届いた物 一章
7月28日金曜日
真名井文菜様――。
一週間程前に届いた差出人の名前がない封筒。
気味が悪くて開封せずに、パソコンデスクの引き出しの中に仕舞っていた。
ふと思い出して、手に取っている。
墨で書かれた宛名は、崩したような、あるいは簡略化されたような、書道の知識は皆無に等しい私から見ても、達筆と思える筆遣いで迫力がある。
少し奇妙なのは墨が少し赤味を帯びているように思う。
「どうしようかな……」
唇を尖らせたまま、封筒を天井の電気に翳してみる。
そんな事をしても中身が分かる訳でもない。
消印は香川県の夕凪島――
そう私の故郷。
大きくため息を吐き出して、ハサミで封筒の端を切る。
それを持ってベッドの上に座り込んだ。
そう言えば、今年は神舞の祭を見に帰ることが出来なかった。
東京に出てから、4年が経つ。
毎年欠かさずに、帰省したいたけど、今年は体調を崩してしまい見逃してしまった。
神舞とは、夕凪島の瀬田神社に伝わる伝統行事で、神の使いである二人の巫女が、人々の為に舞を奉納する。
一般的な舞とは一線を画す神舞は、巫女装束も他に類を見ない代物で一人は上下白、もう一人は赤と黒の上下の装束をまとう。
演奏も独特で終盤にはテンポが上がり、舞というよりは踊る感覚に近い。
神舞に思い入れがあるのは、私も高校三年生の時に舞手として参加したからだった。
当たり前だけど、同じ振りでも舞手によって印象が変わる。
母から聞いた話だと、今年の舞手の二人は一糸乱れぬ動きで惹き込まれる魅力があったそうだ。
ネットのニュースで目にした神舞の写真には、パッと見た感じ双子かなと思うくらいそっくりな、かわいい二人の女の子が巫女装束に身を包んで笑っていた。
「……よし」
肩を撫で下ろし、意を決して、封筒の中に指を入れ中身を引き抜いた。
「ん?」
折り畳まれた便箋に写真が挟んである。
写真の裏には、ボールペンで「撮影場所、重岩にて」と書かれていた。
その横には、ボールペンで塗りつぶした黒い四角がある。
誰かの名前か、何かのメッセージがあったのかもしれない。
筆跡にも見覚えはない。
首を傾げつつ写真をひっくり返す。
そこには、色褪せた海や山を背に、一人のセーラー服姿の女性が、こちらに微笑みかけている。
「重岩か……」
女性の後ろには、確かに見覚えのある、巨石が写り込んでいる。
重岩は夕凪島にあるパワースポットで、山の尾根に行く手を塞ぐように巨石が佇んでいる。
何度か足を運んだことがあるけれど、そこに行くまでに500段近い階段を上らなければならず、それがしんどい。
大きな石をだれが何のために置いたのかは誰にも分からない。
ただ、瀬戸内海を一望出来る景色は絶景の一言に尽きる。
差出人が分からない手紙はそれだけで不安になるが、自分の住所を知っていたとなると……それはそれで限られた存在になる。
友人、それか島の人間、あるいは……。
「ん―……」
首を捻りながら便箋を広げる。
そこには罫線を無視するように、紙一面に縦書きで「カゲヌシ」と定規で引いたような線で書かれた文言があるだけだった。
「かげ……ぬし?」
思わず口にしてみたが、全く意味が分からない。
ふざけた悪戯かもしれないけれど、何か妙な……得体の知れない違和感が残る。
それに……
便箋を畳んで封筒に仕舞い、もう一度、写真を顔に近づけて見てみる。
写真に詳しい訳ではないけど、カビてないし傷んでもいない。
解像度から、かなり古い物の様に思うけど、女性だけ輪郭が浮き立つように写っていて、まるで、つい最近撮影されたかのような生々しさがある。
こちらに向かい、はにかんでいる女性は、二本に束ねた三つ編みのお下げ髪で、今時の雰囲気とは程遠い。
それだけでも不気味だったが、もっと衝撃的だったのは――
「私……?」
写真の女性の顔。
小さくてはっきりとは言えないが、明らかに似ている。
「嘘でしょ……」
背筋に寒気が走り、肩をすくめる。
首を振り、目を凝らして写真に視線を落とす。
しかも、今よりも若いように思える。見れば見るほど自分に見えてくる。
「なんなん……」
写真を脇に伏せてトイレに行ったものの、あの女性の顔――間違いなく自分に似たその笑顔が、頭から離れない。
どういうこと?
重岩で写真を撮った事はあるとは思うけど……でも制服で撮った覚えはない。しかもセーラー服なんて……中学、高校もブレザーだったし。
洗面台で手を洗い、鏡に映る自分の顔が写真の顔とダブって見える。
「もう……」
ベッドに戻り写真を手に取る。
気味が悪いけれど奇妙だし不思議な気持ちが僅かだけ勝った。
私に似ているけど他人の空似ということでしょ?
そっくりさんかもしれない。
どうして自分に送られてきたのだろう?
