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【8/29後日談追加】妹に不妊をあて擦られ続けたので、侯爵家の不正を告発しました【完結】  作者: 木風


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番外編②  君に謝らなければならないことがある

 公爵クラウスが妻の異変に気づいたのは、結婚して二年目の秋だった。

 侯爵家からの訪問があった日の夜、ヴィオレッタは決まって静かになった。


 夕食の席で笑い、使用人に労いの言葉をかけ、いつも通りに振る舞う。

 だが寝室に戻ると、しばらく窓の外を見ている。

 何も言わずに。


 一度、尋ねたことがある。


「妹君と、何かあったか」

「いいえ。何も」


 微笑んでそう答えたその「何も」の中身を、クラウスは長いこと踏み込めずにいた。


 姉妹の問題である。

 妻の実家との関係もある。

 公爵家が侯爵家の夫人に苦言を呈すれば、それは家同士の話になり、ヴィオレッタが板挟みになる。


 彼女は自分で処理しようとしている。

 ならば、その意思を尊重すべきではないか。


 ――そう考えていた。

 今にして思えば、体のいい先送りだった。


 妻が傷つけられている現場に踏み込む決断を、家格だの立場だのという言葉で先延ばしにしていただけだ。


 決定的だったのは、ある晩のことだった。

 深夜、目を覚ますと、隣に妻がいなかった。

 寝室を出ると、廊下の突き当たりにある小部屋から、かすかな音が聞こえた。


 押し殺した、泣き声。

 扉に手をかけて、動きを止めた。

 入るべきか……ここで見つけて、抱きしめて、何があったと問うべきか。


 だが彼女は、隠すためにわざわざこの部屋まで来ている。

 見つけられることを望んでいない。


 長い時間そこに立ち、結局クラウスは寝室へ戻った。


 明け方、ヴィオレッタが静かに寝台へ入ってくる気配がして、彼は眠ったふりをした。


 ――あの夜、扉を開けるべきだったのだ。

 後になって、何度もそう思った。


 だから、執務室の机の端に侯爵家の封書を置いたまま、妻に書類探しを頼んだ日のことを、クラウスは今も自分でうまく説明できない。

 王立銀行から回ってきた融資記録の写しは、本来なら書庫の施錠棚にしまうべきものだった。

 それを、なぜあの日に限って机の上に出したままにしていたのか。


 意図的だったのか。

 そうではなかったのか。

 彼自身、答えを持っていない。


 ただ一つ確かなのは、ヴィオレッタが封書を手に取ったと侍従から聞いたとき、自分が止めに行かなかったということだ。


 その後のことは、彼女が自分で決めた。

 匿名の上申書を書いたのも、侍女に託したのも、すべてヴィオレッタの意思。


 クラウスは何も手伝わなかったし、何も邪魔しなかった。

 妻が長い年月をかけて溜め込んだものを、ようやく自分の手で下ろそうとしている。

 それを取り上げる権利は、あの夜に扉を開けなかった男にはない。


 だから、彼女が「怒っている?」と尋ねたとき、迷わず答えられた。

 告発されて困るようなことをした侯爵家が悪い。

 それは慰めではなく、本心だった。


 懐妊がわかった翌週、最初の手紙が届いた。

 差出人は侯爵夫人カミラ。


 執務室でそれを開封した。

 妻宛ての書簡を無断で開ける行為に、抵抗がなかったわけではない。

 それでも、今のヴィオレッタに渡していいものなのか。

 一度だけ中身を確かめることにした。


『お姉様、ご懐妊おめでとうございます。

 わたくしのときも、最初の三月がいちばん大変でしたの。

 お姉様はお年もお年ですから、どうかご無理なさらないで。

 心配ですわ』


 読み終えて、クラウスはしばらく便箋を見つめていた。

 それから、静かに引き出しへしまった。


 以後、それが日課になった。


 侯爵家から手紙が届くと、侍従はまず公爵の執務室へ運ぶ。

 クラウスは一人で開封し、目を通し、引き出しにしまう。

 それがヴィオレッタが眠った後の、夜の仕事になった。


 内容は、月を追うごとに変化していった。

