12.抗う道行(2)
※暴力シーンがあります。苦手な方はご遠慮ください。
「榊、何してるの?」
あたりに夕闇が忍び寄る中。そろそろ現場に向かおうとしたところで、不意に呼び止められた。
彼女の声はよく聴いていたから、すぐにそれは音葉だと判った。そして、その声色が、不安そうだということも。
「三城谷……どうして……?」
彼女の行動範囲を把握しているつもりでも無かったのだが、少なくともこんなところに足を運ぶとは思えなかった。
「後をつけていたのよ。最近、榊の様子がおかしかったから……。ここで何かあるの?」
彼女は俺の格好を怪訝そうに見ていた。普段着ないような革ジャンを羽織って、バイクに乗る訳でも無いのにフルフェイスのヘルメットを片手に、反対側の手にはまだ布で覆い隠してはいるものの、長い得物らしき物体を持っているのだ。不審者以外の何者でもないだろう。
「お前には関係ないから……早く帰れ」
楠見さんのことは、音葉には関係無いから。彼女のことで、音葉まで危険な目に遭わせる訳にはいかない。
だが音葉は、目を細めて俺に突っかかってきた。
「嫌よ」
彼女は俺の胸倉を掴んで、自分の方に引き寄せた。
「事情を話してくれるまで、離さないからね」
体格は俺と大差ない音葉だったが、空手の有段者である彼女には腕っ節では敵わず、無理に振り払うことも出来なかった。
険しい目を向ける音葉だったが、以前のような、嫌悪や侮蔑の色は無く。俺のことを心配しているのだということくらいは俺でも判った。
「離してくれ……あまり時間が無いんだ」
思わず目を逸らす。
「だから、事情を話しなさいってば」
埒も明かず、俺はため息を吐いた。
「この先でもうすぐ……たむろしている不良どもに……楠見さんが襲われるんだ」
「えっ……?」
唐突な話に、音葉は目を見開く。それでも、俺を掴む手を緩めることは無かった。
「俺は……楠見さんを助けに行くところなんだよ」
「どうして……あなたが……?」
それは色んな意味で言っているのだろう。だが、詳細に説明する余裕は無かった。
「俺は楠見さんを……今度こそ助けたいんだよ」
自分で言いながら、以前音葉に言ったことと同じようなことを口にしていることに気付いた。
音葉の方も、それを思い出した様子で。俺から手を離して、口元に拳を当てて何やら考え込む様子を見せた。そして、
「判った。それ、あたしも手伝うから」
などと言い出した。
「バカ! 相手は六人以上居るんだぞ!? それも、女と見れば、どんな卑劣なことでも厭わない様な連中なんだ……お前をそんな危険な目に遭わせる訳には──」
「バカはどっちよ!? そんな連中相手に、あんた一人でどうこう出来る訳無いでしょ!?」
音葉は俺に悲しげな顔で詰め寄って。じっと、俺の目を覗き込んだ。
「……絵梨菜を助けたいのなら、あたしにも手伝わせなさい!」
俺は、革ジャンと皮手袋を脱いで、音葉に渡した。俺は、代わりに薄手の軍手を使う。皮手袋と重ねて使おうと思っていたが、思いのほか嵩張ったので使わずに持っていたのだ。
「女とバレたら相手が調子に乗るかもしれない。そして、こっちの身元がバレるようなことになれば、後々面倒なことになるだろう」
幸い(?)音葉はあまり豊満な体型でもなかったから、大きめの革ジャンだけでも体型は誤魔化せそうだった。音葉も俺の言わんとするところに気付いた様子で、不満そうに口を尖らせたが、それでも文句は言わなかった。
「あと、これも」
フルフェイスのヘルメットを渡す。視界は悪くなるだろうが、これが一番身バレせずに済みそうだ。ショートヘアの音葉だから、後は首元を隠せば性別不詳に見えるだろう。音葉もそれに気付いてか、シャツの襟を立てて、首を見え難くした。
俺は、ヘルメットが使い難い場合の予備として持ってきていたゴーグルを掛け、口元はバンダナをマスクにして隠した。
鉄パイプを覆う布を外して、右手に何回か巻いて。鉄パイプを握り込んだ状態でさらにぐるぐる巻いた。最後は外れない様に、音葉に結んで貰った。
「この先の高架下、廃材置き場の西側あたりが現場だ。廃材置き場は東側からしか出入り出来ない筈で、現場の西側はでかい倉庫の敷地が塞いでいるから、基本的には南北からしか入れない」
地面に鉄パイプで簡単に地図を描く。
