黒崎鉄心
黒崎は机の前で立ち上がった。
窓の外を見た。港区の空。雲が動いていた。
「整理するぞ」と黒崎は言った。「お前に知っておいてほしいことがある」
「話してください」
「確認されている《スキルエラー》——構造系スキル持ち——は、現時点で国際的に三例ある」
黒崎はホワイトボードに書き始めた。
日本。《構造透視》。榊誠二。
欧州。《構造破壊》。エリアス・ヴォルフ。
東南アジア。《構造記録》。身元非公開。
「三人とも、所属組織に《スキルエラー》と判定されて追放されている。日本のギルドはお前を追放した。米軍はヴォルフを不名誉除隊させた。東南アジアの一人は現地のギルドを解雇された」
「米軍?」
「エリアス・ヴォルフは表向きスウェーデン人の探索者だが、実態は元米国特殊部隊だ。欧州に拠点を移している。スキルの詳細は軍の分類外とされた——要するに、軍の既存カテゴリに当てはまらなかった。だから処分した」
俺は黒崎の書いた文字を見た。
「全員が古代遺跡のある地域に引き寄せられるように動いている」
「スキルが反応するんですか」
「わからない。だが偶然じゃない」
黒崎はホワイトボードを一度消した。
「もう一つ話す。管理者権限、という概念がある」
「管理者権限」
「古代の遺跡が——システムとして設計されているとしたら、という話だ。ただの遺跡じゃない。操作できる構造。開ける扉がある。そのためには鍵が必要だという仮説が出ている」
「鍵というのは」
「スキルだ」と黒崎は言った。「構造系のスキルが、その鍵だという話が出ている。まだ仮説の段階だが——欧州の研究者から、日本の研究機関にその概念が共有されてきた」
「誰が研究しているんですか」
「複数の機関だ。表と裏がある。表は国際探索者調整委員会。裏には——まだ言えない」
黒崎は俺を見た。
「桐島のことは知っているか」
「旧会長ですか」
「そうだ。処分を受けて退いた。だが動いている。管理者権限を国家管轄にしろという動きがある。遺跡の利権を特定国家の支配下に置こうとしている連中がいる。桐島はその方向で動いている」
「なぜ今、俺に話すんですか」
黒崎が俺を見た。
「お前はドイツに行く。向こうで何かが起きる。その前に知っておいてほしかった。——俺はお前を信用しているわけじゃない。だが実力は認めている。それだけだ」
「わかりました」
俺は立ち上がった。
「一つだけ聞いていいですか」
「何だ」
「黒崎さんは、なぜ管理者権限を国家に渡したくないんですか」
黒崎は少し間を置いた。
「遺跡が何のために作られたかがわかる前に、誰かに独占させるのは危険だからだ。それだけだ」
俺は頷いた。夕方五時。
ひなたから呼び出されていた。
近所のファミレスだった。ひなたは既にパフェを食べていた。
「師匠、来るの遅いですよ」
「五分前です」
「わたしが早かっただけです」
俺は対面に座った。
「ドイツ、行くんですね」
「なぜ知っているんですか」
「凛花さんから聞きました。早いですね、情報が」
「……」
「わたしも行きます」
「まだ三ヶ月経っていません」
「二ヶ月と三週間経ちました。ほぼ三ヶ月です」
「一週間足りません」
「誤差です」
俺はひなたを見た。
ひなたは俺を見た。
「師匠一人で海外とか絶対ダメです」と言った。「何かあったときに誰が後ろを守るんですか。凛花さんは来られない。現地の探索者は信用できるかわからない。わたしが行きます」
「《加速》の制御は」
「完璧ではないですけど、使えます」
「完璧でないなら——」
「完璧を待ってたら、いつまでも行けません」と言った。「師匠だって最初から完璧じゃなかったはずです。違いますか」
俺は何も言わなかった。
「一週間で仕上げます。体の調整も終わっています。行かせてください」
俺はコーヒーを頼んだ。
届くのを待った。
「一週間、見ます」と言った。「判断はそれから」
「約束ですか」
「約束ではないです。判断する、という話です」
「意地悪ですね」
「正直です」
ひなたは少し笑った。
「……行けると思いますよ、たぶん」
「そうですか」
「はい。師匠がそう思ってるの、顔でわかります」
「そんな顔はしていません」
「してます」
俺はコーヒーを飲んだ。その夜、自室に戻った。
スマホのニュースを確認する習慣は、ここ一ヶ月でできていた。
「ドイツ・バイエルン州ダンジョン——エネルギー読解値が過去最高を記録」
記事を開いた。
欧州の探索者協会のレポートだった。
ドイツのダンジョン深層部が放つエネルギー読解値が、今夜の計測で初めてレベル9を超えた。通常のSSクラス级ダンジョンの最大値はレベル7程度とされている。
俺はスマホを置いた。
窓の外を向いた。
その瞬間——
《構造透視》が、勝手に動いた。
意識して起動したわけじゃない。スキルが自律的に反応した。
視界が重なった。
東京の床。建物の柱。地面の下。ダンジョンの構造。四十一番の古代遺跡。その下の深層。さらに——
西。
西の方向。
ヨーロッパ。ドイツ。
《構造透視》が、距離を超えて、何かを感知していた。
パルスのような震え。
同じ構造。同じ素材。同じ設計。
繋がっている。
東京の遺構と、あの向こう側が。
「……繋がっている」
俺は声に出して言った。
スキルが静かに震え続けていた。
距離なんて、関係なかった。
俺はパソコンを開いた。
配信ソフトを立ち上げようとして——止まった。
今この感覚を、視聴者に説明できる言葉があるか考えた。
ない。
構造系のスキルを持ったことがある人間でないと、この感覚はわからない。《構造透視》がステージ3に達して、感知範囲が広がって——東京のダンジョンを通り抜けて、地球の裏側に近い場所にある遺構を感じている。
言葉にしても、信じてもらえる気がしなかった。
でも。
世界中に、同じ種類のスキルを持った人間がいる。
全員が同じことを感じているかもしれない。
パルスの震えを。古代の構造物が、何かに向かって動こうとしているその感覚を。
俺はパソコンを閉じた。
メモ帳を取り出した。
「構造系スキル——管理者権限——三つの鍵」
黒崎が言った言葉を書いた。
ドイツで確認すること、として書き留めた。
そして最後に一行、書き加えた。
「第三の鍵は何か」
黒崎は鍵の話を途中でやめていた。
一つ目は《構造透視》。
二つ目は《構造破壊》。
三つ目——まだ名前が出ていない。
東南アジアの《構造記録》か。
あるいは、まだ発見されていない誰かのスキルか。
窓の外で、東京の夜が静かに続いていた。
《構造透視》は動き続けていた。
西の方向を、指し示すように。




