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真夜中の訪問者


 空は気持ち良いほどに青く、緑芽吹く今日。

 リカームは庭師のダイモといっしょに庭木の刈り込みをやっていた。


 やや季節外れではあるが、やっと春の花苗を植え終わったダイモがようやく刈り込みに手をつけたのだ。


「……なあ、リカームさん。おらとこんなとこで刈り込みなんかしてていいだか?」


 ダイモが心配そうに聞いてくる。

 風貌はお世辞にも良いとは言えないが、とても心根の優しい男である。


 リカームは鼻歌などを奏でながら、


「大丈夫です。シェーラ御嬢様のお迎えにはまだ時間があるし、私の仕事も済ませてしまって時間が余っているのですよ。それに庭の手入れなんて楽しいこと、私にもやらせて下さいよ」


 老執事はダイモの心配もどこ吹く風と、鋏でチョキチョキとはみ出した枝を切り取っている。この屋敷の庭はとにかく広く、馬の世話もしているダイモ一人では仲々終われないのだ。


「おらは助かるだが、また御嬢様のお迎えに遅れるようなことになったら、ダラオスさんに怒られてしまうだよ」


「は…はは…た、確かにあの時は庭の手入れに熱中し過ぎて、御嬢様をお待たせしてしまいましたからね。二度と同じミスはしませんよ」


 リカームはやや冷や汗が噴き出したのをごまかすように、強気に言い切った。


(あの時はこのリカーム一生の不覚と反省したものです。もちろん優しい御嬢様は笑って許して下さいましたが…)


 苦い顔で反省し直す老執事だった。


 そんなことを話しながら刈り込みをしていると、


「リカームさ~ん、ダイモさ~んお茶にしましょう~!」


 声のした方を見ると、金髪の青年がこちらに向かって手を振っている。

 四番目の執事アクラだ。これから彼らの楽しみの一つであるティータイムが始まるのだ。

 ちなみにリカームは三番目であり、二番目の執事ハタルはこの屋敷の当主アルカイドとともに外国へ出張している。


「それではお茶が冷めないうちに行きますか?」

「…んだな」


 リカームは仕事の手を休めてダイモと一緒に屋敷の裏へと回った。

 裏口から入ると厨房の隣に使用人達の食堂があり、そこに皆集まってお茶やお菓子をつまみながらお喋りをしていた。


「きゃっ!リカームさんが来たわよ。さっさっ、リカームさんはここに座って下さい」


「あ~っ!リカームさんは私の隣よ。さあ、こちらへ…」


 メイドのレーラとジルがリカームを隣に座らせようと互いににら睨み合う。


 レーラは何事にも積極的な性格で、長い黒髪のよく似合う娘である。

 対するジルは一見おしとやかだが、なかなかしたたか者だ。外見は蜂蜜色の髪をしたショートカットである。

 二人ともシェーラより一つ上の十七歳だ。容姿も美人の類に入る。

 もっとも、何故かマイエル家のメイドは、昔から美人か可愛らしい娘しかいなかったそうだが・・。


「駄目ですよ。リカームさんは僕の隣で執事の心得について話し合うんですから…」

「アクラはシェーラ御嬢様のお話が聞きたいだけだろ」

「ち、違いますよ!僕はリカームさんのような執事になりたいんです。御嬢様は関係ありません!」


 調理師ホロスの冷やかしに、アクラは真っ赤になって反論する。


「まあまあ、別にお前が御嬢様に憧れても不思議じゃないさ。シェーラ様は綺麗な方だし、なんてったってあの優しさだもんな。俺達にも別け隔てなく声をかけてくれるし、細かいところまでよく気がつく。誰が好きになったって当たり前だぜ」


 そうなのだ。アクラが密かにシェーラに恋心を抱いているのは、この場にいる者なら誰もが知っている。この純朴な青年は態度に出てしまうため、皆にすぐにばれてしまったのだ。

