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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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35/95

アルバムの中

挿絵(By みてみん)

「ただいま」

玄関の扉を開けると、家の中に満ちた柔らかな冷気が肌に触れた。

パタパタ、と軽い足音が廊下から近づいてくる。

すぐに母が顔を出し、ぱっと目元を細めて笑った。

「あら、お二人さん、お帰りなさい」

「お邪魔します」

諒が控えめに頭を下げる。私は靴を脱ぎながら、どこかくすぐったい気持ちだった。なんだか、変にそわそわしてしまう。

「お家デートかしら?」

母はわざとらしくニヤニヤと口角を上げ、探るような目をして私たちを交互に見比べてくる。

その視線に、頬がじわりと熱くなる。

「お母さん、おばあちゃんの写真って、遺品の中にあるかな?」

話題をそらすように、少しだけ早口になって尋ねた。

「おばあちゃんの? あるんじゃないかなぁ」

母は肩をすくめて、あっさりと答える。

「諒くん、こっち、手洗おう」

振り向きざまに廊下の奥を指さすと、諒は素直に頷いてついてくる。けれど、その歩き方がどこかぎこちなくて、緊張しているのが伝わってきた。

「諒くん、ゆっくりしてってね〜」

背中越しに、母の明るい声が追いかけてくる。

スタスタッと軽快な足音が背後から近づいてきて、母が私のすぐ隣に並ぶ。わざと狭い廊下の端をすれすれに歩きながら、私の横顔を覗き込むようにして囁く。

「なんなら諒くん、泊まってったら? 文菜どうせ一人なんだからさ」

肘でこつんと小突かれて、思わず振り返る。

「あ、いや……」

洗面台の鏡越しに、諒は困ったように眉尻を下げて、こめかみを指で掻いた。鏡に映るその顔は、少しだけ赤くなっていた気がする。

「おかーさん」

思わず声が出た。抑えきれず、少し強めのトーンになってしまう。

「はいはい、お邪魔虫、お邪魔虫……」

母はおどけたように手で口元を隠し、くすくすと笑いながら私にウインクを飛ばす。

くるりと踵を返すと、スキップでもするような足取りでキッチンへ消えていった。

「諒くん……こっちだから……おばあちゃんの部屋」

視線を横に向けて、声をかける。

「あ、ああ」

諒はまだ少し照れくさそうに笑いながら、私の後をついてきた。

キッチンの方から、母の歌声がと届く。

「愛とは~あなたの為だとか言ったら~疑われるけど~がんばっちゃうもんね~」

思わず肩をすくめそうになるけれど、同時に、ふっと気持ちが和らぐ。

この空気の中に、諒と一緒にいられることが、少し照れくさくて、でも嬉しい。

今、並んで歩くこの一瞬が、どこか懐かしい日常の一場面に重なる気がして――私は、目の前に続く静かな廊下を見つめた。

祖母の部屋は、今では使われなくなった家具や荷物がしまわれていて、物置のようになっている。

私たちは畳に正座して、黙々と押し入れを探っていた。

諒が収納ボックスを一つずつ引き出しては、私が中身を確認していく。

探しているのは、卒業アルバムと昔の写真。

指先にざらつく埃。黄ばんだ紙の匂い。

古い紙やアルバムの束に指先を滑らせながら、過去をたどるような作業だった。

二つ目のボックスの底に、やっと目当てのアルバムを見つけた。

「――あった」

思わず漏れた声に、諒が隣に膝をつき、覗き込むように身を寄せてくる。

「小学校は飛ばそう。恐らく、高校だと思うから。そっちから見てみよう」

「うん」

アルバムを開くと、クラスごとに整然と並んだ生徒の顔写真が現れる。

ページをめくる指先が少し震える。

1組から7組まで――順にめくっていく。

すぐに、祖母を見つけた。

左右に垂らした三つ編みのお下げ髪、どこか照れたような微笑み。

たしかに、そこにいた。

「おばあちゃん……」

声に出した瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。

「文菜にそっくりだ……」

隣で諒がぽつりとつぶやく。

その言葉に、ふいに涙が出そうになる。

思いがけないところで、心の糸がほどけたようだった。

しばらくその写真を見つめていると、諒が穏やかな声で問いかけてきた。

「……記憶の中に出てきた男の子は、いる?」

