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四方総界縁起  作者: くろよ よのすけ
3/100

03.目覚め③

「ここからか、随分と直球だ」

 早退し、迷うことなく向かったのは大きな家。家の人間は出払っているようで気配は感じない。庭には大きな木が一本植えられており、枝の間には鳥の巣が作られている。

 今も風に揺れた枝から、はらりと木の葉が舞い落ちてどこかへ飛んで行った。

「アイツなら今頃学校だ」

 正門の前で立ち止まり、目だけで木の葉を追いながら独り言のように語りだす。視線を戻して表札を見ると『皆方』の文字、つまりアイツの家だ。

「いきなり本命ってところか? それにしては隠れるのは下手だな。まさか、誰からも邪魔が入らないだなんて、楽観していたわけじゃないだろう?」

 誰もいないはずの家へ向かって言葉を放る。

 それはどこかの誰かに向けられての紛れもない挑発であり、そのことは相手も分かっている。


「それにしても鉄砲玉、それも単独での侵入と来てる。自滅せずによくここまで来れたな、それとももう死にかけか?」

 ザワリと、正門の向こう側が揺れた。

 発せられた波動は波打っていて、身体に染み渡る度に気持ちの悪い感覚が内側から湧き上がる。だが——。

「まさかな…、はっ、本当にこの程度か? その程度の殺気じゃ虫一匹殺せないだろ。それに、この程度の挑発に乗るのか。程度が知れるぞ。まぁ、もう遅いが」

「———!!」


(来たか、三流———)

 これまで正門の内側、皆方家の敷地内を覆っていた感覚がさらに広がる。いわば透明な壁、この世界で知覚できるのは、今現在おそらく俺と奴だけ。

 その壁が音もなく全てを飲み込んでいく。立ち入った瞬間に敵の領域のただ中に置かれ、始まるのは血なまぐさい殺し合い。

 あの程度の挑発に乗ってくるような奴だ。実力もたかが知れているのは明白。ただ一つ、大きな問題があるとすれば。

 ——俺自身がアイツと同程度の力しかないということか。

 屋敷の敷地を取り囲むように形成されていた透明な壁。そいつは俺を内側へ招待するように音もなく広がり、痛みもなく衝突したのは全くの同時。その瞬間、世界は確実に“ズレて”いた。


 空中で木の葉が舞うことを止め、ただそこで止まっている。摘まみとることさえ可能だろう。巣に戻ろうとした鳥は枝に止まる寸前で宙に羽ばたいている途中で止まっているし、俺の目の前にはさっきまでいなかったはずの男が一人。

「貴様、随分な口を利く」

 違った、女の声だ。


「なんだよ急いできたのに予想が外れた。まあなんだ、そう怒るなよ。事実だ」

 てっきり転校生を襲って体を乗っ取るとかして接触してくるのかと勘ぐっていた。だが、実際は本命直行の武力制圧と来ている。

 顔は見えない、獣の装飾が施された木面をしているからだ。だがくぐもっていても伝わってくるのはそれほど年を取ってなさそうな声色。

「なるほど? そりゃその年で鉄砲玉だなんて嫌になるよな。命かけて仕えてきた“家”からすれば、アンタの人生はその程度だったってことだ」

「…黙れ、貴様らが来ていることは分かっていたが、まさかこれほど早く遭遇するとは」

「………」

 図星か、なら本当に鉄砲玉、もしくは様子見の為の捨て駒。もう少し情報は欲しいが、持っているかどうか。いや、第一に話さないか。


「狙ってるものが分かってるんだ。警報を仕掛けとくのは常識だろ。それに、アンタは隠れるのが下手くそだ。面を被ったところで気配は隠せない」

「ふんっ、口の減らない小僧だ。そう言う貴様はどうだ、結界に取り込んでからと言うものの余裕ぶるのに必死そうだが」

「ま、そうだな……。気分悪いよ、吐きそうだ」

 今、ズレた世界のただ中では俺の方が不利だ。

 理由は明白、この結界領域は奴のモノだから。俺は部外者であり異分子なのだからどうしても世界そのものから拒絶される。


 獣面の女はくつくつと笑い、その手に持った短刀を俺へと向ける。

「その様子では『四方界シホウカイ』も満足に扱えないらしい。精々が偵察要因だろうが、だがもはや仲間を呼ぶことはできん。貴様を殺して”ラゥルトナー家“への宣戦布告としよう…。『四方展開』」

「やってみろ、『ナイギ』の犬が———ッ」

 殺意が敵の方とは全く別の方向から向けられたと感じた瞬間に大きく飛び退く。

 そして、飛び退く寸前まで立っていた地面には細い杭のようなものが数本刺さっていた。

「勘は良い、力もまともに扱えぬ貴様では時間稼ぎにもならんぞ」

 次いで三度、飛び退くたびに精度は増していき、獣面の言う通りにこのままではじり貧だ。

(射出元は何処だ…?)

