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33.ループ4

 目覚まし時計のベルで目が覚めた時、俺は涙を流していた。

 内容は覚えていないが、何やら悲しい夢を見ていたらしい。

 強烈な切なさと悲しさ、それと後悔の念が、感触としてこびりついていた。

 今日から中三の一学期が始まるとはいえ、これまで色恋沙汰とは無縁だった俺に、何を切なく思うネタがあるのか、自分でも不思議だった。

 呆然としながらも、普段より早めに登校して。教室に入ると、見知った相手がいたことにホッと胸を撫で下ろした。

 人数もあまり多くない学校だったから、三年ともなればクラスの半分くらいは顔見知りの筈なのに、何を不安に思っているのやら。夢のせいで、妙に落ち着かなかった。

 「おはよう。また、一緒だな」

 尚康が右手をかざしてきたので、ハイタッチで挨拶。

 「ああ。よろしくな」

 教室にはまだ数えるくらいしか生徒はおらず、知った顔は他にいなかった。

 そんな状況だったから、次に誰かが教室に入って来たとき、自然に目が行って。そして、固まってしまった。

 その相手が、苦手なやつだったから。

 尚康も、それに気付いて顔を引きつらせていた。

 そいつは、二年のときから同じクラスだった三城谷音葉という女子で。黙っていれば可愛い方だと思うのだが、俺に対してはいつも憎まれ口ばかり叩いていた。そんな風にされる理由とか、何ら心当たりは無いのだが、何時の頃からかそんな関係になっていた。そして、いつも俺とつるんでいた尚康も、三城谷からはぞんざいな扱いを受けていた。

 そんな相手が、また同じクラスになって。朝からまた嫌な思いをするのかとゲンナリしそうになったのだが。

 三城谷は、いつもの様な険悪な雰囲気ではなく。ごく普通に、俺たちに近付いて来た。

 「おはよう、榊」

 普通に挨拶される。

 「お、おう」

 俺は、まともに挨拶も返せず。

 尚康は目を丸くして、成り行きを見守っていた。

 「どうしたのよ? 鳩が豆鉄砲でも喰らったみたいな顔して」

 その古めかしい例えに噴出しそうになったのだが、三城谷の豹変ぶりの方が気になって、

 「……お前、何か変な物でも食ったのか?」

 思わず、そんな風に返してしまった。

 これまでだったら、俺からそんなことを言われたら、烈火のごとく罵倒仕返されているところだが。

 「もう、失礼しちゃうわね」

 笑顔で返されてしまった。逆に不気味で、それ以上何も言えなくなる。

 「まぁ、仕方ないか。これまでがこれまでだったから。──今まで、変な風に突っ掛かって、ごめんなさい」

 唐突に謝られて、

 「……何か、あったのか?」

 急に、心配になってしまった。これまで、理由もなく口喧嘩を売られていた相手だったのに。いきなりそんな態度を取られて、混乱してしまっていた。

 「……色々と思うところがあってね。これからは、素直になることにしたのよ。そういう訳だから、これからもよろしくね」

 何がそういう訳なのか全く判らなかったのだが、ちょっと照れくさそうに笑みを残して離れていく三城谷に、俺は何も聞けなかった。

 尚康と顔を見合わせる。

 「智哉、以前俺が言ったこと覚えているか?」

 尚康も同じことを考えたらしい。

 「ああ。まさかとは思ったんだが……そういうこと、なのかな?」

 去年、三城谷が突っ掛かってくるようになって。当初尚康は、三城谷は俺に気があるんじゃないのか、などと言っていたのだ。ただのツンデレじゃないか、と。だけど、ツンがあまりに酷く、その後デレる様子も無かったから、俺たちはそれをただの気のせいだと結論付けていたのだ。

