志願
ギルド本部の廊下に出ると、二人がいた。
九条凛花が壁に背を預けて腕を組んでいた。いつもの黒のジャケット。左腕がほんの少しだけ不自然な角度で下がっている。慣れていないと気づかない。俺は慣れているから気づく。
天野ひなたがその隣でスマホをいじっていた。俺の顔を見た瞬間に画面を閉じた。
「終わりました?」
「終わった」
「で」と凛花が言った。「決まりましたか」
「行くことになった」
ひなたが飛び跳ねた。飛び跳ねながら廊下を走ってきて、俺の腕にぶら下がった。
「行こう行こう!わかってた!師匠は絶対行くって言うって!ひなたわかってた!」
「声がでかい」
「だって!SS級だよ!SS級!師匠とSS級!聞いた瞬間からずっとそわそわしてた!」
「七十二時間でコアを破壊する。条件は厳しい」
「大丈夫!《加速》あるから!走るのは任せて!」
ひなたが俺の腕を離した。凛花の方を見た。
「九条さんも行くよね?」
「当然」
「やっぱり!絶対そう言うと思ってた!」
凛花がひなたをちらりと見た。微かに表情が和らいだ。ひなたといる時の凛花は、ほんの少しだけ違う。
俺たちは装備確認のために別室に向かった。
廊下を歩きながら、ギルドスタッフが何人もすれ違っていった。全員が俺たちの顔を見た。S級審査待ちのソロ探索者と、元S級の片腕、D級の新人。
三人でSS級に行く。
外から見たら正気に見えないだろう。
俺には見えている。
《構造透視》が拾った情報。七十二時間という時間軸。最深層への経路。凛花の剣の動き方と、ひなたの《加速》の相性。この三人の組み合わせが出せる最大値。
それが、今回の最適解だ。
「ひなた」
「なに?」
「今回、《加速》の対象を俺に使えるか」
ひなたが考えた。「できる。今まで小物しか加速させたことないけど……人間はもっと大きいから、コントロールが難しくなるかも」
「練習する時間はある。今夜中に試してみよう」
「やる!絶対やる!」
「凛花さん」
「何ですか」
「左腕の状態を教えてください。正直に」
凛花が歩きながら少し間を置いた。
「握力は七割。反応速度は全盛期比九割。長時間の戦闘では疲弊が早い」
「わかりました」
「それで、行けないとは言いません」
「聞いていません」
凛花が俺を横目で見た。何も言わなかった。それが答えだった。
装備室に入った。ギルドスタッフが待ち構えていた。テーブルの上に並べられた装備品の量が異常だった。魔素耐性の防護具。回復薬。通信機材。測定器。
「使えるものは全部使ってください」と担当スタッフが言った。「ギルドとして出せる全てです」
俺はテーブルを見た。《構造透視》が自動で走る。アイテムの組み合わせ。重量のバランス。最深層での使用場面。五手先まで。
必要なものと、不要なものが、くっきり見えた。
「これとこれ。凛花さんにはこっちの——」
三十分で仕分けが終わった。スタッフが驚いた顔をしていた。
「随分、早いですね」
「見えるんです。必要なものが」
荷造りをしながら、俺はスマホを取り出した。
配信アプリを開いた。
第一話の時を思い出した。あれは偶発的だった。ダンジョンに入る直前、たまたま配信が繋がっていた。狙ったわけじゃなかった。鷹峰に追い出された直後で、頭が働いていなかった。
今回は違う。
意図的につける。
「何してるんですか」
凛花が覗き込んだ。
「配信の準備」
「こんな時に?」
「こんな時だから」
凛花が少し考えた。「……外に見せる意味があるということですか」
「ダンジョンブレイクの警報が出た。日本中が怖がっている。誰かが動いているのを見せた方が、パニックを抑えられる」
「それだけじゃないでしょう」
「……そうですね」
俺はカメラのインカメラに切り替えた。自分の顔が映った。
「記録として残したいんです」
何かを証明したいわけじゃない。残したいんだ。この三人が、この夜、ここにいたということを。
ひなたが画面に割り込んできた。
「え!配信!?師匠の配信に出られる!?」
「出ていい」
「やった!えっ待って、顔、大丈夫かな——」
「ひなた、SS級ダンジョンに行くんだぞ」
「だからこそ!万が一のことがあったら最後の配信になるじゃん!?」
凛花が呆れた顔をした。でも背を向けてほんの少しだけ髪を直していた。俺はそれに気づいたが、気づいていないふりをした。なぜそうしたのか、自分でもよくわからなかった。
俺は配信ボタンに指を置いた。
一呼吸。
今回は、自分でカメラをつける。
タップした。
接続された。
視聴者数がゼロから始まった。一秒後に百。十秒後に五千。
「榊誠二です。今夜、第四十一番ダンジョンの最深層に行きます」
静かな声で言った。
コメント欄が流れ始めた。
《え、本当に?》《ダンジョンブレイクの件?》《SS級って聞いたけど》
「一緒に来てくれる人を紹介します」
カメラを横に向けた。
凛花が映った。
「九条凛花です」
それだけ言った。ネットでその名前を知らない探索者はいない。
コメント欄が爆発した。
ひなたがカメラに顔を突っ込んだ。
「天野ひなたです!D級ですけど、《加速》があるので!よろしくお願いします!!」
「三人で行きます」と俺は言った。「帰ってきます」
約束という言葉は使わなかった。
ただ言った。
視聴者数が一万を超えた。
窓の外、東の空が茜色に染まっている。
出発は夜明け前だった。
視聴者数が十万を超えた通知が来た。この数字が鷹峰の目に届いているかどうかは、もう関係なかった。俺たちは行く。それだけだ。




