12:賭けられるラック
「ミディア……帰ってきたの?」
涙を拭いながら、ルベカは部屋の戸口へ立った。しかしそこに居たのは、見慣れた同僚ではなく……黒服の中年男だ。
「ごきげんよう、お嬢さん」
「部屋まちがってます」
扉を閉めて鍵まで掛けた。だってあの男凄く怪しい。絶対に不審者か異常者だ。身の危険を感じる程怪しげな笑みを浮かべた男、私の知り合いにはいない。
「まぁ、正常な反応だな。ファウスト、てめーの顔みてりゃ普通の人間はそう思うさ」
「おかしいなぁ、こんなナイスミドルを前に」
「ファウスト……?」
「そうだとも!君がうちの娘と一緒に居ると聞いてね、久々に娘に会いたくなってここまで来たんだ」
「……ミディアの、お父さん!?」
聞いたことが無い。彼女は一人暮らしと聞いている。やっぱり詐欺師か何かに違いない。窓から外へ出、宿の主人に追い出すよう文句を言うべきか。
「美しすぎるルベカ=ロンド君。私はね、君の力になれると思うんだ」
「……ミディアから聞いたとは、思えないわ」
「知っているとも。あの男に繋がることなら」
「……あの男?」
「君の大事な人を殺した元凶、カイネス=ベアルバイト。君たちが、高飛車ピエロとよぶ者のことさ」
その名を聞いて、扉を開けてしまったルベカ。その脇をすり抜け男と従者らしき少女は勝手に部屋へと入り込む。
「歓迎、感謝するよルベカ君」
*
(ファウストという男……聞いたことはあるわ)
昔、隣町に高飛車ピエロが現れた。その時、攫われた少女の名前はマルガレーテ。彼女と恋仲だった男の名がファウスト。その後ピエロへの復讐を誓い、様々な魔術に手を染めたという噂。
噂を追いかける内、それを耳にしたことはルベカもあった。けれどそれが、あのぼんやりとしたミディアとは繋がらず……偶然同じ苗字なのだとばかり思っていた。
「ミディアなら警察よ。身元確認に行ってくれたの」
「なるほど、今回の犠牲者は、君にとって直視できないほどの相手だったと言うことで?」
「そんなこと知って、どうするつもりなんですか?」
「私はあの男に繋がることなら何でも知っておきたい、それだけさ」
「……あの男への復讐に、私やミディアも手伝えって話なの?」
「それは勿論喜んで。それが“貴女”に出来るのならね」
わざわざ呼び方を変えて来た。それが何を意味しているか、自分は先程ソルディに教えられた。
「それは私の顔と、何か関係が?」
「偶然なんてない、全ては必要とされてのことだよお嬢さん。かつて私は一人の女性の魂を、現世に連れ戻そうとした。しかしそれは叶わず別の手段を用いることにしたんだ」
怪しげな男は簡単にそう言ってくれるが、その時点でもう既にルベカは頭が痛い。この男の言わんとしている物が見えているから、殊更に。
「女王の魂は、連れ戻せる場所に無かった。例え時を遡ろうとね。彼女は空っぽの器だったよ。それがどういうことか解るかい?」
「……全然」
「彼女の魂は、既に何者かになっていた。どこかの時代で、そういうことさ」
「……ふざけないで!」
溢れそうになる涙を嗚咽を堪えながら、ルベカは叫んだ。行き場の無い怒りを男にぶつけるように。
「あんな男がっ!ファイデ君を殺した男を……私が愛していたですって!?そんなの、私じゃ無い!私には関係ない話だわ!!」
