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30:アナグラムス

 かつて栄華を誇った王国は、時代と共に狭まって小さな村が国となる。隣国から小さな国土を守る内、ロンダルディアから若者は消え……年寄りと幼い子供達が残った。子が大きくなれば彼らが境界の守護を任され、またいなくなる。

 最後に残ったのはもう戦えないほど老いた大人と、子供が二人。それから僅かな信仰で生き存える、仮面の女神――……それだけだ。


「フォース! フォスタス!! ご飯は貴重なんだから、ちゃんと食べなきゃ駄目!」

「うるさいな。その分他の誰かが食べれば良いだろ」


 育ての親を殺されて、少年は怒りに駆られた。敵を殺すためだけに、錬金術を紐解いた。


(僕が死んでも僕の研究成果が残せれば、武器や兵器は残る。時間だ。足りないのは時間なんだ)


 食うも寝るも全てが惜しい。不眠不休で爆薬作りに精を出し、遂には倒れた。看病をされる間も代わる代わるやって来る村人達に、少年は小っ酷く叱られた。叱られたが全く懲りない。同じ事を繰り返す。心配しても素知らぬ振りの態度を前に、いよいよ少女は泣いて騒いだ。


「貴方が死んだらみんなが困るのに……どうして解ってくれないの!」

「他に“若い男”がいないから? 出すだけならまだ使い物になる爺さんの一人や二人はいるだろ」

「貴方って人はっ!! 全然何もっ、わかってない!!」


 一発此方の頬を打ち、泣いて部屋を出て行く少女。呆然と彼女を見送る内に、部屋には新たな訪問者。


「ロンダルディカ様っ!?」

「まだ病み上がりでしょう、どうかそのままで」

「はい……」


 とうとう女神までもがお小言に現れた。形式上は折れた振りをするべきか。


「貴方は頭が良いですが、少々配慮に欠けていますね」


 寝台横の椅子に腰を下ろして女神が言った。


「言葉というものは難しい生き物です。過ぎればそれは嘘となり、足らねば誤解が生じてしまう。けれど適量を用いれば、奇跡を越えた力にもなる」

「奇跡の方が凄いと思います」

「体調不良を治せるくらいの奇跡なら、普通に食事と休息を取って貰う方が効率的です」

「……それはその、返す言葉もありません」


 女神の手に額を触れられ、身体がすっと楽になる。それだけで熱やだるさが引いていった。彼女には頭が上がらない。物心ついた時からずっと、奇跡の恩恵を受けて育った。


「貴方が怒り、研究に没頭するように。人々は貴方を叱りました。感情には必ず意味があるのです。貴方が失った人を想うがための復讐……怒り。では貴方を叱る私達は、貴方をどう思っているのでしょうね?」

「満足に戦えない、頭でっかち、穀潰しの役立たず」

「知識以外の自己評価が低いのも問題ですね、可愛い子。次期女王に、泣くほど思われている貴方を憎む者など、ロンダルディアには居りません」


 彼女から思いを寄せられている自覚はある。しかし心当たりがないのだ。


「貴方しかいないからではないのです。あの子がそれを運命だと信じているから、貴方しかいないのです」

「綺麗な一本道だけ見てていて、両脇には崖があったとしても、人は自由だ。崖から飛び降りた先の道だって選べる」

「愛しい子。人間は誰しも、幸福を願う生き物なのです。あの子にとってはね、フォスタス。貴方がその、幸福なのよ」


 彼女の言葉、彼女の笑顔泣き顔。多くの想いをぶつけられ、僅かでも幸福を感じたことはないか? 女神の言葉を否定出来ない。泣き顔に苛立つ訳は、そんな顔をさせたくなかったから。


「失う前に気付けないのが真の愚者。考えてご覧なさい。あの子の不幸を。明日あの子がいなくなっても、貴方は何も思いませんか?」

「グレーテ……」


 彼女の顔を思い出した瞬間に、少年は転がるように寝台を抜け慌てて家を飛び出した。

 あの日を境に研究の理由が変わった。復讐のためではなく、彼女のいるロンダルディアを守るため。自分なんかのために、笑って泣いてくれる人。もう何も失わないために。


 そんな彼女の、顔がない。ぼんやりと雰囲気ならば思い出せるが明確に思い出そうとしたならば、見えてくるのは亡骸だ。掴んだまま冷えて固まった少女の手。氷のように、冷たい手。





