さらなる深淵
地の底に、街があった。
「《構造透視》の範囲を最大に広げています」
声が少し乾いていた。体の震えではなく、情報量の問題だ。頭に流れ込んでくるデータが多すぎて、言葉に変換するのが追いつかない。
「……縦方向に七層の構造が確認できます。最上層が、今俺たちのいる層です。下に六層。最下層まで、垂直距離で推定百メートル」
「七層」
凛花が繰り返した。静かな声だった。
「各層に、構造物があります。建物です。規則的な配列から見て、計画的に設計された都市区画だと思います。路地のような通路、広場らしき開けた場所、大型建築らしき密度の高い塊——」
俺は言葉を切った。
言葉が足りない。《構造透視》が拾っている情報の密度に、俺の語彙が追いつかない。密度の高い部分と低い部分が交互に並んでいる。それは単なる崩壊した瓦礫の堆積ではなく、設計の意図を持った配置だ。広場があり、路地があり、壁がある。それは都市の骨格だ。
「規模の感覚を伝えるなら」
俺は言葉を選んだ。
「上の遺構が、この都市の入口に過ぎなかったという感じです。上で俺たちが探索していた空間全体が、この地下都市の玄関程度の大きさしかない」
凛花が少しだけ息を吸った。
カメラのインジケーターを確認する。バッテリーはまだある。配信は継続中だ。
「同時視聴者数を確認します」
インカムで凛花に繋いだままスマホを取り出す。
数字が目に入った瞬間、頭が一瞬真っ白になった。
二百万。
二百十四万。数字が今も動いている。
「凛花さん」
「見ています」凛花の声が、わずかに変わった。「……二百万、超えています」
「ええ」
コメントが液体のように流れていた。もはや個別のコメントを拾う速度では処理できない。「政府が動く」「これは国家案件」「全国ニュース行くやつ」「テレビ点けたらもうやってた」という文字列が波に飲まれていく。「すごい」も「やばい」も、もうコメントの中に探せない。言葉を超えている。
暗闇の中で、カメラのレンズだけが前を向いていた。
俺は下の層を見ようとして——やめた。
今夜、この暗闇の中に降りていく理由がない。装備も、体力も、情報も、足りていない。ここには今、何があるかわからない。ボスを一体倒した後の疲弊した状態で、未探索の地下都市に踏み込むのは単純に死ぬ。
それは恐怖じゃない。計算だ。
「引きます」
俺は言った。
「今日は引き返す。今の俺たちの装備と体力で、この規模の未探索区画には入れない」
「同意します」
返事は即座だった。凛花も同じ判断をしていた。S級相当の冒険者でも、状況の見極めは別の話だ。
コメントが「えー!!」「待ってくれ」「もう少し」と流れた。その気持ちはわかる。でも今日じゃない。
「視聴者の皆さん、今日はここまでです。正直に言います——この先は、現時点の俺には手が届かない。装備を整えて、準備をして、また来ます」
コメントが「正解」「いい判断」「でも早く来て」「待ってる」「ちゃんと帰ってきてくれ」と流れた。
最後の一行が、少し違った温度だった。
俺たちは落下地点を起点に、上層への帰路を探した。《構造透視》でルートを確認しながら、三十分かけて地上への出口まで戻った。崩落した床を回避し、元来た石段を登り、遺構の入口を抜ける。足が少し重い。ボス戦から連続で動いている。
外に出たとき、日が傾き始めていた。
ダンジョン前のエリアに出ると、ギルドの連絡員が二人待っていた。表情が硬い。
「榊さん、ギルドから緊急連絡です。配信の映像を確認しており、対応を協議中とのことです」
「わかりました」
凛花が俺の横に並んだ。二人で連絡員の前に立つ。
「また動きますね」凛花が静かに言った。
「そうですね」
「あなたの発見は、ダンジョン探索の前提をひっくり返す可能性がある。それをわかっている人間が、確実に動き始める」
「どんな動きをすると思いますか」
「管理権です。誰がこの地下都市を管理するか。それを巡って、必ずぶつかりが起きる」
俺は頷いた。凛花の読みは正確だと思った。ダンジョン内の新発見には、発見者への権利が認められる規定がある。ただし「未発見階層」の扱いは別の条項が適用される可能性があり、そこには抜け道がある。
「気を付けてください」
「あなたもですよ」
凛花が先に歩き出した。
カメラはまだ回っていた。
「今日の配信はここまでです」
俺はカメラに向かって言った。「発見したものが何なのか、俺にもまだ全部はわかっていません。でも確かに、あの地下都市は存在する。いつか、ちゃんと入ります。その日まで——また明日」
配信を落とした。
画面が暗くなる直前、コメントの最後に「ありがとう」という文字が流れるのが見えた。
スマホをポケットにしまいながら、俺は空を見た。
夕暮れの空の下で、頭の中ではまだ《構造透視》が地下の地図を展開していた。七層の都市。誰も知らなかった世界。
静かだった。
静かすぎて、嫌な予感がした。
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同じ頃。
ギルド本部から三キロ離れたビルの一室で、鷹峰涼介は書類に目を通していた。
デスクの上に、タブレットが一台置いてある。画面には配信のアーカイブが映っていた。再生は止まっていた。地下都市の発見を告げる、あの暗闇の中のカットで。
《ヴァンガード》の団長として、彼は昨日から弁護士と協議していた。
弁護士が指摘したのはシンプルな論点だった。ダンジョン発見者権は個人に帰属するが、「接続する未探索区画」の定義は法律の裁量解釈に委ねられている。つまり、訴訟になれば長期化する。訴訟になる前に申請を出せば、それが既成事実になる。
書類の表題に、彼自身がサインする。
「未発見階層の管理権移譲申請——申請者:《ヴァンガード》」
「提出は明日の朝一番で」
「了解です」
書類が封筒に収められた。
鷹峰は窓の外を見た。ダンジョンのある方向。
配信で見た暗闘の映像が、まだ頭に残っている。あの地下都市が本物なら、規模は俺の想像を超える。それを一人の探索者が——《ヴァンガード》を追放したあの男が——掘り当てた。
「一人で遊ばせておくのも、そろそろ限界だな」
独り言は、誰にも聞かれなかった。
【第2章「配信者覚醒す」完】




