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駆け落ちのすすめ  作者: 佐久間
本編
3/12

金と青のアンクレット

◆◆◆



エルが人に囲まれ、大輪の笑顔を浮かべて笑っている。


曲の途切れ目でちょうど横にいた少女に手を引かれ彼女は連れていかれたから、手持ち無沙汰になった俺は少し離れたところで祭りを眺めていた。


久しぶりにあんなにも明るい彼女を見られて良かった。最近エルの顔は曇りがちだったから、本来の姿が戻ってきたようで。

もしかしたらここにいるときだけエルは楽しそうな顔をするのかもしれないが。



適当で良いなどと彼女は言っていたが、それは嘘に違いない。

俺の腕の中で町娘らしい素朴なスカートを翻すエルはどこか気品が漂っていて、俺のような無骨な男が触れてはいけないような神聖さがあった。

その時のみは俺だけのものになっていたエル。このまま閉じ込めてどこかへ連れ去ってしまいたかった。



妖精のようだ、と柄にも無いことを思う。彼女の周囲にはだんだんと人が集まっていって、その中心で心底幸せそうに彼女は踊る。

そんな顔で見つめられたら俺があんたに堕ちないわけないだろ、と胸の内で呟いた。




◆◆◆



誰に付けられたのか分からないイーサンという名の俺は、しがない傭兵だ。

思い返せばろくでもない人生を送ってきた。



俺は物心着いたときから名も知らない町のスラム街にいた。たった1人で。いわゆる捨て子だ。

関わった人たちの名前が思い出せないほど、当時の記憶は霞がかっている。ただ一瞬も気を抜けない張り詰めたような日々だったことは覚えている。

大きめの道の端にじっと座って頭を垂れ、気まぐれなヤツが投げた金を惨めったらしく拾い集める。いかに魂のない置物のごとく、憐れみだけを誘えるかがカギだ。

仲間なんて居ない。信用出来ない。スラム街の住人はいつだって自分が生きることで必死だからだ。


生き汚くもがいて、ときには手を出して、気がついたら傭兵団の一員として荒くれ者の中に交じっていた。幸い俺には武術の才能があったようで、この界隈ではそこそこ名が知られるくらいには成長した。


あと2、3年で三十路に届く歳頃だろう。

自分の境遇を嘆こうとは思わない。珍しくもない。恵まれた貴族の奴らより、俺と似たような人生を辿るヤツの方が多いだろうと思っている。


しかし、傭兵というものは全ての人に戸を開く代わりに安定とは程遠い職ときた。

俺はあちこちの傭兵団に出入りを繰り返し、数年で他の国へと所在を点々とする。 多少仲良くなった仲間たちもすぐに他所へ出ていくものだ。そんな中でまともな交友関係を築けるほど俺は器用ではなかった。


下町の女は強かだ。自分の利になる男を見極めて自分を売り込む。俺のような男のところには一夜を共にしたいだなんて女は来ても一生添い遂げようとする者は寄ってこない。


どこの街でも大抵俺は辛うじて雨をしのげる程度の宿をとり、スラム街と表通りの中間あたりに留まっている。

稼ぎは割かし良いとは思うが。慣れない上等な宿に泊まったところで何になる?無聊を慰める相手もいない。身の丈に合った暮らしで十分だ。


この国へ来て3年ほどが経つ。傭兵団が結成されて、大仕事は既に終わった。今は都合のいい依頼を気が向いたら受けているだけだ。

それなりに大きな国だが、ここでは珍しく貴族層において根強く側室制が残っているらしい。

はっ、良いご身分だな。余るほど妻がいるのなら下々の者にも分けてくれよ。


そろそろこの国を出てまた別の所へ移動する頃合いかもしれない。そんなことを思いながら薄暗い路地裏を通っていく。





だから、突然若い女の叫び声が聞こえてきても、またか、ぐらいにしか思わなかった。

運悪く目が合ってしまったから、殺されると寝覚めが悪いと思い直して引き返し、そいつに群がっていたならず者たちを追い払っただけで。


まさか貴族の女が護衛もつけずに1人で来ているとは思ってもみなかったのだ。


彼女は確かに美しかった。押さえつけられた長い金色の髪は埃がついて乱れていたが、繊細に手入れされていたことが伺えるほど艶々と輝いていて、大きな青い瞳は精巧な人形のように整った小さな顔に完璧な配置でついていた。