 許される恋ではないが、密かに想うだけなら自由だろう。


「だから違うって…とにかく!リカームさんは僕の隣!いいですね?」

「は…はい」


 アクラの勢いに気圧されるリカームだった。


 老執事は金髪の青年とおさげの少女の間に腰を下ろした。

 おさげの少女というのはあのミイナだ。少し引っ込み思案なところがあり、こういう大勢のいる場所ではあまり喋らないのだが、よく気の利く優しい娘である。

 ホロスの妻アンナは今日は厨房でスープをかき混ぜていた。


「あ~あ、リカームさんは時々しかここに来ないから、ゆっくり話をしたかったのにな」


 ジルが残念そうに言っているのを聞いて、リカームが苦笑を浮かべる。


(この前ここにお呼ばれした時は、この娘達の質問責めには苦労しましたよ。年齢を偽っている以上、嘘をつかねばならないのですから)


 内心で安堵の吐息をつく。


「リカームさん、まずはどうやったらそんな優雅な物腰になれるかを教えて下さい」


 アクラが真摯な目で老紳士に詰め寄る。

 どういうわけかリカームはこの青年にかなり気に入られていた。実年齢の最も近いリカームが一番話し易いのも当然といえば当然だ。


 リカームはやや引きながらも、青年の質問に丁寧に答えた。


「それは一にも二にも努力するしかありません。影で努力し、主の前では常に最善の結果のみを御見せする。それが執事たる者の務めと心得ます」


「さ・さすがリカームさんだ。僕の理想はリカームさんのようになることなんですよ」


「ははは・・・」


(今日はアクラ君に質問責めにされそうですね・・)


 瞳をきらきらさせる青年は、休憩時間いっぱいまで喰らいつくことは間違いない。少々うんざりもするが、勉強熱心な青年を逞しくも思うリカームだった。


ずずっ…


「はあ~っ、やっぱりダラオスさんの煎れてくれるお茶は美味しいわ。……でも、二人だけというのはやっぱり寂しいですわね。早くハタルさん帰って来ないかしら」


 そう呟いたのはふっくらした印象を感じさせる貴婦人・メイド長のミアラだ。メイド達にはうるさがられてはいるが、普段の彼女はどことなくのんびりした感じの女性である。


「リカームはどうしたのだね?今日は御嬢様方は出かけていらっしゃるはずだが…」


「先程、庭で植木を刈っていましたわ。そのまま下でお呼ばれしていると思います。相変わらずお若い方ですから・・」


「……ふむ」


ずずっ…


 ダラオスがお茶をすする。

 ミアラもゆっくりとカップを口へ運ぶ。

 この部屋での時間は他よりもゆっくりと進んでいるようだ。


「ところで・・今日は何か面白いネタはあるかね?」


「そうですねえ…あっ、そうそう…これは耳聡いジルから聞いたんですけど、なんでも街の若い娘がもう四人も行方不明になっているとか」


「誘拐かね?」


「それが皆目・・目撃者も誰もなく忽然と姿を消しているらしいんです」


 首を振るミアラ。


「ふむ。我々も気をつけねばなるまい」


 この屋敷にはシェーラを初めとして四人の年頃の娘がいるのだ。注意し過ぎるということはないだろう。

 ダラオスの言葉にミアラも頷き、


「怖いですわ。私も気をつけなければ…」

「………」


 しばし何か言いたそうにダラオス。

 喉元まで出かかった言葉を年の功で呑み込む。


「どうかしまして?」

「……いや」


 この場にリカームがいなくて良かったのかもしれん、とほっと一息つくダラオスだった。



          *



 夜。ある者は眠りにつき、ある者は己の時間を満喫している頃。


 リカームは自室の姿見の前に立っていつものように姿勢のチェックをしていた。腰の角度、手の曲げ具合、一つ一つ変な癖がついていないかを確かめていく。就寝前なので変装は取って素顔になっていた。


 普段行われる彼の優雅な動作は、この日々の努力あってこそのものなのだ。優雅にして完璧な礼儀作法は見る者に適度な緊張感と気品を与える。そして何より、自分の強すぎる個性を消し去ってくれる。主をより際立たせるために、執事は影になるべきだという信念に基づいているのだ。 

