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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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淡い期待

挿絵(By みてみん)

八時を少し回った頃、目が覚めた。

ぼんやりとした視界の先、窓際に置かれた簡易ベッドの上で、栞がスマホをいじっていた。

画面の光が、まだ眠気の残る栞の頬を柔らかく照らしている。

明け方の雷雨が嘘のように止み、空は澄み切っていた。

雲ひとつない青が広がり、窓から差し込む光が白いカーテンを淡く透かしている。

その柔らかな明るさが、病室の空気ごと、どこか少しだけ軽くした気がした。

体を起こすと、シーツがさらりと肌に触れた。

ひやりとした感触に、まだほんの少し、心臓の鼓動が浅く速いのを感じる。

百々楚姫の哀しみも、奥勢理姫の悲しみも、あの雷も、慎哉の声も、小さな痕を残したまま。

「おはよう、あーちゃん。びっくりするくらい快晴だよ」

栞がスマホから顔を上げ、いたずらっぽく微笑んだ。

眠気の残る瞳に朝の光が差し込み、栞の表情が明るく浮かび上がる。

「……うん、ほんとに」

思わず見上げた空の色に、スーッと息を吸い込んだ。

さっきまで心にまとわりついていた重さが、少しだけ抜けていくようだった。

雷に怯えていた夜が、まるで遠い日のことのようだった。

フッと欠伸が出る。

まだ少し、眠たさが残っている。

しばらくして、二人で簡単な朝食をつついていると、母が病室に入ってきた。

手に書類のようなものを持ち、足取りは軽やかだった。

「検査結果、何もなかったって。今日、退院できるよ」

明るい声と共に伝えられたその言葉に、心のどこかで張っていた糸が緩んだ。

「……うん、わかった」

頷くと、母は「手続きしてくるね」と微笑んで、病室を出ていった。

ふたりきりになると、隣にいる栞が肘をついてこちらを覗き込む。

「彼にも教えてあげなよ」

その声音は、わざとらしく茶化すようで、でもどこか優しい。

私は黙ってスマホを手に取り、慎哉の名前を開いた。

指がためらいがちに動く。

ほんの短い言葉なのに、胸がドキドキしてしまう。

「今日、退院する」

それだけを打ち込み、送信ボタンを押す。

すぐに既読がついた。

『おめでとう。なにもなくてよかった』

シンプルだけど、それだけで十分だった。

慎哉がこのことをちゃんと喜んでくれている。

少し迷ったけれど、続けてもう一つメッセージを打った。

「……あのね、お昼に会えませんか?」

送ってしまったあと、スマホを胸の前でそっと抱きしめる。

鼓動が跳ねるのが、自分でもはっきりとわかった。

断られるかもしれない――そんな不安が一瞬よぎる。

でも、あの髭の長い老人のことを聞きたかったし、それ以上に、今は……ただ、顔が見たかった。

「……わっかりやす」

栞がくすくすと笑って、枕を抱きしめたままベッドにごろんと転がる。

「さっきから顔に書いてあるもん、“会いたい”って」

「書いてない」

「書いてる書いてる。で、返事来たら教えてね?」

「……もう、しーちゃんっ」

思わずクッションを軽く投げる。

栞はキャッと笑い、ひょいとかわした。

窓の外には、光に照らされた木々が、きらきらと葉を揺らしていた。

昨日までの世界とは、どこか違って見える気がした。

風も、匂いも、音さえも――何かが変わり始めている。

そんな予感を胸に、私はそっとスマホを見つめながら、慎哉の返信を待った。

「来た……」

小さくつぶやいた私の声に、栞がすぐに反応する。

もぞもぞとベッドの上を這うようにして近づいてきて、私の隣にちょこんと座ると、いたずらっぽい笑みを浮かべて画面を覗き込んだ。

「で?で?」

その顔は期待と好奇心に満ちていて、まるで物語の続きを待ちわびる子どものようだった。

スマホには、慎哉からの短い返信。

『いいよ、何時がいいかな?』

ただそれだけの文章なのに、見た瞬間、胸がきゅんとなる。

スッと息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。

「ほらね〜〜!」

栞が得意げに鼻を鳴らしながら、ぴょこんと背筋を伸ばす。

「やっぱり会ってくれるって!しかも即レス!これはもう確信犯だよね〜」

「ち、ちが……!」

言いかけて、でもその言葉の先が見つからなくて、結局ごまかすように頬を膨らませた。

すると栞は面白がるようにくすっと笑いながら、肩に頭をこつんと乗せてくる。

「で、どうするの?どこで会う?」

「……お昼って言っちゃったし、一度家に戻ってからがいいかな。着替えもしたいし、ちゃんとお風呂も入りたいし……」

「うん、それがいいよ。あーちゃん昨日汗もかいてたしね」

「……余計なこと言わなくていいの」

ぷいと横を向くと、栞はまた「わかってるって」と笑いながら、枕に顔をうずめた。

その肩がふるふると揺れているのが、ちょっとだけ悔しい。

「ゆっくり、話が出来ればいいんだけど……」

私がぽつりと言うと、栞が枕から顔を上げる。

「ふーん。どこかカフェみたいなのないの?私、島に帰ってきたばかりだから詳しくないからね」

「カフェ……か」

思い浮かべてみるけれど、すぐにはぴんと来ない。

「そう言えば長髪男子、車あるって言ってたよね?ドライブなんかは?」

「え?」

「それも、いいんじゃない話も出来そうだし……二人きりだし……」

栞は顔をぐっと近づけ、にやにやといたずらっぽく笑う。

その目は何もかも見透かしているみたいで、悔しいけれど、ちょっとだけ嬉しくもあった。

「しーちゃんは一緒に来ないの?」

「どして?」

「どしてって、昨日の夜のことを話したいから、しーちゃんも一緒の方がいいから」

「やだよ、そんなの。二人の邪魔したくないもん」

栞は体をチョンとぶつけてくる。

その動作に、なんだか笑ってしまって、私は視線を落とした。

「もう、そう言うんじゃないんだってば」

本当は、一緒に来てほしかった。

もちろん、慎哉に会いたいという気持ちはあった。でもそれだけじゃない。

あの顎髭の老人のことが、どうしても気になって仕方がなかった。

「早く返事しなくていいの?」

「あ……うん……」

スマホを見下ろす。

その横から、ふっと優しい吐息が聞こえてきた。

「もう分かったよ。私も一緒に行くよ」

口を尖らせて横目でこちらを見る栞に、私は肩で小突いて笑う。

「ありがと、しーちゃん」

「でも、いいの?折角デート出来たかもしれないのに」

ちょっとだけ意地悪な視線に、思わず微笑んでしまう。

「もちろん」

言葉を交わして見つめ合うと、自然と笑みがこぼれる。

そのとき、病室のドアが軽くノックされ、母が顔をのぞかせる。

「まあ、相変わらず楽しそうだこと」

明るく言うその声に、二人して「えへへ」と笑って、顔を見合わせた。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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