「はぁー! 長かったな、これが最後の女か」

「待てよ兄貴。そっちのガキも殺して依頼完了だ」

「馬鹿。良く見ろ、血で暗く見えるがあれはロンダルディア人の外見じゃない。境界付近で拾われた戦災孤児だろ」


 山賊紛いの破落戸が、凶器の斧を持っていた。弟分らしき男が手にしたスキャナーを少年へ向け、兄貴分を褒め称える。


「流石は兄貴! あんな遠目からよく解りましたね!!」

「おうよ。一発麻酔弾を打ち込んでやったからな。後はガキの足だ。追いつくのは訳が無い」

(嘘、だ)


 僕が移民だって? 僕は生まれたときからロンダルディアで暮らしていたんだ。村のみんながグレートヒェンが大好きだ。なのにどうして、どうして僕だけ生き残る!?


「怖い目に遭ったななぁ可哀想に坊や。お前は魔女の盾として育てられたんだろ。同胞殺しは犯罪だからな。だが安心しな……お前は面も悪くねぇ。良いところに売り飛ばしてやっからよ! がははははは!」

「最高ですぜ兄貴!! 討伐リストにねぇってことは好きにして良い!! 呪われた土地で生まれ育ったガキと来れば、好事家に曰く付きで高く売れるかも!」


 怒りだろうか? 熱さを覚える。下衆共の会話を聞くほどに、少年は体温が増して行く気がしていた。


「もうこんな世界、食いカス残り滓しかいないと思ってたんだがな」


 それは恐らく幻聴だ。何時しか下衆の声は三人に増えていた。しかし面白いことに、二人の下衆は三人目の声に何も反応を示さない。三人目は二人に無視されることも気にせず真っ直ぐに……少年の怒りへ向かって歩みを進める。


「“人間の魂は、終末ほど素晴らしい。美しい物がある”って。昔おっさんが言ってたな。お前……名は何と言う?」


 美しい男だ。真っ直ぐ伸びた大きな角は漆黒。長い髪は夜を溶かしたダークブルー。高級感と清潔感に、異様な露出度。上品さと下品さを併せ持つ奇妙な礼服。血にも炎にも似た赤い瞳を二つ持ち、マントの裏も同じ色。彼は少年を値踏みし見下ろす。


「なぁ、そこの死に損ないの美少年。お前だお前。名乗りたくないならそれでもいいが、一つ答えろ。お前は美味いか?」


 妙なことを聞く男だ。自分はいかれてしまった。誰にも見えない男が見えるようになってしまった。いやもしも。これがまだ夢ならば。違う“夢魔”が現れたなら。こいつを利用してやれば、グレートヒェンを救い出せるかもしれない。少年は、フォスタスは考えた。この男の興味を引く言葉を。


「…………ああ、最高に美味いよ僕は」

「へぇ、そーか。そいつは結構! ちなみにどの部位が自信作だ?」

「心臓とか脳とか? 一つしかないし希少な部位は美味しいはずだ」

「そうかい。その理屈なら、お前の男根なんかさぞかし美味だろうな」

「信じられないくらい美味いと思う。食わずに帰るのは愚か者のすることだ」

「あっ、ははははは! 可愛い顔して最低だなお前!! 最高だな!! 男でなくなっても、人間でなくなっても。それらを食われて失っても、俺様を引き留めたい訳だ?」


 男は腹を抱えて笑い、一頻り笑い終えると喉が渇いたとぼやき……片手で“兄貴”の首を跳ね飛ばす。


「……気に入った」

「ひ、ひぃいいいい! な、何をしやがった糞ガキぃいい!! やっぱりお前も魔女の民かっ! お前を、お前を殺せばっ!!」


 やはり山賊達に男の姿は見えていない。突然兄貴分の首が転がるを見て、弟分は錯乱。縛られ身動きも取れないままの少年に、刃物を振りかざす。


「俺様は結構、惚れた女がいる男は嫌いじゃないんだ。人妻然り、未亡人然り。他人の物ってのはどうして魅力的に見えるんだかな。永遠の謎だと思わないか少年?」


 男は長い足を宙に上げ、弟分の頭を踏み潰す。靴磨きには丁度良いと、濡れた足を此方へ向けて浮かべた笑みは少々幼い。


「普通は命乞いするんだよな。“美味くないから食べないで、殺さないで”って。そういう連中殺すのも楽しいけど、やっぱ旨味が少ないのは現実的じゃない」


 人を殺めることに微塵も罪悪感を抱かない。彼は一体何者なのか。夢魔の仲間? いや、実際に人が死んでいる。ここが現実であるのなら、この悪魔は本物だ。夢魔なんかよりもっと素晴らしい存在だ。直接相手に危害を加えられる。