 射出速度と精度は上がり続ける。

 ただ自分自身の肉体性能に頼った回避では限界がある。せめて防ぐことのできる物でも持ってくるべきだった。

 避けきれなかった杭が掠めるたび、一張羅の制服が破けてボロボロになっていく。

 過ぎ去った杭が血の線を空中に引き、次いで痛みが奔った時には手遅れだ。加速する異能、減速する肉体。

 特別強い相手ではない。だが、ズレた世界は奴の作り出した領域であればこそ、この空間に満ちた全ては獣面が生み出したモノ。

 ゆえにこの空間において、能力の使用には大きなブーストが掛かっている。

 だが、杭を飛ばしてくるだけでヤツ自身は攻撃に参加してこない。つまりはこの領域と杭を創りだすだけで限界といったところ。


四方界シホウカイ

 自身の定めた条件を満たした領域を指定し、その範囲内において異能を顕現する結界術式。この女は自身の影を領域とし、そこから杭を生み出すのが能力。

 その上から特殊な結界でこの空間を囲っているからか、空間全体を自身の領域と化したらしいが、それでも回避は可能。

 能力への適性が高いとはお世辞にも言えない。だが、彼らにも事情があることは、かつてあの女から聞かされていた。


『ヨナ、一つ覚えておかなくちゃいけない。

移動するためにも色々と制限を掛けるから、あちらに行ったらワタシが指一本で倒せる程度には弱くなるかもだけど、アチラはもっと弱い。理由は分かるよね? うん? 分からない? ふふっ、その呆けた顔も愛らしいよ』

 一応、従者を死地に送り出すとは思えない態度。

 愛らしいと言いながら、抵抗できない俺の頭を撫でるその手は傷一つないすべすべとしたもの。しかし話も進めず撫でられ続けられたところでいい気分でもない。別に俺は犬でも猫でもない。

『ふふふ…。ああそう怒らないで、いいかよく聞いて。ワタシと違って、ナイギはあの世界に上手く入り込めない。理由は単純、世界そのものに拒まれるから。いかんせん、彼らの『界燐カイリン』は冥界の土の如く汚らわしい。つまり、受け入れらず拒絶されているのさ。ならどうやって入り込むか。

一番よくつかわれる方法として、限界まで力を抑えて弱いふりをするのが一つ。そしてもう一つが——』


「単純に弱いだけ、か———」

 血の軌跡を残しながら駆け続ける。物陰に隠れさえすれば正確さも欠け始め、威力も下がっているように見える。このままであれば時間も稼げるが、それこそ時間の問題だ。

 だが、完全に相手の位置を把握できていなければ能力の性能を発揮できないとなると。


(『領域条件』は影、張った結界内部を自分自身の影として認識してるんだな。

基本的で普遍的だ、明るければ発動可能、暗かったとしても影の範囲が拡大したと解釈すれば問題ない。…それにしても一歩も動かないな、敷地内で手いっぱいだろうに領域を広げすぎてる)

 あの日聞いた話が本当なのであれば、目の前で無防備な姿を晒しながら余裕ぶっている獣面も弱いということになる。

(攻めに転じたいけど…、どうしたもんかな……)

 ——思考は、自身の能力を使ってしまっていいものかどうか。

 彼方にもあるように、此方にもいろいろと事情はある。

 奴相手なら逃げられる心配もない。おそらく問題ないだろうが、それでも万全は期したい。なら、方法は一つ。そも、こんな時の為に仕掛け続けてきたんだ。今使わないでいつ使うというのか。


「すぅ———」

「どうした、動きが鈍くなっているぞ———!!」

 駆けることを止め、膝をつく。はたから見れば足の痛みで止まった獲物同然。

 とどめとばかりに、獣面の影より放たれ飛翔し、全方位から襲い掛かる杭。前後左右と直上から全く同時に放たれた攻撃は単純ながらに確実だ。回避では対処しきれず、身を守る方法がなければそのまま串刺し。

 俺の手は空っぽで、防ぐために使えそうな物すら何も持っていない。


 だが…、仕掛ける時間はいくらでもあったんだ。それこそ何度も何度もな。

「四方展開———封界領域、陸番」

 針の狢の中心地。俺が膝まづく足元が輝きだすと、円陣が表出する。

 輝きは一瞬、瞬く間に半円状に形成された結界が創り出され、肉を穿たんと飛翔する杭が触れた端から防がれ消え去っていく。

「な———、に…?」

「あぁ、この程度でいいのか。なら……、勝ったな。降参するなら今聞く」

「何を馬鹿な、ただの一度防いだだけで降参しろだと? あれが全力だと思ったか!?」

「いや、そうは言ってないけど———」

 降参してくれるとは思っていなかったから挑発ついでのつもりだったが、まさかここまで嵌るとは。もうちょっと適任がいただろうと思いはするが、それほどに世界を渡る力と言うものは希少なのか。

