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10:美しき時間

 夢の扉がギィと開く。使い魔の帰りを、道化は誰の夢ともしれぬ夢の中、崩れた屋敷……置き去られた椅子に座って待っていた。


 「お帰りソルディ」

 「……ただいま」

 「自分に正直になった気分はどうだい?」


 道化師を通り過ぎ、足を止めた娘が振り返る。躊躇いも後悔も、道化の目を見てその場で捨てる。本当の心を、本当の言葉を吐く事を彼女は許されたのだ。


 「ええ!最っ高!!今ならファイデのことも許してあげられる!」


 すっきりしたわと少女は笑う。生前の彼女からは想像できないようま朗らかな笑み。人はそれを狂ったとか壊れたと言うだろう。しかしそれは正しくない。


(彼女は解放されたんだ)


 生の束縛、呪縛……そして全てのしがらみから自由になった。あの邪気無き笑顔のなんと美しいことか。彼女を苦しめていたのは生そのものだ。


 「それで、彼女には会いに行かないの?」

 「ファウストのこと?」

 「ソルディ、君は僕の物だ。僕に隠し事が出来るとでも?」

 「……」

 「君と彼女は随分変わった友達だ。あっちの子相手なら分かる。だけど君は彼女の事さえ、名前では呼ばない。それは何故かな?彼女は君を名前で呼ぶのに」

 「それは……」

 「答えは簡単。君が彼女を知らないからさ。いいや、知りたくないのかな?」

 「何よカイネス、あの子なんかに興味あるわけ?」

 「そうだなぁ、それで君が妬いてくれるなら興味を持とうか?」

 「う、うっさい!馬鹿っ!死ねっ!!」

 「はいはい、照れない照れない」


 使い魔となった少女に、ほこりまみれのクッションを投げられたがそんな物は痛くも何ともない。死した娘相手に、道化師が腹を立てることなど何もなかった。彼女の魂はもはや道化師の物であり、彼女の過去も未来も何一つ知らないことはない。だからこそ、心置きなく弄り倒して可愛がれると言う物だ。


 「ソルディ、何をそんなに不安がる?君には彼女らにはない永遠がある。終わった君は全ての苦しみから解放された。万物の外側から世界を嗤う傍観者となったのに」


 共に嗤おうお嬢さん。微笑みながら片手を差し出せば、躊躇いがちに彼女が手を持ち上げて……引っ込める。そんな素直じゃ無いところも愛しいと思いながら、道化は少女の手を掴む。


 「ソルディ、君はこういう無理矢理が好きなわけか」

 「……馬鹿でしょ、あんた」

 「まぁ、良いじゃないか」


 目をそらしながら赤面する少女の姿がかき消えて、道化の手に残るはヴァイオリン。それこそが、使い魔となった彼女の新たな身体。ちょっと奏でてみせれば、躊躇いがちに彼女は歌う。


 「うん、良い音色だ」


 少女の音を聞き、とても満足そうに道化は笑う。そして彼が歌わせる曲は、少女にとってなじみの無いメロディ。


『何の曲?』

 「気に入ったかい?これはね……そうだなぁ。『美しき時間』……とでも名付けようか」

『何、それ……?』

 「変だと思う?」

『別にそうは思わないけど』


 穏やかな音色の旋律。それを奏でる道化師は、はじめて穏やかな笑みを少女に向ける。けれどすぐに、割れた鏡の向こう側……泣いているあの娘が目に入り、優しげな笑みも消えていく。


(嗚呼、あれからどれほどの時が流れただろう)


 消えること無い怒りと悲しみをもって、睨み付けた先の美しきお針子。

 向こう側から聞こえるのは、自分に深く……響き合うよう重なるような音。あの女と同じ顔の娘から向けられる憎悪の旋律。狂った男にも、それは心地よい郷愁の念を抱かせる。

 夢の向こうであの少女が泣いている。その姿に痛む胸こそ、最高の晩餐。胸を占めていく苦み、甘さ、痛み、歓喜。嗚呼、これぞ最高の快楽だ。かつて果たせなかった復讐、その味をこの舌で味わい尽くす夜のため。


(あの子は解放してなどやるものか)


 さぁ、苦しめ!嘆け!!生の檻から抜け出せぬまま、藻掻くお前の滑稽な姿を見せてくれ!


