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素晴らしき主


 整然と植えられた数々の花木に散りばめられた庭園。

 それを取り囲む高い塀と優美な門構え。マイエル家の正門である。


 今、その門を一台の馬車が潜り抜けた。

 二頭立ての重厚な馬車は、庭園を横切って屋敷へと向かう。


 屋敷の前にはこの家の者全員がいた。

 向かって左側に並んでいるのは執事長ダラオスを始め、リカーム、アクラ、調理師のホロスとその妻のアンヌ。

 右側にはメイド長ミアラと三人のメイド達、庭師のダイモが並んでいる。


 そして、真ん中にはシェーラとメリーナの姉妹が、うきうきとしながら馬車を待ち焦がれていた。


 やがて、馬車は屋敷の前に止まり、中からタキシードを着たしっかりとした体つきの老人が出てきた。

 老紳士は馬車を降りるとすぐ、横へ退いて軽く頭を下げる。物腰からしてかなり経験を積んだ執事と分かる。


 その後から出てきたのは身なりの良い服を着た壮年の男だった。

 男は馬車を降りると屋敷の入口へと進んで行く。


 男が目の前に立った時、ダラオスが一歩前に進み出て言った。


「旦那様、お帰りなさいませ」


「お帰りなさいませ!」


 他の使用人達も声を揃えて唱和した。

 

 そうなのだ。仕事で長い間屋敷を留守にしていた主人、アルカイドがとうとう帰ってきたのである。


「御父様~っ、お帰りなさい!」


 真っ先にメリーナが父に飛びつく。アルカイドはしっかりと娘を抱き止めると、その小さなおでこにキスをした。


「一カ月ぶりだなメリーナ。父さんお前に会いたくて仕事を切り上げてきたんだぞ!」

「ほんと?嬉しいっ!!」


 アルカイドはメリーナを抱き締めてくるくる回る。


「お帰りなさい。御父様…」


 シェーラがやや離れて声をかける。


「おおっ、私の可愛い長女よっ!」


 やや芝居がかった言葉を発して駆け寄ったアルカイドはさらにシェーラまで抱え、二人の娘を抱き締めたまま回り始めてしまった。


「きゃああっ…御父様!私はもう十六歳なんですよ。帰って来る度これじゃ恥ずかしいわ!」


 シェーラが回りながら非難するが、娘の抗議など聞こえないらしく、アルカイドは回り続けた。やがて、疲れて回るのを止めた主人はやや呆れている使用人達に声をかけた。


「皆、私の留守中シェーラを支えてくれてありがとう」


 一斉に使用人達が深々と頭を下げた。

 中でもダラオスを初めとした執事三人の息はぴたりと合っている。力みもなく自然体の礼は見ていて気持ちの良いものだった。


(うむ、アクラも仲々執事らしくなって来たではないか。ダラオスとリカームという良い手本がいるからか…)


 アルカイドは一人でうんうん頷くと、後ろのハタルに声をかけた。


「私はこれから娘達と積もる話があるから下がっていいぞ。ハタルは皆に旅先の話でもしてやってくれ」


「かしこまりました」


 無表情に礼をするハタル。

 その物腰を見て…渋い!と内心唸ったのは、やはりリカームだけだった。


「長旅、ご苦労さまでした」


 ソファーに座ったハタルに言葉をかけ、リカームがカップにお茶を注ぐ。 当屋敷の執事全員が応接間に揃っていた。


「うむ、ありがとう」  


 僅かに口元を綻ばせ、お茶を一口すする。


 この初老の執事ハタルは、当年とって六十歳になる。

 髪の毛は既に半分くらいまで白く染まりつつあるが、がっしりした体つきから見るに、まだまだ現役でやっていけることだろう。

 若い頃はマイエル商会の社員として働いていたらしいが、その有能さを買われて先代に執事として引き抜かれたのである。現在でもアルカイドの片腕として、商会の隅々まで精通している人物であった。


