4 それならもっと良いやり方があると思いますよ
【漁港】
誰もいなくなった波止場に腰掛けて海を見ながら、リスティリスとクレイは黄昏れていた。
「私、そのレベルで人から避けられる存在だったんでしょうか……自分では全然そうは思ってなかったんですけど……」
リスティリスの表情は蒼白である。性的欲求に乏しい彼女にとって、男性から拒絶された(?)という事実そのものがショックなわけではない。だが彼女の目的は自分の子供を手に入れることであり、その為には男性との交配は必須事項である。相互の理解を得た上での性交を目指す彼女にとって、その足がかりが掴めないという事実は何よりも辛いものだった。
「……」
そしてクレイは、彼女の傍らでずっと考えていた。何故彼女が、あそこまで人々から避けられるのか。美しいはずの彼女が、何故誰の欲望の対象にもならないのか。
「市場での一件は、単純にリス様の立ち振る舞いが狂人じみていたからだと思いますが……」
「きょ、狂人……?」
「変装した上での奇行だったのは僥倖でした。あれでリス様が普段のお姿でなされていたなら、神殿の権威は一日にして失墜していたでしょう」
「そ、そこまでだったんですか……」
「しかし、漁港での避けられぶりには少々違和感が……あの場でのリス様の立ち振る舞いはやはり正常とは言えませんでしたが、避けられるほどでも……」
「正常じゃなかったんですか!? あれでも!?」
「ええ、はい……誘惑のポーズのつもりだったんですか? あのあほ丸出しの曲芸は?」
「あ、アホ丸出し……自分の神に対して随分な物言いですね!?」
「近々信仰は捨てようかなと思っていまして」
「なっ! 祟りますよ!」
「とんだ邪神ですね。カルト宗教さながらじゃないですか。それで、祟るって具体的に何するつもりなんですか?」
「え、ええと……子供が良く出来るように……」
「それは本当に祟りなんですかね」
「だって私が使う権能って、大体そこに帰結するんですもん……」
不幸にも、子宝と安産の女神であるリスティリスが司る権能は幅が狭かった。
「とにかく、貴方は性関係の基本的なことが分かってなさ過ぎです。今時幼児の方が上手に誘惑できるでしょうね」
「そんなこと言われたって、私には全然分からないんです! 何千年も子供のことしか考えてなかったんですから、今更殿方を誘惑するやり方とか! 全然ピンと来ません!」
リスティリスはわっと泣き崩れた。少し可哀想だと思ったクレイだったが、放置して原因特定に戻った。何かヒントはないだろうか。漁師たちがピンクの瘴気を吸いこんだときに見せた挙動などに、おかしな点はなかっただろうか……そういえば、彼らは全員同じ方角へ向かって歩いて行っていた。あの方角には何があったか……そうだ、漁師達の集合住宅だ。そこでクレイは真相に思い至った。
「もしかして……リス様の権能はあくまで『子宝を授ける』ためのものだから、たとえ発情したとしてもあくまで『子を為すべき相手』のところに行くのであって、伴侶でも思い人でもないリス様に近づくことはない、ということなんじゃないですか?」
「……へ? どういうことですか?」
「ほら、例えば夫婦の内夫に発情の権能を使ったとして、それで夫が別の女性にムラムラしたら意味がないっていうか本末転倒じゃないですか。だからリス様の発情権能は、最初っから然るべき人に惹かれるようにできていて、誰の恋人でもなければ伴侶でもないリス様にはそもそもその欲望が向かないんじゃないでしょうか?」
「……じゃ、じゃあ漁師さん達は皆お相手持ちだったということですか? 一人くらい縁の無い人がいるはずだと思うんですけど!?」
そんなこと言われても、権能の持ち主本人が把握していないことをそこまで詳しく知っているはずがない。クレイは困惑したが、それでもなんとか考えてひねり出した。
「……さあ? 今一番好きな人のところに行ったりするんじゃないでしょうか?」
「じゃあ私のことを! 私のことを『然るべき人』だと考えてくれている人ならば!」