華奢で程よく肉付きの良いすらりとした肢体と、それらを包み込む煌びやかなドレス。下町では滅多にお目にかかれないような良い女だ。



同時に俺は苛立ちも感じていた。

あんたにはあんたの生きる世界があるだろうに、わざわざ中途半端な気まぐれとやらで庶民の生活を覗きに来るな。

勝手に路地裏に引き込まれて殺されたって、自業自得だ。


幼いころは稼ぎが良い貴族街の近くで物乞いをしていたこともある。優しいお貴族様ってやつが金貨を投げてくることもある。


それとは別に、貴族の女は俺を見つけると必ずと言っていいほど衛兵を呼びつけてつまみ出させた。

あいつらの領域に侵入したわけでもないのに、随分理不尽なことだ。汚いっていったって小綺麗な通りから数分歩いたら似たようなものなのに。




成り行きで彼女の格好を取り繕える店まで連れていくことになったのは、彼女の反応が予想外に素直で調子を乱されたからだ、と思う。


「おい、何突っ立ってんだよ。好きなやつ選べ」

「あ、あぁはい!」


もしや、仕立て屋付きの高級店しか言ったことありませんってやつか。

どうせ文句を言われるのならあのまま放っておけばよかった。

しかし、そんな思惑とは裏腹に、彼女は楽しそうに服を選び始めた。

くそ、抜け出すタイミングなくした。



「これ、どうでしょうか!」

「まあ良いんじゃねえの」


さっきまで身につけていたドレスに比べると遥かに粗末な水色のワンピースを纏い、彼女ははにかむ。

…ちょっと可愛いとか思ってしまった。


そのまま靴屋に行って帽子屋にも入ってみて、結局最後まで俺は連れ回された。


「…あっ!すみません、付き合わせてしまって。とても助かりました。本当にありがとうございました」


1度言葉を切り、言い淀んだように目を動かし、息を吸って彼女はまたこちらを見た。


「その…もしよろしければ来週もこの辺りに来ていただけませんか。また案内を頼みたくて…」

「…案内?」


そういえば俺が今日こいつの案内人をしていたのか。

俺の反応を見て、彼女は慌てたように言葉を重ねた。


「1週間に1回だけ、日が傾くまでには帰りますわ。当然報酬はお渡ししますし、ご都合が悪ければ途中で私を置いていっても構いませんので…」


振り返って陰り始めた空を見上げ、


「申し訳ありません、時間が無いのでそろそろ失礼します!来週の同じ時間、ここにおりますので、気が向いたらいらしてくださいな。」


ここからまた一人で歩いて帰るのか?不用心な…と思った瞬間彼女の輪郭が霞む。


「…は?」


一瞬のうちに彼女は目の前から消えてしまった。

あれは…転移魔術じゃないか……?

初めて見たんだが… 俺か人さらいだったらどうすんだよ…

あいつ毎回転移して来るのか?誰かに見つかることを考えていないとでも?