「……美味い。やはり、リカームの煎れてくれるお茶は絶品だな」

「それだけが取柄ですから」


 照れ笑いをしながら、ダラオスやアクラにもお茶を煎れるリカーム。


 ハタルの向かいのソファーがアクラとリカームの指定席。

 ダラオスは少し離れたひじ掛け椅子に腰を降ろしている。

 普段、屋敷の中での仕事が多い彼らにとって、人の話を聞いて見聞を広めるのは大いに有意義なことであり、大きな愉しみでもある。


 けれども、ティータイムはゆったりと。

 せっかちな性格では執事など勤まらないのだ。

 リカームが二杯目を注いで少しした頃、最も若いアクラがおずおずと切り出した。


「あの…もうそろそろお話を聞かせてもらえますか?」

「そうだな。では、何から話そうか…」


 ずずいっと身を乗り出したのはリカームだった。


「旦那様の執事として、ハタルさんがどのように行動したかを詳しく御聞かせ下さい。出来れば心理描写まで事細かく…」


 隣のアクラもこくこくと頷いている。

 事業の内容にはあまり興味がないらしい。


「……わ、わかった」


 瞳をキラキラとさせる二人に、思いっ切り引いてしまうハタル。

 ダラオスがやれやれ…という顔をしていた。


(た、確か…リカームは私と同年だったはずだが…)


 まるで、アクラが二人いるような錯覚を覚えるハタルであった。



          *



 一方、こちらは居間である。

 ここではアルカイドが、娘二人と父娘水入らずで楽しい時間を過ごしていた。


「……でね、リカームったらポ~ンと放り投げちゃったのよ」

「ほう、リカームがそんなに強かったとはな…」


 アルカイドが顎に手をあて、感心している。


「本当に…あの時は私もびっくりしちゃった。でも、さすがに本人は落ち込んでたみたい。リカームってすました顔してる割には、どこか抜けてる所があるのよね。まあ……そんなところが…とっても魅力的なんだけど」


 ややはにかんでみせるシェーラを見て、アルカイドは自分達の人選が正しかったと満足気に頷く。

 一年近く前、大勢の執事候補者との面接中、何故かシェーラとアルカイドは一目でその老紳士を気に入ってしまったのだ。

 もっと若くてベテランの執事が幾人もいたはずなのに…。


 ちなみにメイドの選抜は、常にアルカイドの独断によって決められている。……可愛らしい娘ばかり揃っているわけである。


「ところでシェーラ。最近この街で、年頃の娘ばかりが行方不明になっているそうじゃないか。噂では妖魔の仕業かもしれないんだろ?」

「ええ、既に四人が行方不明になっているそうです。御父様…もしかして私のことが心配で帰って来たの?」

「はっはっは、実はそうなんだ」


 アルカイドが照れたように言う。


「あ~っ、御父様。あたしに会いたくて帰って来たんじゃないの~っ!」

「い、いや…それも本当だぞ!決して嘘なんかじゃないさ」

「ぷ~っ!御父様ってお調子者」


 メリーナが頬っぺを膨らませる。

 居間にシェーラとアルカイドの笑い声が響く。


 その日、久しぶりに会った父娘には笑いが絶えなかった。

           


           *                  *  



 海に面した港にはたくさんの船が乗り入れ、港では荷の積み下ろしで大勢の人夫が汗だくになっている。

 そこから少し離れた市場では、捕れたばかりの魚を買い叩く声が後を絶たない。この港町ラティニアはこの国でも有数の貿易港で、数々の国との交易の窓口となっている。


 この港を一望出来る場所にマイエル商会ラティニア支部、レクス貿易商社があった。丘の上にある三階建の建物は少し古くなっているが、その代わりどっしりとした横幅があり、周りの建物とは一線を画する趣を与えている。


 建物の最上階、窓際の席には葉巻を加え豪華な椅子にふんぞり返って座る壮年の男がいた。

 だが彼には、そのように座っていても滑稽に見えないくらいの貫禄が備わっている。現在の地位を得るまで数々の苦難を乗り越えて来たことは、その鋭い眼光を見れば容易に想像出来る。


 そんな彼のもとに、若い社員が血相を変えて飛び込んできた。


「た…大変ですっ、社長!」

「な、何だ?!」

「か…か、会頭…」


 若い男は、はあはあと息を吐きながら途切れ途切れに言った。


「……ふう、何かと思えば会頭が御見えになっただけか?驚かすなよ」

「……だ、代理です」


 それを聞いた壮年の男は次の瞬間、椅子から跳び上がっていた。


「な、何だとお!それを早く言えっ!!おい、貿易商品の今月のリストは出来上がってるだろうな?…出来てないだとお!さっさと作れ!ほら、常務、お前も手伝え!私は…会頭代理をお迎えに上がる」


 社長と呼ばれた壮年の男は、慌てた様子で部屋を出て行った。




パサッ!