「楠見さんは、塾の帰りに立ち寄るみたいだから、北から来る筈だ。不良どもが何人いるかは正確には判らないが、何かしでかすつもりなら見張りくらいは置くと思う。だから、俺たちは楠見さんがそこに現れるのを待って、南から接近して、まずは見張りがいたら連中に気付かれない様に倒す」
事前に下見をしていたから、遮蔽物は把握していた。だから、もし見張りがいるならどのあたりにいるか、接近するにはどうすればいいかもあらかじめ考えていたのだ。
音葉は俺の説明を、黙って聞いていた。どうして、事件そのものを発生前に防がないのかと聴いてこないのが不思議ではあったが、そうするつもりは無かったので助かった。
「もし廃材置き場の方に何か細工がしてあって、そっちに引き込まれでもしたら面倒だ。だから、それを防ぐためにもギリギリまで近付いて置く必要がある」
以前調べたときには、廃材置き場の方には特に異常はなかったのだが、連中が何か仕込んでいて気付かない場合も一応考慮した。
「作戦は判ったわ。後は、楠見さんが来る前に、その連中が何人くらいいるのか、正確なところを把握することにしましょう」
俯き加減で話す音葉は、目が据わっていて。空手の試合の前でも、音葉がこんな顔をするところを俺は見たことが無かった。
南側から、見張りが居そうなところの手前ギリギリのところまで、息を潜めて近付く。
遮蔽物の向こう側に、人の気配がした。現場を覗くと、五人ほどたむろしているのが見えた。
暫くそのまま待っていると、やがて北側で人が歩く音が聞こえてきて。
「ひっ……」
小さい悲鳴。楠見さんが連中に囲まれたのか。
音葉が動こうとする気配を感じて。俺は彼女の肩に手を置いて、まだ早いと合図する。
「……んんっ」
くぐもった声。恐らく、楠見さんが口を塞がれた状態で助けを呼ぼうとしているのだろう。
音葉の体に力が入るが、俺はまだ押し留めた。
やがて、遮蔽物の向こう側にいる見張りが動く気配。そいつがこちら側に足を踏み出したところで、俺は思い切り鉄パイプを振り下ろした。
べちっ、と間の抜けた鈍い音がした。そいつの顔面から側頭部あたりに命中したらしい。
倒れそうになるそいつの服を掴んで、音がしないようにこちら側へ転がした。
音葉と二人、遮蔽物から様子を窺いながら、次の遮蔽物へと移動して。
北側にも見張りが一人いるのが見えたが、少し離れていたからひとまず無視。中央で楠見さんを確保している連中は五人。今は楠見さんに夢中で、こちらに気付く様子はなかった。廃材置き場の方に行く気配は無く、俺は安堵した。
音葉と顔を見合わせ、お互い頷きあって。
こっそりと背後から近付く。
二人は楠見さんを取り押さえていて。一人は楠見さんの前で屈んで何かしようとしていて。残りの二人は立ったままその様子を見ていた。
俺と音葉は、立っている二人に襲い掛かった。
俺は、テニスのサーブばりに上から鉄パイプを振り下ろして。がつっと鈍い音がして、頭蓋骨が割れる感触を味わった。
音葉は、もう一人の股間を力いっぱい、つま先で蹴り上げていた。
屈んでいた男が振り向いたところに、俺は両手で野球のバッティングよろしく振り抜いた。
そこまでは一方的だったのだが。
「てめぇら何もんだ!?」
楠見さんを抑えていた二人はすぐに立ち上がって、何やら棒状の物を振り回して反撃してきた。
見張りの男も異変に気付いて駆けつけて来て、俺は相手の攻撃を避けるので精一杯で。辛うじて鉄パイプで相手の武器を受け止めたのだが、勢いを殺せず楠見さんの傍で転がった。彼女は、うずくまったまま両手で頭を抱えていて、逃げることも出来ずにいた。
俺は立ち上がるときに彼女の耳元で、
「隙を見て逃げろ」
と囁くのが精一杯だった。
「えっ……?」
彼女が驚いているのは判ったが、そちらを見ている余裕は無かった。
音葉は敵の武器をかわして、踏み込んで深く腰を落とすと、鳩尾あたりに拳を叩き込んだ。相手は呻いて体を曲げる。音葉は間を置かず、相手の膝あたりを斜めに踏みつけて。あらぬ方向に膝が折れ曲がるのが見えた。
その音葉に別の男が掴みかかろうとするのを、俺は鉄パイプでカウンター気味に殴り倒す。
残りの一人は、不利を悟ったのか、慌てて逃げていった。
俺は追いかけようとしたのだが、音葉が俺の肩を掴んで止めた。周囲を見回すと、既に楠見さんの姿は無かった。うまく逃げおおせたのか心配だったが、今となっては確認も出来ず。俺たちも急いでその場を後にしたのだった。