 

「はぁ…、じゃあアイツが帰ってくるまでなら付き合ってやる。寄り道するなって言ったからな、すぐ帰ってくるかもだ。領域がズレてるとはいっても、俺たちに気付かれること自体避けたい」

「舐めた、口を……ッ」

「言っただろ、事実だ。それとサービスだ、答えを教えといてやる。この家の敷地内には、俺がせっせと作り続けてきた“仕掛け”がある。さっき杭を防いだのもそれだし、今から攻撃に使うのもそれだ」

 毎日毎朝毎晩と、皆方と出会ってしまうのもこれが原因だ。

 アイツに見つからないよう、時間があればアイツのよくいる場所には仕掛けを作り続けてきた。

「四方陣展開———破界領域、參番」

「ぐあっ?!」

 仕返しとばかりに獣面の足元から杭が飛び出すと脚を串刺しにする。これでもう、逃げられはしない。

「解いてほしいか? ナイギの犬」

「グ……ッ、ふぅ———。こんな、もの———ォ!!」

 もともと持っていた短刀を横薙ぎに振るい、自身の脚を貫く杭を断ち切る。

(やっぱり急場しのぎみたいなものだから強度は弱いか……、相手の弱体化がどれほどか分からない以上、一個一個が実際に使ってみないと良く分からないな)


「はぁ———、はぁ……っ。くぅ…ッ!」

「最初の余裕は何処に行ったんだ。足に穴が開いただけだぞ、立てるし、蹴れるだろう。腕も胴体も無事だし、まして首が無くなったわけでもない」

 ゆっくりと歩み寄る。

手には何も持たず、構えることなくだらりと下げたまま、ゆっくりと———。

「そら、どうする。ここから逃げれば、助かるチャンスはあるかもしれない。俺も逃げる相手を追いはしないし、この場では見逃してもいい」

「ハァ———、ハァ———、ハァ———!」

 目前、その言葉の通りに獣面と俺の額同士が触れ合うほど近くから、面の奥で揺れる瞳を見据える。


「さぁ…、どうする」

 逃がしはしない。今のを防げない程度の実力であるなら、この家の仕掛けだけで10は優に殺しきれる。そしてそれは、もう相手にも分かっている。

 仮にも全力を防がれた挙句、方法は使い捨ての術式。杭を生み出す能力を発動するために集中すればするほど、仕掛けの感知は鈍くなる。攻勢に出ようとすればするほどに防御はおろそかになり、防げなければ一撃で終わるだろう。

