15.告白
内密に話がしたい、と近くのカラオケボックスに土原さんを連れ込んだ。
「用意がいいのね」
彼女は差し出された消毒液とガーゼ見て、呆れたように感想を漏らした。
「擦り傷程度は想定していたからね」
俺は自分の掌に絆創膏を張りながら、正直に打ち明ける。
「それって……どういうこと?」
彼女が不審そうに俺を睨んだ。まぁ、当然か。
そこへ。
「おまたせ」
音葉と楠見さんが入ってきた。先ほど、この店に入る前に、楠見さんにメールで知らせておいたのだ。
「あなたたち……?」
不審そうに見ている土原さんを他所に、二人は俺たちの横に座った。
「首尾は?」
証拠になるような物は撮れたのか問う。
「バッチリよ」
二人とも、ニヤリと笑った。
「土原さん。あなたに見てもらいたい物があるの」
楠見さんはカメラを弄ると、土原さんに手渡した。既に望遠レンズは外してあるので、それ程大きなものではなく。液晶で成果物を確認するのは容易だった。
「こっ、これは!?」
さっき起きた事故の画像。それも、発生直前の全体写真と、鉄骨が落ちるまでのアップでの連続写真。そこには、クレーンを操作して、鉄骨を落とすところがはっきりと写っていた。
「こっちは動画なんだけど」
音葉もカメラを差し出す。
それは、犯行現場を裏側から撮影したもので。実行した人物が現場から逃走する様子がはっきりと映し出されていた。音が出ないように、動画モードで撮影したのだ。
初めは驚くばかりの土原さんだったのだが、やがて不敵な笑みを浮かべた。
「何が起きたのか、よーく理解出来たわ……ありがとう。ちょっと待ってね」
土原さんは携帯を取り出すと、どこかに電話を始めた。
俺は事前に注文していたソフトドリンクを飲みながら、電話の様子を見守った。音葉たちも、部屋の電話から何やら注文していた。
音葉と楠見さんは、カメラからメモリーカードを抜き出して、土原さんの前に差し出す。
土原さんは、空いてる手で謝意を示すと、それをポケットに突っ込んだ。
「……証拠はあるから……処分は証拠を見てからでも構わないから、とりあえず拘束しておきなさい」
漏れ聞こえてくる会話は、ものすごく不穏当なものだったのだが、俺たちはそれを聞き流した。
その間に、後から注文したドリンクが届く。
やがて、彼女は携帯を閉じた。
「家の中のゴタゴタよ。……よもや命まで狙われるとは思ってなかったけど──甘かったみたいね。あなたたちのおかげで、遠慮なく敵を叩き潰せるわ」
そんなことを打ち明けられても、どんな顔をすればいいのか判らず。俺は微妙な雰囲気の中、無表情を取り繕うのが精一杯だった。
「ところで。どうして、あなたたちはそこまで周到に出来たの? 家の内情が漏れているとも思えないんだけど」
説明を求められ、俺は頭を掻いた。
「俺は……時間を繰り返しているんだよ」
用意しておいた説明を始める。
「時間を繰り返す?」
土原さんは訳が判らない様子で、俺の言葉をオウム返しにした。
「ああ。三年の、始業式からクリスマスイブまでの時間を、ね……。今は、三回目なんだよ。だから、その間に起きた事故や事件について、大雑把にだが把握している。土原さんを助けることが出来たのは、何が起きるか知っていたからなんだ」
土原さんは、不審そうに、俺を見て。音葉と楠見さんを見た。
「あたしたちも、そうやって彼に命を助けられた口なのよ」
音葉は肩を竦めた。
「三城谷さんは……確か、学校の前で暴走した車に巻き込まれそうになったことがあったわね……そうか、あのとき三城谷さんを呼び止めて助けたのは榊君だったっけ。そういうこと?」
音葉は黙って頷く。
「でも……楠見さんは? 何か事件でもあったの?」
楠見さんの件は、誰もあの事件との関連を知らないから、表向きは何も無いことを装っていた。だから土原さんが知らないのは当然だった。
「先月……迎町の高架下で、不良たちの抗争らしい事件があったの、知ってる?」
言いながら、楠見さんはそのときのことを思い出したのか、手が震えていた。
土原さんは、拳を口に当てて、考え込んだ。
「えっと……たしか、高校生くらいのグループが襲われて、何人か死んでたやつよね……。──って、まさか!?」
彼女は顔を上げて、楠見さんを見た。
楠見さんは、悲しげに目を伏せた。
「あれ、私を助けるために、この二人が……」
土原さんは目を見開いて、俺と音葉を見比べた。
「そう……なんだ……。でも、それって……目撃者を残してしまっているのでしょう?」
彼女は剣呑な目で俺を見る。
「まぁ、そうだね」
俺はため息を吐いた。
「面倒なことになっていなければいいのだけれど。──いいわ、私に任せて頂戴」
彼女はそう言うと、またどこかに電話を掛けた。
「……そう、その件よ。その連中……ええ、方法は任せるわ……」
何を言っているのかはっきりとは聞き取れなかったが、どうにも不穏当なことを言っている様に聞こえる。
さっきも思ったけど、この人、何者なんだろう?