「いや……それも……」
クレイはそっと目を伏せた。
「ほら、リス様は今までずっと子宝の神殿に引きこもってたじゃないですか。だから、未婚で相手もいない男性がリス様に会うことはなく、リス様に会うために神殿にやってくる男は、大抵伴侶がいる夫婦の片割れですから、浮気心でも抱かない限りリス様に惹かれるはずがない……」
「……そ、そんな……」
「つまり、リス様がここから誰かに惹かれようと思うなら、一足飛びに結果だけを得ようとせずに、ちゃんと一から順番に人間関係を築いていく必要があるということです。横着は駄目ってことですね。こつこつ積み重ねて頑張りましょう」
苦々しい表情を浮かべながら、リスティリスはぐっと手を握りしめた。
「……そんなことしてたら、絶対追っ手が……いえ、それしか方法がないならその方向で努力して……」
「――――いいえ、どれだけ努力したって無理よ」
突然耳に漂う冷ややかな声に、リスティリスとクレイの両方が寒気を催して周囲を見渡した。気付けば、海側を除いた三方はすっかり神官たちによって囲まれている。そしてその中央には、まるで自分の神官を侍らせているかのような我が物顔で、サリエスが佇んでいた。
「……先輩……!」
「さ、サリエス様……!」
リスティリスは目を丸くし、クレイは顔を青くした。サリエスだけではなく、周囲にいる神官の存在も彼にとっては恐るべきものだった。何しろ今自分はリスティリスと共にいる。今まで半日掛けて彼女を探していた同僚の神官達が見れば、とんだ裏切り者に見えるだろう。事実すぐに指摘された。
「クレイ、まさかお前がリスティリス様と共謀して……」
「ちちちち違います! 無理やり連れてこられたんです!」
嘘は言っていない。だが途中から、いくらでも逃げたり報告したりするチャンスはあったのに言わなかったというのも事実だ。だから実のところ、クレイの立ち振る舞いは全く胸を張れるものではなかったのだ。何故彼がそんな行動をしたかと言えば、それは何故リスティリスがこのような行動に出たかに興味があったというのが大きいが……。
「出るところを偶然目撃して! それで連れてこられて! 僕は詳しい事情を知りませんでしたから、リスティリス様の思いを無下にもできませんし!」
だが、ここでそんなことを馬鹿正直に話して何になる。クレイは必死に誤魔化した。幸いにも神官たちは、それ以上追及しなかった。
「……そんなことよりサリエス様。そういうことじゃない、とは一体……」
「簡単なこと。リスティリス、貴方どうやら知らないみたいだけど、神と人とでは子供は作れないからね?」
「……へ?」
「は?」
「神は神と、人は人と交わるのが常識。いくら似たような姿をしていると言っても、別の種族なんだから当然よね。もちろん、セックスできないってわけじゃないけど……それで子供なんて、できるはずがないわ」
リスティリスにとって初耳だった。クレイにとってもそうだった。今までの努力全てを無に帰すような特大級の爆弾の前に、二人は呆然と立ち尽くした。
「……ま、そもそもここ数百年、神と交わろうとした人も殆どいなければ、それを受け入れた神もいなかったから、知られていなくてもおかしくはないんだけど」
「で、でも大昔の神話には、人と交わって子供を産んだ女神もいたと聞きましたけど……」
縋り付くような上目遣いで自分を見たリスティリスを、サリエスは冷ややかに撥ね除けた。
「それは英雄的な偉業を成し遂げたから特例で名誉・神のようなものになってただけよ。巨大な化け物を単身で撃ち破るとか、長い戦争を終わらせるとか。でも今じゃそんな偉業を達成できるような人材はどこにもいないし、達成できるような偉業もない。世界は至って平和だから。つまり英雄になれる人間なんて今時でてこないし、あんたがいくら人間の男に媚びを振りまいても、あんたに子供はできないのよ」
「……そん、な……」
膝を突き、手も着いて、リスティリスはがっくりと地面に伏せた。