 

 鏡の前に立った精悍な若者が渋さの光る会釈を行った時、突然それは聞こえた。


がああぁぁ・・


 遠くから微かに聞こえる獣の咆哮。

 距離があるせいではっきりとはしないが、それが犬の咆哮でないことは確かだった。窓から見下ろすと、屋敷の周りにいた犬達が咆哮の主へと向かって行くのが分かった。


「まさか魔物では…」


 マイエル家の広い敷地は森にも面している。魔物がその気になれば塀を乗り越えるなどたやすいことだった。


 リカームはクローゼットの一番下の引き出しを開けると、黒いマントと短剣を取り出した。短剣を腰に差し、マントを頭からすっぽり被ると、自室を飛び出して物音を立てないようにして駆け降りた。万が一にも屋敷の者に顔を見られるわけにはいかないのだ。


 一階の応接間の窓から飛び出したリカームは、犬達がけたたましく吠えている方へと走って行った。この騒ぎで誰かが起きてくるとリカームには大変やばい状況だが、現場が遠い御蔭で誰も気づかないようだ。


 目指す先では犬達が標的に向かって盛んに吠えたてている。遠目から見ると黒っぽくて、大きさもドーベルマンの三倍はありそうだった。場合によっては助太刀をしようと走り寄ったリカームは、月明かりに鮮明になっていく標的を見て呆然と立ち止まった。


 そこにいたのは、肩口から二本の触手を生やした黒豹だった。額には銀色の角さえ見える。雷鞭豹(サンダーウィップ)と呼ばれる魔物で、数ある魔物の中でも強力な部類の魔物だ。額の銀の角は強過ぎる魔の力が形になったもので、これを持つ魔物は何らかの魔力を使いこなす。賞金稼ぎでもこの魔物に手を出すような命知らずはいない。


 しかし・・誰もが恐れるその魔物もリカームにとってはとても懐かしい姿だった。


「カノン!?」


 跳びかかって来る犬を触手ではたき落した魔物は、リカームに気付くや人間の言葉を発していた。


「おう、リカームか!久しぶりで悪いがこいつらなんとかしてくれねえか?」


 魔物は鬱陶しそうに叫んだ。


 犬達は震えながらも勇敢に魔物に跳びかかっている。アクラの調教が良い証拠だ。しかし、このまま放っておくわけにはいかない。このままではカノンが本気で怒ってしまう。


「こら、お前達やめなさい!カノンは私の友達なんです。何も危害は加えませんよ」


 しかし、恐怖と忠義の狭間でパニックに陥っている犬達にそんなこと分かるわけがない。犬達は益々攻撃の色を強め、五匹のドーベルマンが一斉にカノンへと跳びかかった。


「かあああーっ!!」


 リカームの天を衝くような怒声が響き渡った。

 いきなり強烈な気合いを叩きつけられ、犬達は身を硬直させて勢いのまま地面を転がった。静寂を破ったリカームの怒声は屋敷まで届いたかも知れない。皆が眠っていることを願うしかないだろう。


 怒りのオーラを発散するリカームの前には耳を垂れ下げ、尻尾を足の間に巻き込んでしまった犬達がいる。自分達の守るべき者の一人に強烈な怒気を叩きつけられ、あまつさえそれが自分達よりも強いと感じたのだ。その眼は恐怖で完全におび怯え切っていた。


 リカームはしゅんとうなだれる犬達を見て、胸を締めつけられるような思いをしていた。

 彼らが魔物であるカノンに襲いかかるのは当然のことであり、ましてや彼らは忠義のために命をかけていたのだ。誉めてやりこそすれ怒る理由などどこにミイナい。しかし、このまま続けていれば犬達は間違いなく殺されていたことも事実だ。魔物の中でも高等な部類に入るカノンは、たとえドーベルマン五頭でも勝てる相手ではないのだ。