「でも……」
この女性の表情。
あまりにも幸せそうで、優しい笑みを浮かべている。
ぼんやり眺めていると、胸の奥がきゅうっと締め付けられるような感覚が込み上げてくる。
「なんだか……懐かしい気がする…………変なの……」
零れ落ちそうな涙を指で拭い、苦笑いして天井を見上げた。
わからないことだらけで、気持ち悪いはずなのに何故か嫌な気分はしない。
寧ろ、心のどこかで懐かしさのような温もりがくすぶっている。
「私は……」
この女性のような顔をしているのかな……。
東京という都会に憧れて、大学卒業と同時に上京した……。そう、周囲にはそう話している。
けれど本当は――高校時代に好きだったクラスメイトを、どうしても忘れられなくて、追いかけるように東京へ来た。
もっとも、彼とは卒業と同時に連絡が途絶えてしまい、今まで一度も会っていない。
同窓会にも顔を出さず、幹事の子が実家宛てに葉書を送っても、返事はないらしい。
確かに、学生の頃の彼は、誰かとつるんだりするようなタイプではなかった。
いつも窓の外を、どこか遠くを見るような目で眺めていて、誰かと深く関わろうとする様子もなく、淡々とした雰囲気を纏っていた。
目が合っても、たいてい何も言わない。
なのに――なぜだか気になっていた。
彼の歩き方。教室の隅で読んでいた文庫本のタイトル。ふとした仕草や、静かなまなざし。
ほんの些細なことが、なぜか心に残って、つい目で追ってしまっていた。
忘れられないあの日の思い出が甦る。あれは高校三年の冬の初め。
――放課後の外の空気は、もう冬のにおいがしていた。
校門を出た瞬間、ふっと息を吐くと、白いもやがふわりと広がる。
風が冷たくて、マフラーの中に顔をうずめる。
いつものように鞄を抱えて坂道を下りバス停に向かっていた。
やがて空に敷き詰められた雲からポツリポツリと滴が落ちはじめ地面を染めていく。
「傘持ってくればよかった…」
バスが来るまで10分程ある。バス停脇の街路樹に身を寄せ雨をしのいだ。
葉に当たる雨の音が徐々に大きくなる。
恨めしそうに空を見上げていると、傘を叩く雨の音が包む。
「え?香取君?」
いつのまに傍に居たのか気が付かなかったけど、彼が差す傘の中にいた。
「風邪ひくよ」
「え、でも…」
折り畳みの小さい傘から彼の体の半分は、はみ出している。
「ああ、俺は濡れても平気。……真名井さんが風邪引いたら、面倒だろ」
冗談みたいな言い方だったけど、その面倒の裏に、ちょっとだけ気遣いがにじんでる気がして、胸の奥がきゅうっとなった。
「……ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」
傘の下にふたり。肩が、少しだけ触れそうな距離。
彼は視線を前に向けたまま何も言わないけど、雨の音に混じって、心臓の音がうるさくなっていく。
そして、風が吹く度に私を守る様に傘を傾け、雨に濡れないようにしてくれている。
「風冷たいな」
「……雨、意外と好きかも」
「なんで?」
「こうやって、普段話さない人と話せるから」
言った瞬間、ちょっと恥ずかしくなって、うつむく。
「確かに……それ、俺も今、思った」
上目遣いに彼を見ると、こめかみを人差し指で掻いていて、表情も少しだけ柔らかく見える。
やがて、バスに乗り込み二人掛けのシートに並んで座る。
20分程度のかけがえのない時間。
嬉しさと緊張のあまり何を話していたか、全部は覚えていない。
たぶん、彼のことを知ろうとたくさん質問していたと思う。
ただ、この日からお互いに名前で呼び合うようになった。
何かが劇的に変わったわけじゃない。私にとっては小さな奇跡だった。
そして私はきっとこの日を一生忘れないと思った。
「だってさ、好きなん……」
大勢の人がいる大都会で偶然、彼に再会する。
なんてことがあったら……夢見る少女の様な願望は、妄想となって今でも心の中にこびり付いている。
仕事自体は、残業も少なくて先輩社員も良くしてくれるし不満はない。
でも、どこか物足りない、そんな気持ちを誤魔化しながら、可もなく不可もなく時間だけが日常に溶けていく。
「今年で26かぁ…」
写真を封筒に仕舞いながら、漠然とした思いが胸をよぎる。
もしかしたらこの写真が、何か大切なものへ導いてくれるかもしれない。
しかし、これが自分を知るきっかけになるとは、この時の私は予想すらしていなかった……。
ブゥーッ、ブゥーッ。
スマホが震える。
画面に表示された名前は玲美。
高校の同級生の親友の一人。
彼女は地元の図書館で司書をしている。
「もしもし、文菜?久しぶり!元気してたん?」
「うん、久しぶり……急にどうしたの?」
少し驚きながらも、懐かしさがじわりと胸に広がる。彼女の明るい声は、いつだって島で過ごした日々を思い出させてくれる。
「懐かしいアルバム見つけて、文菜が巫女やった年の神舞の写真が出てきたん。文菜めちゃくちゃ綺麗だったよ~!今も美人だけど、あの頃はもう、眩しいって感じ?」
「……また大げさなんだから。玲美の方が人気あったくせに」