「愉快な少年、面白い回答に免じて見逃してやる。精々美味しく育てよ。その時食いに来てやるかもな」

「……待って!!」


 背を向けた男の脚にしがみつき、少年は懇願する。振り返る男は困った風に彼を見下ろす。


「俺様がお前を助けたのは唯の気まぐれだ。それ以上を求めるとなると、契約が必要になるぞ坊や。自分が助かっただけでも喜んでおけ」

「逆だ。僕は死んでも良かった。彼女が生きてさえいれば」


 絶対に逃がさない。この男は彼女には幸運の女神。前髪でも角でも足でも股間でも構わない。なんでも掴め。掴んで捕まえて、決して逃してなるものか。相手が“良くない者”であれ……自身が破滅に陥ろうとも、少年はもはや構わなかった。


「なるほど。そこの嬢ちゃんを、お前は生き返らせたいと? それこそ自分の命を差し出しても構わないくらい、お前は彼女を愛していたと?」

「ああ……」

「なのにお前は見知らぬ男に惨めったらしく縋り付き、ハイエナの目で好機を伺う。本当は可哀想なあの子をすぐに葬ってやりたいのに。いや、現実逃避でお伽話みたいに口づけを繰り返してみたらどうだ?」

「……キスしようにも、顔がない」


 彼女の頭部は吹き飛ばされていた。フォスタスにも血と肉片がこびり付いている。


「なるほど、そいつは現実的じゃないな。だが、頭が残っていても恐らくお前はそうしない。俺みたいな不可思議な存在に跪いてでも、……お前は目的を果たそうと決めている。……冷酷な男だ」


 男は初めて少年の視線に自身を合わせ、しゃがみ込む。赤い瞳は触れ合うくらい近付いて、少年の目を覗き込む。


「世界は広い。その娘でなければならない理由は何だ? 所詮お前は人間だ。他の何かを愛していける」

「彼女が僕の、人生だ。僕は彼女に救われた。僕が生き残ったのは、彼女を助けるためなんだ。僕は彼女のために生きている。生きている以上、僕は彼女を諦められない」

「気が遠くなるほどの月日の果てに、お前の願いが叶うとしよう。その時彼女はお前が解らない。醜く老いぼれたお前が記憶の中の少年だとは気付かない。その時お前はどうする? お前が全てを捧げて救った最愛の人が、別の男の腕に抱かれて奪われていくのを、老いぼれたお前は指を咥えて見ているんだ。さぁ、お前はどうする?」

「……賢者の石を、完成させる」


 それは、不老不死を叶える錬金術の霊薬。まだ研究途中だが、必ず完成させてやる。少年の妄執に触れ、男は思わず息を呑む。


「僕は彼女が思い出せる姿のまま、彼女が蘇る日を待ち続ける。心変わり? ある訳がありません。どんなことでもしますよ僕は。彼女が生きて、僕の隣にいてくれればそれで良いのです。何十年、何百年掛かってももう一度僕を好きになって貰うだけ」


 精霊の如き美しい愛を求めない。他人の評価も求めない。醜く汚らわしいやり方だとしても、愛しい人のためなら手段を問わない。美しい少年の内面から滲み出る、醜悪な執念に男は好奇心以上の何かを寄せる。


「……懐かしい目だ。鏡のように延々と。眺め続けた俺の目だ」


 嬉しそうに笑った後……悲しげに男は一度目を伏せ少年から顔を離した。けれども絶えず此方を探るよう、瞬きもせず少年を見つめている。


「坊や、お前唯の人間ではないな。賢者の石……とか言っていたな。“錬金術師”か? こんな時代に珍しい。先程お前は何をした? 見たくないかもしれんが、よく見てみろ。彼女の傷の切り口は刃物とは違う。……弾の跡もねぇ。これは“焔硝”だ」


