11:死の塊
人は言う、その男は悪魔に魂を売り渡したと。そんな男と同じ名前を名乗るその人は、一体何をしてしまったんだろう。
少女は時折、考える。
「行ってきます、お父さん」
返事は無い。もう聞こえない。だから私がしっかりしなきゃ。手先が不器用。何をやっても駄目。また、数日で仕事を解雇された。こんなことじゃ、生活もままならない。はやく何とかしないと、今居る家も追い出されてしまう。
「君、名前は?」
「ええと……ファウスト、です」
「ファウスト?それは名前かい?それともファミリーネーム?」
「ええと……」
解らないの。だって誰も私を名前で呼んではくれなかったから。名前はあったのかも知れないけど、いつも変な呼び方をしていたわ。まるで何かを隠すように「名さえ呼べない高貴な人」とか「慈しい娘」とか言っていたけど。発音が、美しいではなかったのを覚えている。でも慈しみって、あんな使い方しないと思うなぁ。一体どういう意味なのかしら。
でも、他に思い出せるのはファウスト。お客様方に、父はそう呼ばれていたからそれが私の苗字に違いない。
「ん……ファウスト?ファウストってあの……」
「え?」
「余所に行ってくれ!あいつの娘なんかうちには置けない!」
また、駄目だ。あの名前の何がいけないの?父さんは、一体何をしたの?
(父さん……)
父が家から居なくなり、こうして自由に外に出るようになってから……おかしなこと、悪い噂を一杯聞いた。私が居たことさえ街の人々は知らず、私が名乗る度に驚いていた。ううん、それだけじゃない……それだけではないのだと娘は思う。
隣町まで行かなきゃ、もう仕事は見つからないかもしれない。今日は遠出をしてみよう。
歩いて歩いて、人の波に飲まれる。どちらが正しい方角かもわからない。人の話し声の向こうからカタカタカタカタ、何かが聞こえる。あの音は何だろう。それを頼りに人混みを抜け、少し開けた路地に出た。
(何のお店だろう、ここ……)
ガラス越しに見える店内には、可愛い服が沢山飾ってある。しかし娘は店先にある、その道具に目を奪われていた。
古びているけど、なんだか懐かしい。これは展示用のインテリアなのだろうか?あまり使われているようには見えない。
「何、糸車が珍しいの?」
店にも入らずじっと見つめている客を、不審に思ったのか店の中から少女が一人現れる。
「糸車?」
「私もあんまり上手くないんだけどさ、弟の方がこういうの得意なの」
カラカラと紡ぎ車を回してみせる少女は、少し笑いながら娘を見た。
「気に入ってくれたところ悪いけど……これ商品じゃ無いの、ごめんね」
「あ、あの!私、そうじゃなくて……仕事を探しに」
「仕事……?」
「は、はい!何でも良いんです、この辺りで人を募集してるところ、どこか知りませんか?」
「何でも良いってあんたねぇ……」
これも何かの縁だと、出会った彼女に縋ってみるも……呆れられてしまった風。苦笑する少女は、此方に向かって紙を一枚差し出した。
「あのね……そういう可愛い顔して危ないこと言ってると、変な奴に目を付けられるわよ?」
「え……」
「危なっかしいったらありゃしない。このまま放って置いたらこっちの気分が悪いわ」
「あの……」
「丁度、貼り紙貼り直そうとしてた所なの」
「えっと」
店の壁には確かに、張り紙を剥がしたような痕がある。その子が新しく貼った物には、たった今書き殴ったような不思議な条件が記されていた。
「“赤い服の女以外”……?」
ショーウィンドウに映る自分の姿を確認し、その色を確かめてみる。この条件は大丈夫だ。でも、そんなことで良いのだろうか?
