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恋の終りは、恋の始まり(後編)

 向日葵が天を見上げ、空いっぱいに手を伸ばす季節――

 夏休みも終わりを告げようとする頃、あたしはようやくメールを送る決心をした。


 何度も広げては躊躇ったメモ紙は、くしゃくしゃになって、まるであたしの頭の中のようだった。


“千夏です。だいぶ待たせてごめんね。あたしで良かったら付き合って下さい”


 何度も打ち直し、やっとメールを打ち終わると、顔が赤くなるのがわかる。


 ゆっくりと送信ボタンを押す。


 もう後戻りは出来ない。



「まだかな~」


 送ったばかりなのに、返事を期待して携帯の待ち受け画面を眺める。


 ところが一時間が過ぎ、二時間が過ぎても一向に返事はなく、とうとう夜になってしまった。


 時計の針が七時を回る頃、携帯の着信音が鳴り響く。


「もしもし、千夏……」


 電話の主は愛結だった。いつもと違う慌てた様子に異変を感じる。


「隅田君が、隅田君が……」


 背筋に凍るような違和感が走る。


「どうしたの? 愛結! 落ち着いて!」


 あたしは思わず強い口調で返した。


「隅田君がバイクで事故った……とにかく〇〇病院まで来て……」



 携帯から聞こえる愛結の声が遠く感じて、あたしは震えが止まらなかった。


 我に返ると自転車のペダルをこぎ出していた。汗だくで、髪もメイクもぐちゃぐちゃになった。


「隅田君、無事でいて……」


 そう何度も祈りながら、病室のドアを開けると包帯に身を包んだ隅田君の姿があった。その横には愛結が付き添っていた。

 

 あたしは、何で愛結が先にいるの?

 と、違和感を覚えながらも、息を整え二人に近付いた。


「今、眠った所……。肩と足に骨折はあるものの命に別状はないってさ」


 良かったと思う反面、淡々とまるで彼女のように話す愛結が、気に食わなかった。


「そう……」


 素っ気ない返事をすると、少し離れた場所にある椅子に腰を下ろした。


「聞かないの?」


「えっ?」


 あたしの心を察知したかのように愛結が問い掛ける。


「愛結、やっぱり隅田君のこと忘れられなくて、千夏に内緒で相談したいことがあるって隅田君のこと誘ったの。そしたら、待ち合わせの場所に来る途中事故って。愛結、最低だよね。口では応援するなんて言って。千夏! 愛結のこと殴って……」


 病室に重い空気が立ち込める中、あたしは言った。


「そんなこと出来ないよ。だって、愛結のこと好きだもん。愛結の気持ち、わかってあげられなくてごめんね」


 ベッドの横に飾られた花瓶の花が、無くしたパズルピースのように音もなく儚く床に一片落ちると、隅田君は目を覚ました。


「痛てて……。あ、千夏ちゃんも来てくれたんだ。二人とも心配かけてごめん」


 携帯の中身をまだ見てないだろうと思うと、やりきれなくなった。




◇◇◇◇◇◇




 それから毎日のように愛結と一緒に、隅田君のお見舞いに訪れた。


 隅田君は携帯の中身を知ることなく二ヶ月が過ぎ、初秋の空が晴れ渡る頃ようやく退院した。


 そして退院後、初めて登校した日の昼休み、あたしは隅田君に呼ばれた。


「メール見たよ。嬉しかった。でも、正直千夏ちゃんとは付き合えない……」


「……」


 理由はわかっていた――


 隅田君が入院中、二人と温度差を感じていたのだ。


「自分勝手なのはわかってる。本当にごめん。でも、あの時好きだった気持ちは本当なんだ」


「そんなに謝らないで。あたしなら大丈夫だから」


 隅田君はペコリと頭を下げると、足早に立ち去ってしまった。

 あたしはその姿を見て、不思議と悲しみはなかった。むしろ、これで良かったのかもと思った。


 その日の夕方、愛結からメールがあった。


“隅田君から告られて、付き合うようになったよ。いろいろごめんね”


