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四方総界縁起  作者: くろよ よのすけ
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01.目覚め①

 数年前から7割ほどノリと勢いで書いたものです。

 これまで主人公とヒロインが相思相愛だったため、ハーレム物を書こうかと思って書き始めた覚えがあります。

 日常シーンがそれなりの長さになってしまい、スロースターターなお話となってしましたが、何卒お付き合いいただければ幸いです。

 誰かが、自分を抱き留めている。

 もうどこへも行かさぬように、なにものからも傷つかぬように


 その手を振り切り血反吐を吐きながら前へと進む

 追っては来ない、追ってくることはできない

 だが、暗闇の中から呼び止める声が聞こえる


 追いすがるように、泣き叫ぶように

 振り返ることなく歩を進め、進む度に悲しみは強く引き留めようとする


 大切なものを捨てたから

 大切なものを捨てられなかったから


 止まるわけにはいかないから

 だからまだだ、まだ終われない


 ここで足を止めてしまったら何もかもを失ってしまう

 まだ、まだ……、終わらせるわけにはいかない

 かならず、終わりを報せる現を打ち破らなければならないのだから———


「……、———っ」


 そうして、始まりを告げる夢に沈んでいく———



 □ □ □



 昔から、夜が嫌いだ。


 授けられしは一剣一槍。

 世界を殺す禁忌の業、眼前総てを殺しつくす異端の術。

 目につく相手は悉く、血の華を咲かせ夜闇を彩る贄に他ならない。

 暗がりは紅く、血の匂いが立ち込めている。月明かりが照らすのは死だけだ。


 何のために?


 何のためにこの手を血に染めている?