「ソルディ、もう決まったでしょう?まだ雇わせるつもりなの?そんなにお針子が増えたらうちの支払いが」
「あのねお母さんっ!あんな変な女とファイデを一緒にさせられないでしょ!?あんなどこの馬の骨かも解らないっ……あ、そうだ。貴方名前は?」
「ふ、ファウスト……」
「ファウスト……?」
名乗った私を不思議そうに、彼女は見つめて来た。この隣町にも父の噂は届いているのか。やっぱり駄目なんだ。肩を落とした娘の前で、少女は「ああああ!!」と大きな声を出して驚く。
「あんた……もしかして、ミディア?」
「ミディア……?」
「覚えてない?私だって、ソルディだって!うわー!久しぶりじゃない!!元気にしてた?引っ越したって聞いたけどどうしちゃったの!?」
「えっと」
「昔と店の場所変わっちゃったけど、今こっちにあるのよ。こっちに来てくれるの初めてよね!?うわー!懐かしい!!」
彼女は私を知っている?私は覚えていないのに。何かの間違えじゃない?だけど彼女はとても嬉しそう。そう、それに……彼女は私の名前を知っている。私が知らない私の名前を、覚えている。もしかしたら、彼女が言っている事の方が正しいのかもしれない。
(ミディア……ミディア=ファウスト)
それがきっと、私の名前。
「あのさ、聞きにくいんだけど……苗字変わったってことは……あんたのところ両親に何かあったの?それであんたまで働く羽目に……」
「う、うん……ごめんね。私ショックで……あんまり昔のこと、思い出せなくて」
「そっか……ごめん、嫌なこと聞いて。でも、そういうことなら良いよね母さん?」
「そうね、ミディアちゃんならきっと皆も喜ぶわ」
*
(ミディアって、呼びたくなかったの)
そう呼んであげると、あの子はとても喜ぶけれど。だけどどうもしっくり来ない、それは私も彼女もだ。ミディアって呼んでも返事をしないのに、ファウストって呼ぶとちゃんと聞こえる。それが私の覚えている彼女と、重ならない。少しずつそういうところが見えるようになってから、ソルディはミディアを名では呼ばなくなった。
昔からの彼女を知っているから、それを否定されるようで嫌だった。
「ファウスト、ね。あの男も厄介なことをしてくれたものだな」
「カイネス、知ってるの?」
「……復讐を続ける内に、厄介な敵や相手は増えていくものなんだよ、ソルディ。最初は此方に正当性があってもね、時がそれを歪めるんだ。これは相手にも言えることだけどさ。僕が死なせた相手は多い。故に僕を恨む相手は多い」
主の言葉に、ソルディは押し黙る。あの二人以外に、この男の目的を阻む相手が居たなんて。そのために自分たちは必要とされたのか?だとしても、自分に何が出来るのだろう。
不安を覚えながら、ソルディは主人を見上げた。
「あんた、どうして私とファイデを選んだの?」
「それじゃあソルディ。僕も聞こうか。君達はこうして僕に死なせられたのに、どうして僕を恨んでいないのかな?」
「殺す前から、私が貴方を恨まないって知ってたの?」
「愛してくれると、信じていたのさ」
「胡散臭い」
「そうだね、言葉にするとそうかもしれない。でも僕は、君たち二人が可愛くて仕方が無いよ」
穏やかに笑うピエロに、ソルディは再び黙り込む。こういう言葉に慣れていないのだ。あのロンドやファウストより、本当にそう思ってくれているのかわからない。それでも彼女たちはここにいなくて、ここにいるのは自分と弟。それは言葉よりも、確かに強い重みを感じた。
「嘘吐けっ!!」
「おや、元気だねファイデ」
口元は穏やかな笑みの形のまま、しかしその目に嘲りと悪意を浮かべて男は嗤う。
「お仕置きはお気に召した?」
「最悪だっ!!」
顔を羞恥で赤く染め、お仕置きという名の魂の拷問の終わった弟は両手で頭を抱えて泣き出した。
「何もソルディ姉ちゃんの前で見せることはないだろ!?」