 「それにしても──何で智哉なのかは知らないけど──三城谷を落とせたら、大金星だな」

 その表現に、思わず噴出してしまった。

 「なんだよそれ」

 金星って。やつは横綱かよ。まぁ、女子生徒全員でリアルファイトやらせたら優勝しそうではあったが。

 「知らないのか。三城谷って、結構人気あるんだぜ? 学校全体で五指に入るくらいに」

 へぇ、そうだったのか。まぁ、容姿は結構いいし、スタイルも悪くは無いからな。──胸は皆無だけど。

 「でも、三城谷があんな調子なら、楽しい三年生になりそうだな。何せ、人気上位の女子五人のうち、三人がこのクラスなんだからな」

 「え、そうなん?」

 俺はそんなことになっているとは露知らず。

 「智哉……お前、本っ当にそういうの疎いよな。名簿見て無いのかよ?」

 尚康は俺の反応に、呆れた様子でため息を吐いた。

 そんなことを言われても。同じクラスになったことが無い女子のことまで頭に入って無いから。クラス替えの発表を見ても、そういうことは全く意識していなかった。

 そんな話をしていると。女子が数人、教室に入って来たらしく、背後から話し声。

 「で? 教室に着いた訳だけど、何があるのよ?」

 険悪、という感じでも無いのだが、何やら言い合っているらしい。

 尚康とそちらを窺うと。女子が三人、俺たちの方に近付いてきていた。

 一人は那須智香子という旧知の子だったが、残り二人は知らない顔だった。

 尚康は彼女らを見て、また目を丸くしていた。

 「おはよう、榊君。私、楠見絵梨菜。よろしくね」

 先頭に立っていた一番美人の子にそう挨拶されて。

 「あっ、ああ、うん、おはよう」

 思わずキョドってしまった。俺は彼女のことは全然知らなかったのに、向こうは俺のことを知っているという異常事態。しかも美人相手、冷静でいろという方が無理な話だ。

 楠見さんは俺の態度に、満足気に笑みを浮かべて。三城谷の方に歩いて行こうとした。

 「あっ、絵梨菜、待ってよ」

 もう一人の知らない方の子が慌てて呼び止めたのだが。

 「真樹は、挨拶しないの?」

 楠見さんに訳知り顔でそう返されて。真樹と呼ばれた子はポカンとして楠見さんを見て。そして俺を見た。

 「あっ、あの、あたし……速水真樹といいます。よ、よろしく……」

 照れた様子で、俯かれてしまった。

 その思わせぶりな態度に、こっちまで照れてしまいそうだ。

 どういうことかと那須さんに目で問う。那須さんも首を捻っていたのだが、やがて彼女は、何やら意地悪そうな笑みを浮かべた。

 「智くんは、絵梨菜や真樹のこと、知ってるの?」

 俺と話をするのも久しぶりな筈なのに。那須さんは昔の呼び名で俺のことを呼んで。

 案の定、速水さんは那須さんのことを不審そうに睨んだ。

 「とも……くんって、智香子、どういう──」

 「いいからいいから。絵梨菜に理由聞くんでしょ?」

 那須さんは速水さんの腕を取って、いつの間にか三城谷と話をしている楠見さんの方に、そのまま引き摺っていった。

 俺と尚康はそれを呆然と眺めていたのだが。

 尚康はハッと息を呑んで。そして、俺の胸倉を掴んで顔を寄せた。

 「智哉、どういうことだ?」

 「何がだよ?」

 俺は何を問われているのかよく判らず。

 「楠見さんのことだよ。さっき言った、人気上位五人のうちの一人だよ。なんで、お前のところに挨拶しに来るんだよ?」

 あれだけの美人だ。人気上位だと言われれば納得、ってそんな話じゃなく。

 「いや、俺も何がなにやら。名前すら、さっき始めて聞いたところだぜ?」

 「お前が楠見さんと話とかしてるところも見たこと無いが……でも、那須さんのことは知ってるみたいだったな?」

 俺も、尚康が彼女らと話をしているところなんて見たこと無いし、接点も無さそうなんだが。なんで三人のことを知ってる?

 「那須さんは幼馴染だから。でも、もう何年も疎遠な状態だったんだけどな」

 彼女らを見やると、那須さんが三城谷を含めた三人に囲まれていた。何やら問い詰められている様子。

 「……ちくしょう、お前がそんなリア充だとは知らなかったぜ……」

 「リア充て、そんなこと言われてもなぁ」

 つい先ほどまでは、三城谷とは険悪なままだと思っていたから憂鬱だった訳だが。急激な環境の変化に眩暈を覚えた。

 「せっかく人気上位の女子が三人も同じクラスだってのに……うち二人がお前目当てとか泣けてくる……」

 尚康はマジ泣きしそうな勢いだった。普段は、こんな下世話な話に興じるやつでも無いのだが。三城谷の態度が一変したことで、何やら過度な期待をしてしまったらしい。

 「これで、あと一人の土原さんまでお前に──」

 「私がどうしたって?」

 唐突に、尚康の背後から声。

 尚康は慌てて振り返って。

 「えっ、つ、土原さん……?」

 彼女に至近距離から睨まれて固まってしまった。

 その女性も、結構な美人さんで。そしてスタイルが異様に良かった。

 「榊君。私は土原玲奈。まずはこれからの一年、よろしくね」

 彼女も俺に向かってそう挨拶をして。楠見さん同様、三城谷の方に歩いていった。

 「智哉」

 彼女が去って。固まっていた尚康が動き出した。

 「殴っていいか?」

 「なんでだよ」

 さすがにここまでくると、偶然とは思えず。三城谷が何か仕組んだのだろうと俺は予想した。これまで、そんな浮いた話はなかったから、急にモテ期が来たとも思えないし。三城谷からの新たな嫌がらせと考えた方が自然だった。そして、そう思うと気分が悪くなった。


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