はじまり①
『魔王』。
この世界には、絶対的な力が存在する。
そんな絶対的な力と渡り合えるのは、『勇者』なんてものじゃない。人間がどれだけ足掻いても、奴らにとって僕らはゴミクズに等しい。
絶対的な力には、絶対的な力をぶつけるしかない ───僕は数多くの逆境を乗り越える中でそう悟った。
そして今再び、いや、これまでの苦難が霞むほどの絶望の壁が、目の前を塞ごうとしている。
仲間が一人、また一人と死んでいくのを目の当たりにしながら、結局僕は保身を図っていた。
それでも『勇者』という崇高な称号を背負った身である以上、使命を全うしなければならない。そこに個人の感情など入り込めはしない。
ああ、なんてひどい世界なんだろう。
これでは誰も報われない。僕を逃がそうとした者も、苦しみを分かち合った仲間たちも。
「選ぶがいい」
その声が聞こえた瞬間、全身が一気に硬直したのを感じた。
「このまま何も成し遂げぬまま、塵となって消えるか」
男か女か判別できない、しかし圧倒的な重厚感を放ちながら、声の主は淡々と告げる。
「我が軍門に降り、未来永劫酷使され続けるか」
声の調子を保ったまま、コツ、コツと近づいてくる。その足音一つ一つが、徐々に心臓を締めつけていく。
「それとも──敵前逃亡でもして、『勇者』の名を地に堕とすか?」
俯いた視界に映る石床に、足先が現れる。
そしてその目と鼻の先の存在は、すらっと手を伸ばし、床に伏せた僕の首をぐいと掴み上げた。
僕の意思など無視するように、遥か高い天井の方へ顔を向けさせる。
そこにいたのは、目を見張るような美しい『魔王』───などではなく、どこにでもいそうな、つまり平凡な顔立ちの少年だった。
だが確かに、そこには言葉にできないような不思議な美しさがあった。
碧く、光を映すことを拒む瞳。それと対をなして、神々しいまでに白く輝く髪。見惚れてしまうほどの美しさ。
僕はその美しさが、ひどく不気味だった。
「……沈黙か。時を無駄にするな」
先ほどより一段と低く、冷え切った声。一瞬で張り詰める空気。背中から汗が噴き出してくるのを感じた。
とりあえず何かを言おうとして──
「他には……、他には無いのですか」
失言だ。情けなくも、震えた声でそんなことを言ってしまった。
内心、自分で自分に驚きひどく焦ったが、すぐに──いや、これが僕の本心なんだな、と静かに思った。
こんなところで死ぬのは嫌だ。既に死んでしまった仲間たちには申し訳ないとは思う。なぜ僕だけが、だなんて考えてしまう。
いや、仲間たち以外にも、この魔境、『魔王城』では幾何万という勇者たちが殺されてきたのだろう。
まるで、運命が決まっているかのように。
無駄な戦いをして、殺されることが初めから決められているかのように。
そんなことを今更考えても、意味がない。
もちろん、他の選択肢も最悪だ。死ぬ方がまだましだと思えるほどに。生まれてきたことを、心の底から後悔しそうになる。
それが勇者の運命だなんだと誰かに言われてしまったら、世界中を呪いそうになる。
こんな欲に塗れた『勇者』なんて、救いようもないのは分かっている。
ただ、普通の暮らしがしたかった。それだけだった。
村の子供たちと、木の剣を振り回して遊んだあの日々。『修行だ!』なんて言いながら、本当はただの戦いごっこで、周りは純粋な笑いに溢れていた。
あの頃は勇者に選ばれたことが単純に誇らしかった。仲間たちが羨ましそうに見てくれて、僕は特別な存在だった。のに。
国の使者が来てから全てが変わった。遊びは訓練に変わり、笑顔は緊張に変わった。いつの間にか、あの暖かい村の記憶は遠くなっていった。
戻りたかった。ただ木の剣を振り回して、誰も死なないごっこ遊びをしていたあの頃に。『勇者』が重荷ではなく、ただの遊びの口実だったあの日々に。
きっと僕は殺されるのだろう。さっきの選択肢も、『魔王』の遊び。結局はどれを選んでも殺される。初めから、選択肢は一つだけ。
ましてや、他の選択肢なんてあるはずも────
「──あるぞ?」
その言葉が、さっきの僕の言葉に対するものだと気づくのに、少し時間がかかった。
気づいたとしても、それがどういう意味なのかを理解するのには更に時間がかかった。
「……へっ」
思わず、間抜けな声が漏れた。




