第十一話 掛け金500シルバー
「つまり、なんだ。マリアベル嬢には他に好きな方がいると」
「そうなんです、セルジュ侯爵様」
「俺もそうだ。つまり利害の一致……?」
「そうなると思いますが、ご本人が『自分の恋に協力したら私を取り巻く状況をなんとかできる』と言っていて」
「どういう意味だ?」
レインワーズ公爵家について、聞いたことは言わない方がいいだろうと私は思った。
そっと口を噤んで、ごまかすことにする。
「分かりませんが……お手紙をあの後預かりました。これを彼女の好きな人に渡してほしいらしく」
「その相手はどこにいる」
「スワロ裏市場だそうです。明日にでも行くつもりで。……まあ、王都にいる間、時間を持て余すので……届け物くらいはいいかなって」
「待て、今なんと言った」
「時間を持て余す?」
「俺といて時間を持て余すのか。暇な時間は全てデートに当てよう」
「えっ」
「いやそうではなく……。スワロ裏市場と言ったか?」
「はい」
「……あそこは王都の中でも、随分と危険な場所だ。法律すれすれの事をしている者がたむろしている。同伴しよう」
彼は厳しい顔でそう言った。
いつも大体無表情か、でれでれしているかなので、それが少しだけ新鮮に見えた。
私は頷いた。彼が心配してくれるのは、純粋に嬉しかった。
けれど同時に懸念があった。レインワーズの噂を信じるなら、彼と共に行動をしていていいのだろうかと思う気持ちが、少しだけ芽生えていた。
さて、お願いの内容としては白烏という人にラブレターを渡してほしいとのこと。その人は裏市場をよく歩いているらしい。マリアベル嬢には行けない範囲の場所だ。王族ゆかりのお嬢様となれば出歩ける範囲も限られているし、裏市場なんてもっての他だろう。
噂に寄れば、『何でも売っている』と評判の市だ。市民から旅人までよく利用する、正式ではない市場。故に裏市場と呼ばれる。
幾つもの細い路地を抜け、スワロ裏市場にやってきた私たちは辺りをよく見回した。ありとあらゆる店がある。よく分からない肉塊を吊している店、色鮮やかな果物を置いている店、絶対に手に入らないような高い酒ばかり並べた店、踊り子のような格好をした人が手招いて外れのテントの中に旅人を誘っている。
背の高い建物に囲まれた、苔むした石畳の上に開かれる市場は、ここも一応王都の外れだとは思えないほどだ。あちこちで賭博らしき事が行われ、みすぼらしい格好の人から貴族のような格好の人まで一喜一憂している。
セルジュ様は例に寄ってマント姿で、顔を隠して同伴してきてくれた。
腰には剣。何かあった時のためだそうだ。確かに、何もないと言い切るには此処は危ない空気がぷんと鼻につく。十代の時に戦場をかいくぐってきた故に手に入れた勘のようなもので、危険が察知できる。
「それにしても、どこにいるんでしょう、白烏、って人」
「白烏というのは渾名だろうな。どんな輩なのか俺も知らない」
「それはそうですよね……」
貴族様がこんな、裏街みたいな所をよく知っているはずがない。
と、思っていたのだけれど……彼は案外すいすいと歩いて行く。もしかして、知っているのだろうか、この市を。レインワーズには妙な噂があるというから。
人混みを抜けるのが上手で、危ない輩はすっと避ける。或いは何故かそちらの方が貴族の威厳に恐れを成しているのか、避けていく。軽く探りを入れてみることにした。
「なんだか妙に慣れてらっしゃいますね、セルジュ侯爵様」
「エリザベートは物慣れないだろう。俺と手を繋げ」
んっ?
