ありがとう」

車はスッと動き出す。慣れない車のせいか、少しだけ慌ただしく体が揺れる。

キュッと赤信号で止まる。体がわずかに前に出る。

心の中の私の記憶が違うよと声を掛ける。

「ちょっと、びっくりした」

「何が?」

「……まさか、諒くんがいると思ってなかったから」

「今までの分、少しでも取り戻したくてね」

そう言って、諒はそっと私の膝の上に手を置いた。

その手の感触は冷たく、でもどこか馴染みのある気もして、戸惑いが増す。

フッと笑ったその顔には、照れというよりも、自信のようなものが宿っていた。

ドキドキする。

諒に対して。

でも……この気持ちは、どういう意味で?

信号が青になり、シュッと車が動き出す。

背もたれに体がくっつく。

バックの中のスマホが震えた。

私はそっと取り出し、画面を確認する。

「誰から?」

「あ、亜希から」

私の中の違和感は間違っていない。

たぶん。私の前にいる諒は諒じゃない。

どういうこと、じゃあいったい誰。

小さく深呼吸を一つ。

平静を装って、メッセージを返すふりをしながら、諒にメッセージを入れる。

「あ、諒くんスマホは?」

「どうして?」

「こないだ撮った写真、送って貰ってないから」

「ああ、ごめんバッテリ切れちゃってて」

前を向いたまま答える声は滑らかで、迷いがない。

逆に、その“なさすぎる自然さ”が恐ろしい。

「ああ、もう亜希は着いてるみたい」

「そう」

諒からのメッセージ。

『今向かってる』

『その車の後ろに明智がいるから、心配するな』

『何者か分からないから、そいつを変に刺激するな』

「玲美は少し遅れるみたい」

その言葉に頷きながら、私は再びメッセージを打つ。

「諒くん、ありがとう。会いたいよ」

心の動揺、焦りが顔に出ないように窓の外の景色を眺めていた。

そして今朝、諒に貰った指輪に触れながら心を整える。

車は軽快に海沿いの道を進んでいる。

キラキラと光る海面。

その奥に、薄く霞んだ島影が浮かんでいた。

ビーチのすぐ傍の交差点で右に曲がると、体がグッと外側へ持っていかれる。

上り坂の先、オリーブ公園の駐車場に到着する。

助手席のドアを開けて外へ出ると、暑いはずの空気に少しホッとする。

数台後ろを走っていた車が追い越していく。

その運転席の男。

ちょび髭を付けていたが、目を見れば、それが明智だとすぐに分かった。

遠くに車を停めている。

その姿を確認して、心の奥にずしんと垂れ込めていた不安が、わずかに解ける。けれど、緊張の糸はまだほどけない。

差し出された手を見つめた一瞬、心が強く抗う。

でも、ここは冷静に冷静に、努めて自然を装い、手を取る。

軽く汗ばんだ掌が触れ合うたび、背筋がわずかに粟立つ。

坂道を少し登ると、オリーブの木々が生い茂り、緑のトンネルをつくっていた。

ふたり並んで歩く。まるで本物の恋人のように。

でも、その自然すぎる振る舞いこそが、異質で、恐ろしい。

何か話しかけてきても、私は当たり障りのない言葉しか返せない。

──でも、こんなに似ているなんて……双子?

そんな話、聞いたことない。

外見は、ほんとにそっくり……でも確かに違う、仕草や行動。

私は気づくし、気づいた。

風がふっと吹いて、木の葉がさやさやと揺れる。

目の前に真っ白な大きな風車のモニュメントが姿を現す。

その向こうには、穏やかな内海湾が広がり、夏の日差しを受けて、水面がゆらゆらと煌めいていた。

遠く四国の山々の上には、もくもくと入道雲が浮かんでいる。

木製のベンチに並んで腰を下ろすと、彼は足を組んで空を仰いだ。

もうここまで来ると、少しおかしく目に映る。

だって――

諒は足は組まないから。

「今日の空みたいな気分だよ」

見上げた空。

雲の合間の青は深く澄んでいた。

「どういう感じ?」

尋ねると、彼はニコッと笑って立ち上がり、再び手を差し出した。

私はそっと手を乗せる。

軽々と引き上げられて、そして──ぐっと腰を引き寄せられた。

体が自然と仰け反り、顔が上向く。

距離が一気に縮まる。

──近い。違う、これは違う。

私は反射的に顔を背けた。

「……人が見てる」

彼の手が、あっさりと腰から離れる。

俯き加減に見上げてくるその顔には、残念そうな色さえ浮かんでいた。

私は腕時計をチラッと見る。

「あ、そろそろ行くね」

彼は片手をポケットに突っ込んでいる。

そして人差し指で眼鏡を押し上げた。

「そう、帰りは送ってくよ」

「ああ、友美が送ってくれるから……」

「俺が送るよ、駐車場で待ってる」

「ありがとうでも、友美とは夜の約束もあるから」

「……」

じっと見つめてくる視線が、まっすぐすぎて怖い。

「じゃあ……」

目をそらさないように気をつけながら、私は静かに背を向けた。

園内のざわめき。

人の気配。

その喧騒が、わずかな安心を与えてくれる。

明智が、オリーブの木を眺めて立っている。

その脇をすり抜けるように歩く。

それでも歩みは自然と早まった。

──あれは、諒くんじゃない。

仕草も、声も、表情も……何もかも違う。じゃあ、誰?

その恐怖が足取りを早くさせた。

道路を渡り、待ち合わせの場所にいる亜希の姿を見て、ようやく息がつけた。

スマホが震える。

諒からの電話。

亜希に「ちょっと電話」と手振りで伝える。

「よかった」

諒の声。

──本物の、諒。

「明智から連絡が入った。今、そいつの正体を探ってる。大丈夫だから、楽しんでおいで」

「うん……でも、少しでいいから会いたいよ」

安心して声が滲む。

その瞬間、肩に手が置かれた。

びくっとして振り向くと、そこにいたのは──

紛れもなく、本物の、私の知っている諒。

微かに匂う鼻に馴染んだ煙草の匂い。

「諒くん……」

諒は静かに私の頭を撫でた。

そのぬくもりに、堰を切ったように、私は諒の胸に飛び込んだ。

「諒くん、だ」

諒は私を抱きしめ、優しく髪を撫で続けた。

「ほら、みんな待ってるよ」

「うん」

でも、もう少しだけ諒の鼓動を聞いていたかった。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

感想やご意見ありましたら、お気軽にコメントしてください。

また、どこかいいなと感じて頂けたら評価をポチッと押して頂けると、励みになり幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