魔力なし
ギースの家には、魔獣の牙が飾ってある。
長さは俺の腕くらいある。ねもとが黒くて、先へいくほど白い。さわるとざらざらしている。
「三層のやつだ」
ギースは毎回そう切り出す。毎回、少しずつ話が違う。
「四層じゃなかったか」
トトが口をはさんだ。
「三層だ」
「先月は四層って言ってた」
「先月のわしが間違っとった」
「今月のじいさんは正しいのか」
「正しい」
ギースは酒を飲んだ。左の脚を、いつものように前へ投げ出している。ひざから下が曲がらない。二十年前からそうだ。
「これ、前歯だぞ」
「前歯」
「奥にはもっとでかいのが並んどる」
牙を持ち上げてみた。両手で持って、やっと持てる。
「噛まれたら死ぬな」
「死ぬ」
「じいさんは噛まれてない」
「わしは避けた」
「脚は」
「別の話だ」
脚の話になると毎回そうする。酒をつぎ足して、話を変える。
「一層はな、そんなもんは出ん」
「何が出るんだ」
「淀みもんだ。灰色でな、形が決まっとらん。ぐにゃぐにゃしとる」
「弱いのか」
「弱い。だが数が多い。崩れると中から石が出る。それを拾って売る」
「それで食えるのか」
「食えん」
ギースは指を三本立てた。
「三日潜って、三日ぶん食える。それだけだ」
「夢がないな」
「夢は宝石のほうだ」
トトが身を乗り出した。この話を待っていたのだ。
「五層の岩の裂け目にな、光るもんがはさまっとる」
「どんな色」
「見る角度で変わる。青にも、赤にもなる」
「いくらで売れた」
「家が建った」
「じいさんの家、ぼろだけど」
「売った金でこの村の橋を直したんだ、ばか者」
嘘だ。橋は村の金で直した。それはみんな知っている。
それでも俺は毎晩ここに来る。トトも来る。
「なあ、じいさん」
トトが牙をつつきながら聞く。
「潜るのに、魔法って要る?」
俺は手元を見た。
「要る」
ギースの返事は早かった。
「要らんと言ってやりたいが、要る」
「そっか」
「ただな」
ギースは俺のほうを見ないで続けた。
「わしが組んだ中で、いちばん腕が良かったやつは、魔法が下手だった」
「なんで生き残れたんだ」
「よく見て、よく考えて、よく逃げた」
「地味だな」
「地味なやつが生き残る」
「一人で持って帰ったのか」
俺が聞くと、ギースは少し黙った。
「四人で行った」
薪がはぜた。
「帰ったのは、わしとあと一人だ」
それから宝石の話は出なかった。飯がまずかった話とか、宿のおかみがけちだった話とか、そういう話になった。
そっちのほうが、たぶん本当だった。
◇
帰り道でトトが言った。
「来年な」
「うん」
「絶対行くからな」
「わかってる」
「俺が先に登録するからな」
「なんでだよ」
「先に登録したほうが先輩だろ」
トトは笑った。こいつはいつも笑っている。腹の立つ笑い方をする。
空に灰色の柱が立っている。
世界樹だ。夜でも見える。月の光が当たると、うっすら白くなる。
あれを見ると、なつかしくなる。
行ったこともない。馬車で二十日かかる。それでも、家に帰ってきたときみたいな気分になる。
トトに一度だけ話したことがある。げらげら笑われた。それきり話していない。
朝は水汲みから始まる。
孤児院の井戸は深い。おけを落として、引き上げて、それを八回やる。八回で足りた日はない。
「ノア、薪」
院長のマーサ先生が窓から顔を出した。もう七十近い。声だけは若い。
「あとで」
「今」
「今やってる」
「水は姉さんがやるから、薪」
台所から姉が出てきた。エプロンを腕までまくり上げている。教会のシスターの格好をしているのに、この人はいつも袖が濡れている。
「おはよう」
「おはよう」
「顔、洗った?」
「洗った」
「うそ」
姉がおけの水をすくって、俺の顔にかけた。冷たい。
「ちょっと」
「はい、洗った」
下の子たちが笑っている。四人いる。一番小さいのは五つだ。
俺と姉も、ここで育った。両親が死んだのは俺が三つのときだ。覚えていない。姉は七つだったから少しは覚えているらしい。聞いたことはない。
薪を割った。斧が手になじんでいる。この十年でいちばん上手くなったのが薪割りだ。
十八になっても、俺に回ってくる仕事はこれと水汲みだけだ。
◇
村の子どもは、十のときに教会で魔力を測る。
小さな水晶に手を置くと針が動く。動いた幅で、だいたいの見当がつく。
その数字が一生ついて回る。
どの仕事に就けるか。誰と一緒になれるか。門で見せる札の色。去年、村の娘が隣町へ嫁いだ。相手の顔を見たのは式の日が初めてだったらしい。数字がつり合っていたから、それで決まった。
俺のときは、針が動かなかった。
神官が二回やらせた。二回とも同じ。三回目はやらなかった。
そのかわり、神官は帳面に何か書いていた。長かった。動かない針のことを書くのに、どうしてあんなに時間がかかるのか。
村へ戻って、それで終わりだ。
トトは、そこそこ動いたらしい。
「人並みだって言われた」
あのとき、あいつは胸を張った。人並みで胸を張れるのがトトのいいところで、腹の立つところだ。
人並みなら、街で仕事がある。
俺にはない。
昼前に、トトが柵を乗り越えて入ってきた。
「よお、魔力なし」
「戸から入れ」
「遠い」
トトは薪の山に腰をおろした。俺が割ったやつだ。
「なあ、街の登録ってさ」
「うん」
「魔力ゼロでも通るのかな」
手が止まった。
トトは気づいていない。こいつは一度も気づいたことがない。
「通るだろ」
「通るかな」
「規則で断れないって、ギースが言ってた」
「じいさんの話は半分うそだぞ」
「半分は本当だ」
トトは足をぶらぶらさせた。
「まあ、通るよ」
「そうかな」
「通らなかったら、俺が受付ぶん殴ってやる」
馬鹿だと思う。
思うけれど、俺はそのとき、少しだけ笑った。
遠くで低い音がした。
雷にしては長い。地面の下から来たみたいだった。
誰も顔を上げない。犬が一匹だけ吠えて、すぐにやめた。
姉が焼き菓子を持ってきた。端が黒い。
「食べて」
「黒いけど」
「そこは残していいから」
トトが一つ取って、まるごと口に入れた。
「うまい」
「でしょ」
「うそだけど」
「トト」
姉が笑った。院長も笑っている。下の子が黒いところを取り合っている。
俺は二つ目を取った。焦げていないほうを選んだ。
姉がそれを見て、俺の頭をたたいた。
風向きが変わったのは、そのあとだ。
においが先だった。
薪を燃やすにおいとは違う。もっと重い。布と、獣の毛と、油が一緒に焼けるにおいだ。
顔を上げた。
街道の方角に、煙が上がっていた。
一本ではない。
三本だった。




