28:名前付きの箱船
R15回。ショタ耐性ない方は帰ってくれないか……?
少々いかがわしい回なので、ご注意下さい。
「……部屋の外も、時間が止まっているのかしら?」
物陰から奧を見る。通路の向こうは薄暗い。僅かな灯りが遠くにぼんやり浮かぶだけ。其方からは何者かの笑い声、楽器の音色が聞こえてくる。
人? の気配がする方か。人気の無い方か。どちらに進むべきか、ルベカは錬金術師に問いかける。
「あの男を追うのよね?」
ファウストは行き先には答えず、ルベカの先の問いへの答えを返した。
「止める対象を自由に選べる。止まった時間で動ける相手も指定できると思われます。我々が抜け出せたと言うことは、彼方の準備が整った。今度こそ、招待されたのでしょう」
「ファウストさん、貴方が頼りだけど……だから、無理はしないで」
「そうですね、極力力は温存しておきたい。ではお答えしましょう、どちらへ行くか――……この状況で二手に分かれる馬鹿はいない。二手に分かれましょう、陛下」
「そうよね……え? えええ!? 何を言っているのファウストさん!?」
さらりと語られた言葉に思わず乗せられた後、ルベカは慌てて食いかかる。
「貴女は賑やかな方へ。私は静かな方で探索と行きましょう。彼方は一人ずつ招待したいようですのでね」
「な、何を言っているの? もう少し寝ていた方が良いわ絶対! ファウストさんまともな判断が出来ていないわ!!」
「あの男が一時退却したのは、貴女が私の傍から離れなかったためです。奴は我々を、出会い頭に引き離そうとしたでしょう? 貴女が食いつく“餌”まで用意して」
(確かにそうだわ)
私は試されていた。少しでも隙を見せれば、引き離されていた。
治療の間別の場所で待っていようと誘われたなら? 彼と二人で話が出来るとしたら? 自身の立場を忘れ感情で動いていたならば、そうなっていた。
(私が離れなかったから――……時間を止めて閉じ込めた。解除させたいなら、要求を飲めという脅しなんだわ)
他に方法がなくとも、従ってやる道理はない。向こうが痺れを切らしてやって来るのを待ち構えても良いはずだ。
「……相手の誘いに乗ってやるってこと?」
「そうしなければ、話し合いにも応じて貰えそうにない。私はずっとこんな場所に囚われている気はないのでね」
「相手を焦らして冷静さを奪うというのでは駄目?」
「焦らせるのは此方が物事の主導権を握っている時だけですよ陛下。第一……狂人相手に遊び心を出せば、無事では済みません」
「でも今はメフィスも喚び出せないじゃない。貴方一人だなんて危険すぎるわ!」
「非常に言い難いことなのですが――……これは貯金の問題です。残りの魔力では貴女が足手まといになりそうでしてね。私があの男を倒すまで、少々離れていて欲しいのです。パーティ会場に他の人間達が迷い込んでいるのなら、其方の方が安全でしょう」
相手にも仮の身分がある。高騰したミュラードレスを入手できる金持ちを敵に回しはしないだろう。それがファウストの見解だった。
人を盾に使えとは奇遇だわと、ルベカも意見を彼へ伝える。
「今の貴方を一人には出来ないわ。カイネスは私に死なれたら困る、賭けの勝敗が決まらないままになるもの。道化が私を守るなら、私は盾になれるはずよ。上手くやれば、向こうを仲違いさせられる」
「常時ならばそうですね。しかし凍った時間の中には、夢さえ侵入出来ないのです」
「そんなに危険な魔法なの?」
「ええ。あの道化などとは比べものになりません。私も形振り構わず挑まなければ、敗北も起こり得る」
余裕綽々な錬金術師の発言にしては珍しい。お前の防御に回す魔力が惜しいと再三きつく言われては、ルベカも返す言葉がなくなった。
余裕がなくともそれでも紳士。肩を落とした此方の様子に、彼はすかさずフォローを入れる。
「陛下、貴女にはお任せしたいことがあります。先程の――……少年についてです。私の不調は彼が原因です。彼を見つけ次第捕らえて頂き、私に近づけさせないようにして下さい。そうして頂ければ私は本調子で戦えます」
現に彼が離れたために、今の自分は元気だと錬金術師は胸を張る。
「……解ったわ任せて! 無理矢理押さえつけて何処かに縛っておけば良い? それなら見つけ次第、切り札を使ってでもそうするけど」