 焔硝――……火薬。少年はナイフの他に、武器を隠し持っていた。危険な毒となる薬品を幾つも所持していた。それを使って逃げ切るつもりであったのだ。


「連中が撃ったのは、そいつの身体じゃない」

「貴方は――……!! 僕の爆薬が撃たれたって!? 僕が彼女を殺したって言いたいのか!?」


 少女の頭は、吹き飛ばされていた。それは事実だ。少年もその点は認める。


(そんなことが、あって堪るか)


 彼女を守るために続けた研究が、彼女の命を奪う道具になったなんて認められるか! 冷徹だった少年が、怒りに支配される様を……悪魔は味わうように眺め見る。


「事実を話そう。ちょいと巻き戻して見たからこれは真実の話だ。間接的にじゃない、直接お前がやったんだ」

「僕が、グレーテを殺しだと!? ふざけるな!!」

「俺達は人間を欺すし殺すが嘘は吐かない。“お前は背中から女を降ろして逃げた。パチンと留め金を外して、爆薬(そいつ)を彼女へ投げたんだ。死角になっていた山賊共には、突然女が自爆したようにしか見えない”」

「嘘だっ!! そんな、僕がっ!! 僕が――……彼女を、この手でっ…………」

「ああ。お前からはお前と違う魔力の気配だ。“操られたんだろう、夢に”」


 夢魔に操られ、最愛の人を自らの手で殺めてしまった。少年の慟哭に、男は何かを感じた風だ。


「ある神話には、報いの女神が存在する。それなら神の敵側にも、フレキシブルな同様の存在がいてもおかしくないよな? 連中より話が解って、親身になって手を貸してくれる“悪魔”がさ」


 奇妙な慰めの言葉。不思議にも悪魔は少年に……“同情”していた。人間の大半は餌。普段は情など覚えない。


「少年、俺を使役してみるか? 生憎新しい俺にはまだ名前がない。そろそろ異名を増やしたくてな。箔が付くだろ? 俺が気に入る名を付けられればそれを真名の一つにしてやる。お前に召喚されたことにしてやるよ」

「…………僕は貴方に何が出来るのか知らない。答えて貰おうか、“メフィストフェレス”」


 かつて本で読んだ悪魔の名。悪魔も伝説を知って居る風で、口を三日月形に釣り上げる。


「少年、お前の名は?」

「“ファウスト”」


 それは歴史か物語か。事実か伝説か。悪魔に魂を奪われた男、悪魔から逃れて天に昇った男。どちらになるか解らない。





 ……そんな頼りになる悪魔も今は手元にいない。“ファウスト”は窮地にあった。


「なぁ先生。そんなに女王が心配か? 約束、してやっても良いんだぜ? 女王に手を出さないように、俺がファイデに命じてやる」

「……話を聞こう。何が望みだ?」


 目的のため、何があろうと女王を勝たせなければ。ファウストは男を睨み、真意を探る。


「お前が俺から全てを奪った。家も家族も、何もかも。それならお前が俺に全てを捧げなければ割に合わない。そうだろう?」

(道化にとって俺は邪魔者。殺害、排除……無力化。だがこの男の目的が解らない。まさか本気であんな馬鹿げたことを言っているのか?)


 正気の沙汰とは思えない。復讐相手に愛を語る阿呆が何処にいる。


「同じ言葉を、これまでお前が殺した者の……遺族に言わせてみれば良い。一軒目で命を落とす」

「生憎、簡単には死なない。俺はどちらでも構わないんだぜ、先生? このまま止まった時の中、あんたとずっと一緒にいるのも……動いた時間の中であんたを縛り付けるのも。唯、あの女はここから逃れられるな。あんたが応じさえすれば」


 執念深い男は待っていた。此方が弱みを作る瞬間を。


「一匹の悪魔を、場に縛る。どうせあんたのことだ。“あれ”のことは知っているだろ? うちの手下が盗んだ本だ。今のあんたは、魂がない。魔力で身体を維持している……悪魔と同じ事をしてるって解るな?」


