5話
数日がたち、龍の皿は、いよいよ完成に近づきました。
ぎょろりと丸い二つの目、ゆったりなびく長いひげ、空をつかむ鋭い爪、そして、ゆらゆらかがやく緑の胴体。
それは、ほれぼれするような出来でした。
なんといっても、この龍は、皿にいながら動くのです。うねうね動いて、しゃべるのです。みごと完成したあかつきには、きゅうくつな皿から抜けだして、自由にとびまわることでしょう。
後はいよいよ、仕上げがのこっているばかり。瞳を入れれば完成です。
《 ねえ、早くやっておくれよ! 》
龍がじれったそうに言いました。外に出たくて仕方がないのです。
暴れはじめた龍をなだめて、絵師は筆をとりあげます。ゆっくり目をとじ、ひとつ深く呼吸しました。
心をしずめ、絵筆を空にかかげます。
ひゅるるん、ひゅるるん! と音がしました。
ありとあらゆるこの世の色が、絵筆の先に飛びこんできます。赤、青、黄色、黒に純白──それはぐりぐりまじり合い、しゅっ、と一点に凝縮しました。
「……おお! なんと不思議な色合いじゃ」
絵師は筆を慎重におろして、ほう、とため息をつきました。虹色をひめてかがやく漆黒、とでもいうのでしょうか。見たこともない色でした。絵筆の先が深い黒にかがやいて、ぬらぬらあやしくうごめいています。
絵師は筆を皿に近づけ、龍の右目を入れました。まん丸く、黒々と、ていねいに目をぬりつぶします。
右の瞳を描きおえると、絵師は、へたり、と座りこんでしまいました。首をうなだれ、はあ……と大きく息をつきます。
目を入れただけのことで、すっかり疲れてしまったのでした。龍の瞳を入れるのは、どの部分を描くよりも神経をつかうものでした。
《 あのぅ、大丈夫? 》
心配そうな龍の声がしました。絵師は息をはずませて、よわよわしく笑います。
「……ああ、大丈夫、大丈夫。今、出してやるからの」
つぎのあたったズボンのひざに、しわくちゃになった手をおいて、絵師はよろよろ立ちあがりました。両目がきちんと入ったら、龍は皿から出られるでしょう。
ぬらぬら漆黒にうごめく絵筆を、龍の皿に近づけて、最後の左の目玉を入れます。
ふーふー息をつきながら、絵師はぐりぐりぬりました。全ての力をそそぎこみ、それでも優しく、ていねいに。
「……さあ、できたぞ。完成じゃ」
二つの目玉を入れおわり、絵師が顔をほころばせた、その時でした。
ぐらり、と絵師の体がかたむきました。ズボンのひざをガクリとついて、へなへな地面にくずおれます。
ガチャン──と皿が落ちました。
絵師はうつ伏せに倒れたままで、それきり、ピクリとも動きません。
びゅん! と突風が吹きました。風は絵師をごろごろころがし、坂の下へとはこんでいきます。そうして、ぼちゃん、と、川に落としてしまいました。
《 おじいさん! おじいさん! おじいさん! 》
まん丸の涙をぽろぽろこぼして、龍は声をかぎりに叫びました。
けれど、絵師は満足そうに笑ったままで、川のゆるやかな流れにのって、どんどん下流に流れていきます。遠い空のむこうへと、ついに旅だってしまったのです。
《 待って! 待って! 待ってくれよう! 》
体を皿から引きはがそうと、龍はじたばた、あばれました。絵師と毎日話すうち、龍はいつしか絵師のことが大好きになっていたのです。
前足の爪でふんばって、ぐぐぐぅ──と歯を食いしばり、いかつい顔をまっ赤にし、長い首をぶんぶん振ります。頭も、前足も動きます。両目もきちんと入っています。もう、皿から出られるはずなのです。けれど、どんなに力を振りしぼっても、皿がカタカタ鳴るばかりで、龍は皿から出られません。
皿が地面にぶつかったひょうしに、割れてしまっていたのでした。皿の縁に描かれた龍も、長い胴のまん中で、ちょん切れてしまっていたのです。
皿はまっ二つに割れていて、半月の形になってしまいました。それで、体の半分がなくなって、皿に閉じ込められてしまったのです。
龍はまっ黒な瞳をうるませて、うぉんうぉん、うぉんうぉん泣きました。その叫ぶような吠え声は、深い森中にひびきわたりました。