「ははは、そこまで思いつめずとも。彼は我々に礼の言葉を口にした。その対価として話し相手になるよう“約束”させるのです。“まだ話が終わっていない”と言い続ければ、彼の逃亡を防げます」
彼は人間ではないと遠回しに語る錬金術師。ルベカは伏し目がちに聞く。
「約束…………彼は、“悪魔”なのね?」
「彼が何者かは、“ファイデ=ミュラー”を愛した貴女にしか解りません。彼を知らない私には到底不可能なこと。引き受けていただけますね?」
唯の足手まといではない。自分にしか出来ない仕事を任せたい。全く、物は言いようだ。
「それでは失礼、陛下。また後ほど会いましょう」
「……待って」
別れの言葉を口にした、錬金術師の服を掴んでルベカは追い縋る。そうして意味の無い言葉を並べて彼へと迫った。
「はい、何か?」
「貴方は一人、生き返らせてくれると言ったわ。私はそれを、ソルディにしてと頼んだ。ソルディはまだ蘇っていない。貴方は私との約束を果たしていないの」
「…………ふっ、そうでしたね。それで貴方は私と同行して下さった」
取引の話をしたのは王都の酒場。バルカロラに来る前のこと。あれから日数としてはそこまで時間は過ぎていない。
(……どうしてかしら)
長く一緒にいても、言えないことがある。知らないことがある。そんな関係もあるのに。彼は私の知らない私のことを知っている。彼自身、どうしようもない人だった事も大きい。だからだろう、取り繕わない言葉と態度で彼と過ごした。だから距離を見誤った。錯覚してしまう。危険な場所へ行くというのなら、行かせたくない。もっと長くを共に過ごした相手のように、離れがたい。
(私は、私はファイデ君が好きなのよ? ファウストさんは、ファイデ君とは別人なのよ? この時代の人じゃないし、ミディアのお父さんだし――……私とは関係ない、どうでもいい人なのに)
それなのに、貴方にいなくなって欲しくない。
「……無茶はしても、死なないで。約束を果たすまで死なないって、約束して。貴方が嘘を吐いたら――……“目に針を刺すか、死んで貰うわ”」
「死人を殺すと? 陛下は冗談も御達者ですね。では私が死ぬときは、両眼を失っておきましょう」
「約束の言葉よ!! もう! 茶化さないで!!」
「では“Pinky swear?” 勝って下さいね、陛下。道化を打ち負かす、役目をどうかお忘れ無きよう」
するりと小指を絡ませられて、ルベカは目を見開いた。
「こ、子供みたいなことするのね。意外だわ」
「外見に合わせただけですよ。どうも“お嬢さん”は年下が好みのようでしたので、サービスです」
「そんなことないわ失礼ね!! 私はファイデ君が好きなんだから!! た、たまたま好きになった人が年下だっただけよ!」
此方が機嫌を損ねたところで、錬金術師は笑いながら闇の中へと向かっていった。彼の背中が小さくなるまで、ルベカはその場から動くことが出来なかった。
(“Pinky swear.”――……偶然なの? ……あの人は、何を何処まで知っているのかしら?)
あの時今の言葉を口にしたのは自分の方だ。名前は知らない。顔も忘れてしまったが、幼い頃に一人だけ。今のように小指を絡めた相手がいた。不思議と言えばそう、どうして助手を名乗る少年と出会った時。彼はあんなに苦しみ出したのか。
(ファウストさん――……未来から、来たのよね?)
脳裏を過る一つの可能性。彼を見送ると、あの日のように胸が痛む理由が知りたい。復讐を望み、平穏な生活を捨てて消えてしまったファイデの背中と重なり見える。
(ううん、あるわけないわ……そんなこと。私と女王のように……もしファウストさんがファイデ君なら。ファイデ君の魂が解放されなきゃ無理だもの)
疑念を一つ潰したところ、新たな疑問が湧き上がる。それは指輪の問題だ。
(ファウストさんの未来では、指輪は二つともロンダルディカの手にあった。私が指輪を取り戻せたの? それとも――……“本来、指輪は奪われなかった”?)
奪われないはずの物が奪われた。過去が変えられている? 指輪を盗んだ犯人が、この屋敷の異常に関わる者であるならば。本当に彼と分かれてしまって良かったのだろうか?