 そんなことは、分かっていたはずだ。

だが———

「舐めるなと、言ったぞ………っ、小僧———ッ!」

 短刀の一閃は空を切り、最後まで抵抗する意思を見せつける。

 だからこそ、その意思を見せつけられた俺は応えなければならない。

「そうか分かった。……昔の馴染みだ———、手は抜かない」

「…っ、お前は———、一体……」

「関係ない、知る必要もない。お前はここで終わりだ」

「……いや、まだだっ。まだ、終わらんッ!!」

 獣面は雄々しく吠える。命を燃やし、狩人を獲物とするために。

 だが、無情かな。

 獣が狩場と選び、息をひそめたこの領域こそ、狩人が最も狩りを行うに適した場所であったこと。それこそが、獣の最大の過ち———。

「ぐっ、オオオオオ————!」

「『四方展開』——」

 勝敗など、考えるまでも無かった。



 □ □ □



 いつもより二倍以上重くなってしまった荷物に苦戦しながら帰路に着く。

「へぇー、シエの住んでる場所もこっちなんだ。私と一緒だね」

「はい、授業が終わってすぐに別れるというのも寂しいですから良かったです。それに、一度“挨拶”しておきたい人もいますので」

「挨拶? アパートの管理人さんとか?」

 そう聞くとシエは小さな顎に手を当てて少し考え始める。

「ふむ、そう…ですね。そう取ることもできます」

「?」

「いえ、アヤネは気にしないでください。私にとって大事というだけですから、いざとなればどうにでもなります」

「な、なんだか物騒じゃない…? で、でもこんなタイミングで引っ越してくるなんて大変だよね。それも一人で」

「そうでもありません。体は丈夫な方ですから食べる物にも困りませんし、寝るところにも」

「???」

 なんだか私の考えていることとシエの考えがズレている気がする。けど、それが単に日本語を勘違いしてるのかどうかで怪しい。

 う、ううん? これまでビックリするくらい綺麗に喋ってたから気にしてなかったけど、シエって外国の人なんだよね。

「すごいなぁ、海外か……」

「アヤネは外の世界に興味があるのですか?」

「え? それはもちろんっ、遊びに行くのもいいし、留学とかも楽しそう。でも私はこの街で十分かな、少なくとも今のところはっ」

 道路の縁石に飛び乗り、低い平均台の上で両手を広げる。おっとと…、荷物が重い……。

「そうですか…、そう、ですね。アヤネがそう思うのならばきっとそれが一番だと思います」「う、うん。ありがと?」

「お礼を言われることじゃありません。それに———」

「ん、シエ? どうしたの?」

 不意に立ち止まった彼女へ振り返ると、シエはこの道の先へ視線を向けているようだった。何かあるのかな?


「…いえ、問題ありません。アヤネはその荷物を届けるのですよね」

「うん、早退だっていうのに荷物置いてくってすごいよね。鍵とかは別で持ってるのかな。ポストの裏とかに置いてあるとか?」

 いつもより荷物が重たい理由。

 それは夜凪くんの分まで持っているからだ。すごい急な早退もそうだったけど、まさか荷物を丸々置いていくだなんてビックリしちゃった。男の子は財布とかポケットに入れたまま座ったりするから気にしないのかな。

「寄り道しないで帰れーだなんて言われたけど、ちょっとお説教も言ってあげたいからね。心優しい私は荷物を届けてあげるのです。…なんてね」

「なるほど……。ではちょうどいいですし、ここで別れましょう。別に用事が出来ました。今はそちらを優先します」

「え、そうなの? んー、そっか残念。もう少しお話ししたかったんだけど……」

「明日になればいくらでも。すみませんアヤネ」

「ううんっ、いいのいいの。シエも初めての学校で疲れてるだろうしね。それじゃあまた明日!」

「はい、また明日です。アヤネ」


 小さく手を振るシエと別れて、夜凪くんの住んでいるマンションに向かう。私の家を経由してもいいけど、それだとちょっとだけ遠回りになっちゃう。

「夜凪くんったら、偶然のつもりかもしれないけど私の家出る時間に合わせてるのは気づいているのよー」

 ほぼ毎日のように登校時間に出会う少年。

 挨拶の度に面倒くさそうな、ぶっきらぼうな態度をとるけど、彼のマンションからあの道を通るのは遠回りだ。つまり、彼はわざわざ私と登校するために——。

「ふへへ……、こ、こほんっ」

 ついにやける顔を軽くたたいて平常心まで持っていく。うぅぅ…、今の顔を知り合いに見られてたら恥ずかしいにもほどがあるよ。

 その状況を想像して顔が熱くなるのを感じながら、今度は転校生、シエのことを考える。

(可愛いし礼儀正しいし言葉も上手だし、すごいなぁ。私も見習わないと)

 ただ、お昼御飯がいつの間に消えたのかは分からなかったから明日こそはよく見ておかないと。

(それに———、なんだか夜凪くんと雰囲気似てるんだよね。性格全然違うのに)

 何と言うんだろう。

 この街の人とはなんだか雰囲気が違う。二人とも街の外から引っ越してきたのだから、それはもちろん当然なんだけど。それともちょっと違う。

 そして、その上で彼の方はなんだか———。

「———っ!」

 何とない考えがどこかに向かおうとした瞬間、頭に痛みが奔る。痛みはすぐに引いてその後は何もなし。


 西日で目がくらんだのを錯覚したんじゃないかって思っちゃうくらい、気のせいだったんじゃないかと思ったくらいだったけど———

「んー? 私何考えてたっけ? むむ?」

 さっき考えていたことが頭からすっぽり抜け落ちてしまった。

 調べ物をしようと携帯を取り出した瞬間にそのワードを忘れるなんてよくある話だけど、その度に頭が痛むのはヤダなぁ。でももう大丈夫そうだし、やっぱり気のせいだったのかな。

(気になるけど、またあればでいいかな。後で一応水飲んでおこ)

 もしかしたら軽い熱中症かもしれない。次の自販機でお茶か水でも買っておこう。

「それにしても、シエの知り合いってどんな人だろ。武道してるって言ってたからその先生とか? んー、着いてって見るべきだったかも」

 ともすれば犯罪まがいの冗談交じりに足は止まらない、この角を曲がれば夜凪くん家のはず。


「ん? そういえば……」

 なんで、シエは私と別れるときにあの場所で別れるのがちょうどいいって言ったんだろ。夜凪くん家に行くとは言ったけど、シエが場所を知ってるわけないし……、うん?

 あ、もしかして!