 白い紙が薄っぺらい音を立てて机の上に重ねられる。それを行うのは白く細い少女の手だ。青と白の二色の混じり合ったドレスを着こなした少女は、机に並べられた書類を一つ一つ丹念に目を通している。

 社長は、ますます美しくなった少女に見蕩れそうになっては、慌てて視線を逸らす。その斜め後ろには白髪の老執事が、直立して無言で控えていた。


 少女が書類を手放し、口を開く。


「いきなり来訪して申し訳ありませんでした。たまにはこうして各会社の運営状況を把握しておかないと、いざという時の判断が出来ないので」


「いえ、この会社はシェーラ嬢の御蔭で存続出来たようなものですから、御遠慮なさらずにいつでもお越し下さい。必要とあらばいつでも舵取りを行って結構です」


 社長は媚びるでもなく、本心から出た言葉を口にする。

 一年程前、大きな損失を出したこの会社を先頭切って立て直したのはシェーラだった。

 会頭代理という立場でさえ困難な融資や商談をいくつもこなして、半年前シェーラの手を離れ、やっと自力で運営出来るようになったのだ。


 ただ…出来れば前もって連絡が欲しい、とも思っていた。シェーラの人柄は十分知っているつもりだが、彼女が私情と仕事を切り離せる人物だということも知っている。何かミスでも見つかりはしないかと緊張する度合いは、父親である会頭など比ではない。


「ありがとうございます、レクス社長。でも、年頃の娘にあまりそんなことをさせないで下さいね。お嫁の貰い手がなくなってしまいます」


「ははは、いや一本とられましたな。これは気が利きませんでした」


 シェーラの冗談にレクスは楽しげに笑う。この少女なら縁談は掃いて捨てるほどある、と思っているのだろう。

 シェーラが結構本気で言っているとも知らず…。


「それと、レクス社長。例の寄付の話はどうなっていますか?」


「ああ、利益の一部を施設への寄付に充てる、という話ですね。もちろん、進んでおります。来月からはそのようになりますが…しかし、寄付を建前とした会社PRのためとはいえ少々額が大きいような…これではマイエル家の利益も少なくなりますが…」


 少女は軽く首を振る。


「いいえ、寄付の額が多いということは、それだけ余裕があるという判断材料にもなります。融資をとりつけるのにも、商談での好感度もまたぐっと良くなるでしょう。ライバルであるクランド商会との差をつけるいい機会です」

「…なるほど」


 納得顔で頷くレクス。だが内心では、


(本当はこちらの方が建前なんでしょうな…)


 人生経験豊かな社長は、少女の本心を良く分かっていた。たぶん、後ろの老執事も十分心得ているのだろう。


 頭に白いものの混じり始めたレクス社長にしてみれば自分の孫とも呼べるような年のシェーラだが、彼はこの少女を心の底から尊敬しているのだった。




 レクス貿易商社を出た二人は、海の香りを嗅ぎながら帰途についていた。


 二人の乗った馬車は御者と馬車を一日借り切った貸切り馬車だ。それゆえ、リカームは馬車の中でシェーラと向かい合わせに座っている。

 とは言っても、いつも一緒にいるのだから特に話すことなどない。二人共外へと顔を向け、流れ行く景色に視線を巡らせている。


(あれ?この通りは…)  


 外を眺めていた老執事は、見覚えのある通りを通っていることに気がついた。向かいの席に腰掛けたシェーラも、外を見て何やら物思いに耽っている。

(……そうですか。もう、一年になるんですね)


 この通りはリカームにとって忘れられない場所だった。



       ****************************  



 港町ラティニアの表通りにはいつからか物乞いが住み着くようになっていた。白髪、白髭をぼうぼうに伸ばし、擦り切れた垢まみれの服を着ている老人だ。  


 通り行く人々は彼を野良犬でもみるかのように卑下し、侮蔑して行く。たまに小銭を目の前の鍋に入れる者もいた。大半は同情して優越感に浸るのが目的の人間ばかりだったが、中には本心から同情してくれる者もいた。

 彼には夢があった。仕えるべき主を見つけることだ。


 しかし、一生をかけて仕えてもいい…そう思える主に巡り会うなど簡単ではなかった。少なくとも今までに出会った人々の中にはそんな人間はいなかったし、必要とも思えなかった。

 一応、執事斡旋協会に登録はしたが、求人欄を見ただけですぐに帰って来てしまった。何か自分の求めているものと違う気がしたのだ。だからと言って自分の求めているのが何なのかも判らなかったが…。


 彼は今の暮らしを結構気に入っていた。

 この物乞いというのは人間観察をする上で最も適した職業なのだ。憐れみをくれる者、侮蔑の目を向けつつ無視する者、露骨に排除しようとする者…乞食というだけでいろんな態度が見られた。これがまた面白く、その心理を分析しては一人でほくそ笑むような毎日だった。


