私のための未来へ
あの歴史的とも言える夜会から数ヶ月の月日が流れた。
王都は、嘘のように穏やかな日常を取り戻していた。
アルブレヒト元王子は王太子位を剥奪され、国境近くの修道院へと静かに送られたと聞いた。見送る者ももう誰もいなかったという。
リゼット・ミューラー元男爵令嬢は、全ての身分と財産を失い王都から追放された。彼女が、その後の人生で再び誰かの注目を浴びることは二度となかった。
彼らの物語は、終わったのだ。自らが蒔いた、愚かな種の当然の報いとして。
そしてわたくしアリアンナ・クライフェルトは、このエルムガルド王国を旅立とうとしていた。
「…お父様、兄様。本当にお世話になりました。どうか、お達者で」
クライフェルト公爵家の壮麗な玄関ホール。
わたくしは、見送りに来てくれた父と兄に深く頭を下げた。
厳格だった父の目には、寂しさとそれを遥かに上回る娘への誇りが浮かんでいた。
「アリアンナ…。お前はもはや、わしが何かを教えるような存在ではない。お前の信じる道をまっすぐに進みなさい。お前は我がクライフェルト家の最高の誇りだ」
父が初めて見せてくれた、優しい父親の顔だった。
兄様は、いつものようにわざと軽口を叩いて涙を隠している。
「やれやれ、とんでもない妹を持って兄は大変だよ。たまには、あの美味いジャムでも送くるよ」
そして、そっとわたくしの耳元で囁いた。「…幸せになれよ、アリアンナ」。
その時だった。
屋敷の前に、一台の壮麗な馬車が到着した。
シュヴァルツェンベルク大公国の黒獅子の紋章が金糸で鮮やかに刺繍された、国王クラスが乗るにふさわしい壮麗な馬車。
そこから降りてきたのは、もはや商人「ルーク」の面影など微塵もない隣国の第一継承者としての圧倒的な気品と威厳に満ちた、完璧な正装姿のルシウス様だった。
彼は、わたくしを自ら迎えに来てくれたのだ。
ルシウス様は、まずわたくしの父と兄に一国の代表として、そして一人の男として深々と敬意のこもった礼をした。
「クライフェルト公爵閣下、並びにフェリクス殿。私が生涯をかけてあなた様の娘君を世界で一番幸せにすることをお誓いいたします」
そして彼は、わたくしの前に進み出ると静かに片膝をついた。
続けて、集まった全ての者たちに聞こえるよう高らかに宣言した。
「アリアンナ・クライフェルト嬢。我がシュヴァルツェンベルク大公国は、貴女を我が国の経済と文化の未来を担う『国家戦略特区 総監督官』として、正式に招聘いたします!」
それは、ただの「お妃候補」としての誘いではなかった。
わたくしの才能と実績を、国家として最大限に評価し、一人の人間としてその力を振るうための最高の舞台を用意するという最高の敬意の表明だった。
わたくしは、差し出された彼の手を迷いなく取る。
「その大役、謹んでお受けいたしますわ、未来の、わたくしだけの、君主」
わたくしたちは、手を繋いだまま馬車へと向かう。
最後に一度だけ振り返り、涙と笑顔で手を振ってくれる愛する家族に、最高の感謝を込めた一度だけの美しい淑女の礼を送った。
馬車が、新しい世界へ向けてゆっくりと走り出す。
窓から見える、小さくなっていくわたくしの故郷の景色。
そして隣で、わたくしの手を温かく、そして力強く握りしめてくれる愛する人の美しい横顔。
数年後。
大陸一の貿易港として生まれ変わった「自由の港」の、丘の上に。
わたくしが総監督官を務める「クレセント商会」の本部が、白い帆船のように建っていた。
ある晴れた日の午後。
わたくしは、執務室のテラスでルシウス様と二人、一つの特別なパフェを分け合っていた。
わたくしの『女神のルビー』のジャム。
東の国のほろ苦い抹茶。
南の島の星形のフルーツ。
わたくしたちが築き上げた、七つの海の交易路がもたらした、世界の味が一つのグラスの中にきらきらと輝いている。
「それで、我が国の優秀すぎる総監督官殿は、次に何を企んでいるんだ?」
ルシウス様が悪戯っぽく尋ねてくる。
わたくしは、スプーンを置くと子供のように目を輝かせて答えた。
「決まっているじゃないですか。まだ見ぬ新しい大陸へ新しい船を出すのですわ!」
「きっとあの海の向こうには、わたくしたちがまだ知らない、もっと驚くような美味しいものや心ときめく美しいものがたくさん待っているに違いありませんもの!」
そんなわたくしの姿をルシウス様は、心の底から愛おしいという表情で見つめている。
彼は、わたくしの肩を優しく抱き寄せると穏やかな声で告げた。
「…君といるとこの世界には限界などないのだと教えられる。君こそが俺の人生のそしてこの国の未来を照らすたった一つのコンパスだよアリアンナ」
その最高の愛の言葉にわたくしは、幸せそうに目を細め彼の胸にそっと頭を寄せた。
そしてこの物語の全てを締めくくる最後の言葉を口にする。
「ええ。そしてそのコンパスの針が指し示すのはいつだってただ一つ」
「わたくしの心が一番ときめく方角ですわ!」
悪役令嬢と呼ばれた少女は、自らの手で運命の脚本を見事に書き換えた。
彼女のコンパスが、次にどんな心ときめく方角を指し示すのか。
それはまた別の新しい物語。
けれど、一つだけ確かなことがある。
彼女が歩む未来はきっと、最高に甘くて少しだけ刺激的で、そしてどうしようもなく幸福な味に満ち満ちているだろうということだ。
――Fin.