 心を鬼にして、リカームは怒ったフリをしながらカノンの首に腕を廻した。


「この魔物は私の友達です。傷つけることは許しません、いいですね」


 念を押すように言ったリカームは、カノンの口に指を突っ込んで横に引っ張った。


「な、何をふる~!?」

「黙りなさい!私と貴方が友達だと教えるために仲の良い所を示しているんです」

「う~~っ・・・」


 カノンは釈然としない表情だが、黙って我慢する。

 本当は犬達への罪悪感から八つ当たりしているだけなのだが、いきなり来て驚かされたのだから当然の権利と言えた。


 やがて、散々悪戯をして満足したのか、リカームが真面目な顔でカノンに問いただした。


「そろそろ貴方がここへ来た理由を話して頂けませんか?」


 カノンの表情が見るからに暗くなる。そこには、さっきまでの和やかな雰囲気はかけらもなかった。重々しく口を開くカノン。


「……奴等がこの街にいるようだ」

「奴等って…まさか?!あなたの追っていたっていうあれですか?」


 問い返すリカームの額には、脂汗がびっしりと浮かび上がっていた。


 眉間に皺を寄せて頷くカノン。その表情からは明確な憎しみを察することが出来た。


「奴等を…いや、奴を追ってこの街へ来た時、偶然お前の匂いを見つけてな。助太刀を頼もうと思ったんだ。俺の力だけでは奴に返り討ちに会うのが落ちだからな」


 しばしの沈黙が流れる。わずかな星明かりに照らされた森の一角には、うなだれる五匹のドーベルマンと、黒豹に似た魔物、深刻な顔をした青年の姿があった。


「………わかりました、友の頼みとあらば。それに、奴等は我々にとっても恐ろしい敵ですからね。いつ、私の知人にも危害が及ぶか…。それで奴等の居場所は分かっているのですか?」


「いや、昼間動き回るわけにもいかないからな。人間達が寝静まった頃、探索しているのだが全く足取りが掴めん。だが・・近いうちに必ず!」


 肩から生えた触手で鞭の如く地を打つ。

 犬達がびくっ!と反応する。


「そうですか…見つけた時は必ず私に知らせて下さい。絶対に早まってはいけませんよ!」

「ああ、わかっているさ。それじゃ俺はこれで消えるとするよ。迷惑かけて済まなかった。それに…ありがとう」


 照れ臭そうに感謝の言葉を残し、カノンは闇の彼方に消えて行った。

 友を見送ったリカームは、暗い表情で大きな溜息をついた。


(旦那様、御嬢様方…リカームの不忠をお許し下さい)


 心の中で主達に詫びる。

 この屋敷に骨を埋める覚悟は出来ていたつもりだったが、死地に赴く友を見捨てるわけにはいかないのだ。

 せめて、戦いの日まで精一杯の奉公を尽くすしかない。


 しばし佇んでいたリカームだが、しゅんとうなだれた犬達に気付き、彼らの方へと歩み寄った。犬達は腰を落し、耳と尾を垂れ下げてビクビクとしていた。怒られるとでも思っているのだろう。


 リカームは犬達の前にしゃがみ込んで、申し訳なさそうに謝った。


「すみませんでした。お前達の方が正しいのに怒ってしまって。あの時は、ああするしかなかったのです」


 深く頭を下げたリカームは、一匹ずつ犬達の頭を撫でてやった。頭を撫でられた犬達は初めこそきょとんとしていたが、リカームの態度から内容が理解出来たのか、耳を立て尾を振り彼の顔を舐め廻した。


「これ、くすぐったいじゃないですか」


 一通り舐め終わった犬達は、勝手に列を作って横に並びリカームを見上げた。腰を下ろした姿勢でリカームを見る犬達は、命令を待っているのだ。

 それが彼らの敬意の表れであった。


「うんうん…それではお前達、屋敷の警護は任せましたよ。散開!」


 リカームの命令とともに犬達は屋敷へと駆けて行った。それぞれ自分の持ち場へと戻るのだろう。


 リカームは、忠実な犬達を頼もしげに見送ってから、自分も同じ方向へと歩き出した。



             *                *



 その頃、御屋敷では、


ぱたぱたぱた!