 考えて、考えて、殺すたびに考えて。幾度か夜を超えてなお、答えは出なかった。

 今、この手は血に濡れてはいない。


 けれど夜が来るたびに、その匂いは夜風が運んでくる。月明かりが照らすたび、居ないはずの幻影が目の前で散らばっているんだ。

 お前の犯した罪を忘れることは許さないと、突き付けるかのように現れ続ける幻悪の夢想。月が昇る度に顕れる罪のカタチ。


 恐ろしくも美しき灰の月光よ、ただ苦しめるだけの輝きは望んでなどいない。

 あぁ、ただあるだけで苦しむ極光ならば。

 灰色の夜などこの刹那に消え去ってしまえばいいのに——。



 □ □ □



 焼き切れた灰のように、くすんだ夜が目前に広がっている。

 星々は淡く夜空に溶け出し、冷たき光は世界を煌々と照らしているはずなのに、この瞳に映るのは灰色の世界だけ。

 それもそのはず、どれほど輝く月であろうとも厚い雲に遮られては真価を発揮出来ようはずもない。

だというのに、おぞましいほどに白く輝く月光は、その輝きを遮られてなお死というものを明瞭に晒け出す。

「………ッ」

「———ガ…ッ!?」

 細く、静かな音が奔った瞬間にまた一人、斬られた本人すら気付けぬうちに命が断たれる。

 都合14人目、相対する隙もなく終わりに至った哀れな者たち。


「………こっちか」

 死体に目をくれることも無く、不意に呟くと目的の場所へ向かう。標的は目の前、自分達と敵対しているらしい勢力の最大手。目下勝ち目なしとされている天災。

 ソレが、この先にいる。

「———」

 思考は薄い、そのようなものは放棄しろと教えられ、育てられた。

 もう、いい。やるべきことをして、終わりにしよう。それで、いいんだ。

「……、———っ」

 目の前の屋敷の上階一室、目指すべき場所はそこだ。


「………誰もいない」

 警備は薄かった。それ以前に誰一人として存在を確認できない。

そもそも自分たちの当主が強すぎるせいか。護衛の必要性を感じていないのだろう。彼らはお世辞にも強いとはいえず、その全員を一撃で始末出来たほど。

 血に塗れた身体を自分で確認することはできない。だが、重くのしかかるものを感じて足取りは知らずに重くなる。

 振り返ることはしない。だが、滴る彼らの血は迫る追手を自分へと導く様に血の轍を残しているのだろう。

「ここ、か……」

 屋敷に入ると誰もいない。闘えない物ならば理解できる。だが、警備すらいないということはそれほどに自分の実力に自信があるということか。

 広い屋敷だ。あまりに静かすぎて自分の足音が壁に反響するほど。罠の一つも障害はなく、数分で目指す場所にはすぐについた。

白い扉体に蔦が這うように金の装飾が為された両開きのドア。

「………」

 ノブへと手を伸ばし、止まる。

瞳に映るは灰色の世界。だというのに、自分の手だけははっきりと赤く見えてしまって、このような手で、美しいものに触れてしまっていいのか。

どうでもいい考えが脳裏をよぎってしまった———。


「ッ、ォォォオオオオオオーーー!!」

「———ッ」

 追手———。

 この扉の奥にいる護るべき存在など気にも介していない一撃。放たれれば目の前の綺麗な扉だけでなく、自分も死ぬ。

 ここに来るまでに殺してきた人間の比ではない実力であることは振り返るまでもなく分かった。このまま、何もしなければ死ねるだろうということも。

「よくも皆を———ッ!!」

「あぁ……」

 死んだ者のための怒り。

 それがあまりに眩しくて、羨ましかった。 

 自分が死んだとき、誰か悲しむ者はいるのだろうか———?

 分からない。いや、分かってる。誰もいないことなんて。

「死ねェい!!」

 風を千切りながら突撃と共に振り下ろされる大剣は、己の仲間を奪い去った悪へ向けて正義を執行する。

「おいそこの。防いでほしい、そのままじゃワタシまで死ぬ」

 声は扉の向こうから、標的であるはずの最強はやはり余裕を持った声色で話しかけてきた。

「………」

 別にこんな任務など、どうでもいい。

 死を受け入れても構わなかった。凄絶な死を持って己の価値などない生に形を持たせることもできた筈だ。ここで目標を果たしたところですぐに殺されるのは目に見えている。

 その時、無駄に苦しむくらいであればここで死んだ方がマシだろうというのは、血なまぐさい、自分の足りない頭でも分かった。


なのになぜ、身体が動いてしまったのか———。

「ハァアア———、ヅ……、ォォ———」

 振り向きざまに一閃。大ぶりの一撃は破壊力さえあれど隙だらけで、死を見舞うことは安易に過ぎた。

 勢いのままに扉へ衝突する追手。扉体は砕け、傷口から漏れ出す赤い血が美しき白金を汚らしく染め上げていく。

 その手に在ったはずの大剣は、使用者が死亡して『四方界』の効果が切れたのかガラスのように砕け消えていく。

「……カ、は———っ、ぐ……ぅ、ぉ———」

「———、……」

 また雲がかかったらしい。窓から差し込む月光は弱く、男の死はただただ静かなものだった。

 切り捨てられた首から血が広がるさまをただ見つめている。ぱっくりと開いた首からは肺に残った空気が漏れ出し、噴き出す血液に気泡を生み出す。

 白が赤く染められていく。月光を反射する金はその輝きを急激に失っていき、血の海に沈んでいく。


「ずいぶんと乱暴なお客さんだ、ドアくらいまともに開けてほしい」

「………、開けたのはソイツだ…」

 目線は死体へ。

 すでにこと切れた追跡者はもはやピクリとも動かず、その瞳には虚空を映している。

「ふふっ、そうか。まあ確かにその通り、着地くらいしてほしかったところではあるよ、うん。その扉、気に入っていたんだが…、どうしてくれるつもりだ?」

「……どうもしない」

「…そうか。それで? ワタシを殺しに来たんだろう?」

 暗い部屋、灰色の世界。声を頼りに標的へと目線を向ける。

 

