第8話 互いに忘れていたもの
◇ 勇者サイド ◇
食事は、まあ、だいぶひどいものだった。
仕事について尋ねられれば、今月の営業成績がゼロであることを話した。
趣味について尋ねられれば、裏ダンジョンで効率よく経験値を稼ぐ方法について語った。
話題を変えようとしても、なぜか会話はすぐに途切れてしまう。
彼女は何度も席を立ち、お手洗いへ向かった。
こちらとしても都合がよかったので、そのたびに俺もスレへ書き込み、毒男たちから次の指示を仰いだ。
なお、途中で俺専用のスレが立った。
相談スレを俺の話題だけで埋められるのはうざい、とのことだった。
さらに、ほぼ同じ内容の専用スレが三つほど乱立した。
だが、この際、気にしないことにする。
どうせ、そのうち勝手に流れて消える。
諸行無常である。
◇
どうにか食事を終えると、テーブルへ食後のコーヒーが運ばれてきた。
終わりだ――。
もう、何もかも駄目かもしれない。
「あの、本日はありがとうございました。本当に、ご迷惑ではなかったでしょうか?」
「あ、いや。そんなことはないです」
結局、最後までぎこちない会話になってしまった。
スレの仲間たちは、いろいろと支援してくれた。
それなのに、すまない。
俺の力が及ばなかった――。
目の前に座る彼女を見ながら、心の中で仲間たちへ謝罪する。
そのとき、ふと気づいた。
そういえば、俺は彼女の名前を知らない。
「あ、あの、すみません。そういえば、まだお互いに名乗っていなかった気がするのですが……」
彼女も目を見開いた。
口元で何やらぶつぶつと呟いてから、ぎこちなく笑みを浮かべる。
「そ、そうですね。私のほうもうっかりしていました」
初対面の男女が食事を終えるまで、お互いに名乗ることを忘れる。
そんなことがあるのだろうか?
俺が忘れるのは、まだ分かる。
勇者をしていたころは、出会う相手のほとんどが、最初から俺のことを知っていた。
自分から名乗る習慣が、ほとんどなかったのだ。
だが、彼女まで忘れていたとは……。
いや、違うか。
もともと俺のような男へ名乗るつもりなどなかったのかもしれない。
お礼の食事が終われば、もう二度と会うこともない。
そう考えていたのだろう。
だとしたら、余計なことを言ってしまったかもしれない。
◇ 魔王サイド ◇
やらかしていた。
盛大なやらかしだった。
連絡先を交換した際、彼のスマホに表示された「アークライト」という文字を見て、私は彼の名前を知ったつもりになっていた。
だが、考えてみれば、それは姓でしかない。
では、向こうは私の名前を知っているのだろうか?
私のアカウントに表示されている名前は――。
「ティア……」
それだけだった。
うん。
これは完全に、私が悪いかもしれない。
「私の名前は、ティアアマティア・アザトス・アヴェルナ。親しい者は、ティアと呼びます。アヴェルナでも、ティアでも、お好きなほうでお呼びください」
こ、これでよかっただろうか?
少しばかり、距離を詰めすぎただろうか?
だが、いまさら発言を取り消すことはできない。
◇ 勇者サイド ◇
「私の名前は、ティアアマティア・アザトス・アヴェルナ。親しい者は、ティアと呼びます。アヴェルナでも、ティアでも、お好きなほうでお呼びください」
ちなみに、人間側では、魔王の本名も姿も最後まで判明しなかった。
だから、アヴェルナという名を聞いても、俺には何の心当たりもない。
「ティア……」
いい名前だ。
「ティアか。いい名前だ」
考えていたことが、そのまま口から出てしまった。
ティアが俯く。
急に愛称で呼ぶのは、不敬にあたっただろうか?