 一階の廊下を歩いてくる人影がある。影はランプを片手に各部屋を見て回っていた。


「今日は外が騒がしいわね。敷地に獣でも迷いこんだのかしら?」


 落ち着いた声音で首を傾げたのは、ややふっくらした顔立ちのメイド長ミアラだった。御屋敷支給の白い寝間着の上に赤い肩掛けを羽織り、今一度の施錠確認をしていた。


「あっ、ミアラさん…」


 突然の声に振り返ると、そこには白い寝間着に緑の肩掛けを羽織った少女がいた。二つのおさげが特徴の一番若いメイド…ミイナだった。就寝前の今は髪も解かれ、少し大人っぽく見える。


「えっ…ミイナじゃない。どうしたのです?」

「はい。外が騒がしいものだから…見回りを」


 ややはにかみながら答える少女。


「そう、感心だわ。それじゃ、ミイナは客間の方をお願いします」

「はい」


 おさげの少女は声を抑えて返事をすると、客間へと歩いて行った。



            *                *



 リカームは屋敷へ戻って来ていた。

 犬達はリカームの姿を見ても、もう持ち場を離れることはない。それに彼が夜中に屋敷の外へ出るのは何も今日が初めてではなかった。時々、鈍った体を鍛え直しに夜中出かけていたのだ。


 そんなわけで、今日も気楽に応接間の窓に手を掛けたのだが、


「あ…あれ?鍵が掛かってる。………しまったあ!」


 急いで隣の窓に手を掛けるが、どれも厳重なロックが掛かっていた。リカームは誰かが戸締まりをし直したことに気付き、今になって騒ぎ過ぎたことを後悔した。


 取り敢えず悩んでいても仕方ないので、片っ端から窓に手を掛けて行く。戸締まりをした後ならたぶんやるだけ無駄だろう。だが、僅かな希望も捨てきれず、無駄と分かる行為を重ねて行く。




ガタッ!


「きゃっ!」


 戸締まりを確認して部屋を出ようとしていたミイナは、いきなり背後で起きた物音に小さな叫び声をあげた。

 振り返って見ると、カーテンには怪しい人影が写っているではないか。

 恐怖に硬直している少女にも気付かず人影は大きく肩を落すと、マントを翻して隣の窓へと移動した。


「マント?」


 悲鳴をあげようか迷っていたミイナは、泥棒にしては洒落たマントをつけていることに何か引っ掛かるものを感じた。

 そこで、恐る恐る窓の際に身を寄せて、人影が次の窓へと顔を向けた時、カーテンの隙間から外を覗き込んだ。


「!!」


(リカームさん!)


 月明かりにおぼろげに現われたのは、故郷で自分を助けてくれたあの青年紳士様だったのだ。凛々しいその素顔は少し元気がなかった。


(きっと、閉め出されちゃったのね。でも、何故あんな格好で外にいたのかしら?)


 疑問に思いつつ、しばしその素敵な横顔に見蕩れてしまうミイナだった。



 リカームは大きく肩を落すと、鍵を掛け直した人物に賞讚を送っていた。


(さすがです。それでこそ御屋敷に仕える方だ)


 頼もしく思いつつも、何故か涙が止まらない。

 失意のリカームが次の窓へふらふらと手を伸ばした時だった。


カタッ!


 物音を聞き、振り返る。なんと、さっき調べたはずの窓が少しだけ開いているではないか。怪訝に思い少し様子を見る。しかし、待てども、誰かが首を出してくるようなことはなかった。

 さっき触った時に鍵が外れたのだろうか?


