エピローグ 静かな答え
一年後、婚約は解消されなかった。
書面上の変更は何もなく、ただ二人とも何も言わなかっただけだ。それが、この二人なりの答えだった。
社交界では「氷公爵が珍しく婚約を長引かせている」と噂になった。シュトラウスは何も説明しなかった。リリアナも何も言わなかった。
ある晩、書庫で本を読んでいると、シュトラウスがいつものソファではなく、リリアナの隣の椅子に座った。
リリアナは少し驚いて彼を見た。
「狭くないですか」
「広い」
実際、椅子は一人掛けで、二人分の間隔は十分にあった。ただ、今まで彼はいつも向かいか、離れた場所に座っていた。
リリアナはページに視線を戻した。
しばらくして、シュトラウスがページをめくる音がした。
同じ本ではない。それぞれの本を読んでいるだけだ。
ただ、距離だけが、少し変わっていた。
リリアナは本の活字を追いながら、それでいい、と思った。この人と一緒にいることは、静かで、穏やかで、少しずつ、確実に、何かが積み重なっていく感じがする。
恋愛とはこういうものかもしれない。劇的でも激しくもない。ただ、離れたくないと思うこと。
「一つ聞いていいですか」とリリアナは言った。
「何だ」
「閣下は、私のことを、どう思っていますか」
シュトラウスは本を閉じた。しばらく、床を見ていた。
「うまく言えない」と彼は言った。「ただ」
少し止まった。
「あなたがいない書庫を、もう想像したくない」
リリアナは、静かに息を吐いた。
「それで十分です」と彼女は言った。
シュトラウスは何も言わなかった。ただ、また本を開いた。
二人でページをめくる音が、夜の書庫に続いた。