 初めは助言めいた文面だったのが、やがて姉の懐妊を我が事のように喜ぶ言葉が並び、その後、少しずつ別のものが混ざり始めた。


 侯爵家の内情、融資のこと、夫との諍い。

 実家の母が味方をしてくれないこと。


 そして、姉妹なのだから。


 その一節が、何度も現れるようになった。


 十通目を読み終えたとき、クラウスは机に肘をつき、目元を押さえた。


 この女は、何も理解していない。


 自分が姉に何を言ってきたのか。

 姉がそれをどう受け取っていたのか。

 姉がなぜ何年も泣いていたのか。


 ただの一度も、考えたことがないのだ。


 悪意ではない……むしろ本人は、本気で姉を気遣っているつもりなのだろう。

 だから余計に始末が悪い。


 この手紙の中にいるのは、ヴィオレッタではない。

 自分の話を聞き、自分を助け、自分の望む通りに動いてくれる「お姉様」だけだった。


 ――こんなものを、腹の子を抱えた妻に読ませられるか。

 引き出しは、少しずつ重くなっていった。




 出産までの間、ヴィオレッタは穏やかだった。

 悪阻の時期は辛そうだったが、それが過ぎると食欲が戻り、庭を歩くようになった。


 産着を選ぶのに三日かけて悩み、名前の候補を紙に書き出しては、これは響きが硬い、これは公爵家らしくないと言って線を引いた。


 夜、寝台で彼女が腹に手を当てて笑うことがあった。


「今、動いたわ」

「そうか」

「触ってみて」


 クラウスが手を置くと、確かに掌の下で小さく何かが動いた。

 ヴィオレッタが彼を見上げて笑うその顔に、あの窓辺の静けさはなかった。


 ――この顔を守れるなら、後でいくら責められても構わない。


 出産の日は、長かった。

 産室の外の廊下で、クラウスは十二時間立っていた。

 侍従が椅子を勧めたが、座る気になれなかった。


 中から妻の声が聞こえるたびに、扉に手をかけては下ろすのを、ただ繰り返すだけ


 やがて、別の声が聞こえた。

 高く、細く、頼りない、初めて聞く声。

 膝から力が抜けそうになり、壁に手をついた。

 産婆が扉を開けて何か言ったが、その内容をクラウスは覚えていない。


 気がつくと寝台の脇に立っていて、汗で髪を額に貼りつかせたヴィオレッタが、腕の中の小さなものをこちらへ向けていた。


「クラウス。ほら」


 赤黒い顔をした、皺だらけの生き物だった。

 美しいとは、到底言えなかった。

 それを見た瞬間、クラウスは声を出さずに泣いた。


 ひと月が過ぎ、屋敷が落ち着きを取り戻した頃。

 クラウスは引き出しから手紙の束を取り出した。

 革紐で括ってみると、思っていたよりも厚みがある。


 ここから先は、自分が決めることではない。


 彼女が読むと言えば渡す。

 読まないと言えば処分する。

 そのどちらであっても、もう彼女は自分で選べる。


 私室の扉を開けると、ヴィオレッタが揺り籠を覗き込んでいた。

 顔を上げた妻に、クラウスは束を差し出す。


「実は、君に謝らなければならないことがある」


 ――結果として、彼女は最新の一通だけを読み、すべてを暖炉にくべた。


 止めなかった。


 紙が燃える音を背に、妻が我が子のもとへ歩いていく。

 小さな手が彼女の指を握り、ヴィオレッタが声を上げて笑う。


 あの夜、扉を開けられなかった男が、その後ようやく一つだけできたことがあるとすれば、これだった。

 彼女が、振り返らずに済む場所を作ったこと。

 暖炉の火が、静かに音を立てて崩れた。

日間総合完結済みで1位、ありがとうございます!

感想でリクエスト頂いた、クラウス視点のお話を追加させてもらいました。

少しでも、楽しんでもらえたら、ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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― 新着の感想 ―
不妊で何年も何度も何度も泣いて夫に慰められたことを思い出しました。 笑顔で刺してくる人は大勢います。 その言葉が刃だと知ってあえて刺してくる人も 知らずに悪意なく振り被る人もたくさんいます。 思いやり…
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