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30.見舞い

 目が覚めた時、俺は病室のベッドの上で転がっていた。

 音葉が死んでしまう様な事故だったにも関わらず。俺が音葉より頑丈に出来ているのか、単に当たり所の問題だったのか、俺は死なずに済んだらしい。

 ベッドの傍では千佳が心配そうに俺を見つめていた。

 「おはよう」

 外はまだ明るく。今が何時なのか、事故の当日なのかすら判らなかったのだが、とりあえずそう口にした。

 「……もう。心配させないでよ……」

 泣き笑いの千佳に、胸が痛む。

 彼女の涙を拭ってやりたかったのだが、体を起こすことも、左手を伸ばすことも出来なかった。右手は動かせたが、点滴に繋がれていた。

 千佳はナースコールのボタンを押して、俺の意識が戻ったことを知らせた。

 「あれから……どうなったんだ?」

 「……土原さんが、病院の救命ヘリを手配してくれて……私があなたに付き添って、この病院まで一緒に乗ってきたの。あなたは治療が終わった後も目を覚まさなくて……あなたのお母様が来るまで、そのまま付き添って。今日来たときも、あなたはずっと目を覚まさなかったとお母様に聞いたわ」

 一日寝込んでいただけか。ということは、俺の容態はそれほど酷くは無いのだろう。車に撥ねられて、吹っ飛ばされはしたものの、頭は打たなかったことが幸いしたのかも知れない。

 医師や看護師が病室に入って来たときも、特に慌てた様子もなく。

 簡単な診察だけ済ませて、医師はとっとと戻っていった。看護師は、もう大丈夫そうよと千佳に微笑んで。ご家族には連絡を入れておきますねと俺に告げて、そのまま出て行った。

 「少し前まであなたのお母様もいらしていたのだけど、一旦家に戻るって」

 お袋にも心配を掛けてしまった。こればかりは、何度繰り返しても慣れない。

 「……今、何時だ?」

 俺の質問に、千佳は目を背ける。

 「学校、休んだのか?」

 千佳はばつが悪そうに、コクリと頷いた。

 思わずため息。

 「……心配かけてすまなかった。付き添ってくれてありがとな」

 「彼氏の付き添いなんて、当たり前のことでしょ」

 千佳には何も事情を説明していなかったから、俺の行動を色々と不審に思っているだろうに。彼女はそんなことはおくびにも出さなかった。


 コンコン、と病室の扉をノックされて。

 「はい」

 俺が答える前に、千佳が返事をした。

 そのまま扉が開くでもなく、発言も無かったから、俺にはそれが誰か思い当たった。

 そしてそれは千佳にも判ったらしい。

 千佳は険しい目付きで扉に近付いて。そして、無言で一気に開いた。

 やはり。

 そこには音葉が悲しげに佇んでいて。そして千佳を見て、俯いてしまった。

 千佳は向こうを向いていたから、千佳がどんな顔をしているか判らなかったが、千佳の表情が音葉を脅えさせてしまったのは間違いない。

 こんな状況にも関わらず、その懐かしくもいつぞやとは真逆な光景に思わず噴出しそうになって。堪えようとして咽てしまって、そのせいで体に激痛が走り、思わずうめき声を漏らしてしまった。