「———」

 そこにいたのは血に濡れた若い女だった。少女の域をいまだ出ていないほどに若い。だというのに、自身を殺しに来た男が目の前に立っていてなお、優雅に紅茶を口にしている。

 琥珀色の湖面を見つめる瞳がこちらへ向けられた時、月光が差し込み彼女の姿が眼前に映し出されて……、指一本動くことができなくなった。

 ティーカップを机に置くと、武器の一つも持たずにゆっくりと近づいてくる。

穢れ一つない、突き抜けるかのような蒼穹の瞳。輝くほどに白い肌は月光を纏い、神秘的であるさえ思う。

「ふぅ…、もう少し早く来てくれさえすればその子も死なずに済んだかもしれないのにね」

 彼女の傍で血だまりに伏した少女に目をやると少し悲し気な表情を見せたが、すぐ元に戻った。

そして、目の前まで近づいてきたかと思うと不思議そうに首をかしげる。金砂の髪が首を流れ落ち、華の香りが漂ってくる。

「うーん…、どうしたの? ワタシを殺しに来たと思ったんだけど」

 ———力が抜ける。手に持つ刃が音を立てて床に転がる。

「そうか……、それはそれで残念だ。なら、キミの名前を聞いてもいいかな?」

 その言葉の意味は分からなかった。それに、これから殺す相手の名前を聞いてなんになるという。

「名前、は———、ない」

 だが、いいだろう。元々ないものを聞いたところで意味などない。本来それすら答える理由なんてない筈なのに、どうしてか口は開いてしまう。

 何のつもりかを察しようにも、金砂の少女は窓から見える空へ目をやっていて、その表情は読み取れない。


「………」

 でも、なぜだろう。自分に死を与えてくれるはずの彼女からは、夜に映える月のように、冷たくも暖かで、柔らかな波動を感じたのだ。

「とても…、静かな夜だ。うん、そうだな……、決めた」

 振り返った彼女からは慈愛を体現したかというような、柔らかな笑みを浮かべていた。

「スカウトだ。もしもこの名を受け入れてくれるなら、キミをワタシの庇護下に置こう」

 彼女は自らが汚れることなんて構わず、返り血に塗れた頬へと手を添え、涙のように流れる血を指で拭う。

「……、断ったら…?」

「分かっているから、さっき攻撃を受けようとしたんだろう?」

「………あぁ」

「それで? どうする? もう時間はないと思う」

 憐れんでいるのか、愁いを帯びた蒼き瞳はこちらを見つめていながら、別の場所を見ているようにも思えた。

言っている言葉も本当かどうか怪しいものだ。…だが彼女の言葉を受けた時、何もない自分に何か意味が生まれるのなら———。

「おれ……、は———」


『否定しろ、そして殺せ。そのために育てられ、これまで生きてきた。それら全てを無為にするつもりか———』

「———ッ?!」

 心の裡に声が響く。それが自分を育てた存在によるただ一つの使命、俺を育て、鍛え上げた理由に他ならない。

 その声は冷たい怒りに満ち、生ぬるい慈愛に沈む心を殺戮に引き上げんとする。

「どうした? 聞かないのも自由だが、これが最初で最後だぞ?」

 けれど、ああ、けれど———。

 蒼穹の瞳が、引き上げられた先さえ澄み切った空にしてしまう。

灰色の世界の中でさえ分かる美しき輝き。ただ見つめるだけでくすんだ思考が晴れ渡っていくかのような。

「……聞く」

 だから、口から出たのはその一言で、それでもどうしてその言葉が出たのかはよく分からなかった。

「そうか、なら今日からコレがキミの名前だ。…キミがこれから生きていくための一つの証、気に入ってくれると嬉しい。キミの、新たな名前は———」



 □ □ □



「…ん……ぅ、…」

 また、あの夢を見た。

 時計を見ると午前3時。窓の外は当然に真っ暗。

「はぁ———…クソ…っ」

 呼吸が止まっていたのか、心臓が早鐘を鳴らし痛みを発する。