 契約を行えば、例え時を解放しても……この男から逃れられない。逃がせるのはあの少女――……ルベカのことだけだ。


「解った。と言っても信じて貰えないだろう、ここは一つ私の誠意を示します」


 隠し持った刃物に薬品、術に使う触媒本も放り捨て丸腰だとアピール。それでも疑う男に対し、指を鳴らして最後の魔法を解いてやる。


「これが見たかったのでしょう?」


 衣装を魔力で別物に見せていた。解除して、お望み通りミュラードレスになった。動き辛く、戦闘には向かない衣装。ドレスの裾を持ち上げて、内側に武器を隠していないことも教えてやった。


「へぇ、悪くない。殊勝な態度だ」

「……陛下には手を出すな、私のことは好きにしたら良い。それだけのことはして来た。報いに追いつかれた以上、甘んじて受けよう」

「まぁ口の利き方がなってないが、その格好に免じて許してやる」


 誘うよう、錬金術師は目を閉じる。これから我が身を襲うのは、このドレスが辿った過去と同じ道。興奮した男の息遣い、足音が躙り寄る。顔が近付く瞬間に、目を見開いて手を伸ばす!


「……“焼べよ硫黄(サルファー)”」

「!?」


 掴む男の喉元。お前が先に、俺の逆鱗へと触れた。ならばこれも報いだろう?


「“開け、錬金炉(アタノール)”っ!!」


 男は硫黄。可燃性のある硫黄。変装を解除したのは、その分の魔力を使うため。指輪から流れる魔力が、錬金炉の扉を開く。繋げるのは指輪を付けた掌。片手を犠牲に炉が開けるのなら安い物。押さえつけた腕ごと男の頭を煆焼する!

 死ななくとも喉は潰せる。思考を伝える手段を持っているなら、意思の疎通が出来ないよう、内側を壊してしまえば良い。


(マンドレイクの加護で、不死身であるのはあくまでこいつの肉体のみ)


 “あの女”のように別の何かに封じることが出来たなら、エス=クロニクルを殺害可能。

 次なる作業に移行しようとしたところ、男の腕に捕まれる。


「随分と、積極的だな……先生」


 男は炭化し黒ずんだ腕をしっかり捕まえながら、一方の手で労るように優しく撫でる。痛みと共に肌から這い上がるのは嫌悪感。此方に触れる男の指には、盗まれた指輪があった。


「……っ!」

「残念だが、温度が少しばかり足りないのでは? ご自慢の錬金炉もぶっ壊れたんじゃないですか?」

(ボニーがやられた? ならば時間が止まっている範囲は)

「こんな時にも考え事か、妬けるね」

「うぐっ!」


 掌に、突き刺される銀のナイフ。たかがナイフだが、禍々しい気を孕んでいる。


「よく効くだろ? こいつは、ファイデの持ち物だ。返り討ちで自分がそれで殺されるんだから笑えるな」


 刺されたのは無事だった方、右手だ。そのまま床に深々と片手は縫い付けられた。指輪の残る焼け焦げた……左手はクロニクルに捕まれている。

 動けない。見ている前で男の顔は、時が巻き戻るよう復元される。焼いた頭も喉も、元通り。炭化した顔も燃え尽きた髪も、すっかり元通り。

 止まった時間の中では、刺された手から血も出ない。あるのは痛みと、刃から流れ込む不快な魔力。


(身体の魔力が奪われる……メフィスと相反する力。因果を操る第四魔力、か!?)


 かつての自分(ファイデ)を殺した凶器であれば、自分には猛毒だ。魂が戻った時、凶器で彼と同じ場所を刺されれば……傷は致命傷になる。ファイデを殺した張本人は目の前にいる。どの部位の刺し傷で、彼が絶命したかなどこの医者が一番よく知っている。


「何カ所も抉った所為で、自信がないな。ここだったか、それともここか。ですが……安心して下さい、殺しませんよ貴方のことは」


 刺した場所を教えるように、身体を這い回る男の手。冷静な口調に戻った男を前に感じる既視感。まだ子供の頃、未来で出会った道化師。カイネスと初めて遭遇したときに感じた物と、同じ感覚。


(俺が恐怖した? こんな男にか?)