 用心深く注意しながらゆっくり中を覗き込む。暗くてよく見えないが、部屋には人の気配はなかった。これぞ天の助け…と窓から侵入する。


 安心して窓の鍵を掛け直した時、突然、部屋の外…廊下の方で人の気配を感じた。気配は足音も立てず、ゆっくりと離れて行く。

 気になってドアの隙間から覗いてみた。そこには、小柄なおさげの少女の後ろ姿があった。

(………偶然ですよね)


 まさか、ミイナが鍵を外してくれたとは夢にも思わないリカームだった。



           *                *



リカームは、腕を組み、考え事をしながら三階へと向かっていた。彼の部屋は御嬢様方と同じ階にある。もし何かあった時、いつでも彼女達のもとへと駆けつけるためだ。


 二階を通り過ぎ、三階へと昇る半ばで、リカームは立ち止まった。


(奴等と戦う時は、きちんと身辺整理しなければなりませんね。帰ってこれる可能性も少ないですから)


 深刻な表情で溜息をつく。

 そして、また歩き出す。階段を昇り切ると、正面の窓が開いているのが見えた。三階のランプには火が灯っている。


 まだ、戸締まりをしていなかったことを思い出したリカームは、すたすたと窓へ歩み寄った。もっと肝心なことを忘れているのにも気付かずに。


 窓へと手をかけたリカームは、何気無く見たガラスに自分の姿を見て、愕然とした。彼は今まで自分が素顔に戻っていることを、すっかり忘れていたのだ。


 そこへ、最悪のタイミングで後ろから声がかかった。


「あ…あなたは誰ですか?!」

「わあっ?!」


 そう、声をかけたのはシェーラだった。外で犬達が騒がしいのと何やら人の叫び声が聞こえたので、起きて老執事の部屋を訪れていたのだ。老執事の姿は部屋にはなく、自室へと戻る途中にこの怪しい人物に出会ったというわけだ。


 シェーラは気丈にも胸の前で手を握り締めて、こちらを見つめている。下手に悲鳴をあげると何をされるか分からない、とでも考えているのだろう。細い肩が小さく震えていた。


 リカームはパニックに陥りながら、必死に打開策を考えた。


(ひ~っ、御嬢様に素顔を見られてしまったあ~、どうしよう…か、かくなる上は泥棒と偽ってこの場は逃げることに…)


 絶望的な状況から破滅的な選択に。


 それでも彼にとっては泥棒として追われる方が、老執事が自分だとばれるよりよっぽどましなのだ。後のことは成り行きに任せるしかない。


「わ、私は怪盗シオン。この屋敷の美術品を盗みに来たのだが…姿を見られると言う失態を演じた以上、この屋敷から盗むのはやめにしておこう。では、もう二度と会うこともいと思うが……お元気で」


 泥棒ではなく怪盗と言ったのは、僅かに残ったプライドだった。

 リカームは実に優雅にマントを翻すと三階の窓から一気に、


(しまったあ!ここは三階だったあああ!)


 下は目測不可能な闇ばかりだった。

 が、リカームが窓から飛び降りかけた時、急にマントを引っ張られた彼はポテッ!と廊下に、背中から落ちた。

 マントの端は、少女の手にしっかりと握られていた。


 リカームは引きつ攣りかけた顔に手をあてて、すぐに起き上がる。


(あ、危なかったぁ!さすがの私も、昼ならともかく真夜中に三階から飛び降りて無傷でいる自信はないですからね。御嬢様、ありがとうございます)


 リカームは心の中でお礼を言うと、シェーラに向き直った。


「何か御用ですかな?お嬢さん」


 不自然さを消そうとやや憮然とした表情で聞く。


 シェーラは彼のマントを持ったままもじもじとしていたが、意を決して口を開いた。


「あ…あの、もし宜しければお茶でも御一緒にいかがですか?怪盗には初めて会うんです。いろいろとお話も聞きたいし…」


 いきなり現われた泥棒を、びくびくしながらもお茶に誘う行動力には一抹の不安を覚えた。しかし、芯の部分で規格外なところのある彼女らしいと、思わず苦笑してしまうリカームだった。


