レオン・ヴァルトシュタイン
「来るのが遅い」
男はそう言った。それだけだった。
ひなたが俺の後ろで「えっ」と小声を出した。
俺は男を見た。
百九十センチを超える。白金の短い髪。青い目。表情が薄い。体の軸がまっすぐだ。
「レオン・ヴァルトシュタイン、ですか」
「そうだ」と男は言った。「お前の《構造透視》の話は聞いていた。会いたかった」
「なぜ日本語で」
「日本のダンジョン資料を読むために覚えた。それと——今後お前と話す機会が多くなると判断したからだ」
「判断」
「合理的な選択をしているだけだ」
俺はレオンを見た。
《構造透視》が静かに動いた。男の体格。筋肉の付き方。微細な動作パターン。特殊部隊の訓練を受けた人間特有の姿勢。
戦闘に特化した身体をしている。
「俺は榊誠二です。隣はひなた——天野ひなたです。Dランク探索者」
「知っている」とレオンは言った。ひなたに視線を向けた。「《加速》スキル持ち。東京での戦闘記録は確認している」
「は、はい!」とひなたが背筋を伸ばした。「よろしくお願いします!」
「礼儀が正しいのは良い」
「ありがとうございます!」
レオンが俺に戻った。
「車を用意している。今日は宿に入る。現地ブリーフィングは明朝だ」
「あなたの所属は?」
「今は欧州探索者連盟の独立調査員だ。所属なしに近い」
「元は米軍ですか」
レオンが少し目を細めた。
「黒崎から聞いたか」
「はい」
「……そうだ」と男は言った。「《構造破壊》をスキルエラーと判定されて、不名誉除隊になった。その後、欧州に来た。八年前のことだ」
「八年」
「お前は何年だ」
「十年です」
「長い」
「……ええ」
レオンが歩き始めた。
「話の続きは車でする。荷物を持て」車はSUVだった。軍用に近い仕様だった。後部座席に俺とひなたが乗った。レオンは助手席に座った。運転手は現地の調査員だった。
高速道路を南下した。
「《構造破壊》について聞かせてください」と俺は言った。
レオンが振り向かずに答えた。
「構造を解体する。物質の結合レベルで、分解できる。壁でも床でも——理論上は何でも」
「スキルの発動は接触が必要ですか」
「距離は最大五メートルだ。精度を上げると三メートル以内が安定する」
「出力の制御は」
「今は問題ない。最初の二年は制御できなかった。触るものが壊れた。軍での事故もあった。それが不名誉除隊の一因だ」
俺は窓の外を見た。
高速道路沿いに林が続いていた。暗い。
「《構造透視》は読み取る」と俺は言った。「構造を見て、理解する。あなたのスキルは壊す」
「対になっている」とレオンは言った。「俺も最初にそれを考えた。だから日本の情報を追った。お前のスキルが出てきたとき——これだと思った」
「確認したいことがあります」
「何だ」
「《構造破壊》で壊した後に——構造が再生することはありますか」
レオンが黙った。
三秒ほどして、答えた。
「ある」と言った。「古代の素材に限って。一般の建材は壊れたままだ。だが遺跡の素材は——壊しても、時間が経つと再生する。俺はそれをこの一ヶ月で確認した」
「それを誰かに報告しましたか」
「調整委員会には報告していない。まだ確証がないから。だがお前には言う」
ひなたが「わたしは?」と言った。
「同じだ」とレオンは言った。「話す」
「ありがとうございます!」バイエルン州のダンジョン入口施設に着いたのは翌朝だった。
宿で一泊し、朝のブリーフィングを終えた。
国際合同調査チームは十二人。探索者が六人。研究者が四人。通訳が二人。
入口施設は山中に建てられた仮設の調査基地だった。プレハブ棟が複数並んでいて、外には記者が百人以上いた。カメラが林の前に並んでいた。
「大きいですね」とひなたが言った。
「日本より国際的な注目度が高い」とレオンは言った。「欧州の政府が複数、この遺跡に関心を持っている」
「管理者権限の話ですか」と俺は言った。
レオンが俺を見た。
「黒崎から聞いたか」
「概要だけ」
「ここまで知っているなら話が早い。詳細は下で話す」
装備をつけた。
ダンジョンの入口は岩の裂け目だった。自然の地形に見える。でも内部に入った瞬間——
止まった。
「……」
「どうした」とレオンが言った。
「《構造透視》が反応しています」
「それは普通だ」
「違います。東京の四十一番を最初に見たときの感覚と同じです。でも——強い。もっと強い」
ひなたが俺の顔を見た。
「先輩」
「大丈夫です。続けましょう」
内部は東京の遺跡に似ていた。
石造りの通路。表面に流れる光の線。天井が高い。古代の文字が刻まれた壁。
ただ——
「同じだ」とレオンは言った。静かな声だった。「建築の骨格が。素材の組成が。配列が」
「九十二パーセントの一致は本当だった」
「実際に中に入って確認したのは——お前が初めての日本人だろう」
俺は壁に近づいた。
《構造透視》を向けた。
東京の四十一番と同じ素材。同じ設計思想。誰が、いつ、何のために、この二つを同じ設計で作ったのか。
レオンが近づいてきた。
「テストをしていいか」と言った。
「何のテストですか」
「壁に対して《構造破壊》を使う。お前は《構造透視》で見ていろ」
「なぜですか」
「二つのスキルが対になっているかどうかの確認だ」
俺は頷いた。
レオンが壁に向いた。
右手を上げた。
発動した。
音はなかった。
壁の一部が——ゆっくり消えた。分子レベルで解けるように、石の組成が崩れた。
俺は《構造透視》でそれを見た。
構造の糸が切れていく。結合が解除される。素材が概念レベルで分解されていく。
見えた。
スキルの動き方が見えた。
「……俺のスキルは構造を読む」と俺は言った。「あなたのスキルは構造を書き換える。読み取りの逆が、書き換えだ」
「そうだ」とレオンは言った。「俺の《構造破壊》は、軍の兵器開発部門に興味を持たれた。分子レベルで敵陣を崩せる、という理由でな。だが制御が難しすぎて、扱いきれなかった。それで不名誉除隊になった」
「制御はいつ身につけたんですか」
「六年かかった。独学だ。お前は?」
「《構造透視》の制御は、最初からある程度できていました。ステージ2まで独学で上げた。ステージ3はダンジョンの中で覚醒しました」
「覚醒型か」とレオンは言った。「俺も同じだ。欧州のダンジョンで急激に上がった時期がある」
「何かきっかけがありましたか」
「古代の遺構に近づいた時だ」と言った。「興味深い」
ひなたが二人を交互に見た。
「二つのスキルが対になってる……? 偶然じゃないですよね」
誰も答えなかった。
俺とレオンは目が合った。
お互いに、言葉は出なかった。
奥に進んだ。
通路が深くなるにつれ、壁の光が強くなった。
「この先に——」とレオンが言いかけた。
その瞬間だった。
《構造透視》が鳴った。
スキルが自律的に反応した。同時に——レオンの表情が変わった。
「……聞こえたか」と俺は言った。
レオンが俺を見た。
「ああ」と言った。「何かが——呼んでいる」
壁の光が、二人の足元から天井に向かって走った。