来週も来るとか言ってたな………




◆◆◆



彼女に一言注意しておかなければ落ち着かない。

あれから1週間が経つ。

裏路地と表通りの辺りをうろついてた。



ちょうど太い道から1本脇に逸れたところで目の前の空気が揺らぎ、彼女が現われていた。

俺と目が合うと顔を綻ばせ………


「って、あんたなあ!」


腕を掴む


「はぇ?……あ、あのその」

「空間転移だろ、ソレ。危ねぇな。せめて人いないとこで使え」


彼女は目を大きく開いてぱちぱちと瞬きをした。今日は律儀にこの前買った水色のワンピースを着込んでいる。


「忠告のためにいらしてくださったのですか…?」

「…ああ。じゃあな、俺はもう行く」

「待ってください!私はこの辺りに全く詳しくありません。人目につかないような場所を教えていただけませんか?」


人気がなくて安全なとこ、ねえ……そんなところ普通じゃ滅多にないが。


「……1箇所、心当たりがある。ただし森の中だ。迷う危険があるがそれでも良いっていうならついて来い」

「ええ!構いませんわ。あなたが仰ったように、いざとなれば転移できます。」


ろくに考えもせず受け入れていいのか?

そもそも手入れされていない所を歩くわけで、温室育ちのお嬢様にはキツいものがあると思うが…


「そういやそれ使えばいい感じの場所に飛べるんじゃね?」

「いえ、1度行ったことのあるところでないとできませんわ。それに予め術式を張っておく必要がありますので、私は帰りの分しか転移できないのです。それより…あなたこそ良いのですか…?」


何が不安なのだろう。提案したのは俺なんだけどなと思う。


「何時でも抜け出せるので私のことはどうでも良いんですが、あなたこそ迷ったらどうにもなりませんわ。場所さえ教えていただければ探してみます!」


……こいつは俺に案内して欲しいのか、俺から離れたいのかどっちなんだ。

なんだか肩透かしをくらった気分だ。


「あんた学ばねえな!?俺がいいって言ってんだからいいんだよ。ぐだぐだしてんなら置いていく」


背を向けて歩き出す。後ろから彼女が小走りでついてきた。



街の端の方へ数分歩くとうっそうと茂った木々が姿を現す。

ずいぶん深く、木材の利用価値もないようでこの辺りの住民には敬遠されている森だ。


木々をかきわけ、張り出している草の根をよけて歩いていく。

振り返ると彼女は手を木の幹につけ、裾を束ねて握り、悪戦苦闘しながらも文句は言わず俺を追いかけている。



そのまま2、3分進むと一帯の木々が開けた。小高い丘と、なかなかの大きさの池がある。水は美しく澄み渡っていた。

気が向いたときにふらっとやって来る場所だ。この国に来たばかりの頃適当に歩いていたら見つけた。



「…つ、着いたんですか!?」


ぜえぜえと息を切らして彼女が並び立つ。頭に枯葉が乗っかっている。体力全くないくせによくここまで来たな…

気づけば唇が笑みの形を作っていた。


「……!綺麗………!」


本心からそう思っているとでも訴えるように一対の青い瞳は空の青と水の青を反射してきらきらと輝く。

気に入っている場所を褒められると、悪くない気分だ。


「だろ?感謝しろよ。…つってもあんたが今まで見てきたものに比べたらお粗末だろうけど」


すると彼女は目の色を変え、上目遣いで俺を睨んだ。


「まあ、意地悪を言うのね!もちろんあなたには感謝してもしきれないくらいよ!自然の草木がこんなに綺麗だなんて私知らなかったわ。」


彼女は丘の頂上に向かって歩き出した。


「手入れされてお行儀よく並んだ花も美しいとは思うけれど、ここは緑ばかりなのにそれぞれちょっとずつ色が違って、全部がひとつになっているわ。この上で寝転がって空を見上げたら、とっても素敵だと思わない?」