 シェーラは堅くマントを握り締めている。たぶん断るのに時間がかかるだろう。それに断れたとしても、格好をつけた手前、ここから飛び降りなければならなかった。


「………」


 闇夜でよく見えない地上をしばし見下ろす。

 やや青ざめたリカーム、いやこの場合シオンと言った方がよいか…はシェーラの誘いを謹んで受けることにした。


「あまり時間は取れませんがそれで宜しければ…」


 シオンの言葉に、シェーラは満面に笑顔を浮かべて彼を自室へと連れていった。


「今、お茶を入れますからそこに座って待ってて下さい」


 シェーラはぱたぱた!と駆けていくと、ティーセットを両手に持ってやって来た。保温性のポットには一時間ほど前にお湯を入れておいたので、冷めているということはないだろう。

 カタカタと震えるセットに、内心そわそわしっぱなしのシオン。


 だが、ぎこちない手付きでカップにお茶を注いでいるシェーラを見て、シオンは微笑ましいものを感じていた。


「あれ?何でリカームみたいに優雅に出来ないのかしら?」


 少女は自分の注ぎ方に納得がいかないようだ。


 シオンは口を出すまいと思っていたが、つい助言してしまった。

「上手に注ぐことより、美味しく飲んでもらおうと思うことが肝心だよ。飲む者にとって心を込めて注いでくれたお茶ほど美味しい物はない」  


 シェーラは少し驚いた顔をしてシオンを見ていた。


「どうかしたのかね?」


「い…いえ、ごめんなさい。シオンさんてリカームみたいなことを言うんですもの。でも、その通りだわ。リカームの入れてくれるお茶が美味しいのも、きっと心がこもっているからなのね」


 少女は改めてお茶を入れ直した。

 その顔には慈愛に満ちた微笑みが浮かぶ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 シオンは余程愉しみだったのかすぐにカップを口に運んだ。

 シェーラは気が気でないのかちらちらとシオンを見ている。


 怪盗はそんな少女に気付かないのか、ゆっくりとお茶を味わってから言った。


「とても美味しいよ。心が込もってる」  


 それを聞いた少女はとても嬉しそうに笑った。  


 美味しいお茶を前にして、黒いマントの若者と栗色の髪の少女の楽しい雑談が始まった。


「シオンさんはここへ何を盗みに来たんですか?」


 屋敷の主が泥棒に聞くことではないと思ったが、少女の好奇心に煌めく瞳には逆らえなかった。

 屋敷にある美術品を幾つか思い浮かべてみる。 


「うむ。いろいろ欲しい物はあったが…ゴモザの眠れるドラゴンとかゼノケリウスの剣あたりが好みだが…」


 そこまで言ったシオンは、わずかな間をおいて…続けた。


「もう、それ以上の物を頂いたからね。他の物には興味がなくなったよ」


「まあ、もう盗んだの?一体何を…」


 シオンは軽い微笑を浮かべたままで何も言わなかった。


 先程はまだ盗んでないようなことを言っていたが、いつの間に盗んだのだろうか。シェーラは仕事上の秘密と思い、話題を変えることにした。


「あの…何で泥棒なんてやっているんですか?」


「泥棒は酷いな、怪盗と呼んで欲しいものだ。まあ、理由は簡単…ただの趣味だよ」


 リカームは自分の変装趣味に照らし合わせて答えていた。


「え~っ…趣味でそんな危険なことをするんですか?!」


「そうさ。人が何かを好きと思うことに理由などいらないよ。たとえそのせいで失敗しても、本当に好きなら後悔はしないはずさ」


 シオンの言葉にシェーラはいたく感動していた。善悪を完全に無視している部分もあるが、それが言葉を飾らぬ真理なのだと思った。


「……私にも見つかるかな?」


「見つかるとも。幾つでもね」


 シオンの優しげな瞳はシェーラの心を包み込むかのようだった。少女は大好きな執事によく似たこの青年と楽しい時間を過ごした。


 そんな楽しい一時も大分経った頃、


「……さて、少しのつもりが随分長居してしまったようだ。私はこれで帰るとするよ」


「ごめんなさい。長い間引き留めてしまって…」


「気にすることはない。おっと、見送りは結構。ここでお別れしよう」


 シオンは少女に軽くウインクをすると、颯爽と部屋から出て行った。シェーラは夢みるような瞳で、怪盗の出て行った扉を見つめ続けていた。

 


