基底現実と仮想現実
二十二世紀も半ば、サガラは世界のありとあらゆる場所と人、物を繋いだ。超高速通信網の発達は、地球の裏側からであろうと瞬時に情報に接続する事を可能にし、電脳空間は生活空間の延長として認知されるようになった。
そして今日では、第二の電脳空間とされていた仮想現実が、既存の電脳空間を押し退け隆盛を極めようとしていた。
仮想現実空間はその名が示す通り、精巧な現実の模倣空間である。実体が知覚する限りの情報を再現する事を目的とするこの空間は、それでいて従来の電脳空間の代替としても機能する様に設計されている。
厳密に言えばそれは完全なる現実の模倣ではない。しかし仮想空間(SRS)の提供するサービスの謳い文句、「基底現実以上に快適な仮想現実」は貧困層を中心に絶大な支持を得た。他方で仮想空間に施されたセキュリティの信頼性が、富裕層からの受け入れに好意的に作用した。
通常、個人の偽装が不可能と断言される(セルフイメージを偽装出来ない)仮想空間だが、多様性確保の名目で制限を緩められたフォーラムが多数存在し、より従来的な電脳環境を提供するなど、アンダーグラウンドのダイバーからも一定の評価を得ている。
身元を偽装したい人間というのは競争苛烈なこの時代であればこそ多く、金の臭いのこびり付いたこの場所へと、危険性を承知で踏み入れる者は絶える事を知らない。
しかしこの仮想空間には致命的ともいえる欠点を有していた。仮想空間で自己の消失が脳死に直結し易いという欠点だ。仮想空間での死は、最早ありふれた日常と化している。だが仮想空間へと足を運ぶ人は減らない。それは仮想空間での死が基底現実での死と等価であると、人々が意識的にせよ無意識的にせよ、実感として理解しているからに相違ない。
※ダイバー:没入型HMI、第一世代と呼ばれる電脳が開発された頃より用いられるようになった語。インターネットが普及し始めた二十世紀末に用いられたネットサーフィンに影響を受け、ネットに潜るといった用法からネットダイバーとして定着。現代では同じ海でもSeaではなくSagaraに対して用いられるのが一般的となっており、サガラダイバーの様な表記はせず、単にダイバーと表現される。