『痛っ!』


 演奏する指に力を入れすぎたのか。ヴァイオリンが悲鳴を上げる。軽い調子で謝りながら、道化はまた同じ曲を奏で出す。甘さと苦み。決して忘れることの出来ない過去をそこに見ながら。


 *


 「何故です……何故だ、ベルっ!!」


 遠いの記憶の中、まだ生きていた男が叫ぶ。その悲痛な叫びがやけにリアルに蘇る。

 彼が見ているのは美しく、高貴な女性。

 かつて二人は愛し合っていたのに、時がそれを引き裂いた。時間が女王を変え、変わらなかった道化を置き去りにした。その理由は何だろう。私はそれを知らない。でも、道化師は本当に優しかった。勘違いをしている彼は、本当に私を愛してくれていた。

 だからだろうか。後ろ髪を引かれるような気持ちになるのは。


(私は……!)


 まさか私は、あの男を愛してしまっていたのではないか? 彼が死んでしまえば良いと思ったのは、私を見てもくれないこの男に腹を立ててのことではないのか?私を女王と信じて疑わない彼が嫌になったから? それは……それは、私が。


 「女王陛下っ!!」


 お待ち下さい! 止めて下さい! 何も殺すことはないじゃないですか! 彼は貴女を愛しているんです!! 口封じなんて必要ないです! 彼は貴女を裏切らない。例え貴女が国のため、他の男と結婚することになろうとも!!


 「あ……」


 伸ばした手。叫んだ言葉。遅すぎた。兵士に取り押さえられたその男。女王の命令で振り下ろされた斧。嗚呼、飛び散った血があんなにも綺麗。地面に吸わせたくなどない。一滴たりとも。抱きしめて、私のドレスに染みこませたい。誰にも渡したくない。髪の毛一本、血一滴に至るまで!!


(嗚呼、私は……っ!!カイネスっ!!)


 私は貴方を愛しているのに、こんなにも。笑わせてくれた貴方が、どうして今私を泣かせるの?私があの女性ではないからなの?

 男の首が、転がって……笑う彼と目が合った。悔しかっただろう。悲しかったのだろう。泣きながら首を切られた彼は、嗤っていた。つり上げられた口は、三日月のよう。血の気を失った青白い肌、張り付いた赤い色。怒りに染まった憎悪の瞳。そんな惨めな姿になっても、震えるほど貴方は美しい。


 「陛下っ……離婚なら……もっと別の方法が、あったんじゃないんですか!?現に彼は、私に……っ、貴女に指一本触れはしなかったのだから!!」


 離婚の理由なんて、相手が不能だったからとかそんな理由で何の問題も無いじゃ無いですか。教会だって、認めてくれる!そうでしょう!?

 無礼は承知で私は彼女にそう叫ぶ。この場で自分も殺されても構わない。そう思いながら、憤りをぶつけたけれど、殺気立つのは兵士だけ。彼女は、命を下さず軽く首を横に振るだけ。


 「何を馬鹿なことを……私はこの国の王なのだから」


 悪魔になんてなれないわ。美しく微笑む女性。笑う彼女も、泣いていた。その顔が、とても見慣れて懐かしいように思われたのは何故だろう。


(私は、何も知らない……)


 彼のことも、彼女のことも。二人の間にあったことが本当は何だったのかさえ、今は闇に葬られた。


(私は知らなかった……)


 彼女がまだ、彼を思っていたなんて。


 *


 「お嬢ちゃん、君は何しにここへ来たんだ」

 「ぅあああ!ご、ごめんなさいっ!!」


 遺体の身元確認に来ながら居眠りなんてと、ミディアは警官に呆れられてしまった。ここしばらく満足に寝ていなかったから仕方ないのだけれど、どうにもこうにも恥ずかしい。


(恥ずかしい……?)


