第81話 帰還
使節団が、帝都への帰途についたのは、東方での交渉が、一定の成果を見せ始めてから、さらに数週間が過ぎた頃だった。
「正式な、軍備相互削減に向けた、第一段階の合意——これを、持ち帰ることができるとはな」
帰路の馬車の中、ヴェルニエは、感慨深げに言った。
「まだ、完全な解決には、程遠いですが」レオンは、慎重に応じた。
「それでも、大きな前進だ」ヴェルニエは言った。「哨戒部隊間の連絡体制、そして、今後、定期的な、相互視察を行うという枠組み——これらは、これまでのヴァルディア帝国の歴史において、前例のない成果だ」
レオンは、この数ヶ月の旅路を、改めて振り返っていた。国境での緊張、偶発的な衝突、そして、それを乗り越えての、着実な対話の積み重ね——それらすべてが、今、確かな成果として、形になっていた。
帝都に到着したのは、出発から、二ヶ月近くが過ぎた頃だった。
「ヴァイス殿、お帰りなさい」
出迎えたアレクシスの表情には、これまでにない、安堵の色が浮かんでいた。
「心配をかけたな」
「国境での衝突の報告を受けた時は、正直、肝を冷やした」アレクシスは言った。「だが、結果的には、見事な対応だったと聞いている」
「お前の方は、どうだった」
「国内の調整、少しずつだが、進んでいる」アレクシスは言った。「お前たちの成果が、強硬派の説得にも、確かな材料になった」
帰国後、レオンとヴェルニエは、軍務省、そして、改めて皇帝への、正式な報告を行うことになった。
「此度の使節団の成果、確かに、受け取った」
謁見の間で、皇帝は、報告を聞き終えた後、そう述べた。
「まだ、完全な解決には、至っておりません」レオンは、率直に答えた。「ですが、対話の枠組みは、確かに、構築できたと考えております」
皇帝は、しばらく、レオンを見つめた後、静かに口を開いた。
「以前、お前に、一つの問いを、投げかけたな。軍を強くすることと、戦争を減らすこと——どちらが、この帝国を守るのか」
「はい、陛下」
「今、お前は、その問いに、どう答える?」
レオンは、これまでの経験——南方戦線での実戦、局での改革、そして、今回の、東方での交渉——それらすべてを、改めて思い返しながら、慎重に言葉を選んだ。
「軍を強くすることと、戦争を減らすこと——この二つは、本来、相反するものではないと、今は考えております」レオンは、はっきりと言った。「必要な防衛力を維持しながら、同時に、相手との対話と、信頼の構築を、怠らないこと。その両方があって、初めて、本当の意味での、安全が、保たれるのではないかと」
「両立させる、ということか」
「はい」レオンは、頷いた。「どちらか一方だけでは、不十分です。力だけでは、相手との疑心暗鬼を、際限なく深めてしまう。かといって、対話だけでは、不測の事態に対応できません」
皇帝は、レオンの答えに、しばらく、無言のまま、考え込んでいた。
「……まだ、完成された答えとは、言えないかもしれないな」皇帝は、やがて、そう言った。
「おっしゃる通りです」レオンは、正直に認めた。「ですが、今回の経験を通じて、少なくとも、その方向性については、確信を持てるようになりました」
「その答えを、お前自身の手で、これからも、磨き続けよ」皇帝は言った。「今回の功績、確かに、評価する」
謁見を終えたレオンは、これまでの、長い戦いの、一つの区切りを、確かに感じていた。
だが、同時に、この帝国が抱える問題が、まだ、完全には解決していないことも、レオンには、はっきりと分かっていた。東方との緊張は、確かに緩和の兆しを見せている。だが、帝国内には、まだ、様々な歪みが、残っているはずだった。
その夜、レオンは、アレクシスと共に、久しぶりに、落ち着いた時間を過ごしていた。
「これで、一段落、というわけではないんだろうな」レオンは、静かに言った。
「ああ」アレクシスも、頷いた。「東方との関係は、改善の兆しを見せている。だが、帝国内には、まだ、多くの課題が、残っている」
「軍需産業に関わる人々の生活、貴族社会の構造、そして——」
「皇帝陛下自身の、今後の判断」アレクシスは、続けた。「これらすべてが、これから先、帝国の行く末を、左右していくことになる」
レオンは、これまでの道のりを、改めて振り返った。士官学校での学び。南方戦線での実戦と、母の死の真相。帝都での、局の改革と、デルモン子爵との戦い。そして、東方との、対話による、緊張緩和。
それぞれの戦いは、確かに、一つの区切りを迎えていた。だが、その先には、まだ、より大きな、帝国そのものの未来が、横たわっていた。
(これで、終わりじゃない。むしろ、ここからが、本当の意味での、始まりなのかもしれないな)
帝都の夜空の下、レオンは、これまでの経験すべてを胸に、次なる課題へと、静かに、しかし確かな決意を持って、視線を向け始めていた。