小さくなった錬金術師の背は、まもなく見えなくなる。追いかけたい。ルベカはそう思ったが、足手纏いの言葉と彼に託された信頼によりその場を動けない。
(違う、違うわこれ……!! 私、また止められている!!)
無理矢理身体を動かそうとしたが無理だった。ルベカが再び動けるようになったのは、ファウストが完全に消えた後。
「ファウストさんっ!!」
声の方へと言われた言葉も無視し、彼が進んだ方向へルベカは走った。彼が消えた場所まで辿り着いたが、彼がいた痕跡は何もない。
両壁の戸に手を掛けるが、施錠済み。そもそもファウストは部屋の扉を開けていない、通路を曲がってもいない。真っ直ぐな通路上で突然影も形もなくなるなんておかしい。相手はどうあっても此方を引き離したかった。
「……あの、どうかしましたか?」
騒ぎを聞きつけ、左の扉が開く。そっと顔を覗かせたのは、医師クロニクルの助手だった。
「え、……ええ。困っているの! まだ本調子じゃないのに、弟が何処かへ行ってしまって。突然申し訳ないのだけれど、弟を探すのを手伝って下さらない?」
「解りました。今、支度をしますね」
ルベカの頼みを少年は快く引き受ける。その笑顔に絆された後、ルベカははっと我に返った。
(……しまった! 何を言っているの私は!!)
自分の役目のため、彼を捕らえることには成功した。しかし話の流れで“ファウストを探すまで一緒にいる”ことを約束させた。
けれどこの約束は罠だ。彼をファウストに近づけないためには、探させてはいけないし……どんなにファウストが心配でも、彼を発見してはならない枷を生み出した。
「……す、素敵ね。貴方もミュラードレスを?」
パーティに参加できるよう、少年は着替えを行い再び通路へ現れた。彼の姿にルベカは再び驚いた。彼が着ている物は、見たことがない。しかしファイデの手による物だと一目でわかる。
「はい。先生から頂きました。リボンとベストだけですけど」
(嘘よ……リボンとベスト? これ見よがしなブランド感、ミュラーデザインはそれだけだけど、着ている全てファイデ君が作っている。まるで……生き返った彼が、自分自身の服を仕立てたみたいじゃない)
「弟さん、お腹でも空いたのかもしれませんね。向こうではまだ夜通しパーティらしいですよ。行ってみませんか?」
遠い遠い灯りの方へ、少年はルベカを誘った。誘われるがまま数部屋分来た道を引き返していたが、ルベカの足は今度は自分の意思で止まる。ルベカの足音が消えたことに気が付いて、少年は暗闇を振り返る。
「あの、どうかしましたか?」
「……ファイデ君、よね?」
此方を気遣い駆け寄る少年を、ルベカは壁に押しつける。否定の言葉を発する前に、彼は瞳に僅かな嫌悪の色を浮かべた。
「な、何を言っているんですか? 僕の名前は――……」
「貴方は器用なのに、焦るとミスをするの。指を針で刺したり。その度に私が手当てをして……すこし、嬉しかったわ」
少年の利き手を持ち上げ指を絡める。彼の白い指には小さな穴が幾つか空いていた。
「立派な生地を買う余裕がない人のため、持ち込まれたどんな布でも貴方は服を作っていたわ。シーツやカーテンで見事なドレスを作ったこともあったわね。ほら……やっぱりこれも。これこそが……正真正銘、ミュラードレスよ」
ベストを開いてシャツへと触れる。パーティ用に急遽仕立てたのだろうそれは、先程の部屋にあったシーツと同じ質感だ。
「私がどれだけ貴方を見ていたと思うの!? そんな嘘で丸め込めると思っているの!?」
「…………見えているのは、表面だけですよロンドさん。貴女に何が解るって言うんですか?」
「ファイデ、君……?」
少年はルベカの言葉を認めるも、冷たい視線を注ぎ見る。
「どうして放って置いてくれないんですか? 貴女のせいで、僕はやりたくないことばかり……させられる」
「私に言って。私が貴方を助けるわ!」
「…………僕はもう死んでるんです。僕は死体に霊だけ戻された……指を切っても血は出ない。針で刺しても同じです。今更どうやって僕を助けられると?」
「…………ファイデ君っ!」