 いくらか深呼吸で落ち着かせるが変に目がさえてしまって、寝返りを打ってもしばらくは眠り直せそうにない。

 やることも無く、手のひらを見つめると血の匂いが漂ってくる幻影に憑りつかれる。


「あの夢か———、…クソったれ」

 もう一度、眠りにつくまで考えていたのはそんなこと。仄暗き夜はまだ長い、嫌らしいことに頭まで覚めてしまって、二度寝をするのは無理そうだ。

 夢の前の光景まではハッキリと思い出せないが、痛みを発する心臓からして想像はつく。

「仕方ないな……」

 上体を起こし、ベッドの上で座り直すと軽く座禅を組んでみる。別に精神集中が得意というわけでもない。ただ、余計なことを考えるのが嫌だったのと、あわよくばそのまま眠りにつきたかっただけだ。

(アイツ、夢の中でまで嫌な名前つけやがって———)

 瞳を閉じる前に窓の外へと目を向ける。

 今日もまた静かな夜を月の光が煌々と世界を照らしている。あんな夢を見たのもこのせいか、一人納得して悪態をつきながら今度こそ瞼を閉じる。

 暗闇の中には何も見えない。

 あるのは死体と、血の匂いだけだ。だけど仕方ない、それは俺が背負わなければいけないもので、いつか俺を殺すもの。

 生きている俺にできるのは、ただ耐えることだけ。それが夜が来るたび何度でも続くというのなら、受け入れるしかない———。

 結局、眠りには着けそうにない。なら日が昇るまでの3時間程度、心の裡に籠るとしよう。きっと朝になればいつも通りに戻ることができるはずだから———。

「夏か、……静かだな、本当———」

 風の音も虫の声すらしない窓の外。


『じゃあ、巫女のことは任せたよ? ちゃんと護ってあげないとね』

 俺がここに居る理由、いつか来る敵から『巫女』を護ること。

 毎度のごとく、いつ戦いが始まるのか分からないという苛つきはあるが、ただ普通の生活とやらを楽しんでみるだけだ。

 日が昇るまで後2時間50分、仮眠できればちょうどいい時間だろう。


「……ちっ」

 舌打ちと共に、目覚まし時計の音は鳴ることも無くオフにされた。

「………、食い物、まだあったかな」

 いつもセットしている時間の5分前、うるさいのは嫌いだから鳴り始める前に設定を切っておく。

 結局眠れなかった。無心でいたのは間違いないが、逆にそのせいで頭がさえたというかなんというか。まったくもって本末転倒だ。

 眠りたかったというのに眠れなかったことへの苛つきを感じながら、朝食の食パンを取り出す。つもりだったのだが…。

「こっちもナシか。…はぁ、どうにもかみ合わねえなあ」

 タイミングというか、運命というか。

 冷蔵庫の中身を確認しても朝飯にちょうどいいものは無い。そもそもそんなに料理なんてしない。だからといって朝からカップ麺は嫌だ。

「仕方ないか…」

 随分と着慣れてしまった制服に着替えるといつもよりずっと早く部屋を出る。

 鍵を閉めるときにドアの隙間から見えた部屋の中は私物と呼べるものは少なく、しかし雑多に積まれたゴミ袋が存在を主張していた。


 迷うことも無く遠回り。

いつものように“仕掛け”の見回りの後、適当なコンビニで総菜パンと飲み物を買って学校へ向けて歩き始める。

(俺、こんなことするために来たわけじゃないはずなんだがな…。一応大それた仕事ででこっちに来たはず……。まぁ、一度だって上手くいってないか…)

 名付け親でもある蒼穹の瞳を持つ主から仰せつかった無理難題。

それを達成しなければ楽しそうに小言を言われるのは間違いないが、どうにも納得いかない。

(いい加減逃げるか…、アイツも居るはずだから、俺が一人居なくなったところで護衛は問題ない)

 拾われてからというものの、あの女には大分困らされた。いや、今もって困らされている。そもそも護るための戦いが苦手だっていうのに、敵が何時現れるかも分からないと来た。