「……うん、ちょっと待って」

キリッとした細い目が印象的だった。

あの少年を思い出しながら、目をこらす。

「いない……あっ、でも、”こうたろう”で探したら?」

「おばあさんの呼び方を考えると、同じ様に有職読みで呼び合っていた可能性があるけど……それも気にしながら見ていこう」

一クラスずつ、指でなぞりながら丹念に目を通す。

ページをめくる指先にも力が入る。

そして、7組にその男の子はいた。――根元高太郎。

「こうたろう、かな? たかたろう、かも……」

「とりあえず、この子で、間違いないね?」

「……うん」

胸の奥が、少しざわめいた。

ようやく、あの写真の送り主にたどり着けるかもしれない。

諒がアルバムの住所欄を確認しながら、スマホに入力していく。

「小瀬✕✕ー〇ー△……」

電話番号の欄も確認して、迷いなくタップする。

ツー、ツーというコール音が、しんと静まり返った部屋に響いた。

……繋がらない。もう使われていないようだった。

「次は写真だね」

遺品の中には、あの一枚――差出人不明の封筒に入っていた写真は、見当たらなかった。アルバムはいくつか見つかったけれど、それはなかった。

収納ケースを押し入れに戻し、ふたりで静かに戸を閉める。

「ふうー……」

二人同時に吐いたため息。

顔を見合わせ、思わず小さく笑い合う。

そのとき、襖の陰から母がひょいと顔を出した。

「どうなの、お二人さん。探し物はあったの?」

「ううん、なかった。お母さん、知らない?おばあちゃんの写真、他にないかな?」

「どうだろうね。それより諒くん、今日は、晩ごはん食べていってね」

「え?いや、そんな」

「ダメよ、もう作っちゃったんだからー」

母はいたずらっぽく舌を出すと、軽く手を振って歌いながら去っていった。

「いとしさと~せつなさと~こころづよさと~」

歌声がキッチンの方へと遠ざかる。

「……参ったな」

こめかみを掻く諒。

「……なんか、ごめん」

首をすくめる私。

また、目が合って。

笑いがこぼれる。

「……でも、写真が無いとなると、探す範囲が広がるな。……男の子の住所は今度行ってみるとしても……」

「ふうー」

自然と出たため息に、けれどその先に、何かが見えてきたような気がした。

「でもさ、何で珠代たまよって、本当の名前で呼ばなかったんだろう?」

「どういうこと?」

「だって、好きな人の事をわざわざ、有職読みだっけ、音読みにして呼んでたの?」

「その当時、流行っていたとかじゃないか、さすがに分からないけど」

「うーん」

私は腕組みをして首を傾げる。

祖母は結局、別の人――

私の祖父と結婚した。

その恋は、実らなかった。

それでも、あんなふうに名前を呼び合っていたなんて。

切なくて、不思議で。

「……やっぱりおかしいと思う。そんな呼び方……」

「でも実際、文菜はそう呼んでるのを聞いた訳だろ?」

「まあ、そうなんだけど」

「違和感があるのは分かるけど、あだ名みたいなもんなんじゃないか」

「そうかな……」

りょうは音読みだけど、仮に訓読みの”まこと”という名前だったとして、わざわざ”りょうくん”って呼ぶかな?

あの記憶の中で、二人は確かに――みよ、こうたろう――そう呼び合っていた。しかも、まるで届いてほしい願いのように、大きな声で。

「諒くんさ、私の事、あやなって呼んでみて」

「ん?」

「お願い」

「……ああ、あやな、どうした?」

言ったそばから、諒は吹き出した。

「あれ?……男の子の名前って、”たかたろう”って読むんじゃないかな」

「だから?」

「例えば、例えばだけど、自分の名前を間違って呼ばれたら、普通、言い直さない?」

「そりゃあ、そうだな」

「もし、”たかたろう”が本当の名前で、それを好きな人に“こうたろう”って間違えて呼ばれたら……。どうするかな。言い直させる?」

「うーん、分からないけど、好きな相手なら名前くらい知ってるんじゃないの?」

「あ、そっか……」

気づけば、また振り出しに戻っていた。

「ご飯できたよー!」

母の声が、キッチンのほうから陽気に響く。

「想いを~いま届けたい~この先ずっと~」

歌声が、あの記憶の声に重なって、耳の奥で静かに木霊した。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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