ファイデがヴァイオリンにされ身動きが取れなくなったところで、死んだ夜の出来事を肉親の目の前で流されたのだ。
「私普通に現場の鏡で、あんたの夢も現も見てたけど」
「うわあああああああああああっっっ!!!!」
「あの時のソルディったら、可愛いくらい僕に似て来て良い笑顔を浮かべていたなぁ」
「似合ってたわよファイデ、あの服とってもね」
「お前の所為でお姉ちゃんがっっっっ!!!」
「ははは、二人で旅をした頃の素直さは何処に行ったんだろうねファイデ?」
泣きながらピエロを殴り蹴りに向かった弟。生前の不健康さが嘘のようだ。もっとも相手は自身を支配している道化。あいつの掌の上で遊ばれて居るも同然。手を振り上げたところでヴァイオリンにされ、拾い上げられてまた良いように弄ばれている。
「本当に可愛いわけ?ファイデはあんたに懐いてないわよ?」
「ファイデ“は”ね……」
「揚げ足取らないでよ」
「まだ大したことも教えていないのに、随分先まで見据えた物だ。ドレスを作る指を失っても、とんでもない物を隠し持っていた。全く悪い子だな、ファイデ。本当はもっと違う力も隠しているんじゃないかい?ほら、この辺に……いや、こっちかな」
「ぎゃあああぁ♯ああぁあああ♭ぁあああっ!!!」
「カイネス、もうその辺にしてあげたら?」
「それは私も構って、の意味かな?」
「ち、違うわよ!!」
「もうちょっとだよソルディ。もう少しで見えて来る。それがこの子の旋律だ」
「え……?」
「主に隠し事は駄目だよファイデ。ほら、君は何を見たんだい?」
悲鳴のように奏でられる旋律。その音が、空気を震わせ室内に立てかけられた鏡面を激しく揺らす。映し出される風景は……これまで繰り返されてきた、弟の死に様ではなくなって……
「ファウスト……」
*
「こらあああああああ!」
「げ、ソルディ!?」
「逃げろっ、あいつに何かあったらこっちの責任になっちまう!!」
「ばーかばーか!こっち来んなソルディー!病気が移る!!ばい菌女ー!」
「くそぉ……あいつらっ!大丈夫、ミディア?」
「ソルディちゃん……駄目だよ、また風邪引くよ」
私がからかわれたり、泣かされているといつも彼女が助けてくれる。身体の弱い彼女が、無理をして外に出てきてくれた。
「ソルディちゃん!?」
倒れた彼女を支えて慌てて彼女の家へと戻る。嗚呼、やっぱりここで遊ぶのが一番落ち着く。
「あんた、私とばっかり一緒に居たら駄目よ。つまんないでしょ?他にも友達作らなきゃ」
そう言って彼女は遊びに来る私を、時々追い返すけど、それは引っ込み思案な私を思ってくれてのことだろう。冷たい振りで、でもああやって心配して駆けつけてくれる。
「ううん、私はソルディちゃんと……」
「風邪移るかもよ?」
「そうしたら、治るまで泊まっちゃう」
「うわー、迷惑」
「大丈夫だよ、私馬鹿だから!きっと風邪ひかないよ!」
「……はぁ、本当……馬鹿」
毛布にくるまり、もごもご言いながら……それでも彼女は嬉しそう。
何だか、この部屋はとても落ち着くんだ。誰かが一杯居る場所とは違って、切り取られた場所に二人きり。何だかとても安心するんだ。聞こえてくるのは、雑音とは違う……優しい彼女の声だけだから。ここに居ると、私も自然と笑う事が出来る。
(彼女は何処へも行けないから。ソルディちゃんには、私しか居ないから)
ファイデ君も傍には居ない。遊びに行ってしまう、外へ。可哀想な貴方。だから私が居ても良い。こんなにも必要とされる。大事にしてくれる。それは私を満たしてくれている。
「あ、あのね!お父さんの所からまた面白そうなの借りてきたんだよ?」
研究に没頭し、家を空けてばかりの父。だけどその書斎には数々の本がある。これもそこからこっそり借りてきたもの。寝込んでばかりのソルディには、幾ら本があっても足りない。読むペースも早いから、大概の本は一日で終わってしまう。だから私が毎日一冊ずつ持ってきて、またこっそり本棚に返しておけば良い。