『頑張れ。お前がふがいない姿を見せたらワタシが出ることになるから』

 さびれた記憶の中でもはっきり残っている言葉。

 考えられるうち、最悪の状況を初っ端から提示してくるのは嫌らしいとしか言いようがない。

断りたくても名付けを受け入れてしまった時点で、アイツが上、俺が下だ。こればかりは魂の縛り、呪術的、魔術的な契約の関係上どうしようもない。

 ほとんど気持ちの問題だけど、アイツの庇護下に置かれているのは今も変わらないので下手な手は打てないのも事実だった。



「それにしても、本当嫌な名前つけやがって……、会うことがあったら文句言って———」

「おはよ、夜凪ヨナギくんっ」

「あ——、あぁ…、皆方ミナカタか……。はぁ……」

「ため息なんてついてどうしたの? 体調でも悪い? そうだ、病院で診てもらった方が良いんじゃ———」

「いや、いい。そんなことじゃない。それといつも言ってるがな、下の名前で呼ぶな」

「えぇ、そんな。素敵な名前じゃない。それに夜凪くんの苗字って天名アマナ)でしょ?なんだか私の名前と響きが似てるから気になっちゃって」

「お前な…、ああいや、言っても無駄か…」

「そうそう、そう言うことだから夜凪くんも私のこと下の名前で———」

「今から朝飯だからまた次にしてくれ」

「あー、ちょっとヒドイ」

「………」

「もう、夜凪くんだっていつも通りじゃない。そんな態度を取るなら私も変えたりしませんっ」

 頬を小さく膨らませ、そっぽを向く少女。

 『皆方彩音ミナカタ アヤネ


 同じクラスで、道を歩いていると、“なぜか”よく出会ってしまうために一緒に登下校する機会の多い相手。

 誰とも打ち解ける物腰の柔らかさと器量の良さ。そのくせ人懐っこい犬みたいな性格の女。勉強運動なんでもござれといった絵にかいたような優等生。

しかもその上実家が病院、父親は院長と来ている。さっき言ってた病院っていうのも要は家だ。

 天は二物を与えないというが、そんなことがないのは隣の少女を見れば一目瞭然。

 美人で可愛くて賢くて、誰に対しても優しい。そんな少女に人気が出ないはずもなく、噂によるとファンクラブなるものが存在するらしい。

 そんなもんがこの世にあること自体想像したこともなかったが……、皆方はそういうの嬉しいのか?


「それで…、本当に大丈夫? そういえばなんだか目元も隈みたいなのが出来てるし……、ちゃんと眠れてる?」

 なるほどたしかに仮にも医者の娘だ。まさか言い当ててくるとは思わなかった。

「大丈夫だよ、変な夢見て早く起きちまっただけだ」

「夢? 夜凪くんが起きちゃうような夢って想像つかないな…。良ければ聞いてもいい?」

「良くないから言わない。……大したもんじゃない、精々が夢だし、起きた時と目が冴えるタイミングとで被ったんだろうさ。皆方が気にすることじゃない」

「そっか…、ゴメンね。今のは無神経だったね———」

「だから、気にするなって。こんなことでいちいち落ち込んでたら何もできないぞ」

「うん、でもやっぱり誰かを傷つけるのって気になっちゃうよ。それが明日には治る傷でも、つけちゃったことは事実だから」

 カバンの柄を指でいじりながら話す彼女は純粋に落ち込んでいるのが伝わってくる。

 こういうのは大体が、他人から良い人に思われたいとかでの発言だったりするが、そういう他意が一切感じ取れないのは逆に珍しい。


「お人良しめ……」

「え?」

「なんでもない。それで、俺も人のことは言えないけど今日はずいぶん早いんじゃないか。いつもならもう少し遅く出てるだろ?」

 そう、登下校中によく合うとはいえ、それはいつもの時間に家を出た時だ。そこから学校への道を辿っていくと、道中に皆方の家がある。そこを通るタイミングで大体彼女も家を出てくる。

 だっていうのに、今日はそれよりも早い。コンビニで朝飯を買ったと言っても精々10分もかからない。何か用事でもあるのか?