自嘲の笑みを浮かべる少年を、ルベカは強く強く抱き締めた。死体を名乗った少年の身体は凍える程冷たい。
「ごめんね……私があの時、貴方を一人にしなければ!! 貴方の気持ち、解っていたのに……私は、貴方を手伝ってあげられなかった。ごめんなさい……私は、私の気持ちを優先したの。貴方に、いなくなって欲しくなかった!!」
このままずっと抱き締めていれば、温度や命が彼に移っていかないだろうか。涙一つで奇跡なんて起こらない。乾いた土に何滴涙を落とそうと、砂漠はずっと砂漠のまま。
「ずっと、ずっと……貴方のことが大好きだった! 貴方だけは、死んで欲しくなかったの!」
今更言葉で何が変わる? それでも伝えずにはいられなかった。例え彼が死人でも、会話が出来る触れ合える。心は通わせられると思いたかった。ルベカの遅すぎる告白を受け、嗚咽を堪えた少年が言う。
「貴女がほんの少しでも、僕を可哀想だと思ってくれるなら……今だけで良い。人間みたいに、僕を愛してくれませんか…………“ルベカ”さん?」
「…………え」
「物みたいに貶められて捨てられて。今更愛なんて……言われたって気持ちが悪いだけなんだ。だから、そうじゃないって言うんなら、僕に教えて下さいよ。人間が、どんな風に愛ってものを語り合うのか」
(え。えええええええ!?)
ファイデらしかぬ言葉にルベカは顔を真っ赤に染める。好きの、likeとloveの違いもよく解っていなかった彼が、こんなことを言い出すなんて。
(ふ、ファイデ君こんな色気のある子だった?)
間近で顔を覗き込まれ、あたふたとルベカは羞恥で後ずさる。そのまま迫られ今度、壁際に追いやられるのは自分の方だ。
「きゃっ……!」
背後は壁じゃない。扉だ。内開きの扉を開かれ、転がり込んでしまった室内。ここに先客はいないようだが、果たして喜んで良いものか?
(パーティから抜け出して、部屋で二人きり――……これ、三文小説なら確実に一線越える奴)
嬉しいような、こんなことをしている場合じゃないような。ファウストは今、決死の戦いに挑んでいるかもしれないのに。
(だ。第一過程を素っ飛ばしすぎよ! そりゃあファイデ君は大好きだけど、キスとかデートとか……手を繋いだりとか。そういうの全然ないじゃない!? いきなりそんな、行きずりの関係で一夜を明かすだけなんて…………冷静に考えたらこれっぽっちも嬉しくないわ!)
「ルベカさん……」
キスを迫るよう、近付いた顔。息が掛かるほど近く……甘えた声で名前を呼ばれる。生前は呼んでくれなかった、私の名前を。数秒前の決意が早くも崩れ落ちそうだ。悪魔の使いとなった所為? 人を誑し込む術が格段に上がっている。
(い、いつも可愛いファイデ君も最高だけど……今の色気たっぷりのファイデ君も好きぃい……)
彼はもう死んでしまっていて、生き返らない限り彼との未来はもう何処にもなくて。一夜の夢でも、彼と寝るのはありなのかしら!? こ、これは……どうするのが正解なの!?
使い魔の誘惑を受けながら、ルベカは必死に考える。ファイデを愛し続けること。道化師との賭けの勝利条件。
(彼は、絶対にファイデ君。だけど……彼はこんな事を言う?)
もしも目の前の彼が別人なら、その瞬間に私は賭けに敗北してしまう。反対に、彼が本人なのにここで拒めばそれは愛への裏切りとはならないか?
「出来ませんよね? ……どうせ貴女だって、僕を男として見ていないんだ」
「そ、そんなことないわ!」
身体を離した彼の手を、思わず引いてみたものの――……ファイデの瞳に浮かんだ涙を目にし、ルベカは動けなくなった。
(私――……知ってるわ。同じ事を、言われた……ことが、ある?)
一瞬、重なり見えた光景は。今と全く同じ部屋。涙を浮かべて振り返ったのは……。その後何も無かったように笑って抱き締めてくれたのは。
(……“カイネス”?)
女王と道化は昔、バルカロラに。この屋敷に来たことがある?
(どういうこと……?)
過去の再現。同じ過ちは繰り返したくない。貴方を愛しているわと今すぐ彼にキスしたい。けれど……時間を止めて“カイネス”が関与できない場所で、再現を行わせる目的は何?