「……おかしいとは思わないかね?」
ルベカの視線を受けながら、男は静かにそう返す。
「多くを失い、多くを手に入れた。こうして悪魔に魂を売ることで時さえ動けるようになった私が、何故愛しい人を呼び戻さないのかと」
男の言葉が真実ならば、それは確かに妙な話。過去に行くことが出来るなら、未来なんて幾らでも変えられるはずなのに。
「奴は魂食いなんだよ、お嬢さん。奴に殺された人間は、二度と甦らないし、二度と生まれ変わることも無い。それは、死よりも恐ろしい」
「死よりも……?」
「この国は、貴女の王国は、多くの魂を循環させる。だが奴は幼子を攫い、魂を喰らう!二度と生まれなくなるんだ!貴女の栄えさせた国は、民の血は……やがて一滴も無くなるのだよ!?」
名付けられ治められた国には力がある。失われた魂を留める力だと、男は語る。
例え人が失われても、また何処かで生まれる。そうして国は続いていくのだ。けれど失われても生まれることが出来なかったら……国は、その血は途絶えるだろう。気の遠くなるような、それでも逃れられない確かな復讐。
「何、それ……」
私が悪いって言うの?ルベカは混乱、取り乱す。どうしても納得できなかったのだ。
どうして?私は何もしていない。私は被害者よ。大好きだったファイデ君を攫われ、あんな酷い方法で奪われた被害者なのよ!?それなのにどうして私が責められるの?目の前の男も、原因の一端はお前だと言わんばかりに此方を睨んでいる。
「復讐さ、別の男を選び……国を栄えさせた貴女への。貴女の子を喰らい、この国を滅ぼすまであの男は眠らない。貴女の民を貴女の子らを嘆かせ続ける!」
「そんな……」
「ベルカンヌ!貴女には奴を止める義務が、責任がある!!これは、貴女の民を守れなかった貴女へ科せられた罰なのだ!!」
「し、知らないわそんなのっ!!私は私よっ!私のせいじゃないっ!!」
どうして私が責められるの?好きな人を殺されたのに。私には悲しむ時間も与えられていないの?知らないわ、そんなの!
ルベカは泣きながら、宿を飛び出した。
何がいけないって言うの?普通の事じゃない。ただ、好きな人を好きなだけ。普通に恋をしただけじゃない。それの何が悪いって言うの?
(良いわ、そんなの……私には関係ないわ)
こんなに苦しいのに、私に何を望むの?そんなの、他の誰かに押しつけてやるっ!
(死ねば良いんでしょ、私がっ!)
この魂が、女王の物だと言うのなら、私がそれと手放せば良い。私が死ねば良いんだ。私が死ねば良かったんだ。どうせ、生きて居ても意味が無い。もうファイデ君も殺されたのだ。
*
「良かったのかよ、ファウスト」
「良いんだよ」
「あいつ、本当に死んじまったらどうするんだ?」
「女王が何者か。何を思っていたか。それを知るには、彼女の行動を試す必要があるのさ。歴史でも物語でも無い。真実は人の魂、その中にある」
*
仕立て屋から持ち出した鋏。彼の手がかりにはならない。それでも彼との繋がりを感じたくて、信じていたくて借りて来た。これを使って死ねるなら、思い残すことは無い。
人気の無い路地へと逃げ込み、ルベカは最後の息を吸う。それから鋏を思いきり振り上げて、胸へ向かって振り下ろす!