「ああうん、今日はちょっとね。先生に呼び出されちゃって」

「ついに何かやったか。窓ガラスでも割ったか?」

「しーてーまーせーんーっ。するわけないでしょ、そんなこと。まだ夜凪くんの方が可能性あるんじゃないの? …しないだろうけど」

「最後の最後に日和るんじゃない。別にそれくらい気にしないって、それにやらないと決まったわけでもない」

「えっ、やったことあるの!?」

「……、お前な、その内本当に騙されるぞ。詐欺師のいいカモだ」

「もぅ、冗談ばっかりなんだからっ。からかわれてもいい気分しませんー」

 さっきよりも頬のふくらみが大きくなった姿を横目に見つつパンを口へ運ぶ。

「で、なんなんだよ。隠すようなことなら聞かないけどさ。本来、俺が関わる必要なんてないしな」

「もう…、夜凪くんだって気にしてくれてるじゃない。そんなにね、隠すようなことじゃないの。というか、夜凪くんは聞いてない?」

「何を」

「転校生が来るの。それも私達のクラスにね」

「……へぇ、転校生…。初耳だよそんなこと。にしても、転校生が来ることと皆方が早く家を出ることに何の関係があるってんだ」

「それでね、来るのが男の子らしいの。……先生って、ほら、ね?」

「ああ…、わかった。理解した」


 なるほど、ウチの担任は厄介なことに男性恐怖症。男子生徒が背後から話しかけようものならそれだけで悲鳴と共に飛び上がるほどに筋金入りだ。

 一応教師である以上、態度からして生徒想いなのは分かるし、怖がりながらも話を聞いてくれるのは努力しているのだろう。ただ、それでも5メートルは離れてないと会話もできないのはどうかと思う。

 そんなのでどうして教師になってるのかは分からないが。自分にできないことなら、任せられる奴に任せるのが得策ってわけだった。

「ああ、仲良くしてやってくれってことか……、また面倒なこと頼まれたな」

「そんなことないよ、まぁ仲良くできるかどうかは分からないからちょっと不安だけど…」

 視線は足下にしながらも、窺うようにチラチラとこっちを見てくるのはなんなんだ。

「…嫌だぞ、俺は……」

「まだ何も言ってないよ。それでね———?」

「嫌だね……」

「…それでね———?」

「いや、だから———」

「そ、れ、で、ね?」

「………、諦め悪いなオマエ」

「誉め言葉として受け取っておきますっ。コホンっ……、それでね? もう分かってると思うけど、これからホームルームまでの時間で簡単に学校案内してあげることになってて、夜凪くんも一緒にお願いしたいの」

「はぁ……、そんなこったろうと思ったよ。にしても、今転校って随分とタイミング悪いな。よりにもよって夏休み直前って…、普通は休み明けにくるもんなんだろ。こういうのって」

 普通転校するってなると、四月か長期休暇明けが多いはずだ。たしか。

 しかも3年の夏ともなると中途半端も甚だしい筈だ。聞く話じゃタイミングとしては多分最悪の部類。


「ご両親の都合だとしたら大変だね。私は転校したことないから良く分からないけど、やっぱり大変なの?」

「なんで俺に聞くんだよ」

「え? 夜凪くんだって春に越してきたじゃない? 分からないことを経験者に聞くのって変かしら?」

「あー……、それは。だな……」

 しまった、適当に話し過ぎた。突っ込まれると厄介だしなんとか話題変えたほうがいい。

「それは……」

「それはそれはー?」

 話をちゃんと聞いておきなさいと、お返しとばかりにニヤニヤ笑ってくる優等生。おい、キャラ崩れてるぞ。他の連中に見られ……無いんだろうな、きっと。

 どうにも彼女は他人と話すときは二人のがいいらしい。話に集中できるからか。


「ほら、あれだ。あの部屋とか面倒な手続きとかもも知らない内に、あー……親? が勝手に用意してたから実感ないんだよ。ただ荷物持ってきただけ、くらいの気楽さだ。半分旅行に近い」