ここで彼を受け容れること。それは女王と道化にとっての正解だった。しかしここにいるのはルベカとファイデ、全く別の人間だ。
(ファイデ君の、私の正解って……何?)
死んでから。彼にはどんなことがあった? 今はどうしてここにいる? 彼には何の役目が与えられている?
医師一人がファイデを自在に操っているとは思えない。ここにいる許可があるのなら、彼の役目にはカイネスの意思が絡んでいなければならない。意味なく彼をこの場に配置するか、否。彼とあの男を組ませたことには意味がある。
(エス=クロニクル……アルレッキーノ。奴は何者?)
ファウストは私を一人にした。彼は天才だ、此方は私一人で解決できると視野に入れた。低くとも、勝算があると踏んだのだ。時にせこいイカサマ、詐欺も行って……悪魔を欺して来た男。彼こそ“無駄なことはしない”。
(“夢魔の血族”――……“罪人の血”)
ファウストから渡された本に書いてあったこと。犯人の正体はそこにある。
(何か……何か昔、似た内容の童話を読んだ気がする)
処刑台、死刑囚。そう、彼らの血には不思議な力があって。いや、血だけではないはず。目の前の彼には、血が流れていないのだもの。
(“やりたくないことばかり……させられる”?)
そうだ、血以外にも。“無実の罪で処刑された罪人が”――……?
「ファイデ君、首……見せて!」
「ち、ちょっとやめて下さい」
禁欲的に留められたシャツの襟を緩めようとした途端、ファイデは飛び退いてしまう。
「見せて。貴方を愛したいの。貴方の首筋に、思い切りキスがしたいわ」
相手の言葉を逆手に取った。行為に必要と訴えれば、彼はもう自分の首を庇えない。
「…………解りました、どうぞご自由に」
観念した風に、ファイデは両手を首から外す。ボタンを外し、寛げた彼の首は――……太い縄で縛られていた。今この瞬間も、彼の首をキリキリ締め付けるよう強く強く食い込んで。
「……い、痛くないの?」
「もう、死んでますから。痛いのは、記憶と心だけ。実際に今痛がっているのは――……錬金術師の先生じゃないですか?」
*
時に関わる力を、一番与えてはならない部類の人間に力を貸してしまったと、“あの悪魔”は後悔しているだろうか。ラザレットは考える。
『人外と人間の恋って素敵ですよね!!』
いいや、杞憂だ。脳裏に響くカイネスではない悪魔の声は、興奮気味にそう言った。
どんなに慈悲深く見えても、人間の理解を超えた存在。所詮彼は悪魔なのである。この度の犠牲者、被害者である少年からすれば、その存在は害に等しい存在だった。
『あんまり乱暴なのは良くないと思いますけど、こうやって無理矢理迫られるのもそれはそれで』
此方から悪魔の姿は見えない。ファイデに至っては悪魔の声さえ聞こえていない。オーディエンスがこんなに盛り上げてくれてるってのに、勿体ないことだ。此方が一人で楽しんでいるのも興を削がれる。どうせなら一緒に楽しみたいものだ。前回よりは優しく扱ってやるか。
「まだ乗り気じゃないのか? なぁ? 使い魔の“お嬢ちゃん”?」
霊体時の彼であれば人間に狼藉を働かれる事も無いが、器に押し込められた今、彼には幾つもの枷がある。ましてやその男は、唯の人間でもない。
軽くあしらい距離を取っていたはずの男に、気が付けば良いように弄ばれていた。
「誰がっ、お嬢ちゃんだ!!」
「やっと返事をしてくれる位には機嫌が直ったか。反応がなけりゃ、本物の死体と同じだ。つまらないったらない。口を塞がれたくなければ会話に付き合ってくれよ」
ふーふーと、獣のように吠える使い魔。死ねばもう、自分が貶められることなどないと思っていた。にも関わらず生前の再現を思わせる屈辱に、彼の羞恥はあの時以上。
狂っていても自分を思っているように思えた“それ”。“それ”の心が自分を向いてすらいないと知れば、与えられる全てに痛みが走る。
此方の狙いは正にそれ。夢魔より器へ返還された僅かな魂に、幾つもの傷を付けること。