「大人しく、他の神々と交わったらいいじゃない。なんなら今から適当な男神を紹介してあげましょうか?」
「……違うんです。それじゃ駄目なんです」
「は? 何が駄目なのよ。結構イケメン知ってるわよ私?」
「イケメンとかどうでもいいんですよ!」
「じゃあ何が不満なのよ!」
「だって神と神の子供って、最初から成熟した状態で生まれてくるじゃないですか! 私はそういうの求めてないんですよ! 私は! あくまで! 子供が欲しいんです! 大人は要らないんです!」
「あんたねえ! そんな我が儘ばっかり……」
「我が儘じゃないですよ! 私はただそれだけでいいんです! 他のことは望まないんです! ただ私は子供の成長を、一番間近で見つめられる存在になりたくて……!」
「……あの」
会話を切ったのは、他でもないクレイだった。サリエスの冷たい目線が彼をぎろりと睨めつけたので、彼はびくりと肩を震わせた。が、歯を食いしばって言葉を続けた。
「待ってください、リスティリス様。えっと……子供に、一番近くで寄り添い、成長を見届けられればそれでいいんですか?」
「そうですよ! その為には私が子供を産まなければならないんです!」
「い、いやあ~……」
クレイは半笑いで目を細めた。
「……それならもっと、効率の良いやり方があると思いますよ」
◆◆◆◆◆
それから数ヶ月後。リスティリスは神殿に戻り、女神としての職務を再開した。ただし、今まで一日中行っていた職務を、午後三時頃には切り上げるようになった。そして彼女は毎日決まって、神殿の隣に併設された小さな施設に向かうようになった。その施設というのが……
「キャハハハハ! キャハハハハ!」
「うあああん、やめてよお! そんなもの持ってこっちこないでよぉ!」
「せんせー! ジョンくんがトムくんのことを虐めてまーす」
「こらー! 駄目ですよ! 私のことは先生じゃなくてお母さんと呼びなさい。リスティリスお母さんです!」
「はーい、リスティリスせんせー!」
「だからお母さんと……っていうかジョンくん、いじめは駄目ですよ。仲良くしないと」
「いじめてませんけど-! 遊んでるだけですけどー!」
「嘘おっしゃい! そんな嘘吐く子にはこうです!」
「いだだだだあっ!!」
【孤児院】、だった。
全国に、親を失い生きる術を失った子供は沢山いる。クレイの助言を参考にして、リスティリスは孤児院を神殿の横に立て、そこに子供達を迎え入れ始めたのだ。すぐに国中から沢山の孤児達が荷馬車に乗せられやってきて、リスティリスはそんな彼らを暖かく迎え入れた。今までリスティリスに救われてきた夫婦や、リスティリスの施しによって生を授かったかつての子供などが、次々に孤児院への寄付を持ち寄ってくれるようにもなった。
「こんにちは、リスティリス様」
神殿の人間も、時間を見つけては彼女のところに差し入れを持っていくようになった。今日の担当はクレイで、その手には神官一の料理自慢であるマックが作った巨大なケーキが携えられていた。
「あっ、クレイ。今日は貴方が来てくれたんですか」
「これ、マックさんが作ったかぼちゃのケーキです。子供達にどうぞ、と」
「わあ、ありがとうございます。子供達もきっと喜びます」
「充実してるみたいですね」
「はい、ご覧の通り。毎日がとても楽しいです。沢山の子供達の親代わりとして、日々その成長を間近で眺められる……貴方のおかげです、クレイ」
「……いえ、僕は別に……」
「別に謙遜する必要はないんですよ? 私は本気の本気で貴方に感謝していますから。全く気付きませんでした。子供の成長を見届けられる立場として、こんな素敵なものがあったなんて……」
クレイはケーキをテーブルの上に置いた。孤児達がわっと押し寄せてくる。そんな子供達を安らかに見下ろすリスティリスを見ながら、クレイは呆れたように呟いた。
「いえ、こんな簡単なことで済むなら一言相談をしていただければ良かったかと……」
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