 が、そんなある日。


「お爺さん、仕事をしてみる気はありませんか?」


 いきなり思いがけない言葉を聞き、彼は少し面食らって顔を上げた。


 その少女と目が合った時、彼は心臓がどきっ!と撥ねたのを感じた。

 老人になり切っている彼をも一瞬動揺させるほどの美少女が、しゃがみ込んで微笑みかけていたからだ。


「……はて、仕事とは何のことでしょうか?」


 平静を装った乞食の老人が尋ねる。


「父の経営する会社の中に簡単な軽作業の仕事があるんです。…ね、よろしいでしょ?御父様」


 少女が振り返った所には、しっかりした身なりをした壮年の男が立っていた。眼光は鋭いが、落ち着いた雰囲気を漂わせている紳士である。


「あの工場はお前に任せようと思っていたところだ。お前の好きなようにすればいい」


 父が頷く。


(この少女が会社を…?)


 彼は一瞬、我が耳を疑った。


「どうですか?」


 娘がさらに尋ねてきた。


 少女は上から見下ろさないようしゃがみ込んだ体をさらに低くしている。

 彼は慌てて立ち上がり、少女と正面から向き合った。


「私のような者にまでそのように声をかけて下さるとは…もったいないことです。しかし、私はこのような姿をしながらも人を探している身。大変申し訳ありませんが、辞退させていただかねばならないのです。御許しください」  


 物乞いの老人が真摯な態度で謝罪した。


「そうだったんですか、それなら仕方ありません。探し人見つかるといいですね」


 少女は気にした風もなく、物乞いの老人に微笑みかける。


「……ありがとうございます」


 表情を出さず礼を述べた。


 しかし…実は内心驚きを覚えていた。

 無礼な真似をしたのだからどこか不快に思ってもいいはずだ。伊達に人間観察などしていない。だのに、この少女は心底、自分のことを気遣ってくれている。

 こんな自分が恥ずかしくなるくらいに…。


 立ち尽くす老人の前に父親が進み出る。


「私はマイエル商会のアルカイドという者です。仕事が必要になったらいつでも尋ねて来て下さい」


 アルカイドと名乗った紳士は、乞食相手にするとは思えないほどの礼をした。

 見かけによらず丁寧な言葉遣いをする老人に敬意を表したのだ。


 老人は感動のまま礼を返す。

 余程嬉しいのか深々と頭を下げ続ける老人を後にして、二人の父娘は人でごった返す道を歩いて行った。


 二人が去った後も、老人は頭を上げなかった。

 いつの間にか路面が濡れていた。


(探し人は…たった今、見つかりました)


 頭を下げた老人の肩が、歓喜に打ち震えていたのに気付く者はいなかった。


     *****************************


 思い出の場所を馬車が通り過ぎた。


 相変わらず人通りは多いようだが、今はもう物乞いは見かけない。リカームは懐かしささえ感じて、離れて行くその場所を見つめ続けていた。  


 その時、流れて行く人混みを見ていたシェーラが、ぼんやりとしながら口を開いた。


「リカーム、この通り…」  


 言葉は途中で途切れた。

 わざわざ聞くことでもないと思ったのか、そのまま外の景色を眺めて口を閉ざす。  


 聞き流そうかと思ったが、少し気になった。


「なんでしょうか、御嬢様」

「えっ…」


 応えてくるとは思ってなかったらしい。少女は言おうか言うまいか少し迷った後、先程の言葉を続けた。


「……この通りなら…探し人ってすぐ見つかるよね?」

「!!」


 脈絡もない曖昧な質問…老執事には何の関係もない戯言だ。

 人探しのために物乞いの格好までする老紳士。友人、家族、昔の恋人…一体、誰を探していたのだろうか。そして、もう巡り会えたのか…。

 あれ以来、シェーラはずっと気になっていたのだ。


 リカームは目頭が熱くなるのを懸命に堪えていた。

 顔を俯かせる老執事に、少女は首を傾げて覗き込む。


 老執事は突然顔を上げて、


「はい!すぐですとも!!」


 泣きそうになる顔を笑顔に変え、リカームは大きな声で答えた。


 老執事の力の込もった返事に、少女は不思議そうな顔をしたが、軽く頷くと安心したように微笑んだ。


 二人を乗せた馬車は、隣街のティフランへと帰って行く。

 リカームはこんな主達に仕えることが出来て、本当に幸せだった。


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