「それにしても……思い切ったことをするのね」
土原さんは呆れた様に俺を見て。すっかり温くなったドリンクを口にした。
彼女の言葉に、音葉が噴出す。
楠見さんは、俺たちを見て、微笑んでいた。
「でも……善良そうな榊君が……三城谷さんの言葉を借りるなら、ヘタレで煮え切らないあの榊君がねえ……。あなたをそこまで駆り立てた理由がとても気になるわ」
彼女がじっと俺を見据える。
俺は何も言えず、思わず目を逸らしてしまった。
「あなたが体験した、繰り返しの中で起きた出来事を教えて欲しいな。あなたの中では、私たちはあなたとどういう関係だったのかも」
音葉とのことを見透かされているみたいで、俺は愕然としてしまった。いや、彼女はそこまで把握している訳ではあるまい。ただ、俺の行動が異常だったから、何かあるんだろうと推察したに過ぎないのだろう。
だけど俺は。体験してきた出来事を思い出して、胸が苦しくなった。
「榊……」
俺の様子がおかしいと気付いて、音葉は身を乗り出して、心配そうに俺を覗き込んだ。
俺は片手を上げて。音葉に「大丈夫だ」と答えた。
土原さんは手を打ったみたいだからもう大丈夫だろう。三人を救えたことで心が軽くなったこともあり、本当は言うつもりがなかったことまで話すことにした。
「最初の年、と言うと語弊があるかな……一周目、でいいか。三年の一周目……俺は、三城谷が事故に巻き込まれる現場に……偶然居合わせたんだ。そのときは、無事に助けることが出来て」
「えっ? そうなの?」
今回助けたとき、あんな風に言ったから、それまで助けることが出来てなかったと思っていたのだろう。音葉はキョトンとして俺を見た。
「ああ、一周目は、な……。そして、そのことで俺たちは仲良くなって……付き合うようになった」
「……へっ?」
音葉の顔が見る間に赤く染まる。
だが俺は、その後のことが先に頭に浮かんで。そっとため息を吐いた。
「楠見さんとは、俺はあまり話をしたことが無かったから……楠見さんが自殺した理由を、俺は何も知らなかった」
「えっ……? あたし、自殺したの……?」
助けなければ何が起こることになったのか説明していなかったから、彼女は驚愕の目を俺に向けた。
俺は黙って頷く。
「土原さんは……あの事故で大怪我を負って。一命は取り留めたものの、年度内に復学するのは無理な状況になって。俺は音葉と──三城谷と一緒に見舞いに行ったりしたんだが」
付き合っていた頃のことを思い出したせいか、つい、音葉と呼んでしまった。
とりあえず、皆スルーしてくれていたが、一方的な関係を押し付けてしまい、俺は赤面してしまうのを自覚した。
「その後……土原さんは病院の屋上から転落して亡くなったんだ。俺は、失くした片手足を苦にして飛び降り自殺したんだと思っていたんだが……今にして思えば、それも自殺じゃなかったのかもしれない」
「片手足を失くした、って……だけど、多分、そうでしょうね」
自分を取り巻く状況を知った彼女は、冷静に頷いて見せた。
「そして。クリスマスイブに俺は……三城谷と待ち合わせをしていて……三人とは関係無い話なんだが、待ち合わせ場所に向かう途中、神林さんと偶然会って。彼女の目の前で、尚康が死んでいるのを目撃したんだ」
「尚康って……うちのクラスの沖君?」
「ああ。一周目、神林さんは俺たちを介して尚康と親しくなっていたんだ。だから、最初はデートでもしてるんだろうと思ったんだよ。だけど、尚康が死んでいることに気付いて。俺は、何があったのか、神林さんに詰め寄って聞こうとしたんだ。だけど神林さんは、逃げるような素振りを見せて。尚康の死に関わっているのか問い詰めようと神林さんを捕まえたんだが……そのとき、神林さんの姿が霞んで……俺は、そこで気を失ったんだ。そして、気がついたときには……三年の始業式の朝だった」
「神林さんが何かした、ということなの?」
土原さんの疑問に、俺は「判らない」と首を振った。