「それはない!でもさ、写真見てたら、なんか変な夢見たの思い出しちゃって」
「変な夢?」
「うん……夢の中で、文菜がセーラー服着て重岩に立ってるん。髪が風になびいてて、すっごく綺麗で……でも、なんか哀しそうだった」
胸がどくりと跳ねる。たった今見た写真と、あまりにも一致していた。
「……玲美。あのさ、実はちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
写真のこと、封筒のこと、「カゲヌシ」という謎の言葉のこと。
すべてを玲美に話そうとしたけれど、喉の奥がつっかえるようで、うまく言葉が出てこない。
「え?なにかあったん?」
「……ううん、なんでもない。ただ、少しだけ……懐かしくなっちゃっただけ」
「そっか……文菜、無理してない?今年は神舞の時、帰って来んかったやん、どうなん帰れそうなん?みんな会いたがってるし、今年は特に……」
玲美の声が一瞬、ためらうように途切れる。
「特に?」
「……いや、ううん、なんでもない。とにかくさ、もし時間取れるなら帰っておいで」
「うん、来月帰るよ。えーとね、7日に夜行バスに乗って、やから8日の昼前には島に着く。ちょうど連絡しようと思ってたん。島の空気が吸いたいし、玲美にも会いたいし」
「そうやったんや、楽しみ……あっ、そうだ、ちょっとさ文菜、聞いてよ…」
突然、口調が早口になる。玲美が少し苛ついている証拠。
「どしたん?」
玲美の話は奇妙な物だった。図書館の本のページに「影を追う者は、影に囚われる」とボールペンで落書きをした男が行方不明になっているという。
「もう困っちゃうんよね、大事な本に落書きされてさぁ」
言いたい事を話し終えたのか、玲美は溜め息交じりに口にした。
「まぁ、玲美の勤めてる図書館じゃ落書きなんてしょっちゅうなんじゃない?」
「ああ、もう!そうじゃなくてね!」
冗談のつもりが気に障ったのか、また早口になる。
それもそうだろう、大事な本に悪戯書きをされたのだから。
しかし、私にはどこか引っ掛かる所があった。
そのボールペンの書き込み……どこかで聞いたような気がする。
どこでだろうか……?
そうだ、あれは確か……
「また!文菜聞いてる!?」
思考を遮る玲美の声が、耳を抜けて行く。
「えっ?あ……うん、でも、気味悪いね行方不明って」
「ほんと、もう何がなんだかって感じだよ」
「どんな人だったの?」
「へ?」
「え、いやその行方不明になった人って」
「ああ、フツーな感じ…30歳位で、チラッと見ただけやから…」
「そっか」
「あっ、でも左手に水晶の腕輪をしてたん、珍しいなあ、思ったんよ」
「水晶の腕輪ね」
それが珍しい物か分かり兼ねたが、腕輪自体は珍しい物ではないように思える。
「そうそう、それにさ、少し前には行方不明の妹を探し来ていた人もいたんよ」
「へー、そうなんだ」
何でも半月位前に文字通り、妹を探しに来た兄が、妹が借りた本を教えて欲しいと訪ねて来たそうだ。
島で立て続けにそのような事件が起きていた事には正直驚いた。
島で生まれ過ごしていて、自分が知らないだけで起こっていたのかもしれないけれど、奇怪な事件というものが起きた記憶がない。
「それからさ、映画の撮影も始まってるんよ」
「映画?」
玲美と話しているとコロコロと話題が変わる。昔からそうだった。
「二十四の瞳・新っていう女優の杵築八雲主演の映画、知らないん?」
「二十四の瞳は知ってるよ、新しいの撮るんだ」
「久留生一生や三笠久美子は島に来てるんよ、杵築八雲は31日に来るみたい」
「ふーん」
「まあ、文菜は興味ないか……」
学生の頃はドラマに夢中な時期もあったけど、東京に出て来てからあまりテレビを見なくなった。
そのものに興味が薄れたのもあるけれど、そもそも部屋にテレビがない。
家で一人で過ごす時はパソコンで動画やアニメを見ている。
それから30分程、お喋りをして電話を切った。
やはり、心のどこかで気になっていて、再び、写真を取り出して見つめる。
写真の中の「自分」に似た少女は、相変わらず幸せそうな顔をしている。
玲美が見た夢では哀しそうな私がそこに居た。
どういう事だろう?
「カゲヌシ……影を追う者は、影に囚われる」頭の中で言葉が過る。
そう「影を追う者は、影に囚われる」何かの本の一節であったような気がする……
さっそく、ネットで検索してみたけどヒットしなかった。
「影を追う者は、影に囚われるか……」
口の中で、そっとその言葉を転がしてみる。
何かが始まろうとしている気がした。
そう思ったとき、不意に、窓の外を風が撫でた。
サーッ、サーッと。
まるで、重岩で吹いていたあの潮風が、遠くから届いたような気がして――
写真に微笑み返して、封筒に仕舞う。
「寝よう、寝よう」
言い聞かせるように口に出し、布団に潜り込んで、そっと、目を閉じた。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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