その刹那、耳元で大きく響いた弦の音。その大きな歪な音に仕組まれるよう身体が驚き、手から鋏がすり落ちた。
「そう、簡単に死なれるわけにはいきません」
「あ、あんたは!!」
「私の話を聞いたようですね、美しいお嬢さん」
また現か夢かわからない、暗い街へと招かれている。道化師はルベカの手を取って、一度小さく微笑んだ後……くるりと回ってその手を離し、代わりに腕にはヴァイオリン。
「そんな怖い顔をしなくてもご安心下さい。ファイデの魂はこうして無事ですよ」
道化師はルベカにそう告げ、ヴァイオリンを少年へと変える。しかし少年は気を失ったまま、男に身体を預けたままピクとも動かない。
「ファイデ君!」
「綺麗でしょう?これが貴女の思い人の魂ですよ」
道化師の手の上には、小さな光の球がある。それを取り返さなければいけない、ルベカはそう思い道化師を追いかけるが、何度手を伸ばしても掴めない。男は嘲笑いながら軽やかに逃げていく。
「でも、貴女が今のようなことをもう一度しようなら……この子の魂を、私は」
「止めてっ!!」
ファイデの魂を口に入れ、呑み込む真似をする道化を前に、ルベカは青ざめ泣き叫ぶ。
「ファイデ君にこれ以上……何もしないでっ!あんなに恐がりなのっ、いつも苦しんでいたの……もう、酷いことしないで!!」
こんなことが、あって良いのだろうか。あるはずがない。病弱で不運、一人で外も歩けない。小さな仕立て屋の中が、あの子の世界の大部分。泣き虫で、恐がりで……とても可愛かったあの子が。あんな酷い死に方を、殺され方をした。どれほど苦しかっただろう、痛かっただろうか。何度泣いたのだろう。考えるだけで、思うだけで涙が溢れる。
「貴女の愛したこの子は、もう生きてはいない。例えこの子が私の手を逃れ生まれ変わろうと、それは同じ人では無い。そんな相手を追いかけるほど、貴女は大馬鹿者ですか?」
此方を見定めるよう、道化師は侮蔑交じりの視線を注ぐ。
「もう貴女には関係の無いことでしょう?ファイデは決して生き返らない。身体が壊れてしまいましたからね。普通の女性である貴女は、また別の男に恋をして、普通に添い遂げ家庭を作る。そして私に愛しい我が子を奪われるのを恐れながら毎日脅えて生きるのです」
「違うっ!私は彼以外は愛せないっ!結婚なんてあり得ないわ!私のドレスを作ってくれるのは……約束したのは、ファイデ君だけだものっ!他の人が作ったドレスで、他の人と結婚なんて絶対嫌よ!!そんなことするくらいなら、私は死ぬわ!」
「その場合、ファイデは僕に食われることになりますが」
「脅しても無駄よ。私が死んだなら、私の思いも私の未練も消え失せる。その後ファイデ君の魂がどうなろうと、私は悲しむことすら出来ないんだから」
「……では遠慮無く」
「その子を食べたら、後悔するのは貴方よカイネス!」
「後悔、とは?」
「その子は、このルベカ様が愛した人なのよ!?この国でとびっきり可愛い、この世界で最高の男よ!最高の魂よ!私が欲しくて欲しくて堪らなかった物、そうやって手にしている!失えば気付くわ!なんて勿体ないことをしたんだって!貴方はもう二度と、あの子の声もあの子の笑顔も見られないのよ!!そう……この国で、最高の宝をね!!」
それは最高のはったり。それでも本気の言葉。ルベカは言葉の通りに思っている。生きて居ても死んでいても、自分が自分であるのなら彼以外は絶対に愛せないと。
「……そこまで言うのなら、貴女の覚悟を見せて貰いましょう」
道化師は魂を吐き出し、少年の口へと放り込む。気を失ったまま、それでも少年の手と瞼が、僅かに動いた。
「ファイデ君!!」
「貴女が生涯心変わりをせず、全ての復讐を終えたなら。私は彼を解放し、私の復讐も諦めましょう」
道化師はそう言い残し、少年を連れ溶けるように姿を消した。我に返ったルベカの目には、路地裏の景色が見えている。手から落ちた鋏は、拾われるのをじっと待っているようで……ルベカはその場に跪く。
「ファイデ、君……」
拾い上げた、鋏は冷たい。死んで居るみたいだ。彼と同じで。それでもずっと握っていれば……自分の体温で鋏は冷たくなくなる。返ってくる温もりは、自分の物なのか鋏の物なのかもはや解らない。でも……これが答えなのだと思う。
(悪いことじゃないわ、絶対に)
私は私を信じよう。私の心を信じよう。心を燃やし続ければ、変えられるものがあると信じていたいから。
Lac Bet On ベルカントのアナグラム。
ラックはラックでも違う意味。でもタイトルには良いなと思ったので使いました。
他の変換だと 進行中の10万の賭け
こっちの意味でもいいなぁ。