 なるほど、同じ顔というのは恐ろしいな。思い人を忘れても、カイネス。憎たらしいお前の顔だけは、一瞬たりとも忘れられない。過去が変えられないように、どれほど時間が流れても癒えない傷は存在する。


「……契約しろ、ファウスト。誓うだけで良い。それでお前は何をされても死なない身体になる」


 殺さないとはそういう意味か。何をしても死ななければ、ファイデのように逃れられることもなくなる。


「賢い貴方のことだ。仮に誓ったところで、時間さえあれば……突破口を見出せる。今は私に従うことが最善だと理解出来ているでしょう?」


 乱暴な口調で脅したかと思えば、優しく囁きかけてくる。ファイデ=ミュラーはこんな者に欺されたのかと思うと情けない。


(全く、笑えない。昔の私なら――……)


 例えばグレートヒェンに救われる前の自分。例えば彼女を目の前で、失った日の自分であれば流され縋っていたかもしれない。“彼”は私の過去だ。自ら何かを望むことも、無かった頃の私なのだ。


「“Verweile doch! du bist so schön!”」


 吐き出す言葉。男が望んだ契約の、始まりを意味しない。それは契約終了の言葉。


「私は無駄が嫌いだ……一瞬でも、“外”と繋げられたことに意味がある。あいつの鼻は良い物だよ“先生”?」


 ファウストは、男に極上の嫌味を告げた。

 指輪の魔力を全て使って、外部と錬金炉を繋ぐ。腕を焼いてあのゲテモノ食いに香ばしい香りを送る。ここへ突入する以前は無事だった、ボニーが壊れているのなら。何時間か、何日か。屋敷の外は凍らず動き続けている。


「返事をしよう、生憎私は売約済みだ。誰がお前に仕えるものか!」

《ファウスト!!》


 悪魔の位置は掴んだ。声も聞こえる。場所さえ解ればあいつの魔力で此方と繋ぐ。あとは魔方陣を開くだけ。口を使って指輪を引き抜き男の口へと宛がえる。焦げた掌、指輪の円を塞ぎ……輪を魔方陣に見立て召喚開始。


「メフィス、そのまま口を開けていろ!!」


 指輪の内より喚び出す悪魔を、男の口から流し込む。肉体と魂は先程触れた時に“分離”させている。本来生きたままでは奪えない魂を、食いやすいよう体中からかき集め抽出、心臓部に留まらせた。


「本当に、肉体は檻とはよく言ったものだ」


 これが欲しかったのだろう、最後に笑顔を向けてやる。怯えるのは其方の番だ。

 男は悲鳴も上げられないまま痙攣し、背後へ崩れ……もう動かない。

 死なない肉体を持つのなら、生きたまま内側から魂を喰らわせる。永遠なんて、悪魔の前では意味も無い。賞味期限のない保存食程度の物。


「ご馳走様、ご主人様♪」

「よく来てくれた、メフィス」


 魂を完食し、死体の口から這い出す悪魔は普段よりも肌の艶が良い。上機嫌で甘えた声ですり寄って来た。


「なかなかの前菜だったけどぉー、な? そろそろいいんだろ? 本番。メインディッシュの時間ってことで?」

「ん? 何の話だ? メフィス、まさか貴方は“誰も居ない場所で倒れた木は音がする”と?」

「するに決まってんだろ!!」

「では私が言った言葉は聞こえていたと?」

「聞こえた聞こえなかったじゃねぇ!! 現に俺の力が増しているんだよ!! お前が俺に魂の一部を食わせたって事だろ!?」

「あげたくともね、生憎まだ魂を取り戻していないのだよ。さ、まだまだ働いて貰おうか?」

「お前、魂取り戻しもしねぇで契約満了って言ったのか!? ふざけんなよ!!」

「私が言ったと証言できる相手は? いないだろう? では私は言っていないな」

「ふざけんなぐぇええええええええ!! げほっ、ごぼっ……」


 欺し賺しは得意技。もうしばらくは悪魔を扱き使おうと、口で負かしたその刹那。悪魔が首を押さえて倒れ込む。


「……メフィス?」


 嘔吐する背を擦ろうとしてしゃがみ込み、理解したファウストは悪魔の口を手で押さえつけた。

 メフィスの小柄な身体の内側で、飛び出そうと魂が暴れる。消化し魔力に出来ていない? 押さえつけている内に、悪魔の顔色が真っ青になる。身体を突き破ろうと暴れる魂は、一つ二つ……それ以上。このまま押さえていても意味が無い。貴重な味方を死なせるだけだ。

