最終話
FIN
時間が過ぎ去り、その日も一日が終わって、翌九月一日の朝、午前七時に起き出した。昨夜はまた瑞子の夢を見て、どうにも眠りが浅かったのだ。だが、通常通り仕事なので、普通に支度する。
洗面所に行き、蛇口を捻って水を出した。次の瞬間、赤黒い血の水がドッと出てきて、洗面台に溢れ返る。思わず、
「うわっ!」
と言って、のけ反った。すると玄関口で物音がし、スゥーと何者かが吸いこまれるようにして入ってくる。見ると、下半身のない瑞子の怨霊だ。こっちにジリジリと近付いてくる。
「く、来るな!……、こ、来ないでくれ!……」
そう言っても、彼女の幽霊は迫ってきた。そして血と傷だらけの顔面を曝し、
「佐村君、一緒に向こうの世界に行こ。この世の中なんてつまんないから」
と言い、にじり寄ってくる。冷たい手を俺の首元に押し付け、ゆっくりと締めながら、
「もうすぐ霊魂が抜けるわ。そろそろあなたも霊界の住人よ」
と言って、ニンマリ笑う。
「や、止めろー……止めてくれー……」
この世で最後の声を振り絞った後、時間が経ち、俺もあの世へと旅立った。彼女の霊は俺の死体脇に小さな水たまりを作り、消えたのだ。一体この世の中の誰が、霊が俺を絞め殺したと思うだろうか?
自宅マンションに部屋の管理人が来て、セミの抜け殻のような死体を発見したのは、それから四日後のことだった。不審死に警察が来る。もちろん、刑事だって俺が霊に取り殺されたなどと、疑う人間は一人としていない。
死体脇にあった水たまりはいつの間にか、綺麗さっぱり乾いて消えていた。残ったのは部屋中にこもった死臭と、晩夏の日差しが送り届ける、わずかな熱だけだ。警察の捜査は時間の無駄だった。警官がいくら調べても、俺の死因は突き止められないのだから……。
洗面台に溢れ返った血の水は、銀のステンレスにこびり付くようにして残っている。水分が抜け、カラカラに干からびてしまって……。まるで、ひどく蒸し暑かったひと夏の終わりを告げるかのように……。
(了)