こちらを振り返る。


「姫さん、あんた口調、そっちの方が良いと思うぜ?」

「あっ!ごめんなさい…」


我に返ったように彼女は片手で口を覆った。


「だから謝んなって。俺はそんな丁寧に相手してもらえるような人間でもねえしよォ。で、場所はここでいいんだな?」

「ええ、来週からはあの木の下に来ることにするわ!」


彼女は一際大きく青々とした大木を指さした。


「でも、私がここに着いてから一人で街に降りようとしたらきっと迷ってしまうわ。だからあの木の下であなたがここに来てくれるのを待っていてもいい?」


躊躇いもなくぺたりと地面の上に腰を下ろして彼女はじっとこちらを見つめる。


「あなたが来るまで、日が高いところにある間はずっとここにいるわ。それまでは綺麗な景色を見て楽しむことにする。じっと待っているだけでも退屈なんかじゃないのよ!」


つくづく彼女は貴族の令嬢らしくない。こんな何でもない所で喜ぶのも、体が汚れることを気にしないのも、俺を過大評価するところも。


「今更だけど……私のことはエルって呼んで。あなたは?」


エル―――――エルか。本名ではないだろう。貴族の名前は無駄に長いから。俺も適当な名前を名乗っておくべきだろうか。

俺のことを別の名前で呼ぶ彼女を想像してみる………


「……イーサンだ」

「イーサンね!分かったわ!…ねえイーサン。もう少し時間もあるしもう一度街へ行ってみない?この前回りきれなかったから、あなたに紹介して欲しいところがいくつかあるの!」

「へえー良いのかよ?もう一度あの道もないような所を通るんだぜ?」


彼女は満面の笑みを浮かべて言った。


「望むところだわ!」





それからまた街へ出た。彼女は前にも増して生き生きとあれやこれやと尋ねては、何度も俺の名前を呼んだ。




「今日は楽しかったわ!ありがとう!」


彼女はごそごそと懐から袋を取りだした。


「これ、約束したお礼よ」


金貨……?いや、白金貨だよなこれ……。


「いらねー」

「どうして?それじゃあ私はあなたに迷惑をかけただけ…」

「なら、あんたはずっとその気持ちで俺のこと命の恩人だって敬っとけ」


金を受け取ったら俺が全部金のために行動したかのようになって嫌だ。

それに、金を払ったらてめえの心を占めている俺への負い目だとか申し訳なさだとかがきれいさっぱり消えるんだろ。


「だから、エルって名前…」


ひとつ呟いて彼女は消えた。残ったのはもやもやとした取り留めもない思いだけだった。





◆◆◆



日に日にエルに心が傾いていくのが分かる。

精神的に依存しきってしまう可能性があることの恐ろしさと手を伸ばしてしまいたくなる心の狭間で揺れていた。

この気持ちが何かなんて考えることはしない。

結論はいつも現状維持だなんていう逃げの一手だ。



自然と決まった待ち合わせ場所。木に寄りかかってぼーっと空を見上げた。


「イーサン!待たせちゃった?」


…やっとエルが来た


「ああ、待った。」

「もう…そこは、今来たばかりだって言うところなのよ!」

「どこの常識だよ。べつに待ってたって良いじゃねえか。お前が言うにはただ待ってるだけでも辛くないんだろ?」



寄りかかったまま軽口を叩くと、エルは再び「もう…」と呟き、少し顔を伏せてから俺の真似をして木に凭れた。


「空を見ているの?…ここだけ森が開けてまるく空が覗いているの、凄く好きだわ。自由にも見えるし、鳥籠みたいにも見える」

「じゃあ抜け出さねえとな。行くか。姫さん、今日はどこへ行きたいんだ?」



いつもの獣道を歩く。彼女はすっかり慣れた足取りで軽快に枝をくぐっていく。ちょうど森を抜け出していつもの方向へ歩きだそうとしたところで、彼女は反対側をに目を向けた。