「何がどうなったのか、俺には判らなかった。そして、そのとき俺は夢でも見ているのか、それとも一周目の出来事の方が全て夢だったのか、何も判らなかった……だけど、俺にとっての現実はそのまま続いていて……学校に登校して……三年になって仲良くなった筈のクラスメイトたちとも……付き合っていた筈の三城谷とも……関係が全てリセットされていたことに愕然としたよ。もう、名前で呼び合えなくなったばかりか……二年の頃の、険悪だった俺たちのままで、再び三城谷から嫌われている様子を見せ付けられて俺は……胸が張り裂けそうだった……」
何度思い出しても。俺は切なくなって涙を浮かべてしまう。
「そんな……榊の様子が変だったのはあたしのせいだったなんて……」
音葉はショックを受けた様子で。胸を掻き毟るような仕草をして、俺を見つめた。
二周目ほどではなかったかもしれないが、今回の俺も、二年の頃とは様子が大きく違っていただろう。音葉はそのことに思い当たった様子。
「俺の様子がおかしかったからか、三城谷は以前にも増して俺を罵倒するようになって……」
俺は、音葉の顔を見ていられなくて、目を逸らした。
「そのせいもあって、俺は一周目とは違う行動をしてしまったんだ。事故があった日も、俺は呆然としていて。それを、三城谷がからかって。罵倒して教室から出て行くのを、俺は黙って見ていた。その日に事故が起こることを失念していたんだよ……。それを思い出して、慌てて追いかけた時には……間に合わなかった……駆けつけたときはまだ、生きていて……だけどお前は……俺の目の前で……息を引き取ったんだよ」
涙ぐんだせいで、鼻水まで出てきて。俺は鼻をすすった。
「その後……まだ三城谷と付き合っていたときの記憶を引き摺っていた俺は……三城谷の死から立ち直れずにいて……そんな俺を見かねて……楠見さんたちのグループが俺に声を掛けてくれるようになったんだ」
「えっ?」
楠見さんが小さく驚く。自分がそんなことをするとは思ってもいなかったのだろうか。
俺は、彼女に笑みを返した。
「特に楠見さんは……親身になって、俺を慰めてくれていたよ。そうやって、以前より親しくなったんだけど……俺は楠見さんが自殺してしまうことを知っていたから……親しくなったことを幸いに、事情を聞き出そうとしたんだ。でも、暫くはそんな素振りも見せなかったから、人間関係が変わったことで、自殺の原因が無くなったのかとさえ思ったよ。だけど、あの不良どもに襲われた日から、楠見さんの様子がおかしくなっていって」
楠見さんが息を呑む。
「俺は、そのときは何が起きていたのか知らなかったから……楠見さんに事情を聞いても、何も教えては貰えなくて……自殺する当日、現場に駆けつけて、どうにか思い留まって貰おうとしたんだ……だけど楠見さんは……俺に言ったんだ……もう、手遅れだって」
視界がぼやける。あの時のことを思い出して、また涙が溢れてしまっていた。
「あの日、楠見さんは……あの不良どもに集団でレイプされたんだって……その様子を動画に撮られて、脅迫までされて……もう生きていけないって」
楠見さんは立ち上がって。両肩を自分で抱いて、動揺した様子で身震いしていた。
あの日、自分の身に何が起ころうとしていたのかを具体的に知らされて、改めて恐怖が襲って来たのだろう。
「そして、最後に……どうせ助けに来るのなら……あのとき来て欲しかった、って……そう、言い残して……俺の目の前で、ビルから飛び降りてしまったんだ……」
その光景が俺の脳裏に焼き付いていて。もう前を向いていることも出来ず、涙を零しながら俯いてしまった。
「嘘……」
楠見さんは、ふらふらと俺の傍まで来て。俯く俺の頭を抱きしめた。
「私……不思議だったの。どうしてあなたが、あんな形で私を救おうとしたのか。あんなことをせずとも、事前に妨害するなりして、防げただろうって。でも、あなたは……私にそんなことを言われたからあんなことを……私、あなたにそんな酷い仕打ちを──」