「良かったね。愛結……」


 あたしは心の底から思った。




◇◇◇◇◇◇




 街は白く染まり、イルミネーションが彩られ、恋人達が行き交う季節がやって来た。


 愛結は隅田君と順調で、ノロケ話をいつも聞かされていた。


 あたしは愛結に紹介されたり、合コンに誘われたりしたけど、まだ次の恋に踏み出せずにいた。


 ていうより、先月から始めたファミレスのバイトが、楽しくなってきたのが恋が出来ない一番の理由かも知れない。


 初めは接客業に携わることで、人見知りを克服しようと始めたのだが、今ではすっかりウェイトレスの制服にも慣れ板についてきた。


「いらっしゃいませ」


 バイトを始めた頃は、恥ずかしくてなかなかハッキリと言えなかったフレーズも、今では自然に溢れてくる。


「今日も張り切ってるなぁ」


「あ、ありがとうございます。あたし、頑張ります」


 二つ上の『丹野たんの じゅん』さんだ。


 右も左もわからないあたしに、接客業のノウハウを教育してくれた社員の方だ。


「千夏ちゃん、今度ドライブ行こうよ」


「そのうち……」


 あたしは言葉を濁した。

 純さんは口癖のように、あたしをドライブに誘う。


 もう何度目だろう?


 ぶっちゃけ、純さんはタイプじゃなかったし、誘うことも冗談だと思っていた。



 そんなある日、事態は急展開した。



 その日は朝から雪が激しく降り積もり、交通機関は完全に麻痺していた。


 バイトが終わった夜九時、ずぶ濡れになったブーツを引きずり、コートに顔を埋めながらトボトボと歩いていると、見覚えのあるワゴン車が目の前に止まった。


「千夏ちゃん、送るよ。乗っていきな」


「いいんですか?」


 あたしは一瞬躊躇しながらも、純さんの車に乗り込んだ。


「すごい雪だね……」


 あたしは頷くだけで、言葉は出なかった。

 純さんもそれ以上、何も話さず黙々とハンドルを握った。


「そこ右に行ったとこまでで、いいです」


「了解……」


 意外と無口な純さんに、あたしは驚いた。


 ハザードランプをつけ、路肩に車を止める。


 ありがとうございましたと言おうと思った瞬間、


「俺、本気だから……」


 と、ルームミラーを見つめながら、純さんは告白ともとれる言葉を口にした。


 あたしは動揺し、


「ありがとうございました」


 と、お礼すると足早に立ち去った。



 家に帰り、再度純さんにお礼のメールをしようとするが、なかなか文章が書けない。


 それどころか、純さんに会いたいとさえ思う自分がいた。


「昨日まで、何とも思わなかったのに……どうして?」


 自問自答しながら、結局打ったメールは“ありがとうございました”の一言。あたしってば、芸がない……。


 あたしは胸の高鳴りを抑えながら、眠りについた。




◇◇◇◇◇◇




 それから一週間、純さんとバイトのシフトが合わず、会えない日々が続いた。


 会えない日々が続けば続くほど、愛しさは募るばかり。

 あたしは意を決して、純さんにメールした。



“お久しぶりです。なかなかシフト合わないですね”



 これが今のあたしの精一杯の表現だった。


 メールの返事はすぐ届いた。


“今休憩中だよ。明日はシフト合うみたいだね”