「夜凪くんがシエの先生だったりして。……ふふっ、それは流石にないか」

 荒唐無稽すぎて、ついつい自分で笑っちゃう。

 ま、きっと偶然だろうな。憶えてないだけで話の途中に口から出ちゃってたかもしれないし。

「さてさて、部屋番号は確か———」

 入り口に設置された自販機でお茶を買い、一人エレベーターを待っている間にのどを潤しておく。

 荷物を渡した時の挨拶が変な声だと笑われちゃうかもだし……。

「こほん、けほん。ぅぅ……」

 なんだか一人ではしゃいでいるのがおかしくて、おかしいから恥ずかしくなってしまう。

 きっと、この胸のドキドキは熱中症のせいなんかじゃないから。



 □ □ □



「はぁ、思ったより粘ったな。気絶させようとしたのが悪かった」

 獣面が意識を失うと共に、屋敷を覆っていた結界は解除された。これでもう誰からもこっちのことは見える状態になっている。

 人の家で、全身から血を流し、獣の面を付けた女を引きずる学生。ったく、どっちが不審者だか分かったもんじゃない。

「はぁ、まだ皆方はいないか。それならまだ良かったか……」

 血に濡れた服と傷はどうとでもなる。こういう時の為、”仕掛け“を重点的に行っている街の数か所には防水仕様のバッグの中に着替えを用意してある。

 まさか本当に使う時が来るとは思わなかったが。

 こんな状況をみられるわけにはいかない。もしもアイツに見られようものなら何がどうなることか。

「しっかし…、どうしたもんかな。コイツ」

 獣面を引きずりながら、とりあえず人気のないところまで歩いていく。

 そこには目当ての着替えと医療キットが入ったバッグが見つかることも無く置かれていた。

「はぁ、なんで外で着替えなくちゃならないんだまったく」

 塀の影で少年が服を着替えている状況を何と言い表せばいいのか。見られているわけではないが嫌なものは嫌だ。

 そこから少しの間、衣擦れとため息の音が空気を数度揺らした。


 そうだ、コイツの処分も考えなくてはならない。

 嫌がらせなのか方法がないのか、俺自身この世界から帰る方法を知らない。一応、来る前に何度も聞きはしたが結局は教えてくれなかった。

 別に帰りたいわけじゃないが、コイツを放っておくわけにもいかない。殺した場合、下手に騒ぎになった後が厄介だ。

「沈めるか、埋めるか。燃やすのは匂いで気づかれるか」

 危険極まりない独り言をぶつくさと。一人歩く彼の前から影が伸びてきた。

「ん?」

 視線を前へ、西日が眩しくてよく見えないがどうやら女。立ち姿からして実力者と見える。

「なんだお前、コイツの仲間だって言うならとっとと連れ帰ってくれ。それで二度と来るな」

「———、…貴方からすればお久しぶりです…と、その方が正しいのでしょうか——」

 十中八九、敵だと認識した相手は予想外の言葉を発した。———久しぶり? 俺の知り合いなんて限られている。それに、彼女には見覚えがあるような気がする。

 

 西日に照らされた灰色の髪、そして必要以上にかしこまった物腰は……。

「あ? 久しぶり……? っていうか、まさかお前———」

 かすれた記憶を重ね合わせて繋いでようやく。たった一人だけ、あてはまる少女が記憶の中に存在した。

「あー、こんなところにいたー」

「っ!? ふぅっ!!」

 足を持っていた獣面を思い切りにぶん投げる。どこかの家の庭に入っていったが問題ない、後で回収すればいいだけだ。

「え、え? 今何か投げた?」

「投げてない。気のせいだ、関係ない」

「いや、でも…」

「西日のせいで変なのが見えたんだ。鳥でも横切っただけだろ」

「そ、そっか。…じゃなくてっ、はい荷物! もう、家にいると思って届けに行ったのに何で私の家の近くなのよぉ」

「用事が片付いた帰りだ。今から帰る所だったんだよ」

「へぇー? そうなんだー?」

「なんだ、その顔は」

 上目づかいで下からねめつけてくる皆方は訝し気だ。さっきの奴のことがちゃんと見えてたのか? それだと色々とやっかいなことになる。


「どうして夜凪くんがシエと一緒にいるの?」

「…なんでアイツの名前知ってる」

「なんでって、転校生だし」

「男だって言ってたろ」

「女の子だったの」

「それで、…アイツか」

「そうよ、それで夜凪くん。シエとは知り合いなの?」

「………」

「ねぇ」

「………」

「ちょっと、聞いてる?」

 むすっとした顔で迫ってくる皆方から身を反らす。

 西日を利用して表情を隠しつつ、ちらりとシエの方へ視線を向ける。

 彼女は自分が見られていることに気づくとハッとした後、わたわたと手を動かしながら、どうすればいいのかと。その場で慌てているばかりで助け舟は期待できない。

(アイツが転校生だって? なら、さっきの奴は本当に待ち伏せしてただけだったのか……)


