次回をお願いします
次回をお願いします
ありがとうございます。
では予定どおり第三章第二話です。
今回は「書こうとして、書けなかった人」を描きます。
劇的な出来事は起きません。しかし、前話の「取り下げる」という選択を受けて、今度は最初から残さないという選択を静かに描きます。
⸻
第三十一話「白紙のまま」
十一月も半ばになると、図書館へ入る人の肩にはコートが増え始めた。
展示『この町の一日』は変わらず静かなまま続いている。
新しい投稿は以前ほど多くない。
それでも、一日に一枚か二枚は箱へ入れられていた。
直人は、そのゆるやかな流れを心地よく感じていた。
⸻
午後。
一人の男性が展示の前へ立った。
六十代くらいだろうか。
何枚も丁寧に読み、最後に投稿用紙を一枚手に取る。
近くの机へ座った。
直人は貸出カウンターから、その姿が視界の端に入る位置にいた。
仕事をしながら、ときどき目を向ける。
⸻
男性はペンを持つ。
少し書く。
止まる。
消す。
また書く。
紙を裏返す。
新しい用紙を取る。
しばらく窓の外を見る。
そして、その紙も折らずに机へ置いた。
長い時間が過ぎた。
⸻
閉館が近づくころ。
男性は立ち上がる。
白紙の紙を静かに返却箱の横へ戻した。
投稿箱には何も入れない。
受付へ来て、小さく頭を下げる。
「ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
それだけ言って帰っていった。
⸻
館内が静かになる。
直人は、机に残された用紙を見た。
何も書かれていない。
本当に白紙だった。
⸻
翌日。
紗季が写真館から立ち寄った。
直人は昨日の出来事を話す。
「呼び止めなかったんですね。」
「はい。」
「呼び止める理由がありませんでした。」
紗季は少し考える。
「でも。」
「気になりますね。」
「ええ。」
直人は頷く。
「何を書こうとしたんだろう、と。」
⸻
館長も話を聞いていた。
少し笑って言う。
「書かなかったんじゃない。」
「書けなかったとも限らないよ。」
直人は首をかしげる。
館長は展示を見ながら続けた。
「書き終えたから、書かなかったのかもしれない。」
⸻
直人は意味が分からなかった。
館長はゆっくり説明する。
「言葉にしようとすると。」
「自分の中で整理できることがある。」
「整理できたなら。」
「紙へ残さなくてもいい。」
⸻
紗季は静かに頷いた。
「写真を撮る前に。」
「十分見つめたから撮らない、っていう人もいます。」
「ありますか。」
「ええ。」
「その景色は、自分だけで持っていたいから。」
⸻
直人は昨日の男性を思い出す。
何度もペンを止めていた姿。
窓の外を見ていた時間。
白紙を戻した手。
あれは失敗だったのだろうか。
そうではないのかもしれない。
⸻
夕方。
展示を見に来た高校生が、投稿箱を見て友人へ言う。
「何書こう。」
友人は笑う。
「思いつかなかったら、また今度でいいじゃん。」
二人は用紙を取らず、本棚の方へ歩いていった。
直人は、その後ろ姿を見送る。
「また今度。」
その言葉も、一つの選択なのだと思った。
⸻
閉館後。
展示の前に立つ。
一枚取り下げられたままの余白。
そして、昨日投稿されなかった白紙。
どちらも展示にはない。
けれど、不思議と直人には、その「残らなかったもの」も、この展示の一部のように思えた。
記録されなかったからといって、存在しなかったわけではない。
町には、語られた記憶だけではなく、語られなかった記憶も流れている。
そんなことを考えながら、直人は静かに館内の明かりを落とした。
⸻
創作メモ
この回は、「書かなかった人」の正体や理由を明かしませんでした。
重要なのは理由ではなく、白紙にも意味があるということです。
前話では「取り下げられた投稿」が描かれましたが、今回はさらに一歩進めて、「最初から残されなかった記憶」も町の一部として扱いました。
これで第三章は、「残さないことにも意味がある」というテーマが十分に育ちました。
次回は当初の構想どおり、図書館員である直人自身が向き合う「除籍」を描きます。ここでは個人の選択から一歩広げて、図書館という制度の中で「残すために残さない」という現実を静かに見つめる回にしたいと思います。




