最前線となった「日本」
世界を巻き込む災厄となった第一次サーフェナイリス・ハザードに比し、第二次サーフェナイリス・ハザードは東側に大きく偏った禍害であった。歌声の中心地となった日本では、正規非正規を問わず人口の一割にも上る人間が、発症者或いは発症者予備軍として処分された。
歌声は日本と結び付きの強かった台湾、ムーラダーラ大洋協定圏、ヴィエーク連邦に社会規模での停滞を与えた一方、ルイオラ経済域と呼ばれる西側諸国には、蝕害件数一時的の増加という些細な被害しか及ぼさなかった。
何よりも金の臭いに敏感な富裕層が真っ先に注目したのは、あろうことか事件により生じた被害総額ではなかった。新たに生じた特異人的資源の総量、即ちサーフェナイリス症候群罹患者の増加量にこそ、彼らは感覚を集中させたのであった。
かくて日本を中心とした東側諸国は、己が身を大きく害いながらも、その損失を補って余りある資源を獲得したのである。
だが思わぬ所より齎された富が、そうすんなりと人々を幸福へと導く筈もない。最も顕著だったのは、他の東側諸国に比べ被害規模が桁違いであった日本だ。多くの国々が罹患者を可能性として回収していったのに対し、日本はこれを害獣の如く扱った。
元々潜在的脅威であった罹患者を、十分な対策を施して収容する余裕が、大国である日本にすら残されてはいなかった。蝕害による二次被害、三次被害を事前に抑えた政府の判断を、弾劾する有権者は少ない。しかしそういった政府の対応が、市民と罹患者との軋轢を深める一因となっていった。最終的に政府がこの問題に対し打った一手は、強制居住地区を制定した上で患者を隔離するという暴力的な措置だった。