 千佳は慌てた様子で俺の元に戻って来て、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

 戸口で動けずにいる音葉のことを、絵梨菜と玲奈が背中を押して、病室に入って来るのが見えた。

 音葉が俺の傍まで来て。千佳に睨まれながらも、どうにか口を開いた。

 「榊……あなた、本当に──」

 音葉が昨日のことを言いかけて。

 俺は、千佳にはその話は聞かせたく無かったから、

 「何のことだ?」

 わざとらしくとぼけてみせた。

 その冷たい言い方に、音葉はビクッと身を竦ませる。

 「ちょっと、榊君──」

 絵梨菜が割って入ろうとしたのだが、俺の心情を察したのか、玲奈が彼女を止めてくれた。

 音葉はそのまま立ち尽くしていて。

 重苦しい空気の中。唐突に、病室の扉が再び開いた。

 「いよう」

 尚康が入って来て。場の空気を察した様子で足を止めた。俺以外、誰も尚康たちに目を向けなかったから、判り易かったのだろう。

 尚康の背後には速水さんと那須さんも居て。他に、クラス委員の森田・篠崎ペアの姿も見えた。

 「……大丈夫か?」

 どっちの意味での発言か判らなかったのだが、俺は尚康の問いに「大丈夫だ」と答えた。

 尚康は、本当かよって顔で音葉の隣まで来て。音葉の様子にやっぱりって顔で気まずそうにして頭をかいていた。

 速水さんと那須さんは不機嫌そうに音葉を睨んでいて。音葉は気まずそうに、左手で右腕を抱きかかえる様にして俯いてしまった。

 クラス委員の二人は、よく事情も知らずに来たのだろう。訳が判らない様子で、だけど何か気まずいことでもあるんだろうと察してか、入り口付近でこちらを窺っていた。

 「……結局、何があったんだ?」

 尚康は重苦しい空気を打破しようと思ったらしく、昨日のことを質問して。

 俺は即答出来ず。

 「榊君と三城谷さんが校門付近で口論しているところに、暴走した車が飛び込んできたって聞いてたけど?」

 戸口から篠崎さんがそう口にして。

 「あたしは三城谷さんのせいで榊君が事故に巻き込まれたんだって聞いたわ」

 速水さんが音葉を責めるように詰った。

 絵梨菜は速水さんを諌めようと間に入ったのだが、速水さんは怒った様に絵梨菜を睨んだ。ずっと仲のいい彼女らが、そんな風に対立するのを見るのは始めてだったし、俺はそのことが悲しかった。

 「私には、三城谷さんが榊君を突き飛ばしたように見えたけど?」

 那須さんが追い討ちを掛ける様にそう口にして。

 俺は、そんな空気が我慢出来ず。

 場を混乱させることで、矛先を逸らそうと考えて。ずっと封印していたネタを披露することにした。

 「それは誤解だよ、ちぃちゃん!」

 俺の発言に、那須さん以外、固まった。

 病室が静まり返って。

 那須さんは、初めは何があったのか判らないみたいで。だけど、俺が何を言ったのかようやく思い至った様子で、顔を真っ赤にして、困惑気味に俺を見て、口をパクパクさせていた。

 「……ちぃちゃん?」

 千佳が険悪な声色で俺の発言の意味を問う。まぁ当然か。

 「ああ、俺と那須さんは幼馴染なんだよ。つい、昔の呼び方をしてしまった」

 昔の関係を公表されて。那須さんは慌てふためいて。

 「へぇ……」

 絵梨菜と速水さんはそれまでの話など忘れたかの様に、仲良く那須さんを睨んで。

 音葉も目を眇めて。

 玲奈は不思議そうにそれを眺めて。

 尚康はただ驚いた様子で。

 そして千佳からは、

 「那須さんはちぃちゃんで、私は神林さん、なんだ?」

 当然の様に咎められた。

 「ごめん、変な話だよね。じゃあさ……これからは千佳って呼ばせて貰っていいか?」

 「……もう。そんなついでみたいに言われても、嬉しくない」

 千佳はぷいっと顔を背けたけど。どうやら満更でも無いらしく、顔を赤らめていた。

 那須さんはようやく落ち着いた様子で、深呼吸して。

 「もう、どうして今そんな話をするかな?」

 今度は那須さんに咎められた。

 「ごめんよ。だけど、少しは落ち着いてくれたかな?」

 俺の言葉に、那須さんは息を呑んだ。速水さんと絵梨菜は、ばつが悪そうに顔を見合わせていた。

 「昨日の件は、三城谷のせいじゃ無いんだよ。確かに俺と三城谷は、校門付近で口論していたけどさ」

 あれは、音葉が責められるようなことじゃなかったから。ただ、それを判って貰うには。

 「俺には車が突っ込んで来るのが見えてたけど、三城谷には見えなかった筈だし、気付いた様子も無かったから……俺は慌てて、三城谷を校舎側に引っ張ったんだよ。だけど間抜けな事に、反動で俺が校門側に倒れてしまったんだ。三城谷は寧ろ、直前にそれに気付いて、俺を引き戻そうとしてたよ」

 本当は助けたこと自体、伏せておきたかったけど。それを説明しなければ、話は収まらないだろう。

 「榊は……どうして、手を離したの?」

 俺が直前にその手をわざと離したことに気付いているらしく、音葉にそれを問われる。

 俺は音葉にそれを、負い目に感じて欲しく無くて、何も言えずにいたのだが。

 「あの時。榊君は、校門側に倒れ込む形で姿勢を崩していたから。三城谷さんが引っ張ろうとしたら、逆に三城谷さんまで一緒に倒れて、事故に巻き込まれてしまうと思ったんじゃないかな」

 玲奈が冷静にその時の状況を説明して。

 皆が息を呑むのが判った。

 俺は、ため息を吐くのを我慢するしかなかった。

 玲奈の聡明さは、俺の思惑をいつも外してしまう。

 「──ごめんなさい」

 そう言い残して、音葉は病室を飛び出して。

 「音葉──榊君、ごめん」

 絵梨菜が音葉の後を追った。

 「……もう、しょうがない人ねぇ」

 千佳は呆れた様子で。だけど俺の顔を優しく撫でてくれたのだった。


 音葉と絵梨菜はそのまま戻って来なかった。

 その後は特に何事も無く、他愛も無い話をして。

 暫くして、俺のお袋が来て。

 尚康たちはお袋に挨拶して、帰っていった。

 玲奈も尚康たちと一緒に帰って。

 千佳は暫くお袋と話をしていたのだが、やがて「また明日来るね」と言い残して帰っていった。


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