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私がこのサーカスを追う理由は、記者としての好奇心ではない。もっと個人的で、もっとみっともない理由だ。
私は、家族を蔑ろにしてきた。仕事を言い訳にして、家にいる時間を減らし、妻との会話も、娘との約束も、後回しにしてきた。
夫婦仲は冷え切っていた。妻は何度も「あなたは家族より仕事を選ぶ」と言った。私はそのたびに「今は忙しいから仕方がないだろう」と返した。
その「今」が、何年も続いていた。
そんなギスギスした家庭にいたせいか、娘は、空気を読んでしまう子に育った。
学校でサーカスのチケットを三枚もらってきた日、彼女は嬉しそうに私の机にそれを置き、「みんなで行こうよ」と言った。
私は締切を理由に断った。妻も乗り気ではなかった。娘は笑って「じゃあ、お出かけはまた今度でいいよ」と言った。
その「今度」は、もう来ない。
娘が行方不明になった日、机の上に置いてあったはずの三枚のチケットは、二枚になっていた。
娘は、きっと、ひとりでサーカスに行ったのだ。私たち夫婦が行かないから、ひとりで。
それ以来、娘は家に戻っていない。警察にも相談して捜査させているが、一向に進展しない。
私は他人に頼らず、記者としての調査力で、自力で娘の行方を追おうと思う。
娘の残したチケットを見つめているうちに、私はようやく、そのサーカス「トニー・フレンズ・サーカス」の名を検索する気になった。
それまで私は、娘が持ち帰ったチケットに興味を示さなかったが、娘がいなくなってからようやく調べはじめたのだ。
トニー・フレンズ・サーカスは、イギリスを拠点とする移動サーカス団で、その起源は十九世紀にまで遡る。長い歴史の中、変化と進化を繰り返しながら、災害や戦争を乗り越えて、現代に至る。
近年はアジア圏にも巡業しており、日本に来るのは今回が三度目らしい。
公式サイトには、明るい団員たちの写真が並び、SNSには子供たちの笑顔が溢れていた。
口コミも高評価ばかりで、「また来てほしい」「子どもが大喜びだった」といった感想が多い。
だが、検索結果の下のほうに下りていくと、いくつか気になる書き込みがあった。
「サーカスが来た町では、必ず行方不明者が出る」
「見に行った友人が帰ってこない」
「あの団長はなにか隠している」
どれも根拠のない噂話ではある。行方不明とサーカスとは、直接関連がない。私は記者として、こうした匿名の書き込みを信用しない。だが、娘がいなくなった今、その噂を無視することはできなかった。
娘が最後に向かった場所。そして、行方不明者が出るという噂。それが、娘に近づく唯一の手がかりのような気がした。
それから数日間、トニー・フレンズ・サーカスについて調べ続けた。会社には、人気のサーカス団の記事を書くと伝えている。
過去の巡業記録、新聞記事、SNSの投稿、そして匿名掲示板の噂話まで、片っ端から目を通した。
どれも決定的な情報ではなかったが、娘が最後に向かった場所がそこである以上、私は直接確かめるしかなかった。
私は、サーカス団へ取材依頼書を送った。
サーカスのテントは、港に隣接した広い公園に設営されていた。平日の午後にもかかわらず、人が多かった。親子連れ、カップル、学生、観光客──みな笑顔で、テントの前に並んでいた。
私は出入りする人々に声をかけ、評判を聞いて回った。
「楽しかったですよ」「団長さんが優しくて」 「子どもが大喜びでした」「また来たいです」
誰もが口を揃えて、サーカス団を絶賛した。 行方不明者の噂を知っている者はおらず、私の質問に怪訝な顔をする人もいた。
私はチケットを握りしめていた。取材は快く受けてもらえて、取材ならばチケットは不要だと言われたが、それでも私はチケットはこちらで用意すると答えていた。
持参したのは、もともと自宅にあったチケットだ。三枚あったはずのうちの一枚。娘がひとりでサーカスへ向かったと考えられる、証拠のひとつだ。
娘が見た景色を、私も辿る。
チケットとともに名刺を差し出すと、受付の女性はにこやかに微笑んだ。
「ああ、取材のご連絡をくださった、御厨様ですね。ようこそ、トニー・フレンズ・サーカスへ」




