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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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20/95

夕暮れの舞台

挿絵(By みてみん)

聡は栞と一緒に、内海町にある潮騒公園に向かった。

内海湾を臨める大きな公園。

午後四時を過ぎても、空気は熱を含んで肌にまとわりつくようだった。

空にはいくつか薄くたなびく雲が浮かび、遠くから絶え間なく聞こえる蝉の声が、時間の感覚を曖昧にしている。

踊れそうな場所を探していると、芝生の上、ちょうど木陰になった場所を見つけ、そこで舞の練習を始めることにした。

二人はそこに荷物を置き、まずは軽くストレッチ。

栞が教えてくれる真似をしながら、身体をほぐしていく。自然と笑い声がこぼれ、緊張が和らいでいった。

私のスマホで音楽を流し、栞のスマホで録画を始める。

栞はベンチにスマホを固定し、軽く手を振った。

「よし、じゃあ、あーちゃん、はじめよ」

「うん」

芝生に置いたスマホをタップして、栞の隣へ駆け寄る。

音楽が流れ、二人並んで舞い始めると、そよぐ風が髪を揺らし、光と影のリズムが肌をなぞった。

ひとつひとつの動きに、自然の気配がやさしく寄り添っている。

栞は、わずか一度見ただけとは思えないほど、舞の振り付けを正確に覚えていた。

それに、感心しつつも、嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。

「しーちゃん、すごい、すごい!」

「ううん、あーちゃんだって、めっちゃ上手いよ!」

声を掛け合いながら、何度も何度も舞い続けるうちに、周囲にはいつの間にか数人の見物人が集まっていた。

子どもを連れた母親、ベンチに腰かける年配の夫婦。

それぞれが、静かに、暖かく、見守るようなまなざしを向けている。

「しーちゃん、そろそろ帰る?」

「あれ、どうしたの?」

「なんか…見られてると、ちょっと緊張してきて…」

笑いながらも、心臓の鼓動が少しだけ早くなっているのを感じる。

栞はそっと近寄り、私の両手を取った。

その手は、汗ばんでいて、でもあたたかい。

「あーちゃん、本番はもっとたくさんの人に見られるんだよ?今のうちに慣れとかないと!これも練習、練習!」

その真っ直ぐな笑顔に、ふっと肩の力が抜けた。

深く息を吸い込む。胸いっぱいに取り込んだ空気は、ほんのり潮の香りがした。

空は、黄昏に溶けかけた柔らかな色をしていた。

風が草を撫で、どこか遠くで波の音が重なった。

夕陽に染まった芝生に二人の影が長く伸びている。

「うん、やってみよう」

笛と笙の音がスマホから流れ始める。

舞の始まりは並んで正面を向くところから。

旋回して向かい合うと、栞がウインクをして、いたずらっぽく微笑んだ。

その仕草につられて、私も笑ってしまう。

神舞は、時に同じで、時に鏡写しに動く。

右手を伸ばせば、相手は左手を伸ばす。

右足を踏み出せば、相手も右足を踏み出す。

四方八方を向きながら、時に背中合わせになりながら舞う。

二人の間に流れる空気が、互いに呼吸するように、自然と一つに溶け合っていく。

舞の終盤、旋律は転調し速く躍動感を増す。

跳ねるようなステップ、軽やかにしゃがみ込む動作。

心が浮き立ち、身体の隅々まで血が巡るようだった。

そして、音楽が一瞬落ち着き、静かなフィナーレを迎える。

扇を上下に仰ぐ動作を何度か繰り返し、最後に天に向かって高く掲げる。

視線を合わせた瞬間、ウインクをして見せると、栞が顔をくしゃくしゃにして笑った。

どこからともなくパチパチと拍手が起きた。にわかに沸いた音の波に少し驚きながらも、軽くお辞儀してそれに応える。

胸の中には、ささやかな達成感と、ほのかな誇らしさが灯っていた。

「ちゃんと撮れてそう。帰りのバスで一緒にチェックしよう」

栞は録画に使っていたスマホをベンチから持ってきた。