「…ねえ、イーサン。あっちには何があるの?ここは街の端でしょう。向こうには大通りと住宅地…それならあっちは?」


彼女は示した方角には細いけれど確かな道が続いていた。


「隣の国へ続いてる。俺もそっちから来たんだ。」

「そうなの?別のところにしっかりした関所があるわよ。それに…あなたは外の国から来たのね…」


何か思うところがあるのだろう。エルは考え込むように下を向いた。


「でかい方の門は手続きが面倒なんだよ。こっちの方面は木しかねえからあんまり人は近づかない。俺みたいな身元不明のやつにはちょうどいい」


正門は俺を通すことを嫌がる。裏口から入るのが見合っている。そうは言っても裏口のほうが門番は呑気で人当たりが良い。

こんな緩くて良いのかと不安になるほどだが、この行き方はあまり知られていなくて、案外好きだ。


「この国でしたいことがあったの?」

「まあ、なんだ…仕事の一貫ってやつだな。俺は傭兵なんでね。この国には3年と少し前に来たか。それ以外に目的もないが募集がかかったら国を点々としているだけだ」



一般的な貴族の女性にはやはり余所者の兵よりはこの国で生まれ育った人の方が受けが良いだろう。 愛国心なんかを語られたりして。

エルへの受けが良いかは知らないが。

少し戦々恐々としながら言うと、彼女は青ざめた。


「もしかして、あなたはそろそろ別の国へ言ってしまうの…?戦力の募集があったのは暫く前だわ。」

「その面で言うと…そうだな。することは終わった。もう別の街へ行っても良い頃合ではある。ただ適当に日雇いで仕事をしても十分稼げるから問題はないが…」


彼女にそう言われて初めて他国への移動をすっかり忘れていたことに思い至った。最近忙しかったからか。それとも……彼女が此処にいるからか。


「じゃあ、」


エルが前のめりになって勢いよく言った


「じゃあ私のためにしばらくここに居てよイーサン!あなたに教えて貰えなければこの場所だって知らなかったし、私ひとりじゃ上手く下町を回れない」

「………」


消去法だったとしても、エルがこんなにも俺を強く求めている。今まで他人にこんなことを言われたことはない。

心が震えた。


「それに…あなたが嫌でも私の我儘を見逃してよ。あと少しの辛抱なんだから…あと半年も経てば……」


半年?あと半年がなんだというのだ。

エルは俺の無言を拒否と読み取ったらしい。誤解されることは避けたくて、被せるように言葉を紡いだ。


「…別にすぐ移動しろなんて言われているわけでもねえ。騎士団と違ってただの傭兵1人には誰も命令してまで動かそうとは思わないだろ。ふらふらしてんのは俺が定住に向いてないってだけだ」

「良かった…!でもその様子だとあなた宿屋を借りているのでしょう?どんな感じ?私本で読んだことあるわ!藁をしきつめると保温性が高くてふかふかしていて…ちょうどこの地面みたいなもの?」



