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 テントの中は、思っていたよりも明るかった。入口付近にはポップコーンの甘い匂いが漂い、子供たちのはしゃぐ声が響いていた。

 観客席に腰を下ろすと、すぐに開演のベルが鳴った。その音はどこか古めかしく、金属の擦れるような響きがあったが、至ってごく普通のサーカスの始まりだった。


 ピエロのオープニングショーで、幕が上がった。

 派手な衣装に身を包み、転んだり跳ねたりして観客を笑わせる。子供たちは大喜びで、前列の親子は手を叩いていた。


 続いて、綱渡りのパフォーマー。高所の綱の上を、バランス棒を持って優雅に歩く。

 次はジャグラーが現れ、カラフルなボールやクラブを軽快に投げ、途中で数を増やしたり、観客の子供にボールを渡したり、場をさらに盛り上げていく。

 巨大な輪の中でパフォーマーが走り、跳び、回転するアクロバット、大車輪。フラフープのパフォーマーは、最後には十数個を同時に回して観客を沸かせていた。

 終盤に向かうに連れて、緊張感のある演目が増えていく。双子の演者が完璧なタイミングで宙を舞う、空中ブランコ。


 どれも手慣れたショーで、観客を楽しませる工夫が随所にあった。どの演者も笑顔を崩さない。

 サーカスの時間は、あっという間に過ぎていった。気づけば最後の演目を終え、団長、トニーが挨拶をして、締めくくっていた。


「今日は皆さん、来てくださって本当にありがとうございました」


 シルクハットに黒い燕尾服の男、彼が団長、トニー・ウィックスである。イギリス人である彼は、少したどたどしい日本語で挨拶をした。

 深々とお辞儀をして、会場を見渡す。


「サーカスが終わってしまう。終わっても、笑顔でいてくださいね」


 優しく微笑みかけ、再びお辞儀をする彼に、割れんばかりの拍手が沸き起こった。

 私も、自然と拍手していた。サーカスなんて子供騙しで退屈なものだと思っていたが、息を呑む迫力、作り込まれた世界観に圧倒されているうちに、時間が過ぎていった。見事なものだった。

 団長が深く頭を下げているステージが、だんだんと暗転していく。そして真っ暗になって、彼の姿が見えなくなったとき。


「Don’…… yet……wanna……more……」


 団長が母国語でなにか呟いたようだったが、上手く聞き取れなかった。


 終演後、私はスタッフの案内で、パフォーマーが控える裏手へ向かった。名刺を手に、団長トニーに接触を図る。

 彼は物腰の柔らかい紳士で、私の取材依頼に快く応じてくれた。おかげで私は、こうして今日、終演後の時間を貸してもらっている。

 私は団長に名刺を差し出しつつ、英語を話せる旨を伝えた。彼は安心したのか、より柔らかい笑みを浮かべ、英語で話し出した。この記事では、日本語に訳して記す。


「取材のご連絡をくださっていた、御厨さんですね。本日はご観覧ありがとうございました。どうぞ、なんでも聞いてください」


 両手を広げてみせる彼に、娘を知らないか、と、即座に口にしそうになった。だが私はそれを一旦呑み込み、頭を下げた。

 素晴らしいサーカスだったと称賛した上で、私は、興行についての取材を開始した。


「このサーカス団は、どのような歴史を持っているのですか」「やりがいを感じる瞬間は?」「日本での反応はどうですか」といった当たり障りのない質問をして、記事を書くための材料を集めていく。

 団長は、どの質問にも丁寧に答えた。


「我々のルーツは、十九世紀から続くサーカス団でしてね。イギリスじゅうを笑顔にするために始まったものです。今は、はるばる日本の皆さんの笑顔を見るために旅をしています」


 その言葉は、よく練られた宣伝文句のように聞こえたが、声色には不自然さがなく、彼の心からの言葉に聞こえた。


 団長の案内で、私は他の団員たちにも話を聞かせてもらった。


 綱渡りのパフォーマーはハキハキと元気良く喋った。


「ハラハラしてもらえるのが嬉しい。だって、目を離せなくなるでしょう?」


 ジャグラーは陽気で冗談を交えて語った。


「驚かせるのがなにより面白いね。あっ、と、人が間抜けな顔になる瞬間。それが最高なんだ」


 フラフープのパフォーマーは、取材中も大切そうにフラフープを抱えていた。


「この子たちは相棒なんです。私を華やかに見せてくれるから」


 大車輪のアクロバットで観客を驚かせていた青年は、照れた様子で言った。


「世界中を笑顔に! ……なんて、そんな大それたことは言えないです。すごいって、褒めてほしい。そういう気持ちでやってるってところもあるんで」


 空中ブランコのふたりは、私の質問に対して、同時に同じ言葉を発した。


「ずーっと一緒、だから面白いの」

「ずーっと一緒、だから面白いの」

「いつだって一緒だから」

「笑うときも」

「一緒なの」

「一緒なの」


 しかも片方に向けて話しかけると、もう片方が答えるという奇妙な受け答えをした。サーカスのパフォーマーというものは、観客の前でなくても演技じみているものなのか、と感じさせられた。


 テントの奥には、檻があった。それを大切そうに撫でている女がいる。よく見ると、受付に立っていた女性だった。

「あの人はなにをしているのか?」と私が問うと、団長が説明してくれた。


「彼女は、元は猛獣使いだったんです。今は動物を使ったショーは好まれないので、運営スタッフに回ってくれています」


 元猛獣使いの受付スタッフは、檻を優しく撫でて、小さな声でなにか囁いていた。なにもいない檻なのに、なにをしているのか――その点については、団長は語らなかった。


 ピエロの男は、舞台ではあれほど大声で笑っていたのに、裏では真顔のまま、団長の後ろに立っていた。

 私が質問しても、彼はひと言も喋らない。

 団長は「シャイなんですよ」と笑っていた。


 団長がふいに、言った。


「トニー・フレンズ・サーカスが来ると、行方不明者が出る」


 メモにペンを走らせていた私の手が、止まった。固まる私に、団長は続けた。


「そんな噂があるそうですが、興行主である私にも、なにも分かりません。記者さん、記事を書く際に、そう書いてくれませんか」


 その表情は、誤解されて困っている善良な興行主そのものだった。

 切なげに話す団長を見て、私の心は揺れ動いた。張り詰めていた糸が解けるような、そんなコップの表面で膨張していた水が溢れ出すような、そんな感覚だった。


「実は、私の娘も行方不明になったんです」


 気づけば、私はこの取材を始めた本当の理由を、団長自身に吐露していた。

 団長は、ほんの一瞬だけ目を見開いた。その反応は、驚きとも、同情ともつかないものだった。


「それは、お気の毒に」

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