「そんな、子供じゃないんですから」
「手を繋ぎたくないのか……?」
「こんな薄暗い場所でデートみたいな発言聞くとは思いませんでした!」
「明るい場所ならいいのか」
「そういう問題じゃないですね?」
綺麗にごまかされた感がある。
ぼん、と視界の端でよく分からない薬品が爆発する。
道ばたで占い師がカードを引いている。黄金の秤を持った老婆が、よく分からない何かの毛のようなものを量り売りしている。本当にここは無法地帯なのだな、と感じる。民族調の衣装の人、私の知っているカレンジ村の人たちに近い格好の人、一見普通の町人に見える人。色々な人が、この裏市場をそれぞれのやり方で楽しんでいた。
「とりあえず聞き込みしてみないとどうしようもないですね、これは……。あ、でも名前だけしか情報もらえなかったということは、逆に言えば話をすれば直ぐに見つかるのでは?」
「そうであってほしいな、この中から探すのは骨だ。」
それにしてもエリザベート、とセルジュ侯爵様は続けた。
「マリアベル嬢のよく分からない依頼を受けるほど暇だったのか?俺がいるのに?」
「その話まだ引きずってたんですか?」
*
結論から言うと、白烏という人の事は直ぐに見つかった。
本人が見つかったのではなく、彼の噂が見つかったのであるが。
「ああ、白烏ね!そりゃあ有名だよ、この裏市場では」
「裏市場っつうか、裏社会で有名なんじゃないかねえ?」
「そうだそうだ。まあ何せ博打に強くて常に大勝ちしてる野郎だよ。賭け事で負けた事がない天才さ」
「まあ昔、鬼獅子っつうものすごい賭け師もいたが、それに迫る勢いさね」
「いつもは賭博場にいるんじゃないかねえ?今日は見てないが」
「で、あんたらなんなんだい、白烏のファンかい?」
賭け師。
なんだかすごい単語が飛び出してきたぞ、と私は思った。
セルジュ様はというと、ひたすら沈黙を貫いていた。きっとあきれるか呆然とするかしていたのだろう、貴族のお嬢様の思い人が賭博師だなんて思いもしないはずだから。
それにしても、賭博師との恋が私の現状を解決する、とは、一体どういう意味だ?
「白烏のファンならあんたたちも賭博ができるだろう、ちょっと座りな」
「そうだ、カードがいいか、それともボールがいいか?何にする?」
「いや、俺たちは……」
「どうせなら何か賭けて博打をしようや、そこの可愛い嬢ちゃんのキスとかどうだ!」
「乗った」
「乗らないでください!」
セルジュ様が気づいたら賭博用のテーブルに座っていて慌てた。この人金遣いが荒いからあっという間に大金を賭けて身ぐるみ剥がされかねない!というかキスなんてまだ殆ど誰ともしたことがないというのに何をいきなり!
「こ、こうしゃ……」
だめだ、身分がばれる!
「だ、旦那様、だめです!」
「旦那様」
「はい、旦那様、いけません」
「……その呼び方、いいな……」
そっちの旦那様じゃない。
変な誤解を与えてしまった。
「まあともかく、問題ない。掛け金は500シルバー程度で抑えよう」
彼は道ばたの汚らしいテーブルに座ると、カードがばらばらと置いてある一つの席を占拠して堂々と足を組んだ。どこにいても基本的に堂々としている人だが、今は殊更彼が大きく見えた、何故だろう。気迫のようなものがあるというか気合いが入っているというか。
というか、ん、500シルバー?
侯爵様にしては随分と少額な掛け金だ。
「……えっ」
「いいだろう?500シルバーからだ」
「ちっ、随分としけてんな旦那ァ。もうちょい上乗せしないのか?」
「しない」
金は一瞬で増えるさ。
彼はそう言って。いつもは見たこともないような顔で、カードを手にした。
「なんだかいつもより格好いいですね……」
「いつも格好いいだろう俺は」
「はあ」
「今日は本気だ」
「どうしてです……」
「君からのキスが貰えるなら本気を出そう」
「それ私了承した覚えありませんからね!?」