「まず、夢魔の使いとして働くには仕事を覚えなきゃならない。あいつが俺に預けたのもそういうことだ。奴は男も攫うが、男の使い魔を作るのは珍しいんだ。使い勝手が悪いからな。そもそも女を誑かすならあいつ自身が……俺達が行った方が早い」
「仕事……?」
「あいつは子供だけを攫うが、もっと効率が良い方法がある。男には、幻の女に夢中にさせてしまえば良いのさ。それで搾り取って無駄にさせる。女には、幻の男でも見せればいい。此処までならよくある夢魔の話だな」
夢の世界の虜に変えて、現実で男女が結び付き生まれる子供の数を減らす。少年はその件については納得はしたが、自身の境遇については少しも理解できず、憎しみを込めて此方を睨む。
「ははは、そんなに睨むなって。ここからが面白いところだ」
心地良い視線に、ラザレットは上機嫌になり話を続けた。
「わざわざ使い魔を使わなくとも、血を薄めてロンダルディアを消すのなら、夢で操って他民族と恋仲にさせてもいい。俺の親父は減らす薬を売りさばいてたくらいだ。攫って殺す、人間を減らす活動をしている奴が、増やす側に回るとは思わないだろ? なのにどうしてあの男はお前に――……君に仕事を命じているのか。よく考えてみると良い」
「あいつは俺に……名前をくれた。俺が、悪魔になるための道を示した。そのために必要なことなら、どんなことでも……やってやる」
「健気なことで。しかしそれが君たちの本質なら、非常に愛おしいが、あまり興奮させるな。大事な器なんだ。死なないとは言え、壊したら勿体ないだろう?」
首輪のように巻き付けられた、縄を上へと引いてやる。死体の身体でも、魂の欠片が入っている。本人が痛いと錯覚すれば、苦痛はしっかり味わえる。
「痛いだけじゃないだろう? 二回目だ。前とは違うはずさ」
首を吊られているのに、死体の身体が火照るような錯覚に、少年は戸惑っている。強気な表情が、直ぐに懇願へと変わるくらいに効いて来た。
「さて、もう少し話そうか。まだ余裕があるようだからな」
「ぐぅっ……っ、がっ……!」
「女の夢魔が“器”を使い、ロンダルディア以外の民から搾り取ってきたならどうなる? 例えばそれを、不妊治療の万能薬として売り出せばどうなる? かの王国の血は徐々に薄れていくだろう? 墓場警察に取り締まられるなら、国外で売れば良いのさ。欲しい奴は何処までだって行くぜ」
「……そんな薬っ、あるわけっ……ない、だろ!」
「残念ながら、悪魔がいる世界は何でもありだ。可愛い“ファイデ”? お前はその薬を喜んで服用したじゃないか? 現に今もそいつを喰らっている最中だ」
「!?」
「俺のご先祖様は、悪魔と契約して純粋な人間ではなくなった。様々な力を持つマンドレイクは“無実の囚人”が縛り首になった時に垂らした精液から生まれるんだが――……ご先祖様はマンドレイクになっちまった」
なんて物を使っているのだと、途端に少年は暴れ出す。男は笑い、首の縄をもう一段、高い場所へと吊してやった。
「引き抜いて良いんだぜ? 首が辛いよなぁ? お前は死んでいるんだから、引き抜いて悲鳴が聞こえても……死ぬのは俺の方かもしれない。ほら、頑張って抜いてみな。俺を殺したいんだろ? しないのか? このまま埋め込まれたら、何処まで根を張られるか解ったもんじゃない。お前の内側、血管全てに俺の呪いが、毒が染み渡って壊していっても良いのかい?」
毒にやられた頭の中から必死に理性をかき集め、逃れようと暴れる様は滑稽だ。漏れ出る声を必死に押し殺す、姿が実にいじらしい。これでは何方がマンドレイクか解らない。悲鳴を上げてしまうのは、彼の方になりそうだ。吊り上げた縄を外してやれば、土は深くへ耕される。心地良い悲鳴が聞こえた。
「子孫である俺の体液は、マンドレイクと全く同じ効能がある。滋養強壮、睡眠薬、媚薬効果に、上手く使えば不老不死にも」
媚薬成分に浸してやったのだ。全ての縛めを解いたとしても彼は自力で逃れられない。逃れる意思などもはや持てない。
社会の裏でも表でも。医者として働くのは訳無い話だった。盗賊一本で働くなんかより、余程世の中上手く渡れた。体液を混ぜて薬として売れば、どんな薬も生み出せる。