「へぇ…、夜凪くんのご両親って手際がいいのね。そこまでしてもらえるってことは大事にされてるんだよ」

「そうはどうにも思えないけどな。むしろ厄介ごとを押し付けるために追い出したみたいなもんだ」

「厄介ごと?」

 かわいらしく小首をかしげると、腰まで伸びた髪が肩を流れていく。痛み一つない髪はサラサラと音を立てることも無く、重力に従って肩より前へ。


「……なんでもないさ。物の例えだ、皆方には関係ない」

「でも、親御さんいないのに一人暮らしするのって大変でしょ? 私にも何か手伝えることがあれば頼ってほしいな」

「だから、大丈夫だって……。他人に優しいのはいいけどな、優しすぎるっていうのは相手をダメにするぞ。それに皆方の方が割を食う、肩入れするのもほどほどにしとけ」

「うーん……」

「…今度はなんだよ?」

 歩きながら腕を組んで考え事をしている皆方は、目を瞑っていて危なっかしい。一応、こけた時の為に準備しておこう…。

「あのね。夜凪くんて、私と話すの迷惑、なのかな?」

「…なんで、そう思う」

「え? だってそう思っちゃうよ」

「なんで」

「なんで、って言われちゃうと…、うーん。ってなっちゃうから考えてたの。なんだか他の人とは雰囲気が違うっていうか……、なんというか?」

 その考えからの答えがそれって、本当に人を疑うってことをしないというか。世の中に悪い人はいないって考えなのか?

(そりゃ、生まれからして仕方ないのかもしれないけど。それに———)

 皆方彩音は確か…、病院長の娘で金持ち、勉強運動なんでもありの優等生で、その性格も容姿も人並みを超えていってるときてる。そこまで恵まれた環境ならこう育つのか。参考にはできないけど、覚えておいてもいいかもしれない。

 俺の知ってる金持ちよりかはずっとマトモだ。


「そりゃあ残念、勘違いだな。別に…、話すのが迷惑ってわけじゃない。ただ……」

「ただ?」

「…面倒臭がりなんだよ、俺は。あー、なんだ? 祭りがあったら騒いでる中心じゃなくて、明かりが届いてるけど少し薄暗いってくらいのところが好きなんだ。街の喧騒が届いてくる。みたいな場所でいい」

 豪華絢爛、祭りだなんだと、うるさいところは苦手なんだ。行けば行ったで楽しいんだろうが、そこに行くまでが面倒で仕方ない。誰かに引っ張られてようやく出て行くかどうかってくらいだ。

「ふふ…っ」

「笑うなよ、俺だって面倒な性格してるのは分かってるんだ」

「ううんっ、違うの。そんな風に思ってないよ、ただ夜凪くんらしいなーって」

 自分なりに答えが出てすっきりしたのか、くるくると回る皆方はやけに気分がよさそうで、なんだか見てるこっちの方がおかしくなってくる。

「はっ…、そりゃよかった。で、何が俺らしいんだ?」

「ほら、アナタっていつも皆の輪の中には入らないけど、それなりに仲いいでしょ? それこそお祭りには参加してないけど、その辺りで休んでる人と雑談してる。みたいな感じ。後は…、自覚がありながら直す気が一切なくて、それなのに気にしちゃってるところかなっ」

「オマエな……」

「どう、当たってた?」

「まぁ、…それなりにな」

「やたっ」


 小さくガッツポーズをとる皆方は年相応よりも、もう少し小さな子供に見えるくらいに無邪気だ。悪い空気に汚されてないってのは、ああいうのを言うのだろう。

 そりゃあ誰からも愛される少女にもなるわけだ。

(はぁ…、どうにも折り合いがつけられないな———)

 けれど、そんな彼女だからこそ、出会ってからいままで、俺はあやふやなままここに立ってしまっている。


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