あたったかもしれない。
だが、向こうから好きなほうで呼んでよいと言ってくれたのだ。
たぶん、大丈夫だ。
「俺の名前は、アンセル・アークライトです」
名乗った瞬間、ティアが勢いよく顔を上げた。
「アンセル!? あの、もしかして勇者の……」
やはり、そう思われたか。
だが、これは普段から何度も経験してきたやり取りだ。
勇者だと名乗ったところで、信じてもらえない。
それどころか、面倒な騒ぎになることのほうが多い。
だから、答えはすぐに出てきた。
「はい。あの勇者と同じ名前なんですよ。魔族の方には、不快な名前かもしれませんが……」
魔族にしてみれば、かつて自分たちの命を狙っていた、人類側の鉄砲玉を連想させる名前だ。
いまにして思えば、魔族と仲良くなれるわけもない。
「私は、不快だとは思いません」
「え?」
「少なくとも、私を助けてくださった方のお名前です。嫌う理由などありませんわ」
◇ 魔王サイド ◇
同じ名前?
そんなわけがない。
アンセル・アークライト。勇者と同じ名。
あの速度と、ほぼ無詠唱の《バルーラ》。
偶然にしては、重なりすぎている。
だが、報告にあった勇者のレベルは63。
目の前の男が見せた力とは、あまりにも桁が違う。
勇者ではない。
そう結論づけたはずなのに、小さな疑念だけが胸に残った。
そもそも、勇者が習得できる魔法に《バルーラ》は含まれていただろうか?
勇者と同姓同名の、まったく別の化け物という可能性もある。
いや、それはそれで何者なのよ。
いずれにせよ、本人が過去を語りたがらないのなら、いまは追及しないほうがよいだろう。
それに、人間と魔族の戦争は、もう終わった。
勇者も魔王も、役目を失ったのだ。
すべて、過ぎたことである。
◇
食事を終えた私たちは、支払いを済ませるため、レジへ向かった。
私がスマホを取り出すと、彼も財布を開こうとする。
「いえ、今日は私がお招きしたのですから」
「でも、さすがに全部払ってもらうのは……」
「お礼なのですから、ここは私に任せてください」
財布を出そうとする彼の手を、反射的に押さえた。
手と手が触れる。
「…………」
「…………」
私は慌てて手を離した。
ほんの一瞬、触れただけだ。
それなのに、手のひらには彼の体温が残っている気がした。
私は何事もなかったかのように会計を済ませ、彼と一緒に店の外へ出た。
これで、お礼は終わった。
もう会うこともないだろう。
◇ 勇者サイド ◇
店の外へ出ても、手に触れた感触が消えなかった。
レッドドラゴンの炎を直接受けても熱いとは思わないのに、ティアに触れられた場所だけが、妙に熱い。
いや、落ち着け。
ただ、手が触れただけだ。
「あの、今日はご馳走さまでした」
「いいえ。こちらこそ、お付き合いいただき、ありがとうございました」
「その……次は、俺に払わせてください」
言ってから、自分の発言の意味に気づいた。
次。
それは、またティアと会いたいと言っているのと同じではないだろうか。
「あ、いや。次があればの話です。もちろん、迷惑なら――」
「次も……あるのですか?」
ティアが、目を丸くしていた。
「す、すみません。勝手なことを……」
「いいえ」
ティアは小さく首を横に振った。
それから、今日初めて見るような、柔らかな笑みを浮かべる。
「次は、アンセルさんのお好きなお店へ連れていってください」
「……はい」
胸の奥で、何かが跳ねた。
レベル9999の俺にも正体の分からない、ステータスには表示されない何かだった。
◇ 魔王サイド ◇
また会いたい。
彼がそう思ってくれたことが、素直に嬉しかった。
この男が本当に勇者なのか、まだ確信は持てない。
仮に勇者だったとしても、いまさら人間と魔族の戦争に意味などない。
次に会うときも、彼は勇者ではなく、アンセル・アークライトとして来るのだろう。
ならば、私も魔王ではなく、ティアアマティアとして会えばいい。
「約束ですよ」
「はい。約束します」
もう会うことはないと思っていたはずなのに。
店を出るころには、私たちの間に次の約束ができていた。