 そして、そのまま自室に戻ったリカームはというと、


「うおおお…私としたことがなんという失態!あまつさえ御嬢様に対して無礼な言葉遣いを!!」


 激しい自己嫌悪に陥っていた。

 彼は年齢こそ偽証しているが、既に身も心もこの屋敷の執事なのだ。主を騙して怪盗などと偽ったことに罪の意識を感じていた。

 変装して屋敷に入り込むのは平気なのか?と言われそうだが、それは全然気にならないらしい。


 リカームがシェーラに数十回目の懺悔を捧げた時、コンコンとドアがノックされた。リカームはすぐにいつもの冷静な顔に戻ると、ドアへと進んで行った。既に三階の戸締まりのため、いつもの老執事に変装している。


「はい、お待たせしまし…御嬢様!」


 そこには先程別れたシェーラが立っていた。

 祈るように胸元で指を組んでいる少女は、リカームを見上げて何かを言いたげにしていた。


「……何か話したいことがおありのようですね。どうぞ、お入り下さい」


 少女はびっくりしたように目を見開いていたが、コクッと頷くと勧められるまま椅子に座った。


 リカームがテーブルの向かいに腰を降ろすのを待ってから、


「あの…本当はね、ずっと私の胸の内にしまっておきたかったの。けど、後でお屋敷の皆に迷惑がかかったらと思うと…それでリカームにならあの人も許してくれると思って。実はついさっき怪盗シオンって方が……」


 シェーラは先程のシオンとの楽しい一時をリカームに話し出した。

 聞いているリカームとしては恥ずかしいやら申し訳ないやらで、穴があったら飛び込みたい心境だったが…。

 

 それでも、一応外見だけは冷静さを失わず、楽しそうに話すシェーラに適当な相槌を打っていた。

 やがて、リカームには顔から火の出るような話も終わった時、少女がとうとう気になっていたことを話しだした。


「あの方は確かに何かを頂いたって言ったんだけど、何を盗んだかは教えてくれなかったの。もし、何か無くなっててお屋敷の誰かが疑われたりしたら…」


 少女の声は消え入りそうになっていた。

 自分の秘密のせいで誰かが疑われるなど、優しいこの少女には耐えられないことなのだ。 

 しかし、リカームは軽く微笑むと、


「御嬢様、シオン殿が私と同じ感性の持ち主ならそんな心配はいりません。おそらく頂いたというのは御嬢様の入れたお茶のことでしょう。どんな美術品も心の込もったお茶の前には色褪せて見えますからね」


「え~~っ!そ、そんな…」


 シェーラは真っ赤な顔で俯いてしまった。

 そんなロマンチックな台詞は聞いたことがなかったのだろう。いつもの落ち着きは欠片もかった。


 やがて、まだ紅い顔を上げた少女は、


「でも、何であの時そう言って下さらなかったのかしら?私が聞いた時には何も言ってくれなかったのよ」  


 照れ隠しに少し怒ってみせる。


「きっと恥ずかしかったのでしょう。私も、レディを相手にそんなキザな台詞はちょっと言えませんね」


「そんなものかしら?私としては聞いてみたかったなあ…」


 少女の眼差しは既に夢を見るようなものへと変わっていた。

 そんな主を見て、リカームは心の底から言わなくて良かったと思った。主の心を惑わせるなど、執事として絶対にやってはならないことなのだ。


「ねえ、リカーム。今度私があなたにお茶を入れてあげるね」


 この老執事になら、あの時よりも美味しいお茶を注ぐ自信がある…と。


「光栄です。是非…」


 そしてリカームも、あの心暖くなるお茶をもう一度飲みたいと思っていた。


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