「楠見さんは……自ら死を選ぶ程の苦悩を味わったんだ……誰かに助けを求めて当然だから……気にしないで……」
「でも、それは……あなたのせいじゃないじゃない! それなのに、私は……私は……」
俺も彼女も、それ以上何も言えず。暫くそのまま涙を流していた。
一頻り泣いて。
「こほん」
少し落ち着いたのを見計らって、土原さんがわざとらしく咳払いをした。楠見さんは気恥ずかしくなったのか、俺から手を離した。
「それで、私はどうなったの?」
土原さんが続きを促す。
「……土原さんの場合は、場所と大凡の時刻は聞いていて。時間的に余裕があったから落ち着いて対処を考えたんだよ。事故の詳細は聞いていなかったし、信じて貰えるとも思えなかったから、具体的な忠告は出来なかったんだけどね。だから学校に無理やり引き止めて、事故の時間に間に合わないようにしたんだ。そして、それでも心配だったから、学校から尾行して。俺は驚いたよ。事故が起こる筈の時間に、何も起きていなかったんだ。そして、土原さんの到着に合わせたかの様に、事故が起きて。間一髪、俺は土原さんを助けることは出来たんだけどね」
俺は肩を竦めた。
「代わりに俺が怪我を負って、入院することになって。土原さんは毎日見舞いに来てくれたよ。最初は……俺が時間稼ぎしたせいで事故に遭遇したんじゃないかという疑いも持ってたんじゃないかな……それでも俺が庇うことで事故を回避出来たことも承知してくれていたから……事故に巻き込まれた俺も、一歩間違えば即死してもおかしくない状況だったから……そして土原さんは、俺が三城谷や楠見さんの死にどう向き合っていたかも調べていたみたいで、信用してもらうことが出来て。事情を説明して……土原さんは心当たりを探って見るって言ってたんだけど……遅かったんだ……その日の帰りに、病院の前で……土原さんは別の事故に巻き込まれる形で死んでしまったんだ。俺は……その様子を、病室からただ見ていることしか出来なかった……俺は、自分の無力さに気が狂いそうになったよ……結局俺は……誰一人助けることが出来なかったんだ……」
俺は、それ以上話を続けることが出来なかった。
黙り込む俺の肩に、土原さんはポンと手を置いた。
「榊君は……善良過ぎたんだね。善良過ぎたから……楠見さんを助けるために……それも律儀に楠見さんが望んだ形で……手段も選ばず手加減もしなかった。そして、そもそも榊君とは関わりもなかった私のことまで、自分のことの様に背負い込んで……責任を感じて……絶望させてしまったのね。それでも……それでもあなたは……諦めずに……私たちを助ける努力を続けてくれたんだ」
土原さんも、涙声になっていた。
別に俺は。彼女らにそれを認めて欲しかった訳じゃ無かった。その筈だったのに。俺は、彼女の言葉が嬉しくて。救われた気がして。どうしようもなく嗚咽を繰り返したのだった。
「まだ話は終わりじゃなくて」
泣き止んだ俺は、話を続けた。彼女らも、涙を拭って。落ち着いた様子で俺を見ていた。
「クリスマスイブになって。尚康のこともあったから、俺は神林さんをマークしていたんだ。そうしたら、神林さんの元に来たのは、尚康では無く、多田だった。そして、俺と神林さんの目の前で……多田は交通事故で死んでしまった」
俺の説明に、彼女らは不審そうに目を細めた。
「神林さんは言ったんだ。毎回クリスマスイブになると、そのとき神林さんと一番関わっている人物が死んでしまう、と。色々あったから、俺は神林さんが多田と親しくなっていたことも失念していたんだけどね」
「死ぬ人が、決まっていない……だけど、必ず誰かが死ぬ……」
土原さんは片眉を上げてポツリと漏らした。他の二人は目を見開いて驚いていた。
「ああ。理由とかは知らない。だけど、そういうことらしい。そして、その後、また時間が戻ったんだ」