座ろうぜ、と言って木々の横で適当に腰を下ろす。

それにしても藁とは…それは野宿ではないか。庶民が皆布1枚もない暮らしをしているだなんてとんだ嘘八百だ。

しかし彼女を前にすると全く怒りは湧いてこない。むしろ好奇心をもって話し続ける横顔を美しいとさえ思う。



俺も彼女に尋ねられ、自分のこれまでの暮らしだったり下町の様子だったり、およそ貴族の令嬢を楽しませるはずもないことをぽつぽつと話した。

エルは否定も肯定もせずただ静かに俺の話を聞いていた。



エルは正面から自分のことを話そうとはしなかったが。一応お忍びということで避けているのだろうけど、振る舞いや会話の節々から彼女の暮らしがうかがえる。

おそらく、天上人区内の中心近くに邸宅を構える相当高位の………

…彼女が抱える不満は貴族らしからぬ、しかしある意味貴族らしい贅沢な苦しみだ。

俺の人生に比べたら、肉体的な痛みは比にならないだろう。

それでも、彼女の悩みを否定する気持ちは全く起きなかった。




◆◆◆




エルと街を歩きながら思ったことだが、俺たちは周囲からはどのように見られているのだろう。


やはり、お忍びのお嬢様と護衛だろうか。

俺たちは恋人の距離からは遠い。体は常に一定の間隔が空いているし、手を繋ぐことはない。

…エルが俺の横を歩こうとするから従者と姫としての距離感でもないのかもしれないとは思うけれども。


安価な服を着てローブを羽織っていてもそれでも彼女は人目を忍ぶ身だ。富裕な庶民の娘と供、というのが1番良いのだろう。

そう考えると、俺の粗雑な振る舞いはよろしくないのでは。人通りの多いところにいるときくらいはもう少し言葉を繕い方を学ぶべきではないのか。




思い立ったが吉日。手近な店で子供用の教本を手に取った。


…ってたけぇ!懐は痛まないが俺の宿代1ヶ月分より高いってどういうことだよ…



「お見かけしない方ですね。アンソワーレ商会の方でしょうか。紹介状がなければお安くは出来ませんが…」


支払いをしようと店員のもとへ行って声をかけられ、面食らった。

…そうか。普通に考えると俺はどこかの家の子のために教本を買いに来た従者にでも見えるのか。


「……ああ、いや、問題ない」


店員に不審な顔をされたが無事に売って貰えた。良かった。

上着の内側に入れて宿まで引き返した。



自分の部屋で腰掛けながらパラパラとページをめくる。

ふと、思った


…俺は何をしているんだ?

