ムザリクの覚醒
王都ムカランゴにある神殿に、ムザリクは立っていた。
石の壁に古代の鍛冶の象徴が彫り込まれ、天井は高く、中央には黒く深いくぼみが沈むように穿たれている。その奥には、巨大な斧と剣が静かに横たわり、微かに光を反射している。
季節は初夏。外の陽光は山体の外で煌めいていたが、神殿の中は薄暗い。マグマの熱と鉄、汗の匂いが混ざった空気は、厳粛な儀式にふさわしい重みを帯びていた。
神殿には、鍛冶ギルドの試験を終えた若手職人たちが集まり、熟練職人や親方、そしてギルドマスターまでもが揃い、試験合格者を迎える儀式が始まろうとしていた。ムザリクもその一人である。
背筋を伸ばし、腰に灰色のスカーフを巻いた姿は、誇りと緊張を同時に秘めていた。赤髪を複雑に編み込んだ長い三つ編みが肩越しに垂れ、汗で少し光る肌に沿って揺れる。身長は高く、細身ながら筋肉はしっかり付いており、若手ながら鍛冶の腕は王都でも有数の力を誇る。
「まずは、試験合格を祝して、杯を回す。」
鍛冶ギルドマスター、バロガスの声が広間に響いた。儀式用の酒は樽から注がれ、銀の杯が回される。中央の黒いくぼみに映る光は、酒の色を黄金の炎のように輝かせた。
親方ゴラジムが隣でにやりと笑う。
「今のうちに味わっておけ。後世に語られる日が来るかもしれん。」
言葉に背中を押され、ムザリクは手にした銀の杯を見つめた。下戸の自分には、この香りだけで拒絶反応が起きる。
しかし、覚悟を決めねばならない。
ムザリクは目を強く閉じ、ゆっくりと口に含む。舌の上で広がる甘みと苦み、温度が喉を熱く走り抜ける。
瞬間、身体が反応した。
支えを失った膝が折れ、上体がゆっくりと後方へ傾いでいく。受け身を取る余裕もなく、ただ棒切れのように背中から崩れ落ちた。
頭や背中に衝撃があったが、反動そのままに床に寝転がった。視界が揺れ、周囲の光と影、鉄の香りと汗の匂いが渦巻く。
「ぐ……っ」
それは単なる酔いの感覚ではなかった。今の自分とは違う何かの記憶が一気に溢れ出す。ムザリクは夢と現実の間に立ち、意識の境界が溶けていくのを感じた。
――喉が焼ける。
――……ガラスの瓶?
――ちがう、これは……酒?
――そうだ、酒だ!俺は……あの酒を飲んで
――死んだ?
――だが、俺は生きている?なぜ?
記憶の断片が身体の奥で融合し、喉の苦味、腕の筋肉の感触、炉の熱、酒の香りが一度に流れ込む。魂が覚醒し、全ての情報が脳内で踊った。
世界は熱と鉄と光の渦に満ち、意識は過去と未来を行き来していた。脳が混乱する中、断片的に声が聞こえる。あれは……白いドラゴン。俺はあのドラゴンに……
気がつくとそこは、鍛冶神殿の光景ではなく、柔らかな布に包まれたベッドの上だった。白い光に包まれ、視界と感覚がゆっくりと戻る。
天井の木組み、壁に掛けられた治療具、差し込む光の角度。匂いは薬草と温かい油が混じり、鉄の匂いはほとんどなかった。
「……ここは……」
ムザリクはゆっくりと頭を持ち上げ、体の違和感を感じる。筋肉の硬さは残るものの、神殿で感じた熱や汗の感覚は消え、穏やかな空気の中にいた。
ベット脇にあったテーブルには、灰色のスカーフがみえた。誰かが拾ってくれたのだろう。
ムザリクは、おもむろに灰色のスカーフをつかむ。その音に反応して、誰かがこちらに視線を向ける音がした。
「目を覚まされましたか、ムザリク殿。」
声の主は治療院の医師、ドルメクだった。小柄ではあるが、頑丈な体格と深い目を持つドワーフの治療師である。白衣ではなく、革と金属で補強された治療用の装束を着ており、手にはいくつかの診断道具を持っていた。
「……ドルメク……」
「あぁ、そのままで。お加減はどうですか。」
「頭がぼーっとするが、特に異常はなさそうだ。」
ムザリクはすんなり上体を起こし、そう告げた。
ドルメクは眉をひそめ、慎重にムザリクの脈を取り、手を握る。顔や体、脈を何度もみており、表情はだんだん驚きと困惑が入り混じっていた。
「……ふむ、酒を含んだ直後に気絶。しかし容体に顔色も悪くなるなどの異常は見られず、起きてからも二日酔いのような症状もないと。……症状からすると、酒を毒として強く拒む特異体質のようですね。私も初めて見る症例です。」
ムザリクは胸の奥でざわりとした。わかっていたことだったが、自分の下戸体質を、他人に言語化されたことに衝撃を受ける。
夢の中での転生の覚醒と相まって、体と心のギャップに息が詰まる。
「しかし、心配なさらずとも、体は無事です。少し休めば、すぐに鍛冶の仕事も再開できるでしょう。」
ドルメクの声は穏やかで、しかしどこか鋼のような安心感があった。ムザリクは深く息を吸い込み、灰色のスカーフを握りしめる。
――俺は、生まれ変わっても酒が飲めないのか
胸の奥の熱と憤りを感じながら、ムザリクは静かに目を閉じた。
はじめての長編投稿です。
ドキドキ、ガクブルです。
楽しんでいただけると幸いです。