 当たり障りのないメールの返答に、あたしはそれ以上返すことが出来なかった。



 翌日、終業式を終えると、予定より早めにバイトに入った。

 冬休みは長時間バイトに費やし、小遣いを稼ごうと決めていたが、今は理由が違う。


「おはようございます」


 あたしは皆に挨拶すると、ホールに出て純さんを探した。少しでも早く純さんの顔を見たかったのだ。


「かしこまりました」


 いつもより、凛々しく見える純さんの姿を見つけた。


「おはようございます」


「おう!」


 いつもと変わらず、純さんと挨拶を交わす。

 話したい気持ちを抑えながらもホールでの仕事をこなす。


 バイトが終わると、あたしは純さんを呼び出した。


「あの~、純さん。付き合って下さい」


 あたしは恥ずかしくて、俯きまともに純さんの顔を見れずに告白した。


 純さんは少し驚いた素振りを見せ、煙草に火をつける。

 煙草の煙が二回、三回ふわふわと舞う。


「ごめん」


 一瞬、呼吸が止まりそうになると、間を開けて純さんは言葉を続ける。


「ごめん……。俺の方から言わせてくれないか? 俺と付き合って下さい」


 予想外の展開に、あたしの心臓の鼓動は、極端に早くなった。


 冷たい冬空から粉雪が舞い散る。


「はい……」


 あたしは小さく頷いた。




◇◇◇◇◇◇




 純さんと順調に交際を重ね、もうじき桜が咲き卒業の季節がやってくる。

 あたしと愛結は短大へ進学する。憧れのキャンパスライフ。


「もう少しで卒業だね」


「色んなことがあったけど、二人とも彼氏が出来て良かったね」


 旧校舎の片隅にあるベンチに肩を並べて、愛結と染々三年間を振り返る。


「卒業まであと三日か……。さて、今日もバイトだ~」


 駅からバイト先のファミレスまでの足取りは軽い。全てがうまくいくと人に優しくなれる。


 しかし、その反動で災いが降りかかると行き場のないラビリンスに迷い込む。



「おはようございます」


 いつものようにバックルームに入ると、店長と純さんが険しい表情で向かい合い話し込んでいる。


「そういう事で宜しく頼む」


 あたしに話の内容を悟られぬように、店長は話を切り上げる。あたしは嫌な予感がした。


 純さんと二人になったバックルームに静寂が訪れる。

 純さんは煙草に火をつけると、重い口を開いた。


「ふぅ。俺……転勤になった。これからは遠距離になるな」


「どういうこと?」


「研修を兼ねて、九州の方に……」


 あたしの悪い予感は当たった。


「何で……」


 あたしはその場に崩れ落ちた。


「俺達ならやっていける。距離に負けるような恋じゃないだろ?」


 泣き崩れるあたしを抱き締めながら、純さんは言う。

 その言葉を信じ、あたしは泣くのをやめた。




◇◇◇◇◇◇




 短大に通い始め約一ヶ月後、純さんの旅立ちの日はやってきた。この日だけは絶対に泣かないと決めていた。


 純さんを送る新幹線がホームに到着する。


「じゃ、連絡するよ」


「うん。あたし距離になんか負けないから」


 あたしの腕を掴み、純さんが力強く抱き締める。


「駄目だよ……」


 ここまで我慢出来た涙が、頬を伝い流れる。絶対に泣かないと決めていたのに……。


 その時、無情にもベルは鳴り響き、別れの時がやってきた。


 プシューとエアーを立てながら、扉は簡単に閉まる。

 新幹線はゆっくりと動き始め、やがて小さくなり視界に入らなくなった。




◇◇◇◇◇◇




 一週間が経ち、二週間が経ち、二人の写真をなぞる度切なさが募る。


 短大の生活には慣れたが、何処か心にぽっかりと穴が空いたようだ。

 勿論、電話やメールはしていたが、会えない寂しさは計り知れない。

 何かの歌のフレーズのように空を見上げると、青い空は何処までも続いていた。純さんの住む街まで――



「会いたい……」



 口にするのは簡単だけど、口にすれば挫けてしまう。距離とはそういうものだ。



 春が過ぎ、夏が来て蝉が鳴く中、子供たちが元気に走り回る。



 秋が来て、紅葉の葉も色付く。



 冬が来て、冷たい雪に息が凍える。



 そして、また春が来る。



 短いようで、長い一年。



 もうすぐ純さんを乗せた新幹線がやってくる。

 あの時と同じようにプシューっと音を立てて新幹線のドアが開く。


 背伸びをして純さんの姿を探す。


 一人、また一人と下車するが、純さんの姿を確認出来ない。

 やがてベルが鳴りドアが閉まる。一つ溜め息をつく。肩の力が抜け、涙が出そうになる。


 すると、誰かに目元を塞がれ、目の前が暗くなる。


「だ~れだ」


 聞き覚えのある優しい声――


 振り返ると、少し逞しくなった純さんがいる。


「ごめん。長い間待たせたな」


「もう何処にも行かないでね」


「あぁ」


 純さんはあたしを抱き締めると、口付けをした。


「ただいま」



「おかえり」


 あたしの恋……遠回りしたけど、無駄じゃなかった。

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