 しまった、そう言うことか。

 そもそも、早退してまで迎撃に向かったのは転校生という存在を利用して、奴ら、『ナイギの一族』が皆方に近づいてくると考えたからだ。

 だから様子見もせず潰そうとしたし、実際潰した。だがどうだ、男だったはずの転校生は女で、しかもシエと来ている。

 実際、転校生という存在を利用したのは俺たちの方だったというわけだ。……あの女、なんで一言連絡することすらしないんだ……っ。

「クソ…ッ」

「むぅぅぅ…! 夜凪くん!!」

「あ、は…はいっ」

「人がお話ししている時はちゃんと聞かなきゃダメって教わりませんでしたかっ!」

「……教わった覚えはない」

 本当の事なのだから仕方ない。だってあの女の私生活は雑に過ぎる。いや、俺に聞く気が無かっただけで忘れてるだけのような気もしてきた。

「そんなことはいいの! 大切なのはお説教の最中に悪態ついたことですっ!」

「あぁいや、今のは皆方に対してじゃあ……」

「問答無用! 夜凪くんったらいつもフラっとどっかに消えちゃって! その度に関係ないとか問題ないって適当なことばっかり———」

「いや、それは———」

「あの———」

「それにこの前だって名前で呼んでくれたかと思ったら———、あれ?」


「おい」

「アヤネ、大丈夫ですかっ」

 頭に血が上ったのか、ふらつく皆方の肩を支える。今日は暑かったから熱にやられたか? これまで大丈夫そうだったから重い症状ではないだろうが、日陰に入るくらいはした方が良い。

 手を額に当て、熱を測るが平熱より少し高い程度。気温のことを考えると問題ない。

「大丈夫か、調子が悪いならいったん落ち着け。後でいくらでも聞く」

「あ…うん、大丈夫、です……」

「声が上手く出てない。いったん皆方の家に運んで休んだ方が良い。悪いが上がらせて——」

「だ、大丈夫だからっ。健康、健康だから! うぅ……、だからいったん離れて……ぇ」

 俺の身体を力なく押す手は細かく震え、顔は耳まで赤くなっている。

「いや、けどな。そんな調子じゃ…」

「ほ、ホントに大丈夫だかりゃ、にゃんともにゃいれす!」

「………」

 どう聞いてもそうは聞こえないし、見えもしない。とはいえ本人がそう言っている以上、大丈夫なのは間違いない。だが、念には念を入れなければならないだろう。

「家の鍵これか、借りるぞ」

「わー、夜凪くんタイムタイム! 部屋の掃除するからまだ入らないでえ!」

「…そこまで入るつもりは無い。とりあえず座れ、落ち着け」

「お邪魔します。わぁ、大きなお宅ですね。それにとてもキレイです」

 一人、いや二人ほどズレていることを言っているが何とか落ち着かせることはできた。


 その後無理やりに座らせ水を飲ませる。チビチビとグラスに口を付ける彼女はやはり問題なさそうで、俺も席を立とうかと思った時だ。

 皆方からすればここでの問題は他にもあるらしい。

「はぁー、ふぅー……。えと、それで、ね? 夜凪くんとシエって、お知り合い、なの?」

「ハイ、その通りです」

「あー……」

 何でここにきて素直なんだお前は、これまで皆方が知らなかったってことは隠して……たわけじゃないんだろうな。多分、偶然その話にはならなかっただけだ。

(くそ、下手に早退したせいでややこしくなってるな)