 何を馬鹿なことを。そんな余裕があるなんて、そっちの方が恥ずかしい。私はこの期に及んで何をまだ、女ぶっているのだろう。


(ソルディちゃんも、ファイデ君も……私のせいで殺されたのに)


 本当に自分が嫌になる。何も感じられなくなるように、心が凍ってしまえば良いのに。そのくらいなれなきゃ、私は彼らの死を冒涜しているみたい。

 それなのに、どうして私はこうなんだろう。罪悪感はある。でも気がかりなのはあのピエロのこと。彼のことばかり考えているんだろう。だからあんな変な夢を見た。

 それは噂話をもっと膨らませたような内容。夢の中の自分を目にすることは決してなく、何者かの目を借りて、その人の視線で夢を見た。


(夢の中で見た女王様……ルベカちゃんに、似てた)


 どうしてそう思ったのだろう。そんなわけないのに。

 死にたくないと思った。ピエロに襲われたあの時は。その次の日もそう。殺されるんだって怖がって泣いていた。それなのにまだ、私は生きている。友達を二人も犠牲にして、のうのうと。狂いもせずこうして生きている。

 今なら喜んで攫われるのに。殺されても良いと思うの。仕方が無いと思うの。


(ごめんね、ソルディちゃん)


 私はルベカちゃんのように、本気になれない。あの男の人を、まだこの目が心が追っている。相手は死んでいるし悪魔なのに。絶対に幸せになんかなれない、捨てた方が良い心。なのにまだ、私はあの人が好きで居る。

 格好良くて、いつも私を守ってくれたソルディちゃん。大好きだった。もし貴女が男の子だったら、私は貴女を好きになっていたんじゃないかな。何をやってもダメで、どうしようも無い私を貴女はいつも助けてくれて、貴女の口添えで私は仕立て屋に置いてもらえた。

 私はルベカちゃんより仕事は遅いし失敗も多いけど、私を悪く言う人がいたら、ソルディちゃんはその相手によく喧嘩をしに行ったっけ。


 でも、時々私……なんだか惨めな気持ちになったんだ。ソルディちゃんは私をお姫様みたいに扱うけれど、私は貴女の迷惑なんじゃないかって。ううん、違う。本当にね、貴女が男の子なら良かったのに。私は貴女の優しさをちゃんと正面から受け入れられたに違いないから。

 でも貴女は女の子だから、私は貴女と私を比べてしまう。何も出来ない自分が嫌になる。ソルディちゃんはいつも私を女の子らしいとか可愛いとか言うけど、そんなことないんだ。貴女はそんなこと、気付いてないけど、私には……貴女の方がずっと羨ましいし魅力的に見える。私は凄く嫌な女。あの道化師に言われるまでも無い。自分で気付いてる。

 貴女は私を守って優越感を感じているんじゃ無いか。見た目は私の方が女の子らしいのに、どうして貴女が攫われるの?ファイデ君の方が可愛いとまで言われてしまった。嗚呼、私はショックだったんだ。

 貴女に人に褒められて、うぬぼれていたんだ。否定すればするほど嘘くさい。私は私が可愛いって知っていた。いつの間にか芽生えた自尊心があったのか、攫われない私は今になって、とても悔しい。あの人がファイデ君やソルディちゃんの方が好きだって言うのも許せない。


(ごめんね、本当に……本当に、ごめんなさい)


 本気で悲しめなかったのは、こういうわけだったのか。血だらけのドレス、切り刻まれた彼の死体を前にして、それでも涙が乾いて仕方が無いの。

 痛かっただろうね。辛かっただろうね。ファイデ君は泣いて、そして嗤ったのだろう。夢で見た道化師のように。ああ、そう思うと私は初めて彼の顔に頬を赤らめる。何て不謹慎、最低だ……。本当、死んでしまいたい。私なんかどこにも居なきゃ良かった。最初から生まれて来なければ良かったんだ。


 宿へと帰る道すがら、死に繋がる物はないだろうかとミディアは思う。近くに川はないか?彼女と同じ方法で死んでみたい。危ない男をわざと誘ってみても良い。そんなこと初めてだけど、どうにでもなれと路地裏を行く。だけど誰とも出会わない。誰も私を殺してくれない。

 生きているのが本当に申し訳なかった。死んでしまいたいと思うのに道化師は来てくれない。その理由も分かる。こんな嫌な女、そばに置きたくないはずだ。私が彼だって嫌だわ。自分でも自分が嫌いなんだ。どうすればいいのか、何をすれば良いのか分からない。償いさえ、他人に自分がよく見られたいがための行動、演出のようにしか思えないんだ。

 私の所為だ、何もかも。


(ソルディちゃんが死んだのは、私がピエロに目を奪われたから。ファイデ君が死んだのは、私が彼に私の服を着せたから)


 人に良く思われたい。道化師に気に入って貰いたい。なんて浅はか。馬鹿げている。

 私は何が欲しいの?どうして噂を追いかけたの?


