28.依頼
音葉のことはともかく。他の皆を救うためにどうすればいいか、散々迷った挙句。
結局、俺一人の力ではどうしようもないことに気付いた。俺一人でやろうとすれば、前回の繰り返しになってしまう可能性が高い。さもなくば、救えずに終わってしまうだろう。
だから俺は、係わる人数を最小限にするために玲奈を頼ろうと考えた。
「土原さん、ちょっといいかな?」
下校時間。俺は、早々に帰宅しようとしていた玲奈を呼び止めた。
玲奈は俺から声を掛けられる理由など想像も出来ない様子で、怪訝そうに目を眇めた。
そして、最近の俺は悪目立ちしていたから、クラスメイトたちからも注目を集めているみたいだった。
俺は玲奈に顔を寄せて、小声で話を続けた。
「ちょっと、内密に話がしたいんだ。時間をくれないか?」
俺の言葉に、玲奈は勘違いしたみたいで。一歩身を引いて、冷めた目で睨まれる。
彼女は家のこともあって、これまで誰とも親しくしてなかったし、するつもりも無いことは知っていた。だけど、それを気にしていては話が進まない。
「君が今勘違いしている様なことじゃないんだ」
俺は再び玲奈に顔を寄せて。
「君の家に関わることなんだ」
自分の家のことが持ち出されるとは思わなかったのだろう。
暫し沈黙の後。
「──少しだけなら」
玲奈は頷いて。俺を伴って教室から出た。
背後ではクラスメイトたちがざわついていた。教室から出る間際、音葉からは凄い目で睨まれていたし、絵梨菜も不機嫌そうに見ていたから、俺の居ないところで何て言われているか判ったもんじゃなかった。だけど、そんなことは、今はどうでもいい。
千佳にも勘違いさせてしまったかも知れない。千佳には、今日は用事があるとだけしか伝えていなかった。
などと考えていると、案の定、千佳が追ってきた。
「榊君……用事って、何なの?」
千佳は不安そうに、俺と玲奈を見比べて。
玲奈は、それ見たことかとばかりに、小さくため息を吐いた。
「ちょっと、土原さんに相談したいことがあるんだ」
「何か悩み事があるのなら、私にも聞かせて欲しいんだけど。それとも、私には言えないこと?」
千佳の不安は判る。そして、彼女をまたそんな気分にさせてしまうことに心苦しくもある。だけど、だからこそ彼女には聞かせられない。
「ああ。俺自身の悩み事じゃないんだ。だから、神林さんには聞かせられないんだよ」
俺の言葉をどう受け取ったのか。
千佳は右手で胸を押さえて、目を伏せて。
「──判った。今は、榊君の言葉を信じる」
そう言い残して、教室に戻っていった。
今は、か。彼女は俺のことを受け入れてくれてはいたが、まだ付き合い始めて間もないだけに、不安にさせてしまったのだろう。だけど、玲奈へのお願い事もあったから、なるべく早目に動いておきたかった。
「……大丈夫なの?」
玲奈は片眉を上げて、俺を見ていた。一応、千佳とのことを心配してくれているみたいだった。
玲奈を伴って屋上に出た。
放課後だったからか、他には誰も居ない。
「それで。私に何をいいたいの?」
玲奈は腕を組んで、フェンスに背を預けて俺を睨んだ。少し怒っているみたいだった。
玲奈は俺が、彼女の家のことを嗅ぎつけて、取り入ろうとか、逆に脅迫でもするつもりなのかと勘違いしているのかも知れない。だが、今はそれでいい。まずは話をしなければ。
「……色々と勘違いさせてしまっているみたいだけど、多分、君が思っている様なことでは無いと思う。情報ソースは伏せさせて貰うけど、ひとまず話をさせてくれ」
玲奈は何か言いたげだったけど、黙って頷いてくれた。
「俺からの話は二点。一つは、君自身の安全に関わること」
自身の安全、という言葉に彼女は眉根を寄せる。
「そしてもう一つは……厚かましい話で恐縮なんだが、君にお願いしたいことがあるんだ」
彼女の家のことを知った上でのお願い事。どうせ碌な話じゃないんだろうなとばかりに、玲奈はため息を吐いた。
「本当なら、君にお願い事なんてしなくて済めばいいんだが。そして君自身の安全についても、俺だけの力でどうにかしたかった。だけど、そうするには……俺はあまりにも無力で……俺の力だけでは君を救えそうに無いんだ。君の命を狙っている相手のことも、よく判っていないし……仮に突き止めたとしても、その相手に近付く術もないだろうから……俺の手で始末をつけることは無理だろうと判断したんだ」
「始末って……どうして、あなたは私のために?」
思わず感情的になってしまって。余計な事まで口走ったせいで、そこを突っ込まれる。
「俺にとっては……君も……」
俺は慌てて口を押さえた。
まずい。
俺は何を言うつもりなんだ?