「?」

 シエの方を見るとキョトンとした顔で『私、何かしてしまったのでしょうか?』と言いたげに俺の方を見ている。子犬か何かかお前は。

「そ、それにシエもなんだか雰囲気が……」

「そ、そうでしょうか。私としてはいつも通りのつもりなのですが」

「う、うーん…。なんだか、……なんだろう。えーっと、その…」

「?」

 きっと皆方はこう言いたいんだ。『シエってさっきよりもアホっぽいよね』と。

「皆方…、お前の気持ちは分かる」

「え、な、何のことかな!?」

「いい、コイツは子供の頃からこんなんだ。言動は基本変わらないけど根っこが犬というかなんというか……」

「わ、私はそこまで思ってないからねっ!」

「そこまで、ね」

「うぅ、夜凪くんのイジワル…!」

「イテェ」

 正面に座る皆方の脚がおれの脛を襲う。クリーンヒットとはならなかったが痛いことに変わりはない。服を変えてあるとはいってもその下の傷が治ったわけじゃないんだ。


 そんな俺たちの用を見るシエはいまだ頭の上に疑問符を浮かべながら姿勢正しく座っている。とりあえずこの場をやり過ごせば言い訳なんてなんとでも———

「…? は、はぁ。ですがヨナギ様からのお言葉であればそれは紛れもない事実。逃げることなく受け止め、これから先も精進と邁進を続けて——」

「バカ…」

「ちょっと待った」

 あぁくそ遅かった、ちゃんと言い含めておかないとこれだ。

「えー…っとぉ……、シエ…さん?」

「はい、どうしましたかアヤネ。顔色が優れません、やはり休んでおいた方が良いのでは…」

 頭に手を置く皆方と心の底から心配そうにする灰色少女、コイツ…空気と言うものが読めてないのか? アイツめ…俺がいない間にどんな教育を…。


「えっとね…? いま、夜凪くんのこと、様付けだったりした……?」

「ええ、学校でお聞きした時点でほぼ間違いなくヨナギ様と判断可能でしたが、あくまで可能性でしたので名称としてそのままお呼びしていました。

しかしご本人と確認できた以上、呼び捨てなどとてもできませんので。…何か、おかしかったでしょうか?」

「…俺を見るな」

「そ、そうだよっ。夜凪くんならちゃんと答えてくれるでしょっ、答えてくれるよねっ!?」

「俺を、見るな…」

 にじり寄ってくる皆方の圧に気おされる。説明をしようにも余りにも急の来訪が過ぎて、どうつじつまを合わせるか考える時間が欲しい。

 そもそもお前、来ないはずだったろう。

「いえヨナギ様。恐れながら進言しますが、アヤネが疑問をもっているというなら答えた方が良いのではないでしょうか。今後の信頼関係に響く可能性もあります」

 今まさにこの瞬間、お前のせいで信頼関係が揺れてるんだよ。

「そ、そうよ。シエもそう言ってるんだからちゃんと説明してっ、二人はどういう関係なのっ!」

「あー……」

「………?」

 シエの方を見ると相も変わらずキョトン顔、とりあえずコイツに喋らせるのは危険だ。なんとか話を合わせないと…。

「あ」

「え?」

「?」

(そう言えばシエって読唇術できるんだった)

 呆れるほどに真っすぐで、馬鹿真面目に努力家。

 その昔ふと、幼いシエに『読唇術って出来たら便利だな』そう口にした一ヵ月後にはマスターしてきた女だ。おかげで独り言すら確実に拾われるようになったのは欠点か。

「どうしたの夜凪くん、何かあった?」

「あー…、あそこに人影が見えたような」

「え、どこっ、まさかお母さん帰ってきた? わっ、わっ……!」


 慌てて外の様子を見にいく皆方。

『話合わせろ、俺の言ってることに頷いてればいい』

 窓へと視線が向いた瞬間、口だけを動かしてシエへと端的に伝える。

「……」

 それはちゃんと伝わったみたいで、言葉を発することなく頷いた。よし…これで後は何とか……。

「ふぅ、大丈夫だったぁ……」

「ええっと、それで…いいか? コイツの事なんだけど」

「え? ああそうだった、それで…知り合いなの?」

「ああ、親同士が…知り合いなんだ。だから何度か会ったことがあるし、様付けなのはシエの癖というか、何というか。……昔から止めろって言ってるんだが聞きやしない」

「……」

 コクリと頷くシエはまさにさっきの指示通りだ。…せめてハイとかくらいの返事はしてくれていいんだが……。

「そ、そうなんだ。じゃあ幼馴染だ。それにしてもシエの故郷ってイギリスだったっけ、小さい頃から海外旅行行ってたの? いいなぁ」

「イギリス……? あ、ああそう、なん…。いや、シエの家族がこっちに会いに来てた。海外旅行…はしてない」

「……」

 イギリスってなんだイギリスって、どこだソコ。いや…、授業で聞いたことがあったような……、無かったような……。

「それじゃあシエがうちの学校に転校してきたのも夜凪くんがいたから?」

「……」

「シエ? さっきから静かだけどどうかした?」

「……、なんでもないだろ。きっとあれだ、越してきたから疲れてるんだ。今日は俺もさっさと帰る。じゃあな皆方、身体気を付けろよ。ほら行くぞシエ」

「え、ちょ、ちょっと夜凪くん?」

「はいヨナギ様、ではアヤネ。また明日お会いすることを楽しみにしています。ゆっくりお休みください」

「え…、あー、うん。あり、がとうございます?」

 深々とお辞儀するシエを引っ張り退散する。これ以上放っておいたら何を口走るか分らったもんじゃない。


 俺がいない間に何言ったのか分からない以上話を合わせるも何もない。一度ちゃんと聞いておいて明日から整合を合わせて行けばいい。

(今日来た奴のこともある。あ、まだ気絶してるか…?)