「あの風邪薬、副作用に睡魔があっただろう? 倒れた君はお針子に看病され薬を服用させられた。それであの日、私の所まで会いに来てくれたんだ。此方が教えた道の通りに動いてね。君が何を思おうと、君の身体は既に薬漬けさ」
幻覚を見ろ、夢を見ろ。お前は目の前にいるのが誰か解らなくなる。盗賊か、医者か……誰より愛する道化師か。
カイネスには身体がない。霊体で触れ合って何が楽しい? あいつはお前が望むこと、何一つしてやくれないぜ? 俺がお前の主だと、望みを叶えてやる存在だと教え込ませる。
「よく頑張ったね、“ミラ”」
「カイ、ネス……?」
「ごめんね。君にこれからしてもらう仕事に、どうしても必要だったんだ。帰ってきたら、今度はもっと……楽しいことをしよう? 約束するよ」
最後に優しい声を掛けてやれば、馬鹿な子供はすっかり欺され骨抜きだ。女王を誑かせという命令に、喜び勇んで飛んでいく。配置場所に向かわせた後、凍った時に隙間を作る。この綻びがあれば、かの錬金術師はここまで辿り着けるだろう。
「あれが、彼の本質か。あの依存は薬でも治しようがないな」
「踊り相手を随分と侮辱するものだな」
流石に早い。想定を超える速度の訪問に、ラザレットは吹き出した。
錬金術師はミュラードレスを着ていない。白衣めいた白の礼服で、隠し部屋までやって来た。ここへの出入りには魔力を使う。順調に指輪の力を消耗してくれたらしい。
「勿体ない、着替えてしまったんですか?」
「そこまでのサービス精神はないのでね。一目でも拝めただけでも感謝して頂きたい。対価に貴方の命でも頂こうか?」
「私は高いですよ。料金分、少し話をしませんか?」
「…………問答無用で吹飛ばして、時の狭間に囚われたまま、というのは此方も困るのでね。少しならば付き合いましょう」
椅子を勧めれば、錬金術師は他の椅子に腰を下ろした。
「それで? 私とどんな話をお望みで?」
「それは勿論、私と貴方のことですよ……ファウストさん」
「ふむ。そうですか……では。お医者様、貴方の本業は農夫ですかな? 随分と畑耕しに精を出されていたようだ。くくく、それでは見つからない訳ですよ。被害の少ない農村部に生き残りがいたなんて」
「高名な錬金術師様は冗談も達者ですね。農夫としては能なしですよ私は。これまで何度収穫を逃したことか解りません」
嗚呼、ようやくだ。ようやく彼と二人きりになれた。この日をどれ程夢に見たことだろう。
「何度も会った記憶はないのだが?」
「まぁ、会ったのは先程のように貴方の母親達の方ですよ」
「ふっ、ファイデ=ミュラーが私の母だと? 悪い冗談だ」
「霊と肉体と魂。生まれ変わりというのはこの内の一要素が同一であるに過ぎない」
つまり、生まれ変わった者はそれ以前の存在と全く別の存在だ。
どんな存在にも、母親は必要。しかし女を必要とせずに、人間を作り上げると言えば錬金術的と言えるかもしれない。
「ほう……貴方は錬金術をまともに修めていないらしい。だが少し……面白い。続きを聞こうじゃないか」
ラザレットの言葉に、錬金術師は眉を顰めるも……そのまま先を促した。
「光栄ですよ。……さて、この場合遺伝するのは血肉ではない、魂だ。表面を真っ新にされた魂の奥深いところで、本質を変異させるんだよ。過去の存在がどんな一生を送ったか。どんな感情を抱いたか。それは新たな別個体の精神に、深く深く作用する」
魂に傷を付けてトラウマを植え付ける、それで次代の彼に俺と言う存在の遺伝子を刻み込む。本人にはもはやどうしようもない、手の届かない魂の深いところを侵してやるんだ。
「つまり貴方にとっての加害衝動・殺人衝動は、性行為に等しいと?」
「想像するだけでゾクゾクするだろ? 俺に何もされていないのに、あの少年の感情全てが、あんたへと受け継がれる。しかも今回は――……真っ新にされることもない。魂の所有者が解放すれば、記憶ごと全てが注がれる。さっきは頑張ってたようだが……澄ました顔のあんたが、どんな面になるか興味はないか?」
「それはそれは。気持ち悪さと最低レベルで私を超えて優勝です。おめでとうございます。生娘なのにド淫乱的な矛盾願望大爆発では?」