 ファウストは諦め手を離す。


「お前っ、また俺に変な物食わせたな!! 何だよ、こいつの魂っ……バイキングかよ!!」

「……山賊が海賊だと? どちらでも良くないか?」

「食い放題って言ってんだよ!!」


 全てを吐き終え呼吸を整える悪魔に手を貸し立ち上がらせた。他の気配がある方を、見たくはないが視線を感じる。ファウストは、やはり諦め其方を見てやる。


「感謝してもしきれない。俺は何度あんたに惚れたら良いんだろうな?」

「害虫は一匹見たらなんとやら……?」

「その害虫を産んだのはあんただけどな。お前達、過去へ行っただろう? そこで平面だった未来が多面体になった。俺という人間は一人だが、俺の魂は一つであって一つじゃない」

「メフィス、夢の永久電池だ。もう一度食ってみる気は?」

「永遠に毎日同じ飯出されて見ろ、飽きる」


 軽口を叩き合っても状況は改善しない。解った上で悪魔と錬金術師は“現実逃避”をしていた。


「Hey、メフィス。検索、あいつを殺す方法」

「別にそれ、未来の魔法の言葉じゃないからな。これ以上ふざけられる相手でもねぇ。時間稼ぎにお前があいつと寝るくらいしか解決策ないんじゃないか? 下脱げよ。見といてやるから」

「そうか。ならば“メフィストフェレス”。もう一度聞く。お前に無理でも“貴方”ならば可能ですね?」

「可能だが、そうなりゃ俺はお行儀良くしてねぇぜ。お前の食われる相手と食われる意味が変わるだけだが? ここにはお前の魂、ないんだろ? ただ働きじゃねぇか」


 否。時間稼ぎだ。錬金術師に見惚れていた男がそれに気付いた頃には遅い。焦りの演技もなくなって、不敵な笑みが錬金術師に戻っていた。


「クロニクル、女王は奴の逆鱗だ。“俺”の錬金炉は心を持った。“夢を見るが、簡単には死なない”。カイネスに、ボニーの夢を通じてお前の悪戯を教えてやる」


 生死の境を彷徨う魂は、夢の中にいる。錬金炉を開けた際、ボニーに言葉は届けた。後は彼が夢の世界で、カイネスを見つけられるかだ。


(おい、ファウスト)

(ああ。そういう事だよメフィス。もう一度“時間稼ぎ”が必要だ。それも――……今度は多めに見積もった方が良い)

(よぉく、解ったぜ……はぁ)


 不敵な笑みは絶やさぬまま、ファウストは悪魔に目配せ。息を深く吸った後、急に身体を方向転換!


「逃げるぞメフィス!!」

「あはははは!! くっそ間抜けだぞご主人様!!」


 ドレス姿で逃げる主を悪魔は嘲笑い宙を飛ぶ。大口を叩いた直後に逃走するとは気付けずに、男の反応も遅れた。


「は、ははははは! 本当に…………惚れ直したぜファウスト!」

「私自身は手が早いが、他人には焦らすのが好みでね。一方的に嬲るより、三すくみくらいが面白いだろう?」


 振り返らずに錬金術師は嘲笑う。言いたいことを言った後、悪魔に開かせた魔方陣に飛び乗った。これで屋敷の何処かへ移動する。


「いいぜ、そのゲームに乗ってやる。お互い破滅の鬼ごっこでもしようじゃないか! ――……本当に、カイネスが来るってんなら、それまで精々逃げ回れっ!! 俺の悪魔はお前を決して逃がさないがな!!」


 消え去る寸前残った幻影を、男の手が触れた。

 肌に残った指の感触がなんとも悍ましい。火に油だったかと、遠ざかってから自覚した。

 今回の時間稼ぎはこれまで以上に危険。奴はあの女……“リュディア”同様手に入れる瞬間、追いかける時間に夢中な人間だ。逃げれば逃げるほど、厄介な炎は燃え上がる。


「捕まれば、身一つで済まんぞあれは」

「そうなる前に食ってやろうか? 骨も残さず美味しく頂いてやる」


 最悪の場合それもあり得ると、悪魔の軽口にファウストは言葉を返せなかった。



Ars MagnaあるすまぐなをアナグラムにかけたらアナグラムAnagramsになった。

何を言ってるかわからねぇが以下略


面白いので採用しました。錬金術師回だしね。

マグナムオプスだと900通り以上を超えたのでやめました。

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