 「それはあんたが、死にたかったからさ」

 「その声、ファイデ君!?」


 上ずった自分の声。鼓動が飛び跳ねるのは、恋と錯覚するようだ。嗚呼、誰も居ない暗い街。影のように暗い服を纏った彼がそこに居る。

 あの日のように迷いこんだ、招かれた非日常に歓喜する私が居る。


 「分かるよ。お前は最低の人間だ。死にたくなるのがよく分かる」

 「……う、うん」


 自分で思っていることを、誰かの口で言われるの、それはそれで抵抗がある。やはり私は最低だ。

 冷ややかな目、悪意の点ったその視線。死んだ彼は、どこか道化師に似てきた。そう思うと少しドキドキする自分。嗚呼、本当に不謹慎。


 「お前は、典型的な嫌な女だ。そして自己顕示欲の消えない嫌な女だ。お前は忘れられたくないから、死にたかった。悲劇のヒロインとして祀り上げて欲しかった。そうすることで唯の町娘が本物のお姫様や女王様にでもなった気分になりたくて」

 「え、えっと……あの」

 「お前の魂は嫌な匂いがする。俺は食いたくない。カイネスだってそうさ」

 「ファイデ、君?」


 鼻をつまみ嫌そうな顔をするファイデ。生前の彼からは本当に、予想もつかない言動だ。


 「コンプレックスの塊だ。お前は女王の影を未だに引きずる救い難い穢れた魂だ!」

 「こら!」

 「むがっ!」


 突然聞こえたその声に、ミディアは今度こそ痛いくらい心臓がドキドキ鳴った。会いたかったあの男にまた会えたのだ。今すぐ攫って欲しいと口から漏れる自分の吐息は熱を帯び、黄色い悲鳴が零れそう。


 「おしゃべりなのはどの口かな、可愛いファイデ」


 闇の中から現れた男がファイデを羽交い締めにしたかと思うと、ファイデの姿がかき消える。代わりに彼の腕に収まったのは、愛らしい少年ではなく綺麗なヴァイオリン。道化師がそれに触れれば、彼から悲鳴のような音色が鳴った。

 楽器を触る手つきがなんとも艶めかしい。彼の指はどんな感じなのだろう。彼に触れてもらえるだなんて、本当に彼が羨ましい。


 「可愛いだろ、この子は。ちょっとお腹を撫でればほら、音がシャープ。足を触ればフラットが付く」

『俺で遊ぶな変態っ!ひ、ぐぁ♯ああああ♭!!』

 「うん、今日は一段と良い声で鳴るなぁ。……まったく、ソルディが会いたがってたのに、勝手にうろつくだなんて悪い子だ。あとでたっぷり僕がお仕置きをだね」

 「お、お仕置き……!?」


 何それ、良いなぁ。顔を赤らめ両手で頬を覆ったミディアを見、道化師が鼻で笑った。


 「さて、というわけで可愛い使い魔が二人も増えた僕は結構忙しいんだ。復讐の日はすぐそこまで来ている。そのためにも使い魔の教育が必要だからねぇ。腐った魂のお嬢さんにはお帰りいただこう」

 「そ、そんな!!私っ!」

 「前にも言っただろう?君に攫う価値は無いんだと」

 「ひ、酷い……そんな風に言わなくても」


 本当にその通りだと思うけど、実際言われると傷ついて、ボロボロ泣き出した私を前に、道化師が自分の髪を掻きむしる。何とも居心地が悪そうだ。彼の方から「っち」、という舌打ちまで聞こえた。


 「そんなに夢が見たいのなら、見れば良い!お前にふさわしい過去を思い出させてやる!」

 「え。きゃあああ!!」


 蹴り飛ばされた先は、一面真っ暗。何も無いけど、穴がある。暗がりへ落とされ落とされ行くミディア。落ちて落ちて一番底まで落ちたとき、ぱっと視界が開けて自分の目が開いた。

久々の高飛車ピエロ。ちょっと色々ありまして、今一番シンクロできる作品がこれでした。でもミディアにシンクロし辛いなーと思ってたら嫌な女の子になりすぎて吹いた(゜Д゜)…

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