「あんたがどれだけ気味悪がろうと俺を嫌おうと、感覚はあれ経由で流れ込む。魂があんたに戻れば、あれが感じた感情も――……全部あんたの物になる。あんたの魂がそうなるように、俺があいつに産ませたんだよ」
「Medice, cura te ipsum とでも言っておきましょうか。付ける薬がないのは其方のようで。しかし、そこまで熱を上げられる覚えがないのですが。目当ては顔ですか? それとも私の知性とか?」
「その性根の悪さも含めて全部」
「それは残念だ。愛らしいお嬢さんからなら、私もそれなりに嬉しかったのですが。悪魔の性別変化薬でもお渡ししますか? 一晩くらいなら、殺す前に相手をして差し上げますよ」
「あんたが飲んでくれるなら、何回だって付き合うぜ」
「なるほど、交渉決裂と。はぁ。これ……勝っても負けても貴方だけ楽しいのでは? 殺し合いが性行為になるなんて何処でそんなに性癖拗くれ曲がったんです?」
「ははは! あんたがそれを言うのかよ!? 解ってんだろ? そっちに勝ち目はない。俺達を殺すタイミングを、お前達はよく知っていただろ? 残念だったな錬金術師!! お前は俺に殺されるか、永遠に此処で俺に飼われるしかないんだ!!」
不老不死の特性は、直系のみに現れる。引き継がれるが、一人しか同時に所持できない。
引き継ぎ後は老いて死ぬ。彼より不老不死の加護を受けていた者も皆同様に。
親から子へ、不老不死が引き継がれるまでは数年の時間が掛かる。その間はどちらもまとめて殺害可能。あの日俺が生き延びたのは、引き継ぎが終わったためだとカイネスは言っていた。少しばかり、ファウスト達はやって来るのが遅かった。
(親父と違って、俺は子供を作らなかった。殺されようがないんだよ……抱いた女は必ず殺してやったからな)
追い詰められているのは彼方だ。絶体絶命の危機にありながら、錬金術師はまだ余裕面を崩さない。嗚呼、その目が好きだ。自分が死ぬとか殺されるなんてこれっぽっちも思っていない。自分が奪う側と信じて疑わない目。その目をグチャグチャにしてやりたい。
魂の本質は、ファイデとそっくり同じお前が。そんな目をし続けられる理由は何だ? お前は何に依存している?
「…………不可能と呼ばれるものを可能にするのが我々、錬金術師でしてね。あまり思い上がらない方が良い」
魂も抜け悪魔も連れていないのに、随分貯金が残っている。強がり凄んで見せる表情は、ファイデにはなかった物だ。嗚呼、あの弱々しく愛らしい少年からどうやってこの男が出来た? 俺はそれが知りたい。俺なんかに弄ばれる弱者が、俺の全てを奪う存在にどうしてなれた?
「積極的なのは嬉しいが、一つ言い忘れていたことがある」
このまま殺し合っても、ファウストの魔力が尽きるまで此方が攻撃を受け続けるだけになりそうだ。死なないとは言え、此方も楽しくなければ。どうせ踊るなら楽しくやろうと新たな情報を与えてやる。
「便利だよな、男の使い魔は。あいつはよく俺の好みを理解して、採用したんだと納得したもんだ」
「……私への精神攻撃のつもりなら、無意味ですが? 生まれる前の自分など、所詮は“静物画”。私にとって、彼は何の価値もない」
「まぁ聞けよ先生? ファイデは夢魔の使い魔だ。今は器も与えている。インキュバスって言えば解るか? さっきまではサキュバスだったが」
「!?」
「女王が賭けに負ければ俺を殺せるぜ? それまで俺と楽しく踊ろうぜ?」
女王が、あの少年と寝たらどうなる? 奴は死体だ。自分の体液なんかない。そこで夢魔らしく仕事をして貰った。女王は誰の子を孕む?
「あのお嬢ちゃん一人にしたんだろ、先生? 確かあいつとの賭けって、可愛いファイデがどんなことになっても愛し続けることだろう? 愛って何だろうな? 受け容れることか? 拒絶することか?」
もう、いかがわいい回入れるつもり無かったんです。
でも犯人が登場したらそんな訳にもいきませんでした。困りました。
Mandrakeのアナグラム、Named Ark