「また明日来るね!お休みソルディちゃん」
日が暮れる少し前、私は彼女の部屋を出た。いつもと変わらない楽しい一日、だけど帰宅した家だけは、いつもと様子が違っていた。
「ないっ、ないっ!あの本がないっ!!」
「お父さん……?」
「アレがなければ……アレがなくなったら、大変なことになる!!」
珍しく家に帰って来ていた父。青ざめたその顔は、この世の物とは思えない程恐ろしい形相。
「お……お父さん、お母さんは?」
「お前かっ!お前がアレを隠したのか!?だから、あいつがっ……消えてしまった!!お前がっ、お前の所為で!!」
「ご、ごめんなさい」
ミディアを視認した父は、娘の肩を思いきり掴み詰め寄った。ミディアの腕から本をひったくるも、その表紙を見た男は呪いめいた悲鳴を上げて、床へと崩れ落ちる。
「違うっ!これじゃないっ!!あああ、日が暮れるっ!!もう間に合わないっ!!あああ、悪魔の娘めっ!!」
「父、さっ……!?」
逆上し、首を絞めに来た。子供の力ではそれに抗うことも出来ない。このまま私は死ぬのだろうか。
(ソルディちゃん……)
また、明日って言ったのに。私のこと、待っていてくれるはずなのに。嘘を吐いた。嘘になってしまう。行かなくちゃ、会いに行かなくちゃ。苦しくても、意識が途切れそうになっても、必死に目を開ける。目を開け続ける。目を開けたまま、男の姿が溶けて消えていくのをミディアは見ていた。見ていたが、認識しては居なかった。その目は開いていただけだった。
やがて誰かに身体を揺すられて、“その娘”は再び瞳を開けた。その場所は見覚えがあり、見覚えが無い。見慣れていて、だけどとても不気味な所。
「ようやく見つけました、慈しみの君」
「……え」
「危ないところでしたな。間に合って良かった」
「あなた……誰?」
「父の顔もお忘れですか?」
「お父、さん……?」
しっかりと手を握られて、娘は考える。違うと否定しようと思うのに、その答えが分からない。だから言われるがまま、その情報に塗り替えられる。
「ファウスト、古典的悪趣味な真似は止めろよ。そいつが“ヘレネ”か?」
部屋に居たのはその男以外にももう一人居た。やけに言葉遣いの悪いその少女が、男に向かって何かを告げた。
「さぁ、どうだろう。だがこの“慈しみ深い高貴な人”は、奴に一矢報いるにはこれ以上無い手駒ではある」
「“ユストゥス ”ってところか。失礼。悪趣味なのは、やり方の方だったな」
「ははは、何とでも言うが良い。彼方の魂が手に入らなかった以上、此方に打てる手はこれしか無い」
*
「はぁ……っ、はぁ」
「頑張ったね、ファイデ」
やっと人型に戻された。無理矢理演奏されたから、苦しくて堪らない。生前の苦しみを思い出すような辛さに、優しく背を撫でられる。普段手荒に扱う癖に、油断したところでこういう風に優しくされるから……反応に困る。何も言えずにいるファイデを抱え、高飛車な男はまで運んで、横にならせる。
(死んだ後なのに、こんなに疲れるなんて……変なの)
「少し、休むと良い」
瞼の上に手を置かれ、眠るようにと告げられる。自分の存在全ては、この男の支配下にあるのだと実感するほど、言いなりだ。そうされることで、睡魔に襲われるのだから。薄れていく意識の中、姉と男の会話が、少しだけ……ファイデの耳にも届いた。
「なるほど、あれは君達の家にあったのか。あそこへは足を運んだのに……僕にそれを悟らせないとは、ソルディ……君の力もなかなかだよ」
「どういう、こと……?」
「頼りにしてるよ、そう言ったんだ」
ミディア回。謎の多い子です。前に作った伏線とか時間空きすぎて忘れかけ、曲聞き直してまた考えながら書きました。
ミディアが薄情なのは、何か忘れているからじゃないかなと。




