第一話 はやくわたくしの子供に、従弟を作ってくださいまし
侯爵夫人となった妹のカミラが訪ねてくるたび、ヴィオレッタは胃の奥がじわりと重くなるのを感じていた。
応接間へ向かうと、今日も妹は華やかな笑みを浮かべていた。
「ヴィオレッタお姉様、ごきげんよう」
「ごきげんよう、カミラ」
挨拶を交わし、紅茶が運ばれる。
カミラはカップを手に取ると、まずヴィオレッタの顔を見て、それから腹部へ視線を落とした。
まただ。
そう思った瞬間、妹は予想通りのことを言った。
「ところでお姉様。ご懐妊の報せはまだですの?」
カミラの問いに、ヴィオレッタは微笑みながら答える。
「ええ、まだよ」
「まあ。公爵家ともなれば、お世継ぎのことは大切でしょうに。皆様、心配なさっているのではなくて?」
「そうね」
「わたくしね、絶対に子供が欲しかったから、十八歳になってすぐ侯爵様にお嫁に行ったの。そうしたら、すぐに授かれましたわ」
カミラは自分の腹部に手を添え、うっとりと微笑む。
「やはり、若いうちがよろしいのかしらね。お姉様は少し遅かったから、わたくし心配しておりましたの」
心配。
その言葉の形をした刃が、胸の奥を静かに裂いていく。
ヴィオレッタは、二十歳で公爵クラウスに嫁いだ。
今は二十五歳。
決して遅すぎる年齢ではない。
それでも、子を望みながら授かれない日々は、少しずつ心を削っていった。
カミラはそのことを知っている。
宮廷医のもとへ通っていることも。
夜ごと泣いていたことも、実家の母から聞いているはずだった。
それでも、こうして笑う。
「もし子作りで困ったことがあれば、いつでも相談して?わたくし、一度で授かれたから、何か助言できるかもしれませんわ」
ぷつり、と。
心の中で何かが切れた音がした。
それでも笑った。
公爵夫人らしく。
穏やかに。
優雅に。
「ありがとう、カミラ」
「お姉様にも、早く母になる喜びを知ってほしいわ」
その声が少しも震えなかったことに、自分でも驚いた。
カミラは満足そうに笑い、紅茶を飲んだ。
「はやくわたくしの子供に、従弟を作ってくださいまし。ね?お・ね・え・さ・ま♡」
それが、その日の最後の一刺しだった。
その夜。
ヴィオレッタは泣かなかった。
涙は、もう尽きていた。
ただ、寝台の上で静かに目を開けたまま、朝を待った。
もう、許さない。
そう思った。
数日後、きっかけは偶然訪れた。
夫クラウスの執務室で、依頼されていた書類を探していた時だった。
机の端に置かれた封書に、見覚えのある紋章があった。
侯爵家の紋章。
カミラの嫁ぎ先だ。
本来なら目を通すべきではなかったのかもしれない。
けれど、無意識に封書を手に取った。
中には、王立銀行からの融資記録と、監察局へ提出された届け出の写しが入っていた。
名目は商業投資。
しかし添付された資金の流れを示す書類は、明らかにそれと一致していない。
王都の高級住宅街の屋敷を担保に引き出した多額の融資。
その一部が、本来認められていない用途に転用されている。
貴族家に対する王立銀行の融資は、信用で成り立っている。
だからこそ、不正な資金転用は厳しく禁じられていた。
発覚すれば、融資の即時回収。
場合によっては爵位継承にも傷がつく。
しばらく書類を見つめた後、そっと元の場所へ戻した。
翌日。
彼女は匿名の上申書を書いた。
一文字ずつ、丁寧に。
感情を入れず。
事実だけを並べて。
最後に封をすると、侍女へ命じた。
「これを、王立銀行の融資審査を管轄する監察局へ」
「かしこまりました」
侍女は何も尋ねなかったし、ヴィオレッタも何も説明しない。
結果は早かった。
翌月には、侯爵家へ一括返済の通達が届いた。
侯爵レナードは青ざめ、資金繰りに奔走した。
だが、見栄を張って盛大な結婚式を挙げ、屋敷の改装費まで両親から借りていた侯爵家に、返済できるだけの余裕などなかった。
使用人の一部は解雇。
子供の入学が内定していた王立幼年学院への推薦も白紙に。
カミラが自慢していた宝石は質屋へ。
王都の別邸は売却予定。
さらに、不正転用の疑いが社交界へ漏れたことで、侯爵家に近づく者は一気に減った。
実家の母から届いた手紙には、カミラが毎日泣いていると書かれていた。
ヴィオレッタはその一文を読み、しばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「そう」
たったそれだけ。