「シエ、そこに“ナイギ”の獣面がいる。気を失わせたけどさっき皆方に見つかったせいで時間を取った。今もいるかは分からん。そっちから回り込んでくれ」

「…はっ」

 短い返答、迅速な行動。

 姿が掻き消えるほどの敏捷を発揮しながら、先刻獣面を投げ飛ばした場所へ向かう。

「ヨナギ様、ナイギの姿が見えません。逃げられたようです。…血痕が残っていますが追いますか?」

「……いや、いい。俺一人なら始末しに追った方が良いだろうけど、お前が来たなら問題ない。それにかなり弱かった、次に姿を見せた時にどうとでもなる。傷は深いからすぐに行動も起こせない」

「了解しました。では、まいりましょう。お供します」

「ん? あ、あぁそうか。っていうかそのかしこまった喋り方止めろ。おかげで皆方に不審がられたぞ」

「申し訳ありません……、しかし私のような下賤の者にも貫くべき矜持があります。いくらヨナギ様のお言葉でも止めるわけにはいきません」

「ああ…」

「それにしてもヨナギ様——」

「ん?」

「い、いえ…何でもありません」

「そう…か?」

 気まずそうに顔を逸らしたシエだったが、なんだか嬉しそうにも見えたのは気のせいだったろうか。

「はぁ…」

 帰りながらため息をついているのはどうにも億劫だから。

 幼い頃しか記憶にないせいで成長したシエはまるで別人。なのに、言動は変わらないから記憶との祖語が軋轢を生んでいる。

 それにシエは頼りになるが、どうにも俺には扱いきれなくて空回りしてしまう。しばらくは慣れそうにない。


 こちらの様子で少し落ち込んでいたシエだったが、マンションのエレベーターを待っていると、おずおずと口を開いた。

「ヨナギ様……、何度口にしても足りないかもしれませんが、…申し訳ありません。私はどうも人との距離感と言うものが把握できずご迷惑ばかりを……、仕置きが必要とあらば何なりとお申し付けください……」

「違う、そんなことは思ってない。ただ、なんというか、久しぶりに罠使って戦ったから疲れただけだよ。また…設置し直さないとな」

 相手が弱かったとはいえ、能力に制限を掛けての戦闘だった。

 おかげでこれまでコツコツと作業してきた”仕掛け”もそれなりに消費してしまったし、もう一度一から作業しなければならない。


「そうでしたか、でしたらマッサージなど——」

「っていうか、お前は自分の家帰れよ。ここに来たんならアイツが部屋取っといてくれてるだろ?」

「はい、ですが———」

「俺のことは大丈夫だ。とりあえずこれからの護衛は交代で———」

 ガチャリと、前の方から鍵の開く音が聞こえた。

 そこはまさしく俺の住んでいる部屋で、鍵を開けていたのはシエその人だった。

「………」

「どうぞお入りください、すぐにお茶をご用意いたしますので」

「……あるな」

 皆方が届けてくれたカバンの中には俺の持っている方の部屋の鍵。押し付けられた猫のキーホルダーがついているから間違いない。


「なんで、お前が鍵を持ってるのか聞いてもいいか?」

 もう分かり切ったことだが、本人の口から聞くまではまだ未確定だ。偶然にもそこで拾ったとかの荒唐無稽な話で構わない、だから俺の想像を超えてきてほしい。

「”リア様“から『お前も一緒に住めば色々と便利だ』とのお話で」

「…お話で?」

「? はい、ですから今日からよろしくお願いいたします。家事は一通りできますので、その点についてはご迷惑をおかけしないかと」

「それは知って…、あぁいや違くて……。住むの? お前が? ここに?」

「住みます、私が、ここに」

「はー……」

 端的、かつ簡潔に示された現実は、俺の静かな時間を粉砕するには十分すぎるほどの事実だった。


今回で本作における能力者が現れました。以下がその内容となります。

(また、主人公であるヨナギはある事情により本来の力を使うことができない状態にあります)


【四方界】 

・自身の行動に縛りを持たせることで見返りに力を発揮する異能、縛りはある程度融通がきく。あくまで発動条件のための鍵に近い。

・攻撃、強化等の『破界』、防御、抑制等の『封界』、創造、複製等の『創界』の三界を扱うのが主である。組み合わせも可能。


【領域条件】

・四方界を用いるための個々人の設定した条件。

 よほど分不相応な条件を設定しない限りは、守らずとも直接死ぬことはない。が、不発、もしくは威力の減衰につながる。


【四方領域】

・四方界発動中における領域条件を達成している範囲、また異能の及ぶ範囲。

 今回の襲撃者を例に挙げれば自分の影から杭を創ることができるため、この影の中が四方領域となります。

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