第6節 ロックとケーラー
「ケーラーさん、こんにちは! デートじゃないです。時計屋さんに行くんです」
エステルが外出の目的を説明する。
ロックは、ケーラーに向かって軽く会釈した。
「時計屋さん? ロック先生のお買い物ですか?」
ケーラーがロックに尋ねる。
「いや。修理に出さなきゃいけないやつがあるんだ。昔から愛用してるやつだから、買い換える気にもならなくてな」
「そうですか。きっと、いい時計を使ってらっしゃるんでしょうね」
「あぁ、最高の職人が作ったやつだ」
ロックはそう言って、少し懐かしそうに微笑んだ。
「そう言えば、ケーラーさんも時計、持ってましたよね! ロック先生のお父さんからもらったっていう!」
以前、聞いた話を思い出したエステルは、二人の共通点を口にした。もしかしたら、話が盛り上がるかもしれない――そう思ったのだ。しかし、エステルの思惑とは反対に、このセリフは二人の間に緊張感を走らせる結果となってしまった。
「父さんからもらっただと? 嘘をつくな」
ロックがケーラーを訝しげに見る。
「え!? 嘘だなんて! ロック、失礼だよ! そうだ、ケーラーさん! 時計、見せてあげてくださいよ!」
いきなり事情も聞かずに嘘吐き呼ばわりするロックに、エステルは驚いた。ケーラーが、嘘を吐くはずがないし、吐く理由もないと思ったからだ。
対するケーラーも、赤い瞳をいつもよりギラギラとさせている。彼は、徐にコートの内ポケットに手を入れると、古い金時計を取り出し、無言でロックの方へ差し出した。
「これは……確かに……」
ロックはケーラーの手から金時計を受け取ると、蓋を開けて、入念にチェックし出した。
「間違いない」
ロックがケーラーを凝視する。
「お前、何者だ」
「それはこっちのセリフです」
「え……」
只ならぬ緊迫感に、エステルは困惑した。何とかしなければという気持ちが起こるものの、二人の間を取り持つ言葉も思い付かなければ、口を挟めるような空気でもなかった。
「……まあいい。今日は急いでるしな」
ロックが金時計をケーラーの手の平に返した。
「…………」
ケーラーは無言でそれを受け取る。瞳は冷たく、ギラギラと光ったままだ。
「あ、あの、ケーラーさん……」
「行くぞ、エステル」
「うえっ?」
ロックは乱暴にエステルの腕を引っ張ると、挨拶もせずにケーラーから遠ざかる。エステルは、後ろを振り返り、小さくなっていくケーラーを見つめる。しかし、その顔はエステルのよく知る優しい紳士のものではなかった。ロックの掴む腕も痛い――エステルは、いつもとは全く様子の違う二人を少し怖いと感じていた。
「ロック……! 痛いよ!」
腕の痛みに耐えきれず、エステルが声を上げる。
「え? あ……すまない」
ロックはハッとして手を離す。
「何なのよ! いきなり……怖かったんだからね……!」
エステルがロックを睨む。
しかし、ロックは一切怯むことなく言い放った。
「エステル……今後、あいつに関わるな」
「え……」
「あいつは信用できない」
「そんな! ケーラーさんが嘘吐いてるって思ってるの!? ロックの知らないところでもらったのかも知れないじゃない!?」
「エステル……あいつの歳、知ってるか?」
「え? 三十五歳って、言ってたと思うけど……」
「やっぱりそんなもんか……いいか? エステル。あいつがどうしてあの時計を持っているのかは分からない。だが、これだけは言える。あいつは何か隠している。警戒しておけ」
ロックが真剣な目をする。
「――!? そんな! ケーラーさんは隠し事するような人じゃ……あっ」
そう言って、エステルは思い出した。ケーラーは、祖父に頼まれてエステルを監視していたことを黙っていた。
「……思い当たることがあるようだな」
「そんなこと! ケーラーさんは、おじいちゃんに頼まれて、私を守ってくれてただけだもん!」
「守る? バークリーに護衛を頼まれてたと言っていたのか? それはバークリーに確認済みか?」
「まだだけど……」
「じゃあ、それも嘘かもしれない。用心しろ」
「――!? 嘘って! さっきからひどいよ! ケーラーさんは、いい人なのに!」
ケーラーのことを頭ごなしに否定され、さすがのエステルも怒らずにはいられなかった。
「……そうだな。言い方が悪かった。頼むから用心してくれ。あいつが何者なのかは、確認してみないと分からない。だが、分からないからこそ、用心してほしいんだ。頼む」
「…………」
そんな言い方をされると、エステルには怒ることができなかった。しかし、ケーラーのことを疑えないエステルは、分かったと言うこともできなかった。
「……時計屋さん、こっちだから」
エステルにはそう言うのが精一杯だった。
「……あぁ」
ロックも、その後は黙ってエステルの後を付いて行った。