感情が抑えられず、言わずにいるつもりだったことまで口走ってしまいそうだ。
音葉や絵梨菜に対しては、そんなことを考えるシチュエーションにはならないようにしてきたから、あまり意識せずに済んだのだが。改めて彼女らの前でそのことを考えて。それを口に出来ないことが切なくて、涙が浮かびそうになる。
「……俺のことはいいから。俺は、君の家のことを大雑把にだけど知っている。だけど、今現在、君が置かれている立場はよく判っていないから……俺の想像で話をさせて貰うよ。君は、家督争いをしているんじゃないかな?」
俺の言葉に、玲奈は息を呑んだ。話の流れから、自分の命を狙っている相手が身内であることを察したのだろう。
「どうして、あなたにそれを知ることが出来たの? 家の縁者は、この学校には居ないことは確認しているわ。そして、教師たちも含めて、私の家のこと知る人間はこの学校には居ない筈なのよ」
彼女が不信に思うのも判る。
「情報ソースは伏せさせて貰うって言っただろう? まぁ、言っても信じては貰えないだろうけどさ」
彼女はじれったそうに俺を睨む。だけど、先にそう宣言していたから、とりあえずは我慢している様子。
「幸い、時間はある。君は、このことをあからさまに警戒せず、知らない振りをしながら対処を考えて欲しい。相手に君が警戒していることを知られれば、対処は俄然難しくなるだろうから」
「時間はあるって……どれくらい?」
「このまま相手に気取られなければ……何事もなければ、十一月に事故を装って命を狙われることになる」
俺の話に、彼女は鼻を鳴らした。
「随分先のことなのね。あなたの言っていることが本当だとして。態々こんな時期に話をしたのは、あなたのお願い事のため?」
呆れ顔で睨まれる。
「正直、それもある。だけど、君の方も……どれくらい対処に時間が掛かるか俺にも見当がつかないんだ。何故なら──」
そこで言い澱んでしまう。彼女に誤解させてしまいそうだったから。
だけど言わなければ。
「この件に関してだけは──久瀬さんを当てには出来ない」
彼女は目を見開いて。そして、凄い形相で睨まれた。
やはり、誤解させてしまったらしい。
「……別に、久瀬さんが君を裏切るとか、そういう話では無いんだ。ただ、手出ししないように命じられているだけで」
命じられている、という言葉に彼女は愕然とした。
「そんな……私の命を狙っているのって……」
また、勘違いさせてしまったか。
「それも違う。君の命を狙っているのは、あくまで家督争いの相手だよ」
彼女を必要以上に不安にさせたくなくて、すぐに訂正した。
「その争いに……君はその気も無くて巻き込まれているのか、それとも気の無い振りをして雌伏の時を過ごしているのかも知らないけど。敵はけりをつけるつもりらしい。これも想像だけど、君はお爺さんの覚えも目出度く、だけどそれだけで家督を譲られる状況でも無いんだろう。そして、君は争いの最上位に位置している訳でも無い」
彼女は混乱しているのか、俺の言葉に素直に頷いて見せた。
「それでも、相手は君を危険視していて。多分、自分に有利な状況になる賭けをお爺さんに持ちかけたんだろう。君がそれに対処できれば君の勝ち。出来なければ相手の勝ち。掛け金は君たちの命という訳さ。君が、その相手の行動を察知して証拠を押さえさえすれば、久瀬さんも動けるみたいだが、それまでは彼女は当てに出来ない」
玲奈は俺の言葉を信じたのか信じてないのか判らないが、何やら思案している様子で、暫く目を伏せて俯いていた。
やがて。
「……それで。あなたのお願い事って?」
結論は出なかったらしく、判断材料を増やそうと思ったのか、続きを促された。
「それは、だな。俺も、詳しい情報は持ってないんだが……迎町の高架下あたりに屯している、高校生十一人の不良グループをどうにかして欲しいんだ」
どうにかする、という言葉を玲奈は正しく理解したらしく。冷めた目で睨まれる。
「その連中は、自警団を自称しているけど、レイプや殺人も厭わないような連中で。そいつらを……もう悪さしようとか思わなくなるまで追い込んで欲しいんだ」
こういうお願いをされること自体、彼女にとって不愉快極まりないことだとは思う。彼女が家のことを秘密にしている理由の一つに、家のことが知れれば、家の力を利用しようと近付く輩が出てくるから、という面もあるだろう。
俺の力だけでどうにか出来るものなら、こんなお願いはしたくは無かった。だけど、俺に出来ることは──殺してしまうことぐらいで。それでは遊佐さんを救えない。まぁ、既に手遅れな可能性もあるのだが。
玲奈はどうにか自制した様子でため息を吐いた。
「その連中を放置した場合。何が起きるの?」
玲奈の言葉に、俺は唖然としてしまった。そして、笑みとため息が同時に漏れてしまう。
相変わらず、ズバズバと核心を突いて来る。
そう問われれば、説明せずにやり過ごすことは無理だと感じて。
「何事もなければ……何も変化しなければ、十月に……楠見さんが八人目のレイプ被害者になる」
玲奈のことだけではなく、絵梨菜のことまで説明してしまって。そしてそれは、間違いだったらしい。
玲奈は静かに、だけど憤怒の目を俺に向けた。
「真面目に話を聞いた私が馬鹿だったわ」
玲奈は蔑む様に言い捨てて、俺を無視して昇降口まで歩いて。振り返ることもせず降りていった。
やはり。何ら説得材料が無い状況で、こんなトンデモ話を信じて貰える筈も無かったのだ。なのに俺は、愚直にそのことを話してしまって。玲奈自身をも救えなくなってしまったかもしれない。俺はそのことが悲しくて。暫くその場で立ち尽くして、何も考えることが出来なかった。