「うん、楽しみ」

そのとき、ギャラリーの一人だった痩せた老人が、ゆっくりと歩み寄ってきた。

白髪混じりの髪を整えながら、明るい笑みをたたえたその人は、まるで昔話の中から出てきたような不思議な雰囲気をまとっていた。

「君たち、明後日の撮影で舞をする舞手さんかい?」

「いえ、違いますけど……」

栞がつっけんどんな言い方で応える。

「そうかいそうかい。俺はてっきり君たちが踊るのかと、思ったんだがね」

「来年のために練習してたんです」

「ほう、そうか。それは立派だね」

目を丸くした老人は、一歩前に出て、栞の前で視線の高さを合わせるように身を屈めると人差し指を立てた。

「君は踊りをやってるね?うん、動きはしなやかでいい。ただ、“止め”を意識するともっと良くなる」

「え……?」

そして、そのまま今度は私の前に顔を移す。鋭いけど温もりのある瞳だった。

「君は動きは綺麗だ。ただ、少し小さい」

老人は気を付けをするように姿勢を正した。

「もっと“気”を大きく意識してごらん。舞は、見せるだけじゃなく、伝えるものでもあるからね、へその下あたりを意識してごらん」

お腹の辺りを擦りながら、ニコニコしている。

心に何かが触れたような気がした。自分の動きに“気”なんて考えたこともなかった。でも、確かに、何かが腑に落ちる感覚がある。

「おじいさん、踊りの関係者か何かですか?」

「ん?俺かい?…俺は通りすがりの…おじいさんだよ」

栞の問いをはぐらかす様に、ひょうひょうと笑う。

「何それ……」

呆れる栞を、なだめるように片手をまあまあと振る。

「少し、待っててくれるかい?」

老人は突然、向こうのベンチにいる、帽子を被った男性のところへと歩いて行き、何やら耳打ちしはじめた。

「しーちゃん、どうする?」

「うーん、面白そうだから、話だけでも聞いてみようか」

「……うん」

しばらくすると、さっきの老人が手招きをしている。

「何かな?」

「あーちゃん、行ってみよ」

栞と手を繋いで傍に行くと、録画した動画が見たいというので、栞がスマホを手渡した。

老人と帽子の男性は、スマホの画面をじっと見つめ、時折頷き合っている。

見終わると、老人が栞にスマホを返し、帽子の男性に問いかけた。

「どうだい?」

「面白いかもしれません。やってみましょう」

老人は両手をパンと叩き、目と口を大きく開いて笑っている。

「聞いたか、君たち。明後日、撮影の時に踊ってもらいたい」

「えっ……?」

栞と見つめ合う。大きく口を開け首を傾げている。急な展開に思考が追いつかない。それは栞も同じのようだった。

「失礼、私は今回の映画監督の小林です」

帽子の男性は、私と栞に丁寧に名刺を差し出した。

「うんうん、実にいい。君達、早速で悪いんだが時間がない、親御さんに電話できるかい?」

「…あ、はい」

スマホを取り出し母親に電話する。そして、戸惑いながらもスマホを老人に渡した。

老人はオーケーサインをしながらニコニコしている。

「急に申し訳ありません、聡ちゃんのお母さんですか?」

「私、俳優の津山勲と申します」

「ええ、ええ、本物ですよ」

「はい、実は……」

栞とまた顔を見合わせる。

目を瞬きさせて老人を見つめた。どこにでいそうなおじいさんが、まさか俳優の津山勲だったとは思いもよらないし、周りにいる人も誰一人気づいていなかった。

その驚きもあるけれど、明日、栞と先輩達と神舞が舞えるという想像もしなかった現実が夢のようで頭では追いつけない。

潮風が芝生を撫で、遠くで子どもたちの笑い声が弾けていた。

空はオレンジから藍色へと静かに溶けていく。そのグラデーションの中に、自分たちも溶けていくような気がした。

非日常のような夕暮れの景色の中で、自分が今どこに向かおうとしているのか、胸の奥が少しずつ熱を帯び始めていた。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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