あいつに頼まれたわけでもないのにあいつのことを考えて、慣れない店にまで入って気まずい思いをした。



「…………っぁあああ!!」


ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜて硬いベッドに倒れ込んだ。

…ガキかよ。柄でもねえ………



そう、これは自分のためだ。お貴族様がいると知られて騒がれたら余計な迷惑を被る。だからこれは俺のための行動だ、そう言い聞かせてみる。



可笑しくなってフッと笑みが零れた。



・・・・・・・・・・・・・・


最近、エルが来るのが待ち遠しい。

前言撤回、やはり待つのは辛い。…俺が遅く来いよって話なんだが。集合時間の30分前に待ち合わせ場所に行っておきながら待つのが辛いと嘆くことは滑稽だ。



「イーサン!」

「おう」


彼女に向かいあって止まり、手を差し出す。


「エスコート致します、お嬢様」

「あなた、それ…………」


エルが目を丸くした。可愛い。


「舐めないでくださいよ?俺だって正式な作法くらいできんですよ。さあさあお手を拝借、お姫様」


彼女は数秒の後に顔をくしゃりと歪めて泣きそうな顔で笑った。



・・・・・・・・・・・・・・


ずっと手を重ねたまま、ひとしきり歩き回った


「楽しかったわ!」

「それは良かった。ところでお姫さん、俺この口調やめるわ。」


確かに楽しかった。だが丁寧に言葉を選ぶと少しエルと距離が空いてしまったように感じたのだ。


「どちらでも私は楽しいわ。でも本当のことを言うとね、いつものイーサンの方があなたらしくて良いと思うの。」


彼女は内緒話をするように少し頬をそめてささやいた。


「それから、エスコートしてくれてありがとう」

「…そうかよ」




それから、丁寧な口調を使うことはやめた。

けれども手を重ねる習慣はなくならなかった。




◆◆◆



エルが来るのが遅い。ここ数週間、心做しか元気もなくなっている。


いつもの木の根元に座っていると眠気が襲ってくる……………




気配を感じて、意識が覚醒した。


「残念、起きちゃった。遅くなってごめんなさい」


彼女はへらりと笑い、「行こう?」と俺の手を引く。


「ちょっと待て。こっちきて座れ」

「え、何……」


無理やり幹を背にして自分の隣に座らせる。彼女の目の下にうっすらと隈があった。


「俺を待たせるなんて良い度胸じゃねえか。罰としてしばらく付き合えよ。今は動きたくない気分なんでね」

「もう…仕方ないわね」


俺の言葉に従い、彼女は腰を落ち着けた。

肩が触れ合いそうだ。並んで何も考えずに景色を見つめる。


「……」


こういうときに気の利いた話は思いつかない。無言の時間が流れる。しかし、苦痛ではなかった。




彼女の頭が肩に触れる


「おいエ、ル…………」


彼女は俺の肩に寄りかかってすうすうと寝息をたてていた。

表情も明るくなった気がする。



貴族はあいつらなりに忙しいんだろう。俺には想像もつかないが。少しでも彼女の疲れがとれたら良いと願う。




彼女が一言「逃げたい」と言ってくれたら俺はこのままあんたを連れ出せるのに。

この場所から国境はすぐそこだ。

でも、それは俺が決めることじゃない。

彼女が何も望まない限り、俺はいつまでもエルの案内人なのだ。




エルの体が傾いた。ぐっと体重がかかる。



…それにしても柔らかすぎではないか。腕にエルの金の髪が当たる。頭が肩に凭れる。不安定な体を支えると、腕が絡まった。良い香りもする。香水のキツい臭いとは全く違う。


エルはつくづく危機感が無さすぎる。彼女は多少親しくなった男にはいつもこのように無防備なのだろうか。

いや、そうは思いたくない。

これに、これが普通ならば彼女はあまりにも男慣れしていないことになる。貴族は頻繁に踊るのだろう?男に手を握られる度にあんなふうに顔を赤らめていたらきりがない。



…おそらく俺は彼女に好かれているのだと思う。

打算で俺に優しくするくらいならもっと身持ちの良さそうな男を狙っても彼女なら落とせてしまうだろう。

自惚れだとは思わない。

今も彼女は安心しきって俺に身を委ねてきて………




あー、これは少々まずい。心の奥底からあらぬ欲が湧き上がってくる

その全てに必死で蓋をして、空いている方の手でそっとエルの頭を撫でた。





◆◆◆



「あんちゃん、あんちゃん」


背中をつつかれた。

賑やかな音楽をかきわけるように少し声を張り、男が自分の屋台で並べている売り物を指す。



「…なんだ。俺は今忙しい」

「真ん中で踊ってるキレーな姉ちゃん、お客さんのツレでしょ」


背の低い男は欠けた歯を見せて人好きのする顔で冷やかすように言った。


「彼女さん、うちの商品見てたよぉ〜。ホラ、この足につける飾りさ。特にこれオススメだよ。黒と青で兄ちゃんの色だ!お熱いねぇ〜!」


…俺と彼女は恋人同士に見えるのだろうか。

店主の言葉を受けて真っ先にそんな感想が出てきたことに苦笑する。


エルがこのアンクレットを眺めていたことは本当かもしれない。俺が気づいてやれなかったのは悔しい。

欲しいのなら買えばいいのに、で済ませてはいけないのだと思う。そして俺が彼女の気持ちを勝手に推し量ることはすべきでない。

それでも。


「2つくれ。あんたが手に持ってるやつと、後もうひとつ、その金と青のやつ」

「おっ!まいど〜!!!」


俺の意図は分かってるとばかりに店主はこちらを見て、にやにやと笑いながら時代遅れのハンドサインをしてくる。

そのくせして売ってるものはエルが目を引かれるのも分かるような可愛らしいものだが。


ふたつ受け取ってエルのところへ戻る。

収まりそうもない熱気の中で彼女はまだ踊っていた。

俺を目で探していたらしく、目が合うと安心したように笑って手を振ってきた。


ああ、好きだ。



目ざとく気づいた町の人達が俺を肘でつついて冷やかしてきた。つられて顔が綻ぶ。

エルといるだけで俺の生活は色付いていくんだ。


こっそりと金と青のアンクレットをつけた。もうひとつ――――青と黒のものは丁寧に包んで胸元に入れる。今のところ実用するつもりはないが、大事にしまっておこう。

何も言わないで好きな女の色を身に纏うとはなんて痛々しいやつなんだ。

まあいいか、と思った。





日が傾いてくる。名残惜しいが時間を忘れて踊っているエルを連れ戻さなければ、とあの集団の中に入っていくために立ち上がった。

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